氷室京介が自己表現を確立するまで 当時のディレクターが回想

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年11月の特集は、氷室京介還暦特集。今回は1988年の発売の『FLOWERS for ALGERNON』から1991年の『Higher Self』を、当時の東芝EMIディレクターの子安次郎と共に、彼が見てきた氷室京介を語っていく。



田家秀樹(以下、田家):こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、氷室京介さんの「DEAR ALGERNON」。1988年9月発売の1stアルバム『FLOWERS for ALGERNON』のメインテーマと言っていいでしょう。今週の前テーマ曲です。私もこの曲と出会わなかったら、氷室京介の曲をずっと聴き続けていなかったのではないか? という曲です。

今月2020年11月の特集は氷室京介。目下お休み中でありますが、先月7日に還暦を迎えました。そして、2016年の「LAST GIGS」で冗談めかしていた予告通り、来年に新作が聴けそうです。氷室京介還暦、復活を祝っての1ヶ月ということで、今週からの4週間でこれまでのアルバムを辿り直してみようと思います。レコード会社の担当ディレクターをお迎えしてお送りします。今週と来週は元東芝EMI制作部ディレクター、現在はユニバーサルミュージックのプロデューサーである子安次郎さんをお迎えしております。こんばんは。

子安次郎(以下、子安):よろしくお願いします。

田家:氷室さんの還暦、どんな感想をお持ちでしょう?

子安:私の方が数年前に先に還暦を迎えていたんですけど、まさか氷室さんも還暦を迎えるとは。ちょっと早いというか、信じられないところもありますね。

田家:僕も、こんな風にラジオで「DEAR ALGERNON」を子安さんの思い出話とともに放送するというのは想像していなかったでしょうしね。初めて氷室さんとお会いになった時のことをどう覚えていらっしゃいますか?

子安:BOØWYがEMIに移籍してきて、担当ディレクターになるということが決まって。事務所の会議室で初めてお会いしました。

田家:その時はメンバーの中の1人という感じでした? それともある種のリーダーシップを持った存在に見えてました?

子安:その時はメンバーと事務所のプロデューサーとマネージャー、もう1人がいたと思うんですけど、塊の威圧感がありましたね。

田家:オーラの塊が4人いると。氷室さんがソロになってからも子安さんが担当されてきて、オリジナルアルバムが5枚、企画モノが2枚ということで、長い間氷室さんのパートナーとして作業をされてこられて。1988年の『FLOWERS for ALGERNON』から、1994年の『SHAKE THE FAKE』まで、どんな時間でした? 

子安:今振り返ってみると、1984年の年末からBOØWYとスタートしまして約10年ですよね。ものすごい中身の濃い、自分の人生の中でこんなに中身の濃い10年があったと、いまだに信じられない10年ですね。

田家:前半の5年と後半の5年はだいぶ違うものですか?

子安:流れとして、ものすごいスピード感で10年が流れていたので。その中で途中で振り返ったり、立ち止まって考えるということよりも、次をどうするかということを考えて10年を突っ走った気がしますね。

田家:なるほど。そんなに区切りがあるわけではないと。先週もこの曲を流しましたが、今週もかけたいと思います。子安さんをお迎えしてお送りします、1988年7月21日発売「ANGEL」。



田家:改めてこの曲で思い出されることはありますか?

子安:さっきBOØWYからの10年間は勢いだったという話をしましたが、バンドが解散してソロ活動に入っていくスピード感がものすごくて。バンドの解散をしみじみと味わっている余裕もなく、その前にはすでにソロプロジェクトの準備もスタートしていたので、そのスタートラインがこの曲で。個人的な思い入れもものすごく強くありますね。

田家:いつ頃何がどういう形で始まったのかということは、公になっている資料と、実際とは重なり合わないことも多かったりして、お話をお聞きする中でも神経質にならないといけないこともあると思うんですが、「ANGEL」の曲のビジョンを伺ったのはいつ頃なんですか?

子安:バンドを解散する、そこからはそれぞれソロのプロジェクトを始めるんだ、というのを1987年の夏ぐらいには私自身は知っていたんです。でも、中身の具体的なところは多分年明けくらいから見えてきたと思いますけどね。

田家:解散を決めたときに次はソロだっていうのは、暗黙の了解としてあったという。

子安:4人ともすごく個性のある素晴らしいアーティストなので、時期がずれるにしてもソロのプロジェクトは始まるというのは理解していましたね。

田家:「ANGEL」のデモをお聴きになったのはいつ頃なんですか?

子安:メモを取っておけば良かったんですけどね……(笑)。多分年明け早々だったと思います。比較的早かったと思いますね。私がディレクターとしてやらせていただいる中で一番こだわっていたのが、シングルというもので。そういう意味では、『ANGEL』という作品が出て来たときは、まさに最初のシングルだなと確信しましたね。

田家:これは決め打ちのような形で、氷室さんの方から出されたものなんですか?

子安:テーブルに上がったときには、氷室さんとマネージャーの土屋さん、私の中ではとにかく最初にこれをレコーディングするんだという感じでしたね。

田家:アルバムの作業は、このシングルの『ANGEL』と同時進行だったんですか?

子安:本人の中での作品作りは同時進行で進んでいて、ただアルバムの楽曲というのはデモテープ段階ではまだそんなに早くは聞いていなくて。「ANGEL」のレコーディングでロサンゼルスに行きまして、その何日目かのスタジオが終わった後に、氷室さんの部屋で「DEAR ALGERNON」のデモを聴かせて頂いて。「ANGEL」はビート感の強いバンドの感じもあるソロ第一弾ということだったんですが、「DEAR ALGERNON」を聴いたときには、これでソロが確立されるなという感じがしましたね。

田家:BOØWYとは違うものがあるんだ、と。

子安:氷室京介というソロアーティストの作品だな、という感じがしました。

田家:アルバムのクレジットにスタジオ名が記されておりまして、オーシャンウェィスタジオ、スカイスタジオと。オーシャンウェィスタジオはロサンゼルスの有名なスタジオですね。

子安:BOØWYの時にはベルリンでもありましたけど、そこからある種の真逆というか。ロサンゼルスのスタジオでということになって、正直実際に行くまで自分の中でもどういう感じになるのか掴めなかったんですけど、あの街の空気感の中、レコーディングからレンタカーでハイウェイを飛ばしながらカセットで「ANGEL」を聴いた時に、これは間違いなかったな、街に溶け込んでるというのを感じました。

田家:ロサンゼルスを選んだのは、ギターのチャーリー・セクストンがいたからだという話をしていたこともありました。

子安:このレコーディングはポンタ(村上秀一)さん、ベースでプロデューサーの吉田建さん、キーボードの西平彰さんが日本から参加してくださって、ギターはチャーリー・セクストンが加わって。こちらから向こうに行ってやろうよとのことで、とにかく大正解だったと思います。音だけじゃなくて、いろいろな空気感が入りましたね。

田家:子安さんには今週と来週、担当アルバムの中からシングル以外の曲を選んでいただいております。『FLOWERS for ALGERNON』から、「STRANGER」。



田家:この曲を選ばれた理由は?

子安:このアルバムと言えば、さっきから出ている「ANGEL」と「DEAR ALGERNON」が両巨頭のタイプの異なる作品で。それ以外にもソロでライブをやるにふさわしい曲が何曲かある中で、個人的にはこの「STARANGER」が、決して派手ではないけど氷室さんのメッセージが明確であり、自分の中での隠れた名曲ということで選ばさせていただきました。

田家:BOØWY時代には「DREAMIN」を歌う前に、夢を見てる奴らに送るぜとステージで言われていて。ファンの方から、俺は夢を見れないダメなやつなんです、という手紙をもらって、そうじゃないんだということで作った曲ですよね。精神的には、この「STARANGER」が、一つのバックボーンでもある気がしますね。このアルバムはダニエル・キイスの小説『アルジャーノンに花束を』が題材になっていますが、こういう明確なテーマがあるアルバムというのは子安さんの中でどんなふうに思いましたか?

子安:本人の中から「DEAR ALGERNON」があり、アルバムタイトルの『FLOWERS for ALGERNON』という提示があって。すごく氷室さんらしいというのを感じました。ソロでやっていくんだということのメッセージを明確にアルバムに表現したいということだと思いますね。

田家:バンドじゃなくてソロだぞという意志の表れでしょうね。このアルバムはレコード大賞の最優秀アルバム賞を受賞して、氷室さんはその舞台で「ポピュラリティのあるロックアルバムを作りたかったので嬉しい」と発言されていました。

子安:直接関係ないかもしれませんが、当日、武道館に僕も行って、その年に出ていたのは光GENJIさんで、氷室さんと光GENJIが一緒に立っていることに凄さを感じました。



田家:2枚目のアルバム『NEO FASCIO』が1989年9月に発売になるわけですが、そのアルバムから1989年7月にまずシングル『SUMMER GAME 』、そして9月に2枚目『MISTY〜微妙に〜』をリリースされました。

子安:自分の中ではまず『SUMMER GAME』のデモテープが上がってきた時のインパクトがあって。マネージャーの土屋さんが、うちの会社にニコニコしながら来まして。「子安さん、絶対気に入ってもらえると思うんだけど、新曲できた」と言って聴かせてくれたのがこの曲で。『FLOWERS for ALGERNON』があって、その次にどういう札が出てくるのかという時に、この『SUMMER GAME』は一生残る作品だろうなという印象がありました。実際評判も良くて、自分の中ではアルバム一枚をシングル一枚だけで表現するのではなく、海外のように何曲か出して伝えていきたいなと思って。良いタイミングで『MISTY~微妙に〜』もCMタイアップに決まり、ちょっと違う毛色の曲になって、『SUMMER GAME』とも良い対比になってアルバムもいけるんだなと思いました。

田家:『SUMMER GAME』が出た時には『NEO FASCIO』はもう動き出していたと。『NEO FASCIO』というアルバムを考えると、この「MISTY~微妙に〜」は違う意味を持っているのではないでしょうか。お聴きください。



田家:これはミュージック映像が衝撃的で、ヨーロッパでは放送禁止になったこともありました、独裁者が血を洗っている光景が出てきましたね。

子安:やっぱり時代といいますか。世界全体が動き始めていて、ミュージシャンとして氷室さんが表現していきたいものが凝縮されたアルバムだったんだろうなという気がしますね。

田家:ヒトラーを思わせる独裁者の演説があって、氷室さんはそれに扮装して演じていた。そこから普通の人間に戻っていくというストーリーがありました。この『NEO FASCIO』は『FLOWERS for ALGERNON』とは違ってもっと社会性のあるコンセプトが柱になっておりました。”新しいファシズム”ですからね。

子安:『SUMMER GAME』というポピュラリティのある作品から、ある意味で真逆というか。振り幅の凄さが氷室さんの凄さに繋がってるというか。本当であれば、ここまでポピュラリティのあるところに行っている人が、こういうアルバムを世の中に出すべきなのだろうか? と言われるかもしれないのを敢えて出した。ある意味での自信でもあるだろうし、その両面があるからさらに高みに登っていけるということだと思いますね。

田家:アルバムの方向性を聞いた時に、レコード会社の担当者としてどう思いました?

子安:普通に考えると売りにくい、世の中に伝わりにくいという意味で大丈夫かな? と思うのが普通なのかもしれませんが、自分の中ではそんなに心配はなかったというか。『SUMMER GAME』からの流れもあるかもしれませんが、ファンとの信頼関係がものすごくしっかり積み重ねられてきている。だからファンに、えぇっと思われるようにはならないだろうな、という確信はありました。

田家:当時氷室さんは、ピンク・フロイドの映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』を観て感動して、ロックとファシズムというのは密接なテーマなんじゃないかと仰っていました。

子安:ロックスターがステージで手を振り上げれば、お客さんが皆手を上げる。1対5万人が動くという凄さであり恐ろしさであり、紙一重なところがありますよね。

田家:このアルバムはプロデューサーの佐久間正英さんと氷室さん、ほとんど2人で作られたようなものだと。

子安:佐久間さんと氷室さんと、ドラマーのそうる透さんという最小の人数で作り上げたんですけど、音だけ聴くとそんな感じはしないですよね。

田家:佐久間さんはBOØWYの時から関わっていた方で。佐久間さんの存在はBOØWYだけではなく、氷室さんにとっても大きかったでしょうね。

子安:ものすごく大きかったと思いますね。佐久間さんの人間的な深さや音楽的な深さが、氷室さんとものすごく良い形でコラボレーションしていたと思いますね。

田家:そういうアルバムの中から子安さんが選ばれたのは次の曲です。



田家:歴史が何も語らなくなる、そんな日が来るまで。そんな日が来そうな今日この頃ですね。この曲を選ばれたのは?

子安:メッセージ性とポピュラリティを兼ね備えた凄い作品だなという意味でも、個人的にも凄い好きな曲ですね。

田家:僕も好きです。ロックのポピュラリティということを踏まえながら、これだけ高らかで誇らしげで、そして潔い。言いたい事をきっちり言っている。なかなか珍しい曲ですよね。この1989年には、6月に天安門事件があったり、ベルリンの壁が無くなったり、ヨーロッパで民主化の革命が起きたりというのが背景はありますよね。

子安:そういう時代背景があって、こういうアルバムが生まれるべくして生まれたと思います。

田家:作詞が氷室さんと松井五郎さんなんですが、氷室さんはBOØWYの時に詞をたくさん書かれていましたが、だんだん少なくなっていた。これについてはどう思われてましたか。

子安:個人的にはもっと書いてもらいたい気持ちは強くありましたね。松井さんはBOØWY時代から氷室さんともコミュニケーションをとっていたし、良いチームワークで作品が生まれてくるようにはなりましたね。

田家:私事ですが、『KYOUSUKE HIMURO since1988』という1988年から氷室さんのことを書いたりしている原稿が一冊にまとまった本が出ます。アルバムのインタビューも網羅したりしていて、改めて『NEO FASCIO』当時のインタビューを見直していたら、いろいろな発言があったんですね。「BOØWYは悪い言い方をすれば、商業ビジネス的なバンドだった」、「今回のアルバムは全部捨てるつもりで作った」、「こんなに売れると思わなかった」というのがありました(笑)。

子安:実際、いろいろな面からすごく評価してもらえたアルバムだったと思います。

田家:お聴きいただいたのは、1989年のアルバム『NEO FASCIO』から「CALLING」でした。1991年4月発売の3rdアルバム『Higher Self』についても伺っていこうと思うのですが、その中でシングルになったのが『CRIME OF LOVE』でした。このシングルについては当時どう思いましたか?

子安:『NEO FASCIO』の次にどういうものを世の中に伝えていくかという時に、この曲はドラマのタイアップという背景もありつつ、『JEALOUSYを眠らせて』という曲が1990年にシングルリリースされることになってヒットして。個人的にはカップリングの「LOVERS DAY」という曲が私の中ではずっと名曲として残っているんです。この2曲が入ったシングル盤がものすごく成功して、ここからどうやってアルバムに向かっていこうかという時に、ちょっと間が空いたんですよね。たぶんライブやバンドサウンドを本人の次のテーマとしてアルバムを作る方向に向かってきて。『JEALOUSYを眠らせて』とは違った形で、アルバムのコンセプトが出てきて、この『CRIME OF LOVE』も生まれてきてアルバムへの道筋が作れたなと思いましたね。私の上司の石坂敬一さんが、この曲は素晴らしい! と太鼓判を押していて。石坂さんはすごくマイナー曲が好きで、日本人のヒット曲はマイナーが必要なんだ、イントロは短くマイナー調とよく仰っていて。ここまでのシングルは、『ANGEL』にせよ『SUMMER GAME』などメジャー調のものが多かったので、『CRIME OF LOVE』で石坂さんの好きなものが生まれてきたのかなと思いました。

田家:なるほど。聴いてみましょう、1991年2月発売「CRIME OF LOVE」。



田家:この『Higher Self』というアルバムは子安さんや氷室さんにとってどんなアルバムだったんでしょう?

子安:それまでとは違うバンドの作り方になってきていましたし、『FLOWERS for ALGERNON』があって、『NEO FASCIO』があって違う面を見せてきている。次はどっちの方向に進むんだろうと思った時に、ある意味で真ん中というか。突然変異的なものというよりは、ライブアーティストという意味も含めて必然性のあるアルバムという気がしますね。

田家:『CRIME OF LOVE』もビートの実験みたいなものがありながら、全体像はミステリアスな雰囲気もあって、これはBOØWYとは違うバンドサウンドという印象がありましたね。

子安:たぶんこういうのはBOØWYでは出てこなかったのは間違いなくて。より一層、氷室京介というソロアーティストが一段階上がって確立されたアルバムな気がしますね。

田家:この『Higher Self』というタイトルについて、当時のインタビューを読み直していたら「大いなる自己、自分の精神性の高みなんだ」と話してました。

子安:なかなか自分に厳しいというか、自分をしっかり見つめるって難しいことだと思うんです。そこを突き詰めていく精神力の強さは、他人が真似できないものなんだろうなと思いますね。

田家:1980年代にバンドブームがあって、当時のバンドとは違うんだという想いが、この頃ずっとあるわけですよね。

子安:ものすごい数のバンドが生まれてきたし、その中でバンドを解散してソロでやってきたところに全然違うところに何歩も先に行くんだけど、自分が信じてるリスナーとの信頼関係を捨てずに進めたというのが凄かったと思います。

田家:このアルバムのバンドSP≒EEDは、ドラムス永井利光さん、ベース春山信吾さん、ギター友森昭一さん、キーボード西平彰さんというメンバーでした。

子安:決してテクニックだけじゃなくて、マインドも含めて繋がっているバンドだった気がしますね。

田家:このアルバムの中で子安さんが選ばれたのが2曲あって、「WILD AT NIGHT」か「MOON」と。この中から「MOON」をお聴きいただこうと思います。



田家:この曲を選ばれたのは?

子安:月から見た地球という素晴らしい切り口というか。こういう曲って聴いたことなかったなあと思って。氷室さんの声の素晴らしさが本当に表現されてる曲ですね。

田家:この曲は2010年のツアーで、どういう曲なのかとステージで話をされていて。月から見た地球なんだ。肌の色や宗教の違い、性別や貧富でいがみ合っているのは月からでは見えない。とても美しい星に見えるだろうと。でも、アルバム発売時のインタビューではそういう話はしていなかったですよね。

子安:一切出してないですね。作品を出す時に、背景や狙いはあまり説明していなかった記憶があります。ちゃんと聴いてもらえれば分かる、その時に分からなくても10年後には分かるかもしれないという気持ちがあったんじゃないですかね。

田家:分かってくれる時には分かってくれる人が分かってくれる、皆に分かってもらえなくても良いと。もう一曲の「WILD AT NIGHT」を選んだ理由はなんですか?

子安:単純にライブのアッパーな部分を作って、作品としても見事な曲で。シンプルでストレートで長い間ステージでやり続けてきている。アルバムの中でも凄い重要な曲だったなと思って選びました。

田家:その両面が常にどのアルバムにもあるということですね。

子安:それが氷室さんのアーティストとしての深さは、まさにその両面にあると思いますね。



田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」2020年11月氷室京介還暦特集Part3。ゲストに、当時の東芝EMIディレクター子安次郎さんをお迎えしました。今流れているのは、後テーマ曲で竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

今週は『FLOWERS for ALGERNON』から『Higher Self』を辿ってきました。1988年から1991年です。日本はバブルの全盛期、株の史上最高値が記録されたのが、1989年12月ですね。日本中、特に東京や業界はお祭り騒ぎで浮かれていた時代です。当時のインタビューを読み直してみますと、ソロになって世の中や音楽に対しての向き合い方がバンド時代と変わってきたという話が随分出てきます。『ANGEL』が生まれたのは、最初のお子さんが生まれた時です。世の中のことがリアルに感じられるようになったとかそういう話があります。そして、当時「どんどん普通の人になっていきたいんだ」と彼は話していた。BOØWYは、バンドというジャンルの中ではまだまだ先はあったのでしょうが、上り詰めて極限まで行って、そこからピリオドを打って1人になった。『FLOWERS for ALGERNON』の元になった『アルジャーノンに花束を』という小説が、科学技術によって知能指数が天才に変わってしまって、人類で最高のIQになり、そこから衰えていく。その反動で元に戻っていくという、上り詰めて0に帰るという作品でした。当時、なぜ彼がこの小説をモチーフにしたのか改めてよくわかりました。商業的な成功が果たして人としての成功なのか? という話も当時のインタビューに出てました。来年2月に、私が1988年から書いた氷室さんのインタビューとかエッセイ、ライブレポートやレビューをまとめたものが本になるので、それを読み直しました。『KYOUSUKE HIMURO since 1988』、KADOKAWAから発売されます。そちらも楽しみにしていただけると嬉しいです。


田家秀樹(左)と子安次郎(右)

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

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月 21:00-22:00
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