新型コロナウイルスの拡大により、多くの人たちが苦境に立たされ、働き方からその生き方までを見つめ直さなければならなくなった2020年。あらためて、どんなストレスを受けても心が折れることなく、状況に応じて柔軟に生きることの必要性を強く感じた1年でもあったのではないだろうか。

そうした中で今年ぜひ注目したいのが、ロシア軍特殊部隊が実践してきた教育メソッド「システマ」だ。世界45か国、250以上の団体で取り入れられ、最近ではNHKの医療ドラマ「ディア・ペイシェント」で主人公の女医が習っていたことでも注目を集めているのだが、その高いメンタルマネジメント効果からオリンピックで活躍するアスリートや一流企業のエグゼクティブたちも活用しているという。そこで、ここではシステマから学ぶことができる「逆境に強くなる心の持ち方や思考法」について、システマ東京の代表で公認システマインストラクターでもある北川貴英氏に話を伺った。

なぜ、門外不出だったロシア軍の奥義が一般層にまで広まったのか?

システマの創始者、ミカエル・リャブコ氏。写真提供:北川貴英

システマとは、ロシア軍特殊部隊の将校、ミカエル・リャブコ氏がロシアに古くから伝わる武術を現代向けにアレンジして考案したトレーニングシステムだ。その卓抜した効果から、かつては軍事機密とされていたが、冷戦終結後に一般公開されると、武道愛好家や軍隊・セキュリティ関係者の間で評判となり、その後、メンタルマネジメントに効果があることが知られると、アスリートやビジネスパーソンにも注目されて瞬く間に世界各国に広まっていった。

現在では、子どもからお年寄りまで、さまざまな層の人たちがシステマを学んでいるが、その大きな理由として、「日常生活において、すぐに役立つ」メソッドであるということが挙げられる。

「ヨガやマインドフルネスなど、メンタルにアプローチするメソッドはたくさんありますが、そのどれもが静かな環境を整えてから学ぶというスタイルを採用しています。しかし、現実はそんな穏やかな状況ではなく、すごくストレスフルですし、ノイズもたくさんありますよね。そうした環境下で、いかにリラックスをして自分のパフォーマンスを発揮するかに着目しているのがシステマなのです。実際のシステマのトレーニングで学ぶことができるエッセンスは、仕事でミスをして動揺してしまったときや、クライアントからの無理な要求で怒りに心が支配されてしまったときなど、あらゆる日常生活のシーンで応用させることができます」(北川氏)

軍隊格闘術がルーツであるシステマは、至上命題として「生き残ること」を掲げている。銃弾が飛び交う「戦場」という極限状態における勝者とは、相手を打ち負かすことができる人でも、何かを破壊できる人でもなく、生き残ることができた人なのだ。そのために必要となるのが、どのような状況でも心の安定を保ち、心身ともにリラックスさせる技術。その技術獲得を目的に考案されたシステマは、どんな逆境にも負けない、強い心をつくるための最強の訓練方法ともいうわけだ。

こうしたシステマのアプローチが、ストレスフルな環境に生きる現代人に役立つことは言うまでもない。日々の疲れを癒し、明日への活力を養う上でも、システマは大きな可能性を秘めている。

システマ流、危機を乗り越えるための4原則とは?

システマ東京の代表、公認システマインストラクターの北川貴英氏

では、システマでは実際にどんなことを学ぶのだろうか。武術である以上、もちろん、徒手による打撃術や関節技、武器術などを習得するトレーニングが用意されているのだが、その核となる原則はやはりメンタルに働きかける効果があるものだった。

「システマのすべてのトレーニングに共通するのは、どんなときでも自分の持てる力を十分に発揮できる状態をキープすることです。あらゆる危機を乗り越えるためには、それが一番確実な手段となるからです。その実現に向けて、システマでは、『呼吸』『リラックス』『姿勢』『動き続ける』の4つの原則を立てています」(北川氏)

① 呼吸

まず「呼吸」とは、システマにおいて最も重要視される原則だ。適切な呼吸は、心身を健康にする効果があり、呼吸そのものの変化を自覚するだけで、自分自身を客観視する手助けになるという。

「私たちは恐怖や怒りといった感情に直面したとき、無意識に体が力み、視野が狭くなり、思考は浅く偏ります。そうしたときにすべきことは、自分が緊張していることに気づくこと。この気づき自体が、負の感情に取り込まれずに自らの意思を保つきっかけとなるからです。そのために必要なのが、呼吸の観察です。心や体に緊張が生まれているときには、呼吸が浅くなったり、詰まったりしているもの。観察によりこの事実に気づき、元の呼吸に整えることで、心や体を落ち着かせる効果があります」(北川氏)

② リラックス

呼吸と並んで大切なのが、「リラックス」だ。筋肉の緊張は体を硬直させ、視野を狭くし、判断力を低下させるという。そのため、システマでは動作の妨げとなる緊張をなくし、スムーズかつ自由に体を動かせる状態を目指している。

「負の感情には必ず体の緊張がともないます。そのため筋肉をリラックスさせることは、そのまま心のリラックスへとつながっていきます。体に意識を向けて、自分がどのように緊張しているかを確認し、緊張を見つけたら、動かしたり、ほぐしたりしてみましょう。そうやって心と体の本来の関係性を取り戻すことは、現代人にとって非常に大切です」(北川氏)

③ 姿勢

また、自然で心地いい「姿勢」をキープすることも大事な原則だ。いずれかの方向にバランスが崩れてしまうと、体に緊張が生まれてしまう。前後左右、どの方向にも偏らない、真ん中の立ち位置が構造的にも強い、あらゆる動きに対応できる状態といえる。

「姿勢には、その人の精神状態が如実に現れます。なぜなら、筋肉の緊張と感情には密接なつながりがあるからです。たとえば、猫背の人はどこか弱々しい印象を受けませんか? もし、普段の生活で自分の姿勢が崩れてしまっていたら、背筋をまっすぐ伸ばしてみてください。視野が広がり、気分もリフレッシュするはずですよ」(北川氏)

<システマ的心地いい姿勢の見つけ方>1:まずは左右に、そして前後に重心を移動させることで、体のどの部分に緊張が生まれたかを確認する。この緊張が、バランスのとれた姿勢をとるための目安になる2:先ほど確認した緊張がどこにも生まれない位置(真ん中)を探す。背筋は頭上へとまっすぐ伸び上がり、足の裏には満遍なく力がかかっているはずだ④ 動き続ける

そして、「動き続ける」とは、思考や感情、体の動きを止めることなく、心身とも常に動いている状態にあることを意味している。その真意は、変化し続けることこそ、恐怖心にとらわれない唯一の方法だからだ。

「世の中には『諸行無常』や『転がる石には苔が生えぬ』といった変化の大切さを説く思想は多くありますが、システマの『動き続ける』はより現実的な心身の使い方として捉えています。これまでにやったことのない動きや、やろうとすら思わなかった動きをしてみることは、精神の自由を手にすることとつながっていきます。たとえば、仕事に行き詰まったら、スクワットやストレッチをして体を動かしてみてください。新しい発想が生まれてきたりするものですよ」(北川氏)

システマが掲げる4原則は、非常にシンプルで、どれも日常生活に生かしやすいものばかりだ。しかも、これらはそれぞれが独立しているのではなく、お互いに共鳴し合うことで、心身のあらゆる面を向上させるシステムとして稼働している。

「もし、何かうまくいかないことがあったときは、この4つの原則のどれかが崩れていないか確認してみてほしい」と語る北川氏。その崩れを見つけ、整えていくことで多くの問題は解消できるとのアドバイスをいただいた。

システマ独自の呼吸方法「ブリージング」を体験!

紹介した4原則の中でも特に重要視されているのが、「呼吸」だ。多岐にわたるシステマのトレーニングにおいても「ブリージング」と呼ばれる独自の呼吸法が欠かせないとされている。

やり方は非常に簡単で、鼻から息を吸って、口をすぼめて「フーッ」と軽く音を立てながら吐くだけ。吸いきったり、吐ききったりすることもなく、あくまで体が楽に感じる深さで呼吸をする。

「ブリージングの目的は、普段どおりの呼吸に戻ること。何か特別な精神状態にもっていくための呼吸ではないので、シンプルでいいのです。ただ、いくつか注意したいポイントがあります」(北川氏)

そのポイントとは5つある。

(1)姿勢を曲げないこと
…深呼吸をするときのように体を反らせたり、前屈みにはしない。

(2)緊張しないこと
…リラックスが目的なので、力んでいたらほぐす。

(3)特定の部位を使わないこと
…腹式呼吸や胸式呼吸などをせず、全身を満遍なく使って呼吸する。

(4)口から吸わないこと
…口から息を吸うと空気が入りすぎ、体が緊張してしまうためだ。

(5)音を軽く立てること
…呼吸が浅いと呼気は弱くなり、音が出ないもの。「フーッ」と音が聞こえるくらいの強さが望ましい。

「極めて簡単な方法ですが、ブリージングは逆境に強い心をつくるための万能薬です。ちょっとでも不安や緊張を感じたら、すぐにやってみてください。そうすることでブリージングを日常で活かしていくコツがわかりますから」(北川氏)

いかなる状況でも最大のパフォーマンスを発揮することを目指すシステマのメソッドにおいて、その至高の奥義は呼吸法にあった。鼻から吸って、口から「フーッ」と吐く。たったこれだけで心のコンディションを整えられるのだから、やらない理由はどこにもないだろう。

ロシア軍の特殊部隊が採用している教育メソッドと聞いて、初めは難しいものを想像していたが、4原則の話を聞いて、実はやるべきことは非常にシンプルなんだと驚かされた。もちろん、実際の練習を積むことによる学びが大きいことは間違いないが、この4原則を普段の生活に取り入れるだけでも効果があるという。この手軽さもシステマが支持される理由のひとつではないだろうか。

<後編>では、多少のことでは動じない心をつくるためにシステマが重視する「キープ・カーム」という心がけと、コロナで一変したストレスフルな社会を生き抜くためのシステマ的処方箋について北川氏に語っていただく。

PROFILE 北川 貴英(きたがわ たかひで)
システマ東京代表。公認システマインストラクター。2008年にシステマの創始者、ミカエル・リャブコ氏より公認システマインストラクターに認定される。首都圏を中心に年間約400コマを越すクラスを受け持つほか、防衛大学校をはじめとする公的機関でも指導。マンガ『アンダーニンジャ』やNHKドラマ『ディア・ペイシェント』では、技術指導を担当した。著書に『システマ入門』(BABジャパン)、『システマ・フットワーク』(日貿出版社)、『逆境に強い心のつくり方(PHP)』など多数。著作「人生は楽しいかい?」がアマゾンAudible総合で1位となる。

この記事の続編は1月18日(月)公開予定

text by Jun Takayanagi(Parasapo Lab)
photo by Daisuke Taniguchi