まさに「大スター」!史上最も美しい車に数えられるランチアの物語

このランチア・アウレリアB24トランスフォルマビレは、1962年のイタリア映画『Il Sorpasso』で重要な役どころを演じた。今や大スターの輝きを放っている。

は1962年8月半ば、場所はローマ。晩夏の熱暑の中を、イタリアの俳優、ヴィットリオ・ガスマン演じるブルーノが、くたびれたランチア・アウレリアB24トランスフォルマビレで通りを逆走し、タバコ屋へ向かう。映画は始まって1分もしないうちに、イタリア人のトレードマークである人生を情熱的に楽しむ姿勢と、規則に縛られないおおらかさを描き出す。好景気に沸いていたこの国では、こうしたライフスタイルが広まりを見せていた。家のローンを払ってもまだ少し余裕が残り、突如として憧れの品を所有できるようになったのだ。それはほんの数年前にはとうてい不可能な夢だった。


 
イタリア人だけに、好んで選んだもののひとつが車だった。映画『Il Sorpasso』(訳注:英題の『The Easy Life』より、邦題の『追い越し野郎』のほうが原題の意味に近い)で主人公のブルーノが示すように、中古だが速く、大音量のクラクションを備えるコンバーチブルは、人生を謳歌するのにうってつけだった。現在『Il Sorpasso』は、この時代を代表する重要なイタリアのコメディーと位置づけられている。監督はディーノ・リージで、主演のガスマンは無二の才能を証明した。また、若きジャン-ルイ・トランティニャン(ブルーノの友人ロベルト役)とカトリーヌ・スパーク(ブルーノのわがままな娘リリ役)にとっては、キャリア初期の大きなステップとなった。
 
この作品は別の主役にも不朽の名声を与えた。それがランチア・アウレリアB24トランスフォルマビレ(イタリア語でコンバーチブルの意)だ。映画に登場して以来、"ラ・ドルチェ・ヴィータ"(甘い生活)とイタリア人の豪放なドライビングの両方を象徴する究極のアイコンとなった。アウレリア最初のオープントップは、B20クーペから派生したB24スパイダーである。1955年から製造され、史上最も美しい車に数えられている。デザインはピニン・ファリーナで、ラップアラウンド形状のウィンドスクリーンが特徴だ。ドアハンドルとサイドウィンドウはないため、雨が降ったら素朴な幌とサイドスクリーンが頼りだった。製造は240台のみ。
 
次いで、訴求力を高めようと1956年4月に市場に投入されたのが、ティーポ・アメリカ・トランスフォルマビレだ。美しさはそのままに、小さなモディファイが加えられた。テールフィンのシルエットが変わり、ウィンドスクリーンはゆとりのある一般的な形状になった。ドアも長くなり、巻き上げ式の窓とフロントクォーターウィンドウが付いた。


 
魅惑的な美しさではスパイダーに若干劣るものの、実用性は向上し、1958年までに371台が製造された。どちらのバージョンも当時としては速く、最高速は180km/h。それを支えたのが、フランチェスコ・デ・ヴィルジリオが設計した世界最初市販型V型6気筒エンジンである。2.5リッターのB24では110bhpの出力を発生した。映画の撮影には2台のB24が使われた。完璧なステータスシンボルとして選ばれたのである。たしかに同時代のアルファロメオ・スパイダーより適任だ。
 
監督のディーノ・リージは、車に大枚をはたかなければならなかったと始終ぼやいていた。その正確な金額はもはや知る由もない。というのも、当時は申告された購入額に応じて課税額が決まったため、たいてい新しい書類には偽の金額が記されたのである。このページで紹介したアウレリアB24の場合、申告された購入額はたったの10万リラ(現在の1200ユーロ相当)だった。これはちょっと信じがたい金額だ。1957年の新車の定価は240万リラだったのだから。たとえ5年落ちの中古車でも、1962年なら50万リラほどの価値はあったはずだ。



「確かなのは、私が支払った金額が"有名な10万リラ"より多かったことだよ」と笑顔で話すのは、イタリア人コレクターのアダルベルト・ベリベだ。彼は2001年から、映画で使われたB24の"管理人"を務めている。しかし、ベリベは劇中車を探していたわけではなかった。

「私は6、7歳の頃から、ランチア・アウレリアB24にゾッコンだった。育った村には1台だけあって、オーナーは医者だった。私はそれを何時間も眺めて過ごしたよ。いつか1台手に入れようと心に決めたのは、そのときだ。2001年に、ついにその日がやってきた。ミラノ近郊で1台売りに出ているのを親類が雑誌で見つけてくれてね。広告には、『映画で使われたまま』とあったけれど、それは車そのものではなく、モデルについての説明だと思っていた。いずれにしても、あまり関心はなかった。特に好きな映画でもなかったからだ。実のところ、初めて観たのは車を買ったあとなんだ」いうまでもなく、今やベリベはこの作品のエキスパートだ。

「映画を観て、この車についてたくさんのことを学んだと認めざるを得ないよ。映画撮影については、さらに多くのことを学んだ。1962年に撮影監督を務めたアルフィオ・コンティーニと一緒にすごす機会が2012年にあったんだ。残念ながら彼は3月に92歳で亡くなった。彼から聞いたところによれば、制作会社は2台のランチア・アウレリアをローマ近郊の中古車ディーラーで購入した。1台は現在私が所有するチェレステ・クラッシコ(ライトブルー)、もう1台はヴェルデ(淡いグリーン)だった。映画はモノクロで撮影されたから、スクリーンでは色の違いが分からなかったんだ」


2台のアウレリアの特徴は・・・後編へ続く!