「あの新番組、大コケ!」「爆死!」とネット記事で書かれたら本人はどれくらいショックなのか

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4月や10月になるとテレビは新番組が始まる。そうなるとその視聴率を受けて「あの番組、大コケ!」「爆死!」なんてネット記事が踊る。事実そうなんだから仕方ない面はあるのだが、それって本人にとってどれほどショックなのか、ちょっと考えてみました。



まず、本人って誰よ? という問題があります。看板を背負っているタレント? ドラマなら主演俳優? スタッフも本人なのか? 視聴者でめちゃめちゃ愛してくださる人にも当人意識はあったりするのでは?? 自分の応援が足りないからこんな結果になっちゃったんじゃないか、とか。……ま、誰かしらはショックを受けるわけです。



重ねて言いますと、事実そうなんだから仕方ないですし、受け入れなければならない面はあるのですが、これがワッとあふれてカタマリになると、そこに何かしら悲劇のタネがあるような気がします。それを探りたくて、どれほどショックなのかちょっと聞いてみました。

「そりゃ気にします」 けど、そこにヒントが…

まずは、かつて大コケと書かれた番組を担当していたディレクターに聞いてみた。

「そりゃ気にしますよ」

彼曰く、書いてあること当たってるし、それを受けて番組会議の雰囲気もよくない。視聴率のグラフから「この部分はよいから!」と、なんとかよい要素を見つけてもすぐには好転しない。厳しい状況が続くと「空回り」「低飛行」なんてさらに見出しが踊る。悩む、というわけです。



わかります。筆者も上手くいなかった番組は何度か経験しています。けど、まだネットがなかった頃はおおらかなものでした。



どの業界もそうでしょうけど、テレビ業界も他人の苦戦を面白おかしく言ったりする人がいて、例えば『午後はホッとブレイク』なんてタイトルの新番組がコケたら、「早くも壊れるのブレイクじゃねぇか」とか「まずはおまえが休憩しろ」とか、そんな声が業界内にドッとあふれるのです。ま、そういった皮肉がうまい人たちがこの業界に多いのも事実ですね(笑)。



しかしこれがネット社会になると、みんなでうまいこと言ってくる。日本中で痛いところを突いてくる。草が生えるような見事なツッコミもあれば、的外れだなと思う声もある。そんなカタマリから、目線付けをして特定の声を抜き出して記事が生まれます。



現代ではツッコミや批判はデフォルトなのかもしれません。テレビの前で「この俳優、なんか嫌~い」なんて言ってたことをTwitterでつぶやけば、それを誰かが見る。そんな時代です。中にはショックを受けるならもっと言ってやれ、というイジワルな人もいるかもしれませんが、多くは、ただ声を表明したに過ぎない。それが一定のカタマリになった時に、ちょっとあらがえない評価になっていったりします。



「それでも頑張るしかないよね」前出のディレクターは言います。



そこからなんとか視聴者の求める番組を目指していくしかない。見事、勝機を見いだして伸びていった番組もあれば、頑張っている途中で「お疲れ様」とバトンを他の人たちに譲らなければならないことも……。



「いかにそこからヒントを見つけていくか?」そう言うのです。



筆者もテレビに対していろんな声があるのは、テレビの公共性を考えたら当然だと思います。受け入れなきゃいけない。もしかしたら、ネットが出現する以前よりも、テレビは視聴者のみなさんと一緒に作っていく感じが増したのかもしれません。視聴者にその意識はなくても、スタッフのほうにはそんな意識があるようです。

タレントはそれぞれ上手に向き合う方法を探っている

次にタレントさんはどう思っているのか?

今、苦戦している番組のタレントさんに「ねえ、どれくらいショック?」なんて無神経なことは当然聞けません。人として(笑)。



けど、かつて番組がコケたことがあって、時間を経て、「あの時どうだった?」と聞いてみたことはあります。

「そりゃ傷つくよ」

これが答えです。当たり前すぎてなんの面白味もないと思うかもしれませんが、その人、当時は傷ついた素振りは一切見せませんでした。

「自分の番組なんだから、一所懸命やってくれてるスタッフがいるし、応援してる視聴者もいるんだから最後まで頑張るしかないでしょ。おれが沈んでる場合じゃないよ」という答えです。

なんてシンプルかつ健気で頼もしい答えなんでしょう。メインになるというのは、こういう域に達するんですね。いちスタッフとして、こんなこと言われたらファンになります。この人のために盛り上げたい。微力ながらそう思います。



今、ドラマ・キャスター・CМ・YouTubeで大活躍の若手人気女優さんがかつて主演ドラマで「大コケ!」「低視聴率女優」なんて書かれたことがありました。この女優さん、当時SNSで傷ついている気持ちをちょっとだけ明かしていましたが、その後コツコツと仕事を積み上げ、ある大きな作品で評価を一転させました。



どれほど気持ちを入れ替えたのか、こちらの想像を超えていると思います。この女優さんの場合は、そういった声を評価として受け入れたケースです。



一方、上の世代にはそもそもネットの声は見ないという人も多い。お笑い大怪獣・明石家さんまさんは「おれはそういうのに打たれ弱いから見ない」と、あちこちで語っています。これもまた、一つの対処法ですよね。



どうも現代に生きる我々は、褒める声より、けなす声に影響されがち。だったら敢えて見なくてもいいんじゃないかというわけです。しかし、これも若い世代ではなかなか難しい。ある人気アイドルの女性はこんなことを言ってました。



「元気な時はエゴサしますけど、あまり元気がない時は“名前”“かわいい”でエゴサしますね。そうすると、私をかわいいと褒めるのが並びますから」



アガるそうです(笑)。つきあい方をよく知ってますよね。これ、芸人さんでもやってる人がいて“名前”“おもしろい”で検索したら、「この番組、×××(名前です)以外はおもしろい」と出てきて、アッタマ来たそうです(笑)。ま、そんなこともあるかもしれませんが、都合よく部分部分を受け止めるというのは対策として、なるほどなぁと思いました。



食べられるところだけ食べて、あとは土に埋めちゃう。そんな感じでしょうか。

すべて受け入れなくても新しい芽が育つことも…

そもそも批判を受ける犯人も、称賛を浴びる英雄も、エンタメにおいてはたった一人ではない気がします。



よく主演男優賞を取った俳優さんが壇上で「この賞は私がいただいたものではなく、この作品に関わった方すべての人たちがもらったもので、今回はたまたま私が代表で受け取ったに過ぎません」なんて挨拶しますよね。とても謙虚な姿勢ですが、事実その通りだと思うんです。主演俳優が輝くには、あらゆる人たちのチカラが合わさって、そこへ結実していくわけですから。



けど、大コケに対しては「この評価は私が受けているものではなく、この作品に関わった方すべての人たちがやらかしてしまったもので、今回はたまたま私が代表で言われているに過ぎません」とは言えないわけです(笑)。表舞台に立つゆえ、どんな声も真摯に受け止める。そんな人が多い。



ときどき、すべてを受け止めようとして悲しい結果になってしまったり、スポーツ選手が自分ではどうしようもないお願いをされて苦しんだり、そんなニュースを見かけます。もう、前出のアイドルが言っていた「食べられるところだけ食べて、あとは土に埋めちゃう」でいいんじゃないでしょうか。



時間が経てば、土に埋めた中から新たな芽が育つこともあるかもしれない。



私たちは有名人と違って、世間の声が自分に集中するという経験はほぼありませんし、どんな気持ちになるのか想像はなかなか難しいですが、カタマリの巨大さはどうやら一個人では手ごわいようです。

表舞台に立つ人たちは、この状況に対応しようと只今進化中と言えます。

で、そんな中からまた新たなスターが飛び出してくる。

まったく、タフな人たちです。



【文:鈴木 しげき】



執筆者プロフィール

放送作家として『ダウンタウンDX』『志村けんのバカ殿様』などを担当。また脚本家として映画『ブルーハーツが聴こえる』連ドラ『黒猫、ときどき花屋』などを執筆。放送作家&ライター集団『リーゼント』主宰。