東レ社長・日覺昭廣の「素材には、社会を本質的に変える力がある!」

産業構造の比重がモノからソフトへ移る中、モノづくりはどうあるべきか─。「素材には社会を本質的に変える力がある」が持論の東レ社長・日覺昭廣氏。コロナ対策として医療用ガウン、重症患者治療の血液浄化器なども手がけながら、中長期レンジでの新領域開拓が進む。例えば、がん撲滅に向けて血液中のがん細胞検出、抗体医薬開発といった”ライフ・イノベーション”事業、また”グリーン・イノベーション”と名付けてのバイオマス由来の素材開発、さらには環境問題解決の切り札とされる水素エネルギー関連の素材開発とテーマは目白押し。将来に向け、社会にどう貢献していくかという成長戦略を組み立てつつ、コロナ危機下、足下の利益をどう確保するかという今日的課題を抱えての企業統治。そのためには、内外企業とのパートナーシップ、あるいは国(政府)との連携はいかにあるべきか。「日本発のビジネスモデルを創り出していく」と語る日覺氏のモノづくり論とは─。


検査体制の充実で国民に安心感を!

 コロナ禍、政府による2度目の緊急事態宣言が3月21日解除された途端に感染者の拡大。東京、大阪の大都市で感染者数が増加基調、さらには仙台、松山市など地方の中核都市で急増するなどの状況に、『第4波』の襲来だと指摘する専門家もいる。

 コロナ禍が起きて1年数か月、いま何が必要か?

 コロナ危機対応への本質的な問題として、「わたしは、徹底的に検査ができる体制をつくることが、安心感をつくる上で大事なのではないかと思います」と東レ社長・日覺昭廣氏は語る。

「陽性なのに無症状で元気な人が動き回っているのは、最初から確認されていましたからね。人にうつすのを喰い止めるには、検査体制をよくしていくしかないのではないか」

 インフルエンザから、致死率の高いエボラ出血熱まで感染症は一般的に発症したら、患者は、動かさないようにして、感染が広がるのを防ぐ。

 新型コロナが厄介なのは、発症前から他の人にうつしてしまうケースが多いこと。

 昨春、第1回の緊急事態宣言が発令された時も、この事は起きていた。昨年5月、北九州で20人の陽性患者が見つかったが、19人が無症状という事例。

「だからこそ、徹底した検査が必要。ある意味でホテル隔離、または自宅での自主隔離でいいんですよ。政策をしっかりやれば、おそらく医療崩壊も起こらないと思うし、日本の医療機関は世界1多いんですよね」

 要は、ファクト(事実)やデータに基づいての対策づくりが大事だということ。

 今回のコロナ禍では医療関係者の健闘には多くの国民が感謝している。そうした医師や看護師が疲弊し、医療崩壊となるのを防ぐには、保健所・公的病院と民間病院の連携も必要で、工夫の余地はある。

 もっと言えば、民間の出番があっていいのではないかということである。


もっと民間の出番を!

「ええ、米国などでは、もう民間が検査を積極的にやっているでしょ。日本は泥縄的な危機対応になっている気がします」

 日覺氏は米国の例を引き合いに出し、「重病患者用のECMOなどが足りないとなったら、米国はもう自動車メーカーのGMに作らせたんですよ。あれは日本だと作らせないでしょうね」と語る。

 ECMO(体外式膜型人工肺)。日本で、例えばトヨタ自動車がこれを作ろうとなると、医療機器をつくる免許がないから駄目となる。

 もちろん、人の命に関わる医療機器だから、だれもが勝手に作って販売できるというわけにはいかない。ただ、100年に1度といわれる感染症の襲来である。国として、社会全体として、有事の危機対応を図るのかという命題。

 国情や国柄の違いと言ってしまえばそれまでだが、せっかく日本に技術基盤や能力があっても、それを危機時に生かせないもどかしさ。

 例えば、欧州で使われた民間の自動検査機も千葉県のメーカー製だった。自動的にコロナ検査ができるということで、欧州全体で約600の自動コロナ検査機が納められているという。

 日本で作っているのに、日本では認可されていない。海外では使われているというので、日本でも昨年急きょ認可されたという経緯。

 コロナ危機は多くの示唆に富む教訓を与えてくれている。

 危機管理については、都市封鎖(ロックダウン)の有無、マスクの着用とそれこそ国や都市によって違う。命や健康の守り方も国によって考え方・価値観が違い、民心などの国情も出て、まさに多種多様。

 この多様な世界にあって、ガバナンス(企業統治)をどう効かせていくか。

〝モノづくり〟の東レが生産拠点を持つのは28か国。そして世界全体に製品を販売する中での経営のカジ取りである。

この変革期は「人を大事にする」経営で

 コロナ危機による業績への影響はどうか?

 東レは3月期決算で間もなく業績を開示するが、減収減益は避けられない見通し。ただ、昨年後半からは回復基調にある。日覺氏が2021年3月期を振り返る。

「(21年3月期の)第1四半期の4月―6月期が最悪期で、このときは自動車産業向けの資材供給が止まってしまった。われわれ素材メーカーはちょっと遅れて、7月―9月期が最悪かなと思ったら、そうでもなくて、5月に緊急事態宣言が解除された後ぐらいからは全体的に持ち直してきた。10月以降はほぼ前年並みの動きになりましたね。特に最近では、自動車の販売が大変好調なんですよね」

 日覺氏はこの1年の動きをこう語り、自動車向けの仕事を含めて、次のように分析。

「このコロナ禍にあって、自動車は安全だと。通勤にしても、公共機関を使うよりは、やはり自動車を利用するとかね。また郊外に出かけるのにもいいということで、中国を含めて海外ですごく自動車が売れている」。

 昨年後半からの持ち直しで、収益見通しも上方修正。当初、2021年3月期の営業利益は約700億円(20年3月期は1311億円)の見通しだったが、途中で800億円に、そして900億円へと上方修正し、「できたら1000億円ぐらいにいきたいなと」という状況。

 ちなみに、21年3月期の売上高見通しは約1兆8400億円(20年3月期は2兆2146億円)で減収減益になる見込み。

 コロナ禍で産業界の業績も明暗を分ける。航空業界や鉄道各社は人の移動が抑制されて業績も不振。反面、モノの移動にたずさわる物流・運送業は巣ごもり需要もでて業績好調だ。

 製造業も影響を受けたわけだが、前述のように、「昨年後半から、製造業全体は盛り返してきている。復活する力はあると思うんです」と日覺氏は語り、「観光、宿泊関連のダメージが大きいし、いわゆる中小零細の領域、特に個人商店の所が厳しいですね」と2極化の認識を示す。

 このコロナ危機の中で、デジタルトランスフォーメーション(デジタル革命)が進み、産業構造も変革していく。こうした混沌状況下でどう生き抜くかという命題である。

「東レ型の経営観、人を大事にする経営でこの変革期に臨んでいきたい」と日覺氏は語る。


人を大事にし、人を育成する経営で

 コロナ危機への対応も国によって違う。米国は死者数も50万人を超えるが、消費活動を含め、経済への対応は前向き。欧州は一言では言い表せなくて、ドイツあたりは堅実・堅調な生き方だが、イタリアは楽天的な要素が加味されたりする。

 人材の流動性の高い米国での経営はどうか?

「米国の関係会社のトップ、アメリカ人の社長は今、5人ぐらいいます。新しく買収した2社は今のところ、日本人の社長を置いていますが、大半はアメリカ人のトップです」

 東レが食品包装用や一般工業用の高付加価値包装向けのプラスチックの製造会社、TPA(Toray Plastics(America),Inc.本社・ロードアイランド州)を設立したのは1985年(昭和60年)だから、35年余が経つ。

「もう30数年経つんですが、それこそ30何年間いる人が社長になっています。東レのモノづくりの考え方が染みついている」

 日覺氏は、「人を大事にして、育成して、東レの経営の考え方が浸透している人が経営のトップに達して、ずっと会社にいるんです」と語る。

「確かに、一般的なアメリカ人はどうだといわれたら、それは違うかも分かりません」と日覺氏は言いながら、少なくとも東レの米子会社や関係会社で「人」を基調にした経営に今後も注力していきたいと語る。

世界が変革していく中、日本はもっと主体性を!

 世界中で経営のあり方の見直しが進む。米国の有力企業の集まり、ビジネス・ラウンド・テーブルも従来の株主資本主義偏重から、全ステークホルダー(顧客、取引先、従業員、地域社会)に気配りする考え方を提唱。

 2019年初めには、英国もコーポレート・ガバナンス・コードを改定し、従業員を大事にする経営を打ち出したり、雇用面での改善も進む。

「ええ、世界的に、いわゆる日本的経営というか、人を大事にする経営が見直されてきています」と日覺氏も語る。

 日本でもNHKが大河ドラマで、日本資本主義の生みの親とされる渋沢栄一を主人公にした『晴天を衝け! 』が今年制作され、放送されている。

『論語と算盤』の考え方で倫理観に基づく経営、もっといえば社会に貢献する企業経営の大事さを説いた渋澤栄一の思想の再認識である。公益資本主義の考え方の広がりと言っていい。

 ただ、日本の現状に日覺氏は〝注文〟を付ける。

「日本も、早く現状を変えないといけないのですがね。というのも、米国などが変わろうとする以前の欧米のコードに向かってきているのが、今の日本ですからね」

 2010年(平成22年)6月の社長就任以来、株主資本主義偏重のゆがみを説いてきた日覺氏。

 世界中で経営のあり方の見直しが進む背景には、所得や雇用などで『格差』が生まれ、そのことが新たな危機を生み出すという危機感があるからだ。

「格差を生んだということと、豊かさといっても、それはほんの一部の人しか恩恵を受けていなくて、ほとんどの人がカヤの外。結局、そうした状況を生み出すのは金融緩和で、お金をジャブジャブ刷った。そのジャブジャブ刷ったお金を扱える人って、ほんの数%の人でしかない。その人たちが実体経済を動かしているわけでも何でもない」

 数年前の世界のGDP(国内総生産)は約75 兆ドル。これに対して金融資産は約250兆ドルだった。それが、最近は世界GDPが約85兆ドルに対し、金融資産は約350兆ドル。金融資産の増え方が著しい。

 この結果、何が起きるか? コロナ危機も重なり、経済を落としてはいけないと、各国の金融当局とも金融緩和を続ける方針。続けざるを得ないということであり、政治的にもそういう判断が続く。

「問題なのは、その刷ったお金が実体経済に回らず、バブルをつくるだけだということ」。

 原油相場が一時はゼロ価格を割ってマイナス価格になるといった〝おかしな〟現象も生まれた。

 日覺氏は「だから、僕はマイナス金利なんていうのは、その自浄作用だと思うんですね」という認識を示す。

 では、この混沌とした状況下、モノづくりの使命をどう発揮していくのか。


2050年目標へ向けて東レが『やるべき事』とは

 日覺氏は経営の基本的な考え方として、10 年単位での『長期の展望』、3年単位での『中期の課題』、そして1年以内の『今の問題』の3つの時間軸を〝経営の3本柱〟にあげてきた。

 10年後の世界がどうなっているかを展望し、そのときの東レグループの『あるべき姿』を描き、3年単位で『やるべき事』を設定しようという考え。当然、時代の流れやその時々の環境変化で軌道修正は有り得る。

 ESG(環境、社会、ガバナンス)やSDGs(国連が定めた持続的発展のための合計17の目標)が、産業界の指標になっているが、同社は2018年7月、『東レグループ・サステナビリティ・ビジョン』を策定。

 この中で特に、地球環境問題や資源・エネルギー問題に貢献する『グリーン・イノベーション事業』と、医療の質向上、医療現場の負担軽減、健康・長寿に貢献する『ライフ・イノベーション事業』をグループ横断プロジェクトとして強力に推進。

 前者の領域では、炭素繊維などの自動車・航空機用軽量材料、風力発電用材料、海水淡水化のための逆浸透膜、そして植物由来のポリエステル繊維といった事業が並ぶ。

 後者の領域では、医薬・医療事業に加え、東レの素材を活用した防護服やDNAチップ、さらには生体情報取得のための高機能繊維素材『Hitoe』などの開発がある。

 2050年に地球温暖化ガス(CO2)の実質排出ゼロ──という日本の目標について、「それはしっかりと議論していくことが大事」と日覺氏は語る。

「もうみんな鉄鋼をやめて、化学製品をやめて、全てをやめるとすれば、ゼロにできるけれども、そういう生活には戻れないわけで、原始時代には、石器時代には戻れない。例えば、炭素繊維を使うことによって飛行機の燃費がよくなるとか、排出がぐんと減るよとか、そういったことをしっかりカウントしていかないと。全体のバランスを考えて、どういう政策を打っていくかが大事だと思います」

 プラスチックや合成繊維などはちゃんとリサイクルを果たしていくとか、生活の仕方も変革していくなどの工夫も不可欠。

「ええ、生活のやり方や、リサイクルのコスト負担を誰が担っていくのかといった議論ですね。結論から言えば、みんなが負担する必要がありますね」。

「素材には、社会を本質的に変える力がある」──。日覺氏は社会課題の解決へ、素材メーカーとしてのソリューションを提供していきたいと強調する。

 例えば自動車の電動化といえば、EV(電気自動車)と水素で電気を起こして動力源にするFCV(燃料電池車)が中軸となりそうだ。これにHV(ハイブリッド。エンジンとモーターの融合)やPHV(プラグインハイブリッド)などが電動車の範ちゅうに入る。

 課題は、例えば水素のコストとインフラ整備だ。

 FCV(燃料電池車)は水素と酸素を反応させて電気エネルギーをつくり、最後は水になるということでCO2を一切出さない。このためFCVは、〝究極のエコカー〟とされるが、一ヶ所の充填拠点作るのに約5億円かかるといわれ、巨額の水素ステーション投資がかかる。

 インフラ整備面で欧米や中国などと比べて、日本は遅れを取っており、一層の努力が必要。「日本の場合はもう規制だらけで、ステーション費用は5億円。欧州は1億円というし、この面でも不利な状況」と日覺氏。

 EV(電気自動車)は走行距離が短いといった課題はあるが、知恵は絞り出せる。

「欧州でも、乗用車の場合、レンジエクステンダーという考えが出てきています。EVもFCVも電気で動くというのは同じ。FCVは水素から電気をつくるし、EVは電池から来る電気そのもので走るわけですからね。だから、僕は将来、EVとFCVのハイブリッド(組み合わせ)はあるなと思っています」

 ともあれ、ソリューション(解決策)の掘り起こしである。

日本発を世界に発信

「日本発の事業、ソリューションを世界に発信していきたい」──。医療領域では、心臓病の不整脈の一種である心房細動の治療法の開発が進む。

 東レはこのカテーテル治療の第1人者といわれる佐竹修太郎医師と提携し、『HotBaloon®』心房細動カテーテルアブレーションシステムという治療法開発に関わった。

 血管内を動くカテーテル先端に付けたバルーン(風船状の器具)を加熱し、その熱でアブレーション、つまり焼灼するというもの。

「本当に素晴らしい治療法です。再発もしないし、成功率も高い。熱で部位を焼き殺すという手法です。この世界で佐竹先生と言ったら、レーシングドライバーみたいな存在」と日覺氏。

 佐竹医師の手法は当初、マニュアルでレーシングカーを運転するみたいなものだったという。

 それは佐竹医師の頭に、バルーンの傾きだとか、バルーン内の液体の温度がどうなっているとかが全部入っているから、難しい治療もできた。現に数年前、フランス人医師に手ほどきしたら、「難しい」という反応だった。

 それで、かなりのプロセスを自動化して、モニタリングできるようにするとか工夫を加えていった。そうやって昨年暮れ、『2020年モデル』を開発。

 このほか、がんを見つけるDNAチップの開発。これは膵臓がんを初期に発見するとして、内外から期待がかかる。

 がんの治療薬としては、抗体医薬の開発がある。

「いわゆるがんに特異的に発現する抗原を見つけたんです。その抗原に対する抗体も発見したので、それで米国のメイヨークリニック、世界中から末期がん患者が集まる総合病院ですが、今ここで治験をやっています」

 日覺氏は、「2020年代には、がんは征服できると思いますね」と語る。

 中長期ビジョンに向かって、地道に突き進むとして、産業構造の比重がモノからソフトに移る中、モノづくりはどう変わるのか?

〝アズ・ア・サービス〟という言葉が喧伝されるように、経済のサービス化・ソフト化が進む。ただ、ハードとソフトの関係でいえば、ソフトだけでは何の役にも立たない」(日覺氏)ということ。

 だとすれば、ハードとソフトを有機的に結合させ、効率よく目的を達成するという氏の考え。それは前述の心房細動の治療法開発でも言えることだ。

「組み立て産業は、今あるいいものを持ってきて組み立てればできる。これはこれでいい。僕は悪いと言っているのではないですよ。だけど、素材産業というのは、これの蓄積された事実がないとモノは出来ないんです。そういった意味では、いっぺん無くしてしまうと、もう元に戻らない」

 素材は1つひとつ地道に開発していくもの。技術を開拓し、それを蓄積するのは人。その人を大事にするという日本的経営で、しっかり地歩を固めていくという日覺氏の信念である。