雑木林で、家族と一緒にカブトムシを捕まえた!

このような夏の思い出のある方いらっしゃるのではないでしょうか?
クヌギやコナラなどの雑木林は、わたしたちの暮らす場所のすぐとなりにある身近な自然で、「里山」と呼ばれています。

じつはこの「里山」という言葉、現在「SATOYAMA」として世界でも通じるのです!
なぜ日本独自の環境をあらわす「里山」という言葉が、世界に発信されるようになったのでしょうか? そこには、今年の「みどりの学術賞」を受賞された武内和彦先生の、人と自然の未来に対する熱い想いが秘められていました。

今回は、人と自然だけでなく、異なる学問分野、さらには国々までをもつなぎ、自然と人が共に生きる「持続可能な社会」への取り組みを世界的にリードしている、武内先生のこれまでの歩みとその想いに迫ります。

武内和彦先生

人々の環境問題への意識が大きく変わった時代のなかで

武内先生は、70年前の1951年にお生まれになりました。
お父様は電気工事業をされていて、ご家族で企業城下町にお住まいになられていたそうです。

「煙突から煙が出てきて、洗濯物が鉄粉で汚れてしまったりしていた」

当時の町の様子を、武内先生はこう話されます。今でしたら、たくさんの苦情が集まりそうな状況ですよね。しかしこの頃は、戦後の復興とそれに続く高度経済成長の時代。社会の様子も今とは違って、このような状況にも「誰も怒らなった。怒るよりも、(企業に)食べさせてもらっているという意識の方が非常に強かった」と当時のことを振り返ります。公害の防止に対する取り組みも、ほとんどやられていなかったとのこと。

魚釣りの風景。小学校2年生のときの武内先生のクレヨン画。(武内和彦著 『地球持続学のすすめ』岩波ジュニア新書より)

しかし、学年が上がるにつれて、社会の様子が変わってきたそうです。

「だんだんと社会全体が、環境の問題が大変だと思うようになっていった。企業も、公害を制御しないと人々の健康と暮らしがよくならないのではないかという意識が高まってきた」

このような時代を生きるなかで、武内先生はぜひ環境の問題に取り組んでいこうと思うようになられたそうです。

人と自然のかかわり方を探究する学問をつくる

武内先生が環境問題の解決に向けて歩み始めたすぐ先に、ある壁がありました。研究分野という壁です。環境について研究できると思って進学した地理学の課程。ここでは、「今まで起こったことを解析するのはいいけれども、これからどうするんだということは、うちの研究室では扱わない」と言われたそう。

武内先生は当時のことをこう振り返られます。
「結果的には、地理で学んだことは、俯瞰的に環境を捉えるという上では役に立ったのだけれど、そこから先(今ある環境の問題を解決すること)はこの研究室にいたらなかなかできないんじゃないかと思って、それでいろいろなところを探した」
その後、武内先生は、後に教授をなさった研究室でもある、東京大学の今の「緑地創成学研究室」にたどり着き、修士課程からはこちらで研究に邁進されました。

環境の研究に取り組むなかで、武内先生は当時の細分化された「環境のとらえ方」に違和感をもっていたそう。そこでいろいろな本を読んでいたとき、ドイツの地理学者カール・トロル氏の本と出会います(なんとドイツ語!)。トロル氏は、その当時日本にはなかった「ランドスケープエコロジー」という分野を創設していました。そしてその彼の考え方は、武内先生のそれまでの考えに通ずるものでした。

「(それまで)自分だけが変なことを考えていると思っていた。ドイツに同じようなことを考えている研究者がいたことが驚きだった。そして、自分が歩んできた道はわりと悪くなかったんだなと思った」 
武内先生は、この本との出会いをこう話します。そして、「日本でもそういう分野を切り開こうじゃないかと地域生態学として自分なりに展開していった」そうです。

その道のりで武内先生は、人が暮らす地域の生態系の構造と機能、さらにそれらが人の影響を受けてどう変化してきたのかを、日本と世界の国々で調査されました。そして、人による環境変化を制御していく、新たな地域のシステムの創出を探究されてきました。

そして地理学から始まった歩みから、約20年。武内先生は、地域における人と自然環境のかかわりを科学的にとらえ、地域環境の保全と創出のあり方を論究した『地域の生態学』を1991年に出版されたのです

自然を「手入れする」、「再生する」~人と自然が共生する環境とは?~

「自然環境は守るだけの対象だけではない。自然環境はもともと人と自然の関わりで成り立つ二次的な自然がほとんど。原生的な自然は手をかけないのがいいが、二次的な自然は場合によっては手をかけることで再生できる」

武内先生は人と自然のかかわり方について、このように語ります。
このお考えを支えているのは、ご本人の記憶に強く残っているという2つの出来事でした。

みなさんは、農業と自然環境の保全を両立することができると思いますか?農業では土地を開拓するため、普通は自然が壊れてしまうと考えます。
そのような考えをひっくり返す現場に、ドイツのバイエルン州で出会ったそうです。そこでは、農業工学とランドスケープエコロジーという異分野の先生たちが共同研究をされていました。彼らの取り組みは、圃場整備で、農地の一部に生物が生息できる空間を創りだすというもの。それも「一つ一つの小さな生息空間を創るだけでなく、それらのネットワークを作って豊かな生物空間とする」ということに取り組まれていました。武内先生にとって、これはとても衝撃的な考え方だったそう。この考え方を日本に持ち帰り、日本での普及に貢献されました。

この考え方は今「ビオトープネットワーク」というドイツ語と英語をつなげた言葉で日本でも普及しています。これは農地などの人とかかわりのある空間に、人が生物の生息空間を人為的に「創出する」というかかわり方です。
武内先生は、自然と人とのかかわり方において「適度に人が手を入れる」という、もうひとつのかかわり方があるといいます。

その考えの原点は、幼い頃におじいさまと一緒に体験した里山での炭焼き。

以前、人々は身近な里山で炭となる樹木を伐採していました。その樹木を育てるために、里山の手入れもしていました。そのため、里山と人とのかかわりはとても密接なものでした。武内先生は、おじいさまと何食分かのご飯を持って里山に行き、炭焼き小屋に泊まって炭ができるのを待っていたそうです!
そのときの思い出から、「二次的な自然(人が維持し、管理してきた自然)では、適度に人が手を入れることで、人と自然が仲良く付き合えるということを原体験的に記憶」されているのだそう。その後、『里山の環境学』という書籍を2001年に共著で出版されるなど、里山の研究にも尽力されています。

現在、里山では人がその環境を管理することで、多様な生物の生息環境が保全されることがわかっています3など。実際に里山は、人と自然のかかわりのなかで守られてきた自然環境だったのです。

地域の人とともに挑戦した、世界農業遺産 〜学問と地域社会をつなぐ〜

人と自然の適切なかかわり方がみえてきたとして、それを現実で実践することには、また大きな壁があります。現実にはその場所に生きている人がいて、それぞれの生活や思いがあります。そのような現実のなかで、自然と人とが共生する地域づくりに尽力されてきました。

「研究者があるべき社会を一方的に言ってもダメだと思う。地域の人が納得して進まないと現実の姿にならない」
武内先生はこう語ります。そして、「現場の自然や風景を見たり、現場の人と会話したりするのが一番大事で、時間があればそれをしてきた」とのこと。

ここでは、武内先生が地域の人たちとともに取り組んだ、「世界農業遺産」のお話をご紹介します。

みなさんは、新潟県の佐渡地方や石川県の能登地方に行ったことはありますか?
「佐渡の里山」や「能登の里山里海」は、世界的に重要かつ伝統的な農林水産業を営む地域として国連食糧農業機関(FAO)の「世界農業遺産」に認定されています4

世界農業遺産は、「社会や環境に適応しながら何世代にも継承されてきた伝統的な農林水産業」が行われていることに加え、その地域における文化や生物の多様性が保全されていることが認定される基準となっています
つまり、自然と人の営みが持続的に共存している地域ともいえるでしょう。

この世界農業遺産は、もともと開発途上国の支援が目的だったそう。FAOがそれまで開発途上国で支援していたのは、大規模な農地開発。しかし、「大規模化は一見生産性が上がるのだけれど、そのうち土地が不毛地化してしまうことも多く、何よりも生物多様性が失われる。大規模化に重点をおいたやり方を見直さなくてはいけないのではないか」とのことで、創設されたのが世界農業遺産だったとのこと。しかし途上国に限定されていたことについて、違和感を抱いたそう。

「大規模化ではない付加価値(ここでは「世界農業遺産」という価値ですね)をつけることによって、地域の自然や文化を守りながら、農林水産業を振興していくというのはすばらしい。でも、それは別に途上国だけじゃなくていいんじゃないか、先進国だっていいのではないか」

そのとき一緒にお話ししていた、当時の世界農業遺産コーディネータのパルヴィス・クーハフカン氏にも、それがダメである理由を見つけ出すことができなかったそう。そこで、武内先生はやってみよう!と動きました。
そして、それまでにお付き合いのあった佐渡と能登の人たちとともに、先進国初の世界農業遺産の認定に挑戦します。

「農林水産業は地域の人々の財産であり、智恵であり、そしてそれは未来につながるものである。」

このような武内先生の想いと佐渡と能登の人々の想いが重なったのでしょう、2011年に日本初、先進国初の世界農業遺産が誕生しました。

能登の白米千枚田。海のすぐ近くにある。(武内和彦著『世界農業遺産』祥伝社新書より)

この出来事は、開発途上国も先進国も当事者となってこれからの「世界の農業のありようをいっしょに考えていこう」という、「世界農業遺産」の新たな姿勢を示すことにつながったそうです5

武内先生の従来の考え方や国の枠にとらわれない姿勢、そして行動力。
それがきっかけとなって、今後の世界の農業のあり方に一筋の方向性を示した出来事だったのではないでしょうか。

「世界農業遺産」のような、自然と調和した農業がおこなわれ続ける未来のため、新たな構想も話してくださいました。武内先生の挑戦は今も変わらず続いています。

キーワードは「俯瞰的にとらえる」!

気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが、武内先生のされてきたお仕事には大きな特徴がみられます。それは、異なる学問分野、自然と人の社会、日本と世界など、それぞれの間に存在していた壁を取り払い、それらをつないで、新しい見方をつくられてきたということです。

ここには、インタビューのなかでおっしゃっていた、「俯瞰的にとらえることに尽きる」という、武内先生のものごとの見方が深く関わっています。
「俯瞰的に環境をとらえる」ということは、日本で地域生態学を展開されていったときにも大切にされていたとおっしゃっていた考え方。環境を俯瞰してとらえていたからこそ、環境問題を根本的に解決していくために欠けているつながりに気づくことができたのではないでしょうか。

ただ、つなぐ必要があるとわかっていても、実際にそれを行うことはとても大変なことです。しかし、武内先生はそこを自らの行動でつないできました。
そしてこれらの取り組みは、自然と人とが共生する「持続可能な社会」につながっています。

「生物多様性とサステイナビリティ」国際シンポジウムで基調講演する武内教授(写真提供:UNU-IAS)

自然とともに生きる未来のために

自然は手つかずのままにする、これが自然を守るということだとの考え方が主流であった時代。
武内先生が「里山は、下草刈りや間伐をして、人が管理しなくてはいけない」と話すと、「あなたは自然を破壊することを是認するのか」との批判も受けたそうです。「研究者のあいだでも、原生の自然しか価値がないと思う人が多かった」印象もあったとのこと。

そのころから時がたち、人との関わりのなかで存在してきた自然は、人が手を入れることによって守れることがあるという考え方が、研究者の間でも違和感なく受け入れられている雰囲気が今ではあるそう。また、みなさんのなかにも、里地里山活動といった、雑木林を管理する地域の活動を目にされたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
現在の様子をみて武内先生は、「自然を見る目が変わってきたという感じがしますね」とおっしゃいました。

SATOYAMA

ここには、里山における自然と人とのかかわり方が、世界を持続可能な社会に導く道しるべになる、このような武内先生の思いが込められていたのです。 

さて、みなさん。
次のお休みの日には、身近にある自然に触れてみませんか?

里地里山に暮らす鳥、キジ (著者撮影)

* 現在も行われているところはあります。 

参考資料
〇脚注
1)東京大学緑地創成学研究室: http://www.lep.es.a.u-tokyo.ac.jp/
2)武内和彦(1991)『地域の生態学』.朝倉書店.
3)武内・恒川・鷲谷編(2001)『里山の環境学』. 東京大学出版会.
4) 農林水産省 「世界農業遺産・日本農業遺産」:https://www.maff.go.jp/j/nousin/kantai/giahs_1.html
5) 武内和彦 (2013) 『世界農業遺産 注目される日本の里地里山』. 祥伝社.

〇本記事に関連する武内氏の著書
・武内和彦(2007) 『地球持続学のすすめ』.岩波書店.
・武内和彦(2006)『ランドスケープエコロジー』.朝倉書店.(『地域の生態学』の改訂版)



Author
執筆: 遠藤 幸子(日本科学未来館 科学コミュニケーター)
ある渡り鳥との出会いがきっかけで、これまで鳥の生態を研究してきました。その日々のなかで出会ったモズという小鳥と研究者たちが、世界にはたくさんの不思議があるということを私に教えてくれました。未来館で、みなさまが不思議に思うことをぜひ教えてください。みなさまの不思議と科学をつなぐことができたら嬉しいです。