Mr.Childrenの「読むベストアルバム」と共に30年の軌跡を振り返る

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2021年2月の特集は、最新音楽本特集。3週目は、小貫信昭の著書『Mr.Children 道標の歌』を素材にしながら、Mr.Childrenの特集をお送りする。



田家秀樹(以下、田家):こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、Mr.Childrenの「皮膚呼吸」。2018年に発売のアルバム『重力と呼吸』の最後に収録されています。今日の前テーマ曲はこの曲です。

2021年2月の特集は「音楽本特集」。去年から今年にかけて、音楽について書かれた力作本が次々と発売されています。今週はMr.Childrenについて書いた本のご紹介です。著者は小貫信昭さん、本のタイトルは『Mr.Children 道標の歌』。昨年末に水鈴社という出版社が発行し、文藝春秋が発売しております。小貫さんは、オフコースから小田和正さん、CHAGE and ASKA、槇原敬之さん、Mr.Childrenなど、日本語のポップミュージックを今一番愛している書き手の一人でしょう。私も現場がよく一緒になる仲間です。そして、Mr.Childrenを一番近いところでずっと見ていた書き手です。

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この本では、1988年から去年までの30年間を11章に分けて書いてます。それぞれの時代の代表曲の曲名が小見出しにもなっています。なぜ今日はこの「皮膚呼吸」から始めたのかというと、本の冒頭がこんな始まりなんです。「バンドを作るとは言わない、バンドは組むものだ」、「Mr.Childrenは4人の化合物である」。良い一行でしょう? この「皮膚呼吸」の中に、「歪むことない僕の淡く 蒼い 願い」という歌詞があるんですが、この一行はギターの田原さんのことを歌っているんだと書かれてます。イントロダクションは前史、中学生時代の彼らの出会いからですね。桜井さんが野球部だった田原さんに「バットをギターに持ち替えれば?」と言ったというエピソードは有名なんですが、その前後に彼らはどういう状況にあったのか。 例えば鈴木さんが加入する前は、桜井さんがドラムを叩くこともあったとか、そういうエピソードが盛り込まれています。小貫さんはイントロダクションを「これまで門外不出だったエピソードも交え、彼らのヒストリーを綴っていく。いわば現時点での読むベストアルバム」と、締めております。そうやって始まる本の第一章、タイトルはこの曲です。



1992年8月に発売になったデビューシングル『君がいた夏』。その前の5月にミニアルバム『EVERYTHING』が発売されて、そのシングルになりました。今日ご紹介する小貫さんの『Mr.Children 道標の歌』の第一章のタイトル曲はこの「君がいた夏」。1988年から1992年までの4年間が書かれています。

1988年の12月が始まりの時です。それまではザ・ウォールズというバンドを組んでいて、これは田原さんが考えた名前で、ソニーのオーディションで決勝までは行けたけど、入賞はできなかった。バンド名を変えて新しく始める、という話から始まっています。なぜ、ザ・ウォールズというバンドがMr.Childrenになっていったのか? その辺もかなり詳しく書かれています。

初めて出たライブハウスは吉祥寺のシルバーエレファントで、その後は渋谷のLa.mamaで修行をして、初めての自主制作盤を作った時の話、彼らが当時していたアルバイトの話なんかも載っています。トイズファクトリーと初めて契約した時の契約金の話もありました。一人当たりの初任給は77777円だったそうです。さらに、小林武史さんと初めて出会ったときのこと、田原さんと小林さんがどんな席に座って、どんな視線を交わしたのか、という話まで出てきます。この「君がいた夏」はFM802のヘビーローテーションになっていたんですけど、この曲が初めてラジオから流れてきたとき、ドラムの鈴木英哉さんは焼きとうもろこしをかじっていたそうです。この曲が流れてきて思わずとうもろこしを膝に落とした、とてもアツい体験だった、という彼のコメントも紹介されています。まさに門外不出のエピソードで綴られてますね。



Mr.Childrenの1994年6月発売になったシングル『innocent world』。この年の年間チャート1位でした。『Mr.Children 道標の歌』第二章のタイトルがこの曲です。これまでMr.Childrenは、『Mr.Children 1992-1995』と『Mr.Children 1996-2000』、『Mr.Children 2001-2005 』と『Mr.Children 2005-2010 』の二作のベストアルバムをリリースしています。もちろん全曲ではないですが、その中で聞ける曲のエピソードが紹介されてます。「読むベストアルバム」ですね。

この「innocent world」の章は、1993年から1994年の二年間だけ。「君がいた夏」は4年間のことを綴って20ページですが、この章は2年間で28ページ。如何に激動の時期であったかということですね。「innocent world」の前には、「星になれたら」や「CROSS ROAD」という「innocent world」に続く曲も紹介されていて、「innocent world」と「Tomorrow never knows」の制作秘話も掲載されていましたが、これが圧巻でした。「innocent world」は新宿のヒルトンホテルで書かれた、伝説のヒルトンレコーディングだった。部屋の中に機材を持ち込んでいた、という話が克明に書いてあります。「innocent world」の歌詞はどこで書かれたのか? 桜井さんが帰宅中に、制作中のカセットを車で聴いていて、環七と早稲田道路の交差点あたりで車を止めて、思いついたことをメモした。それが歌詞になっていると、46ページに書いてあります。それをヒルトンホテルの部屋で聴かせた時に、田原さんが「こんなに本音を見せちゃうんだ」とびっくりしたというメンバーの話も載っています。

一方、「Tomorrow never knows」は名古屋のホテルで書かれたんですね。その時の部屋の様子や、録音するものがなかったので部屋のビデオカメラに録音したという話もありました。「Tomorrow never knows」はもともと金のシャチホコというタイトルだったという話も出ておりました。小貫さんはずっとMr.Childrenを取材しているので、その時に聞いていた話がいっぱいあるわけです。それを今改めて整理してこの本に納めたんですね。第二章は、こんな風に締められています。「彼らは勝利も敗北もない、孤独なレースの意味にはまだ気付いていなかった」。そして第三章はこの曲がタイトルです、1996年2月に発売になった「名もなき詩」。



これが第三章のタイトル曲です。第三章は30ページあります。さっきの第二章は簡単に言ってしまえば売れるまでの話ですが、この第三章は売れた後ですね。「Tomorrow never knows」でセールス的な意味でも頂点を極めてしまって、そこから彼らが何を悩んでいたか? という部分です。章の冒頭には見出しの曲の詞が掲載されているんですが、「名もなき詩」の歌詞をずっと読んでから本文に入っていくと、この言葉がリアルに伝わってきますね。”この喉を切ってやる”という歌詞がどうやって生まれたのか? ”もがいているなら誰だってそう 僕だってそうなんだ”という部分がどういう意味なのか? 途中のラップパートが誰に影響されたのかという話も出てきます。

この1995年、1996年はアルバム『深海』がどう始まったかという章でもありますね。レコーディングはニューヨークに行っているわけですが、当初、小林武史さんは初期のピンク・フロイドのようなアルバムのイメージ、桜井さんは井上陽水さんのデビューアルバム『断絶』をイメージしていた。これは78ページに書いてあります。そして、二人がイメージしていたことが同じような方向だったということに落ち着いています。この問題作についてのメンバーの反応や桜井さんが当時どう思っていたか? 例えば「思っていた以上に深いところに行ってしまった」という感想も載ってます。この深海から、彼らがどんな風に戻っていったのか? 「一体、海の底からの生還はいつになるだろう? 潜水士の格好をした4人を見かけるのは少し先のことだ」。これが89ページ、第三章の終わりの一言ですね。そして、第四章のタイトルはこの曲です。



1998年10月発売のシングル「終わりなき旅」。アルバムは1999年の『DISCOVERY』に収録されていました。第四章のタイトルはこの曲、1997年から1998年です。

第三章の「名もなき詩」の中に1997年のアルバム『BOLERO』のことも出てくるんですが、その後に彼らはドームツアーを開催して活動を休止します。その第四章の書き出しはこんな始まりでした。「いつしかMr.Childrenの周辺では、解散話が噂されるようになる」。そしてドームツアーの最後の様子や、東京ドーム公演での桜井さんのMCも紹介されています。「今回の解散騒動は、ちょっとコンビニに行っただけなのに捜索願いが出された」という風に、ステージで解散話について語ったんですね。そして、初めてオフの期間に入って、その間で4人は何をしたのか。中川さんと鈴木さんは、the pillowsの山中さわおさん、MY LITTLE LOVERの藤井謙二さんと共に林英男というバンドを組んだ。桜井さんは休みになったらやりたいことがあった。これがPro Toolsとサーフィンだった。Pro Toolsを使い始めた時の桜井さんの様子も書いてあります。そして、その時期に曲が書けなくなったという話もありました。そのお休みを経て、4人のウェーブが再び一致した曲がこの「終わりなき旅」だった。曲中の「扉」はどういう意味だったのか? ”誰の真似もすんな”というメッセージに何を込めているのか? 「終わりなき旅」にはたくさん転調がありますが、何故こんなに転調するのか? というところまで書かれています。



続いて第五章のタイトルになった曲「口笛」、2000年1月のシングル、同年9月に発売になったアルバム『Q』にも収録されています。アルバム『Q』ではメンバーが潜水士の格好をしていました、深海から浮上したんですね。

この「口笛」の章は1999年から2000年で、こんな風に始まっております。「2000年を控え、Mr.Childrenは自由度を増していく」。この第五章のテーマは反抗と自由というテーマにも集約できる、と言えそうです。1999年の『DISCOVERY』は決めごとなしで作り始めたアルバムだった、自由ですね。反抗という言葉は113ページに出てくるのですが、「ツアー中の桜井は反抗期でもあった。何に対しての反抗か? Mr.Childrenというバンドに対してである」こういう時期があったんですね。思い当たることがありました。桜井さんがツアー中にメンバーとは別に東京に帰ってきたり、バンドの中でも別行動を取っていた。ライブに積極的ではない時期。『DISCOVERY』のツアーの時期には、照明を僕に当てないでほしいと言っていたこともありましたね。小貫さんはずっと側で見ていた人ですし、それをどう解決したかというのも興味深いです。

そして、1999年から2000年のアルバム『Q』のニューヨークでのレコーディング、これが自由ということの一つのエピソードになっているんですが、なんと曲のBPMをダーツで決めていた。ダーツの的に数字が書いてあって、メンバーがそこに矢を投げてその数字のテンポで演奏していって、そこから曲が生まれていくという話もありました。反抗と自由がバンドの中でどう解消されていったのか? それがこの章ですね。「口笛」は極寒のニューヨークで生まれました。この章の締めくくりには、「『DISCOVERY』と『Q』に二作は、彼らが本能のまま制作した作品集だ」と書かれています。続いて、第六章のタイトル曲「HERO」。



2002年12月に発売になった『HERO』ですね。アルバムは2002年3月に出た『ITS A WONDERFUL WORLD』です。この第五章「HERO」は2001年から2003年の3年間の話ですね。

2001年は、9月に初めてのベストアルバム『Mr.Children 1992-1995』と『Mr.Children 1996-2000』をリリースしています。このベストアルバムと「優しい歌」から、この章は始まっています。鈴木さんは「優しい歌」をデビュー前にやっていたような曲だと思って、桜井さんに「生涯現役でいましょう」とメールしたそうです。そして、桜井さんは「それはジェン(鈴木英哉)にかかってるんだ」と呟いたという記述もありました。

そして、2001年の流れの中で、避けられない話題が桜井さんの話題ですね。7月17日の渋谷公会堂から予定されていた10周年ツアーが、桜井さんの小脳梗塞で3、4ヶ月充分な休養が必要なために無くなってしまった。この話は当時のインタビューでも触れていませんでしたし、小貫さんもあまりセンセーショナルにならないように、そして読んでいる人がこの頃のことを殊更に特別に思わないように、という配慮をしながら書いている感じがしました。歌入れのスタジオの様子とか、12月21日の横浜アリーナの復活ライブの様子とか。ドラマチックにすることもできるんですけど、できるだけそうしないように書いています。「HERO」に対しての桜井さんの言葉は、この章の一つの重要なポイントです。「確かにヒーローは存在するんだろうけど、無理して誰かを祭り上げたりすると、そのことで見えなくなる大切なこともあるんだと思う」、という言葉も引用されていました。良いことも悪いことも全部バンドのものにしたのが、この『ITS A WONDERFUL WORLD』だったという章でした。この本は全部で11章あるんですが、今日は時間の関係で7つの章しか紹介できないので、次でおしまいになります。



2014年のシングル『足音 ~Be Strong』、アルバムは2015年の『REFLECTION』ですね。第七章が「sign」で2004~2007年、第八章が「GIFT」で2008~2010年、第九章が「擬態」で2010~2012年、第十章「足音 ~Be Strong」が2013~2015年、第十一章「himawari」が2016~2018年という章立てで、その時期に何があったのかという話が書いてあります。

例えば「擬態」が収録されたアルバム『SENSE』のリリース時期には、なぜ全く取材を受けなかったのか? 2011年の東日本大震災のときには彼らがどんな話し合いをしたのか? 2015年の『REFLECTION』の時期に、なぜ小林武史さんから離れたのか? などが書いてあります。でも、なぜだったのかという断定的な答えは書いてない。そこは聞き手に委ねられている。本のタイトルでもあるように一つの道標ですね。Mr.Childrenはどういうバンドで、その頃に何を考えていて、それをどうやって作品に反映させていったのか? ということの道標になる本です。こんなに色々なことを考えながら、自分たちを見失わずに活動している内省的なバンド、ということがよく分かります。Mr.Childrenは自分たちのことを語る人たちではないので、こういう音楽本があるべきだなと思いました。



FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」、音楽本特集Part3。2020年末に発売になった小貫信昭さんの著書『Mr.Children 道標の歌』を素材にしながら、Mr.Childrenの特集を送りしました。流れているのは、この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

この「静かな伝説(レジェンド)」の歌詞に"語ってくれ彼の生き様を"という部分があります。”彼の生き様”なんです、”あなたの生き様”じゃないんです。音楽雑誌や多くのメディアは、”あなたの生き様”を語ってくれ、と、バンドやアーティストに求めますね。でも、本人たちには語れないこともあって、それは歌になっているので作品を聞いてくださいで終わることも多い。第三者だからこそ綴れることや書けることもあるわけです。

今月の特集Part1のTHE BLUE HEARTSは、本当に第三者でバンドに会ったこともない人が書いた本ですね。先週のRADWIMPSはスタッフという当事者が書いた。そして、小貫さんは両方のことが分かっている第三者なんです。バンドが何を考えていたか知っている、何があったのかも見ている、そして聞き手が何を求めているのかもわかっていて、その中間に立って書いている。本人たちも言えないようなことも、本人たちの気持ちを汲みながらそのエピソードを紹介している本です。

今回、小貫さんにゲストに来てくれと招待したのですが、喋るのが苦手、電話はもっと苦手なんで、好きにやってください、全部任せますから、ということでこういう内容をお送りしました。でも、いくつかメールでのやりとりはしたのですが、その中で写真がない本であるということは必ず触れてほしい、と言われました。これは編集者の人ともそういう本にしようと話をしたんだそうです。タレント本は写真があるけど、これは文章の本。読んでバンドを理解する。読むベストアルバムで、音楽の道標なんだ。だから写真は使わないようにしよう、というところから始まった本です、と言われました。それは僕も大賛成。文章、エピソード、言葉。それで音楽を語るというのは、こういうことだ、という本です。本を道標に音楽を聴く、そんな楽しみを経験してみてください。


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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