東京大学 国際高等研究所 カブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli IPMU)は12月1日、「Oakforest-PACS」および「京」などのスーパーコンピュータを組み合わせて、新たに開発した高精度計算手法の「ブラソフ方程式」を直接解き、宇宙を高速で飛び交うニュートリノの6次元数値シミュレーションを行うことに成功したと発表した。

同成果は、Kavli IPMUの吉田直紀主任研究者(東大大学院 理学系研究科 教授兼任)、斎藤俊Kavli IPMU客員准科学研究員(ミズーリ州立ミズーリ工科大学 助教授兼任)、筑波大学 計算科学研究センターの吉川耕司講師らの共同研究チームによるもの。詳細は、米天体物理学専門誌「The Astrophysical Journal」にオンライン掲載された。

ニュートリノは電子の仲間のレプトンという素粒子の一種で、電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノの3種類の状態があり、電気的に中性という特徴を持つ。そして、原子核のベータ崩壊などの素粒子の弱い相互作用に関わり、重力以外ではほかの物質とほとんど相互作用をしないため、地球すら簡単にすり抜けてしまうことなどが知られている。

宇宙には、非常に初期の段階から大量のニュートリノが存在していたと考えられている。素粒子の標準模型では当初、光子と同様に質量が0として扱われていた。そのため、宇宙の大規模構造の形成にはほとんど影響がないと考えられてきた。宇宙の大規模構造とは、銀河がほとんど存在しない領域の「ボイド」や、逆に銀河が多く集まる「フィラメント構造」など、銀河が偏って存在する構造のことである。

しかし、スーパーカミオカンデなどを用いた素粒子実験による「ニュートリノ振動現象」(ニュートリノが空間を伝搬していく過程で、3種類のニュートリノそれぞれの存在確率が周期的に変化する現象)の発見によって、ニュートリノにも質量があることが証明されたことで、状況は大きく変化。質量があるということは、ニュートリノが重力相互作用を通じて、宇宙の大規模構造の形成に力学的な影響を与えている可能性が出てきたのである。

「ニュートリノ振動現象」の発見は、東大 宇宙線研究所の所長である梶田隆章教授が2015年のノーベル物理学賞を受賞したことからもわかるように、大発見だった。しかし、ニュートリノに質量があることはわかったものの、正確な値はわかっていない。さらに、3種類のニュートリノそれぞれの質量や質量の大小関係(質量階層)も不明のままだ。さまざまな実験により、ニュートリノの質量は2.2eVよりも小さいという結果が得られてはいる(1eVの質量は、約5gの1京分の1のさらに1京分の1)。なお、現在ではさらに1桁以上低い可能性も予想されている。

そこで、宇宙の大規模構造の形成にニュートリノが与える力学的な影響を天文学的な観測によって測定し、それを基に質量を測定するアイデアが検討された。そして同時に、質量を持つニュートリノが宇宙の大規模構造の形成に与える影響を、理論的かつ詳細に予言するための数値シミュレーションが行われるようになったのである。

宇宙の大規模構造の形成を扱った数値シミュレーションでは、物質分布や速度分布を統計的にサンプリングし、多数の質点の位置と速度で表現する「N体シミュレーション」という手法が採用されている。この手法は過去数十年にわたって研究され、改良が加えられてきたが、物質分布を統計的にサンプリングすることによって、数値シミュレーションの結果に人工的な数値ノイズ(ショットノイズ)が含まれてしまうという欠点があった。

また、ニュートリノが宇宙の大規模構造に及ぼす主な力学的影響としては、その少数の高速度成分が重要な役割を果たす「無衝突減衰」という物理過程が挙げられている。しかし、統計的なサンプリングでは高速度成分を忠実にサンプリングできないため、これまで正確な数値シミュレーションとなっていない可能性が指摘されていた。

このようなN体シミュレーションの問題点を回避するため、今回の研究では、物質の連続的な空間分布や速度分布をサンプリングしないという手法が採用された。そして連続的な分布として扱い、宇宙の大規模構造におけるニュートリノ運動の数値シミュレーションが実施された。

同手法は、多数の粒子の集団的な振る舞いを記述するブラソフ方程式を数値シミュレーションによって解くものである(「ブラソフシミュレーション」という)。ただし、位相空間と呼ばれる空間3次元と速度空間3次元を合わせた合計6次元の仮想的な空間を扱う必要があることが大きな特徴だ。そのため、膨大な記憶容量と計算量が必要となり、これまで実際に採用された例はありなかったという。

そこで今回の研究では、国内屈指の大規模スーパーコンピュータと、研究チームが過去に開発した、少ない記憶容量で高精度にブラソフ方程式を数値シミュレーションする計算手法を組み合わせることで、ブラソフシミュレーションの実用化に成功した。

用いられたスーパーコンピュータは、筑波大学 計算科学研究センターと東大 情報基盤センターが共同運用する最先端共同 HPC基盤施設が管理運用する「Oakforest-PACS」と、理化学研究所が運用していた「京」(2019年8月運用終了)である。

こうして、宇宙の大規模構造形成におけるダークマターとニュートリノの数値シミュレーションが実施され、数値ノイズのまったくない計算結果が導きだれたのである。結果として、これまでのN体シミュレーションでは数値ノイズに埋もれて正確に求めることが困難だった、ニュートリノの細かいスケールでの密度分布や宇宙の大規模構造におけるニュートリノの温度分布が判明。これらが、ニュートリノの質量に大きく依存することが見出された。

  • ニュートリノ

    宇宙の大規模構造の形成における、ニュートリノ(左)とダークマター(右)の密度分布。ニュートリノは質量が小さく速度分散が大きいため、広がった分布を示すのに対して、ダークマターはフィラメント構造と呼ばれるひも状の高密度領域を形成する (出所:Kavli IPMU Webサイト)

  • ニュートリノ

    N体シミュレーション(左)とブラソフシミュレーション(右)による、宇宙大規模構造形成におけるニュートリノ密度分布の比較。N体シミュレーションで得られるニュートリノ密度分布には、数値ノイズによるざらつきが発生している。一方、ブラソフシミュレーションで得られる密度分布はとてもなめらか。細かい密度の濃淡も明瞭に捉えることが可能だ (出所:Kavli IPMU Webサイト)

今後は、「京」の後継機となるスーパーコンピュータ「富岳」を用いてさらに高精度なシミュレーションを行い、宇宙の大規模構造を観測することでニュートリノの質量をより正確に求めていく予定とした。

また、このような数値シミュレーション結果は、現在行われている日本のすばる望遠鏡を用いた「Hyper Supreme-Cam すばる戦略プログラム」や「Dark Energy Survey」プロジェクトに加え、今後予定されている「Large Synoptic Survey Telescope計画」や「Euclid計画」など、宇宙の大規模構造の観測計画におけるデータの解釈にとって重要な役割を果たしうるとている。

また、今回の研究で用いられたブラソフシミュレーションの手法は、同様に数値ノイズの悪影響が指摘されているダークマターなどの数値シミュレーションでも威力を発揮することが期待されるとした。