俳優の吉沢亮が主演を務める大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)は、第2回「栄一、踊る」(脚本:大森美香 演出:黒崎博)で早くも渋沢栄一が青年に。吉沢亮の本格的登板となった。獅子舞を舞ったり、竹刀を振るったり、全速力で走ったり、ふんどし一丁になったり吉沢亮が躍動しまくっていた。なんといっても、サブタイトルが「~踊る」だけに村祭りの獅子舞が印象的。

  • 『青天を衝け』第2回の場面写真

制作統括の菓子浩チーフプロデューサーは第2話について、このように語ってくれた。

「第2回は、栄一は、小林優仁さんから吉沢亮さんへ、慶喜は笠松基生さんから草なぎ剛さんへ、子役から本役に変わる大切な回です。その転換点を、栄一は獅子舞、慶喜は能、で描きました。若々しく躍動感ある『獅子舞』と、静謐な中に力を秘めた『能』。まったく異なる『舞=踊り』で見せることで、栄一と慶喜の背景も見えてくるという大森さんの脚本の狙いを込めたサブタイトルです」

菓子さんが言うように、栄一の獅子舞だけでなく、慶喜も能を舞う。第1回の冒頭で出会っているふたりだが、第2回ではまだ出会っていない。やがて運命的に出会うふたりが、『舞=踊り』ことで結びついている。それはまた、労働する民衆たち(栄一)、上に立つ幕府の者たち(慶喜)と身分が違いながらも、生活に『舞=踊り』を取り入れていることの面白さでもある。人間は皆、舞ったり踊ったりすることを心の支えにしているのだと思う。

渋沢栄一は子供のときから獅子舞に親しみ、歳をとってからも大切にしていたという。その史実を生かし、9歳になった栄一が村の人々との暮らしのかけがえのなさと、それを守ろうと自覚していくきっかけを、祭りと獅子舞で描くところは冴えている。

舞ううちに大人に成長していくところは、オープニングで和装の栄一と人々が海外との交流によって洋装に変化していく演出とも近いように感じた。『青天を衝け』は“変化”がキーワードのように思う。ただ、菓子Pによると、オープニングの舞と第2回を重ねた意図はないそうだ。

『青天を衝け』でいいなあと感じるのは、生活者を、それも村単位でしっかり描いていることである。彼らは個と個が協力し合って、集団を成して生きている。その集団の力が藩の力になり、それが国を支えていく。そんなふうに末端の労働者あっての社会にもかかわらず、労働者の暮らしはいっこうに楽にならず、藩の代官・利根吉春(酒向芳)に無理難題を押し付けられるばかり。彼らの唯一の娯楽であり、五穀豊穣、悪疫退散を願う大事な祭りも取り上げられるのかだからたまったもんじゃない。

よく働き、村の尊敬の的である父・市郎右衛門(小林薫)が代官に頭が上がらないことに釈然としない栄一。「承服できねえ!」と井戸に向かって叫ぶ(余談だが、井戸の場面に『おんな城主 直虎』を思い出した)

「義を見てせざるは勇なきなり」。日頃の勉強を生かした言葉から、大人の諦めを疑問視する栄一。早く大人になって役に立ちたいと献身的な千代に、母・ゑい(和久井映見)の教え「あんたが嬉しいだけじゃなくて、みんなが嬉しいのが一番なんだで」を思い出した栄一は、我慢している大人たちの代わりに子どもたちだけで獅子舞を行おうと立ち上がる。栄一は教わったことをよく記憶して実践しようとするキャラなのだということがわかる。

栄一と喜作(石澤柊斗)が獅子舞、千代(岩崎愛子)が笛。子供たちを見て、やがて市郎右衛門も踊りだす。小林薫の軽やかな踊りもすてきだった。

村人が楽しい場面に、オープニングの音楽が流れ、スローモーションになって、獅子の中身が、吉沢亮と高良健吾になる。数年後、成長した2人は、千代(橋本愛)の前をひょうきんな顔して舞い続ける。3人の青い恋も描かれそうなムードが漂った。恋も祭りも、人々の生活には欠かせない。

少年・栄一が獅子舞をやりたいと思っているとき、一橋家の当主となった慶喜(笠松基生)も舞の練習をしている。そして大人になった慶喜が能舞台で舞う。この能の曲目は「知章(ともあきら)」。慶喜を寵愛した12代将軍・家慶は手を携えて所作を教え、慶喜が「知章」を舞ったという史実が残っているとのこと。

能は、武家のたしなみとして、幕府の年中行事、儀礼に欠かせないものだった。ドラマのナビゲーターのように登場する、北大路欣也演じる徳川家康も幼い頃、能に親しんでいた。公益財団法人德川記念財団のホームページを参照すると、謡初(年のはじめに舞うもの)を年中行事にした家康は、将軍になった慶長8年(1603)からは祝賀能を開催し、それは14代・家茂まで代々行われたとある。慶喜は15代なので、“最後の将軍”とされる彼の代で家康の祝賀能がストップしてしまったと思うと、そこにも徳川家の変化を感じずにはいられない。

江戸時代が終わって明治時代になったとき、徳川家に重用されていた能楽師たちは苦労するようになったそうだ。現在、コロナ禍で、祭りやイベント、演劇、コンサートなどが不要不急と言われている。いつの時代も、何かあったときに後回しにされるものなのだ。何気なく、「踊り」を描いているようで、そこにも様々な解釈をする余地があるとても深みのある面白いドラマである。

その家康。第2回も「こんばんは、徳川家康です」はじまりで、早くも馴染んでしまった印象だが、その場面も演劇的だ。家康の下に敷かれた布が地図になり、それがめくれてオランダ風説書になり、今度は船になり、国旗になり、光や映像で雰囲気がかわり、海原のようにも見えるという凝ったものだった。

物語も面白いし、絵的にも工夫された、見応えがある。この調子で進んでほしい。

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