ブルース・スプリングスティーンが語る音楽の力と米社会、亡き友との絆が遺した影響

友の死、夢の中で会った故クラレンス・クレモンズ、そして最高のバンド(Eストリート・バンド)と作り上げた会心のニューアルバム『レター・トゥ・ユー』について、ロック界のボスことブルース・スプリングスティーンが明かす。米ローリングストーン誌 No.1344のカバーストーリーを完全翻訳。

自宅の外の砂利を敷いた道に立ち、ブルース・スプリングスティーンは目を細めて空を見上げている。2020年8月上旬の今朝、彼が頻繁にメタファーとして用いる雷雨がニュージャージー州のモンマスを襲った。アズベリー・パークやフリーホールドではいたるところが浸水し、ここコルツ・ネックの馬牧場の足場はぬかるんでいた。嵐が通り過ぎた午後、スプリングスティーンが所有する敷地の上空では、雲の切れ間から太陽の光が差し込んでいた。「丸一日潰れなかっただけマシだと思わなきゃな」。彼は心底安堵した様子でそう話す。ここでの半隔離生活が長引けば長引くほど、天気への関心が高まっていくという。「他に気にすることなんてないからな」

シルバーと黒の混じった髪は短く切り揃えられ、薄手の白いアンダーシャツに覆われた胸部は今なお逞しい。肩の部分に小さな穴が空いているそのカットソーは、『闇に吠える街』のカバー写真で着ていたものを思わせる。足元はレザーのサンダルで、(驚いたことに)靴下は履いていない。ジーンズ姿であることは言うまでもなく、カーペンターパンツの色はライトブルーだ。パンデミックが宣言されてから6カ月が経った現在、かのブルース・スプリングスティーンさえも今なおリモートワークを強いられている。

いつものことだが、彼のそばにいると体が少し強張るのを感じる。まるでラシュモア山の顔のひとつがすぐ隣にあるような、言いようのない緊張感を覚えるのだ。ましてや何カ月も他人と面と向かって話していなかったとなると、その状況はどこか非現実的にさえ感じられる。筆者もこの周辺で幼少期を過ごしたこともあり、屋根付きのポーチに向かって歩きながら、我々は他愛のないローカルトークを交わした。筆者は彼の自伝にも登場したアイスクリーム屋のCarvelが大好きだったのだが、それがダンキンドーナツに変わってしまったことを彼も嘆いていた。我々は白い大理石のテーブルを挟み、2メートルの間隔を空けて籐椅子に腰掛けた。目の前の芝地には木が立ち並び、今朝の嵐に耐えた葉をゆっくりと揺らしている。走るために生まれてきた男にとって、今の状況が理想的でないことは確かだが、ここは決して最悪の環境というわけではない。


Photo by Danny Clinch for Rolling Stone

近況について訊ねると、スプリングスティーンは椅子にもたれかかりながらこう言った。「何とか踏ん張ってるよ、皆と同じようにね。何かと予定が立てにくくて、次はいつステージに立てるのかもわからないけどさ」。彼は何気ない調子でそう話したが、その後深刻そうな表情を浮かべて「日々のライブで生計を立ててるミュージシャンや、裏方のクルーたちのことが心配だ」と語っていた。「心配事もあるけど、隔離生活自体はそれほど苦じゃないよ。少なくともしばらくは、先の見えない今みたいな状況が続くわけだし。とにかく、俺は何とか持ちこたえてるよ」

鬱症状との格闘を続けていることを明かしている彼は、現在も薬を処方してもらっているという。「最近は気分がいいんだ。薬のおかげさ」。彼はそう語っていた。


「アルバムは4日間で完成させた」

現在我々が座っているところから数ヤード離れたところには、彼が妻のパティ・スキャルファとシェアしているブロンドウッド造りのスタジオがある。昨年11月の雪の降る日、スプリングスティーンとEストリート・バンドは、光に満ちたそのスタジオでレコーディングを行い、わずか5日間のセッションでアルバムを完成させた。「3時間に1曲のペースで録っていった」。そう話すスティーヴ・ヴァン・ザント(Gt)は当時の様子を、ビートルズの初期のセッションに例えてみせる。「アルバムは4日間で完成させた。5日目はやることがなかったから、録ったやつを皆で聴き直してたよ」

スタジオで彼らは、アルバムに伴うツアーへの期待を込めて乾杯したという。スプリングスティーンが明言したように、そのツアーが実現する見通しはいまだ立っていないが、彼の新作『レター・トゥ・ユー』は10月23日に発売される。彼はリリースを先延ばしにすることは無意味だと結論づけた。「俺が曲を書くのは、作品として発表するためなんだ」




ニュージャージー州コルツ・ネックにて。2020年8月4日撮影(Photo by Danny Clinch for Rolling Stone)

100年に1度の未曾有の危機が訪れていなければ、9月23日に71歳となったスプリングスティーンは今頃、Eストリート・バンドと共にワールドツアーの準備をしていたはずだ。ツアーは2021年の春に始まる予定だったが、彼はこう語っている。「早くて2022年じゃないかって気がしてる。コンサート業界にとっては、それでもいい方なのかもしれない。俺にしてみても、空白が1年で済めば幸運だと思うことにしてる。70歳にもなると、ツアーに出ていられる時間は限られてくるから、1〜2年の空白は大きい。今はバンドの状態がすごくいいし、俺自身もかつてないほどのエネルギーが全身にみなぎってるのを感じてるから、それだけに悔しいよ。16歳の頃からずっと、ライブは俺の人生において不可欠な要素なんだ」

70年間の人生で無数のショーをこなし、事あるごとに汗まみれのオーディエンスの中に飛び込んでいった彼にとって、ライブのストリーミング配信はまったく別物だという。4月に行われたCOVID-19の影響に苦しむ人々の救済イベント「Jersey 4 Jersey」で、彼は自身のスタジオからリモート出演し、スキャルファと共にアコースティックセットを披露した。また5月にはドロップキック・マーフィーズとの遠隔ジャムセッションに挑戦し、その様子はボストンのフェンウェイ・パークに設置された大型スクリーンに映し出された。しかし、彼はショーに臨む際のエネルギーをわずか2曲に凝縮させなくてはならないことと、オーディエンスの生の反応が感じられないことに困惑していた。「バンドの皆は大切な仲間だ」。彼はそう話す。「彼らとのセッションはいつも楽しいよ。でもオーディエンスのいない空間でバンドと一緒に演奏することに、俺はどうしても違和感を覚えてしまうんだ。ああいうことを続けていく気にはなれない」

大所帯のEストリート・バンドのメンバー全員が集まることは、今の状況では現実的ではない。しかし、彼らの存在を間近に感じさせてくれる『レター・トゥ・ユー』を聴いていると、まるで自分が隔離のルールを破っているかのようにさえ思えてくる。それはアルバムへの思い入れを深めると同時に、生で観たいという思いを痛いほど募らせる。『ボーン・イン・ザ・U.S.A』がそうだったように、オーバーダブを極力用いないライブ録音にこだわった『レター・トゥ・ユー』は、スプリングスティーンとEストリート・バンド史上最も生々しいレコードかもしれない。「一発録りにここまでこだわったアルバムは初めてだ」。スプリングスティーンはそう話す。「ヴォーカルも含めて、編集は一切していない」(スプリングスティーン自身が弾いたグレッチの唸るようなリードギター等、ごく一部の楽器はオーバーダブされている)


ブルースの才能を見出した、かつてのバンド仲間の死

「昔を思い出したよ」。ドラマーのマックス・ワインバーグはそう話す。「70代の世代ならではというか、経験豊富なミュージシャンだけが持つ知恵と技術、そしてピュアなエネルギーが宿ってる」。また本作は『ザ・リバー』以降、Eストリート・バンドの魅力が最もストレートに打ち出されたレコードだ。後年での再生を試みたような本作のスタート地点、それは死に対する思いだった。

スプリングスティーンにとって初めての本格的なバンドとなったThe Castilesは、ジャージーシティのやんちゃなティーンエイジャーの集まりだった。スムーズでピュアなテナーボイスの持ち主だったメンバーの1人は早い段階から才能の片鱗を見せており、バンドの顔にふさわしい存在だった。George Theissというその人物は、スプリングスティーンをリードギタリストしてバンドに加入させた張本人でもある。「俺たちはモンマスでうろうろしてるガキの集まりに過ぎなかった」。Theissはかつて本誌にそう語っているが、ミドルタウンを拠点としていたThe Shadowsのメンバーだったヴァン・ザントは、それが正確な表現ではないとしている。高校時代のTheissとスプリングスティーンは一緒に登校するほど仲が良かったが、互いの意見が食い違うことも多く、スプリングスティーンが積極的に歌い始めてからは衝突することが増えた。

「2人はバンドの主役の座を争ってた」。Theissの未亡人であるDiana Theissはそう話す。「Georgeは自分の立場が脅かされていると感じてたの」。The Castilesが1968年に解散した後、バンドのヴォーカルの1人がブルース・スプリングスティーンとして名を馳せたのに対し、もう1人のシンガーは脚光を浴びることはなかった。Theissは20歳でDianaと結婚し、大工として生計を立てながら、沿岸地域にあるクラブを中心に活動を続けていた。「ザ・リバー」で描かれる若くして結婚した2人は彼の妹と義弟がモデルだとされているが、彼の頭にはGeorgeのこともあったのではないかとDianaは考えている。

かつての戦友がスターダムを駆け上がっていくのを、Theissは複雑な思いで見ていたに違いない。数年前、Theissが妻と共にスプリングスティーンとスキャルファのハウスパーティに出席した際、彼はバンドによるジャムセッションへ加わることを固辞したという。「陽の目を見なかった不運なミュージシャン、そんな風に見られるのが我慢ならなかったんだと思う」。Dianaはそう話す。「彼も私も、ずっとそんな後ろ向きな気持ちを抱えて生きてきたわけじゃないけどね」。スプリングスティーンは彼のそういう思いを察していたと彼女は話す。「ブルースは彼に、もう1人の自分の姿を重ねていたんじゃないかと思う。自分が辿っていてもおかしくなかった道を歩んだ人物としてね」

「互いに異なる道を選んだっていうだけのことさ」。スプリングスティーンはそう話す。「それ以外に表現のしようがない」。2人はバンドの解散後も時々連絡を取り合っていたが、過去数年は会う機会が増えていたという。2018年7月にTheissが末期の肺がんを患っていることを知ると、スプリングスティーンはチャーターした飛行機でノースカロライナに飛び、病床にいる友人の最期を看取った。Dianaが後から聞いた話によると、彼は帰りの飛行機の中でも一言も口を聞かず、何かに思いを馳せている様子だったという。当時彼は週に5回ブロードウェイのステージに立っており、自身の過去について繰り返し語っていた。The Castilesのメンバーで今なお生きているのが自分だけだという事実を、スプリングスティーンは重く受け止めていた。「死が近づいていることを意識せずにはいられなかった。他のメンバーの多くは若くして亡くなっていただけに、俺にとってGeorgeの存在は大きかったんだ」


「世界一ビッグなバーバンド、それがEストリート・バンドのイメージだった」

2019年の時点で、スプリングスティーンはEストリート・バンドを必要とする曲から長く遠ざかっていた。「過去6〜7年間、俺はバンド向きじゃない曲を書き続けていた」。彼はそう話していた。2012年作『レッキング・ボール』(大衆迎合主義を痛烈に批判した歌詞、やや実験的なプロダクション)と、予定よりも遅れる形で昨年発表された『ウェスタン・スターズ』(意外性のあるメロディ、自伝的内容のオーケストラ・ポップ)の両作は、彼がクリエイティビティの爆発を経験していた2010年代初頭に書かれた曲がベースになっていた。また詳細は不明だが、当時の曲を元にしたアルバムがもう1枚存在するという。彼は過去10年間で残したその他の作品について多くを語っていないが、高く評価された500ページ超の自叙伝、トニー賞を受賞したブロードウェイ公演、そして2000年代に書いた曲とカバーで構成された2014年作『ハイ・ホープス』等、様々な形でその存在感を示してきた。


ウェスタン・スター:所有するコルツ・ネックの牧場にある厩舎でのスプリングスティーン。彼はここでEストリート・バンドと共に、『レター・トゥー・ユー』をわずか5日間で完成させた。(Photo by Danny Clinch for Rolling Stone)

「鉱山の中にいるみたいな感じさ」。彼はそう話す。「クリエイティビティの鉱脈がどこにあるのかを、ひたすら探り続ける。ある脈が枯渇してしまったら、別の場所を探さないといけない。その脈は数年間枯れたままかもしれないし、数週間で復活するかもしれない。それはいろんな出来事に左右されるんだ」。彼の親友の1人であり、Eストリート・バンドのサックス奏者にして原動力でもあったクラレンス・クレモンズが2011年に他界したことは、スプリングスティーンにとって人生観を揺るがすほどの出来事だった。2008年には同バンドのオルガン奏者だったダニー・フェデリシが逝去しており、彼は信頼を寄せる仲間を立て続けに失うことになった。口にこそ出していないが、彼がEストリート・バンドを必要とする曲を書かなくなったのはその頃だ。

考えを変えるきっかけになったのは、2人のバンドメンバー以上に古い友人だったTheissの死だった。「俺たちは多感な時期を共に過ごし、友情を育んだ」。スプリングスティーンはそう話す。「俺の作風の大部分は、あのバンドにいた頃に培われたんだ」。その後彼が結成したハード・ブギーなバンドSteel Millが、オーディエンスの大半を占めていたヒッピーたちを意識したオリジナル曲によって成功を収めたのに対し、The Castilesはごく普通の人々の日常に寄り添うバンドだった。サム&デイヴ、ビートルズ、ボー・ディドリー、ジミ・ヘンドリックス等、彼らはビーチ沿いのクラブや教会の地下スペース、あるいはローラーリンク等に集うキッズたちを踊らせる曲を多数カバーしていた。1972年にレコード契約を交わした時、スプリングスティーンはそれを自身の信条とすることに決めた。「The Castilesでやってたことは、今の俺と深く結びついている」。彼はそう話す。「The Castilesはローカルのオーディエンスが求めているものを提供してた。それって、俺がEストリート・バンドを始めた時のコンセプトと大差ないんだよ。世界一ビッグなバーバンド、それがEストリート・バンドのイメージだった」


「昔みたいにやろうって提案したんだ。弾いたままを録るっていう、クラシックなやり方をね」

Theissが他界する少し前、スプリングスティーンはブロードウェイ公演会場の関係者用入口で、あるファン(イタリア人だったと彼は記憶している)からアコースティックギターをプレゼントされた。「『ワオ、どうもありがとう』って感じで、ありがたく受け取ったよ」。彼はそう話す。「ざっと見たところ悪くない品のようだったし、車で家まで持ち帰ることにした」。聞いたことがないブランド名が記されたそのギターは、何カ月もの間自宅のリビングの片隅に置かれたままだったが、昨年4月頃に彼はそれをふと手にとった。

何の前触れもなく「アルバムに収録された曲が次から次へと生まれてきた」ことに、彼自身も驚いたという。「10日もかからなかったと思う。時々部屋を移りながら、1日1曲くらいのペースで曲を書いていった。寝室で作ったものもあれば、ホームバーやリビングで書いたものもある」。一番最初に書き上げたのは、ゆっくりと展開していく憂いを帯びた「ラスト・マン・スタンディング」だった。Castilesのギグ(”「コロンブス騎士会」や「ファイヤーマン舞踏会」 / ユニオンホールで金曜日の夜 / ルート9沿いの黒い革ジャン連中の集い” )を振り返り、その戦友を失った思いを綴る(”ビートを保ちながら、いなくなった連中の数を数える”)同曲は、スプリングスティーン史上最もストレートに自らの物語を描いた曲のひとつだ。

彼はその少し前から、バンドの一員であることの意味を歌った曲を書き始めていた。その一方で、勇ましい「ゴースト」(”ボリュームを上げ、彼らの魂に導かれる / 兄弟姉妹よ、彼岸で会おう”)、アルバムのオープニングを飾るバラード「ワン・ミニット・ユア・ヒア」(完成したのは少し前であり、クレモンズが逝去した頃だと推測される)、そして最終曲の「アイル・シー・ユー・イン・マイ・ドリームズ」等では、この世を去った者たちへの思いを感傷的になることなく綴っている。



「クラレンスとダニーを失ったことは、俺の日常に今も影を落としてる」。スプリングスティーンはそう話す。「今でも実感がないんだ。『もうクラレンスには会えないって? そんな馬鹿な』みたいな感じでさ。この世を去った人々に思いを馳せることは、今の俺の日常の一部になってる。父のこと、クラレンスやダニーのこと、いろんな出来事や時間を共有した人々のことを思うんだ。彼らの魂とエネルギーは、今もこの世界に息づいてる。それが残された者たちの心を温めてくれるんだ」

彼は実際に、よく友人たちの夢をみるそうだ。2007年に他界した、彼の友人で長くアシスタントを務めたTerry Magovernは「年に数回は夢に出てくる」という。「クラレンスも時々会いに来てくれるよ」。彼はそう話す。「子供の頃に住んでた家の夢もよく見るんだ。大抵の場合、俺は通路を歩いてる。彼らとはこれからも夢の中で会えるはずさ。俺自身が誰かの夢に出てくるようになるまでね」

クラレンスの後任は甥であるジェイク・クレモンズが務め、フェデリシとバックグラウンドが近いチャーリー・ジョルダーノがオルガニストとしてバンドに加入した。それでもなお、かつてのメンバーたちのスピリットは健在だという。「少し怖くなるくらいにね」。1974年からEストリートのキーボーディストを務め、バンドのアンサンブルを仕切っているロイ・ビタンはそう話す。「バンドで音合わせをしてると、そこにダニーとクラレンスの亡霊がいるように感じるんだ。彼らのことを恋しく思うとき、その魂は俺たちのすぐそばにいるんだよ」

自宅での曲作りを終えてからほどなくして、スプリングスティーンはビタンとランチを共にし、書き上げた曲群のことを伝えた。「俺はこう言った。『デモなんか録るなよ』ってね」。ビタンはそう話す。「昔みたいにやろうって提案したんだ。弾いたままを録るっていう、クラシックなやり方をね」。その助言は、アルバムのサウンドを決定づけることになった。またそれは、ヴァン・ザントが長年主張していたことでもあった。


デモを一切作らなかった理由とは?

「俺も彼と同じ考えだった」。スプリングスティーンはそう話す。1981年に彼がローディーに命じてTascamの4トラックカセットレコーダーを購入したことは、彼のキャリアにおける転換点のひとつとなった。彼にとって最初のホームスタジオとなったその機材は、現在ではロックの殿堂に展示されている。その翌年にリリースされた『ネブラスカ』は、元々Eストリート・バンドのメンバーに聴かせるために制作されたデモ音源だったが、結果的にスプリングスティーンにとって初の本格的ソロアルバムとなり、バンドを伴わない作風を追求し始めるきっかけとなった。制作を自宅でほぼ完結させたベッドルーム・ポップのレコード『トンネル・オブ・ラブ』が1987年に発表されてからは、デモ音源とスタジオ録音の境界線はますます曖昧になっていった。装飾を一切排除し、痛ましいほどの孤独感を漂わせていた「ストリーツ・オブ・フィラデルフィア」はその最たる例だ。

2000年代に頭角を現したアーケード・ファイアやザ・キラーズ等の派手なサウンドには、Eストリート・バンド時代のスプリングスティーンの影響が色濃く現れていた。しかし最近では、むしろ彼のソロ作に影響を受けたと公言しているアーティストの方が多い。密閉空間を思わせるウォー・オン・ドラッグスのサウンドや、彼の大ファンを自認するジャック・アントノフによる、テイラー・スウィフトやロード、ラナ・デル・レイ等の作品におけるシンセワークがいい例だ。スプリングスティーンは自身のラジオ番組『From My Home to Yours』でウォー・オン・ドラッグスの曲をプレイしているほか、デル・レイの作品が好きだと語っている。「パティも俺も彼女の大ファンだ。『ノーマン・ファッキング・ロックウェル!』の緻密なソングライティングには舌を巻いたよ。ドラマチックでシネマティック、素晴らしい作品だと思う」

『ザ・ライジング』(同作の発表が18年前だということを、スプリングスティーンは「信じられない」と話す。「あれって俺の『近作』のひとつなんだからさ」)のレコーディングでEストリート・バンドと再びタッグを組んでからも、彼は独りでデモ音源を作り続けていた。しかし去年、彼はそれをやめることを決意した。「デモを作ってるとアイデアがたくさん浮かんできて、どんどん音を重ねてしまうんだ」。彼はそう話す。「そしていつの間にか、曲のアレンジを考える段階になってる。そうなるとプレイヤーたちの役割が限られてしまい、結果的にEストリート・バンドを必要としないレコードが出来上がるんだ。だから今回はデモを一切作らなかった」。アイデアが浮かんだときもスタジオは使わず、アコースティックギターの弾き語りを覚え書きとしてiPhoneに録るようにした。

そのアプローチを誰よりも歓迎したのは、初期の作品で型にとらわれないアレンジのスキルを存分に発揮していたヴァン・ザントだった。ブレンダン・オブライエンがプロデュースを手がけ、Eストリート・バンドがレコーディングに参加した作品群(『ザ・ライジング』『マジック』『ワーキング・オン・ア・ドリーム』)は、自身をソロアーティストと見なしていたスプリングスティーンが考えを改めるきっかけになったという。「バンドとしてのセンシビリティを取り戻したんだ」。ヴァン・ザントはそう話す。「ブルースはメンバーたちを信じ、自分が再びバンドの一部になったことに喜びを感じているようだった」

37年ぶりだと筆者が指摘すると、ヴァン・ザントは笑った。「彼は何かとスローだからね。意図的なものだった、ってことにしておこう」

『レター・トゥ・ユー』には、グロッケンシュピールやリリカルなピアノのイントロ、膨張していくかのようなオルガンのコード、ジェイクによる伯父譲りの勇ましいサックスソロ等、スプリングスティーンが何十年もの間敬遠してきた、彼のレコードにおける代名詞ともいうべき要素が多く見られる。セッションの最中には、スプリングスティーンがビタンに向かって「もっとEストリートらしく」という指示を出したこともあったという。「思わず頰が緩んだよ」。ビタンはそう話す。「『Eストリートのカラーはいらない!』なんて口にしてた時期があっただけにね」


スプリングスティーンの最初のバンド、The Castilesの1965年当時の写真。中央はギターヴォーカルだったGeorge Theiss(Billy Smith Collection)



変わらない魅力と意外性

「今の自分を描いた曲を、あの頃のサウンドで表現しようとしたんだ」。スプリングスティーンはそう話す。「オーディエンスは常に2つのことを求めていると思う。ひとつは変わらない魅力、もうひとつは意外性だ」。1978年作『闇に吠える街』の時点で既に、彼は『明日なき暴走』で確立したシグネチャーサウンドを意図的に敬遠していた。「初期のレコードっていうのは、何も考えずに書いた曲を集めたものなんだ」。彼はそう話す。「やがてヒットが生まれると、半ば反動的に自己防衛モードに入る。それ以来、俺はEストリートのサウンドを必要としなくなった。同じことを繰り返したくなかったからだ」

しかし何十年とキャリアを重ねてきた彼は、もはやそういった考えにとらわれていない。「昔ほど自意識過剰じゃないからね」。彼はそう話す。「頑固なところも多少マシになった。『クリエイティブとは何か? 何がファンを喜ばせるか? 自分がやりたいことは何か?』そんな風に自問することは、自分を檻に閉じ込めるようなものなんだよ。

彼のそういったスタンスは、過去の曲をバンドと共にアレンジし直すという行動にも現れている。「ソング・フォー・オーファンズ」(70年代に失われた60年代の理想に思いを馳せるかのような、ディランを彷彿とさせるスローバラード)、「ジェイニー・ニーズ・ア・シューター」(幻のクラシックとして知られており、アレンジも1979年のリハーサル音源のものと大きく変わらない。同曲にインスパイアされたウォーレン・ジヴォンは同名の曲を発表している)、そして意外なほどハードな仕上がりとなった、神聖なものを無邪気に冒涜するかのような「イフ・アイ・ワズ・ザ・プリースト」(70年代にはホリーズのシンガーであるアラン・クラークがカバーしている)の3曲は、1972年および1973年に制作されたものの正式に発表されず、長年ブートレグ音源が出回っていた。昨年、1998年発表のアウトテイク集『Tracks』のアーカイブを整理していた時に、彼はこれらの音源を思いがけず見つけた。この3曲が今作に収録されたことに深い意味はなく、今のバンドと一緒に録るとどんなサウンドになるのかを確かめたかったという。「若かりし日に思いついたアイデアを、大人になった自分の声で表現してみたかった。すごく楽しかったよ、どの曲も歌詞がぶっ飛んでたからね」

『レター・トゥ・ユー』は大統領選の間際にリリースされるが、本作は決してアンチ・トランプを唱えるレコードではない。「そんなレコードは死ぬほど退屈に決まってるからな」。彼はそう話し、眉間にわずかに皺を寄せた。『ザ・ライジング』では9.11に、『マジック』ではジョージ・W・ブッシュの失政に言及したが、彼がそういった政治的メッセージを発することは稀だ。貧困や略奪、苦境から逃れようとメキシコからやってくる移民等に焦点を当てた『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』は、スプリングスティーン史上最も先見の明に満ちたレコードだったが、彼は同作を世間がクリントン政権の誕生に沸き立っていた1995年に発表している。

『レター・トゥ・ユー』において、現在のアメリカの政治情勢に最もストレートに言及しているのは、干ばつの被害に苦しむ農家の人々に根拠のない希望を持たせようとする詐欺師を描いた、不吉なトーンを漂わせるルーツ的ロックの「レインメイカー」だ。スプリングスティーン自身、同曲が時代背景とリンクしていることを認めている。「あれは扇動政治についての曲だ」。彼はそう話すが、曲を書き上げたのはトランプが大統領に就任する数年前だという。「あの曲はアイデアの段階でボツにしたレコードに収録する予定だった」。彼はそう話している。


「俺たちは今すぐトランプ政権を終わらせ、もう一度やり直さないといけない」

ビタンによるEストリート色全開のピアノがリードする壮大なアンセム「ハウス・オブ・ア・サウザンド・ギターズ」における、「悪の道化師」が「王冠を盗んだ」という比喩表現は、今の世の中の状況を風刺したアルバム中唯一のラインと言っていい。同曲で描かれる「音楽が終わらないところ」、絆がすべてを支配する地上におけるロックンロールの天国というべき場所は、「ランド・オブ・ホープ・アンド・ドリームズ」が示した目的地からそう遠くない。スプリングスティーンにとっても大きな意味を持っているという同曲について語る前に、彼は音源の入ったMacBookを求めてその場を離れた。

席に戻ってきて同曲を再生すると、コンピューターのスピーカーから流れてくるワインバーグのビートに合わせて、彼は目を閉じたまま頭を上下に降っていた。「俺が頭の中で築いたスピリチュアルな世界を描いてるんだ」。彼はそう話す。「同時に、これがバンドと一緒に作り上げたレコードなんだってことを示したかった。ゴスペル曲の『Im Working on a Building』、ああいうイメージなんだ。この曲で描かれる情景は、俺たちが何年もかけて築き上げてきたものなんだ。それでいて、今この国が経験していることと繋がってもいる。これまでに書いた曲の中でも、すごく気に入ってるもののひとつだよ。過去50年で俺がやってきたことを凝縮してるようなところがあるんだ」

教会と牢獄が出てくることについて、「ジャングルランド」に登場するラインを意識したのかと筆者が訊ねると、スプリングスティーンは笑った。「長い間、あのフレーズは俺の片隅にあった」。彼はそう話す。「どこかで耳にした覚えがあると思ってたけど、それが何だったのかを君が思い出させてくれた」

現在のソングライティングに反映されていなくとも、スプリングスティーンが政治的スタンスの表明をためらわないことは、8月に開催された民主党大会の映像(本人もわずかながら登場)に「ザ・ライジング」の使用を許可していることからも明らかだ。過去数年間は彼にとって、「苛立ちの連続だった」という。「俺は生涯を通じて民主党を支持してるけど、4年前と比べて近所の人々とのコミュニケーションが難しくなったことは確かだね」

左派の人々の多くは(スプリングスティーンの友人であるトム・モレロを含む)、トランプはより大きな問題の兆候に過ぎないと考えている。筆者がそう述べると、彼はこう答えた。「俺はトムほどリベラルな考え方をしているわけじゃないと思う。それでも、俺たちが思い描くアメリカの姿を実現しようとするなら、極めて大胆な方向転換が必要だってことは確かだ」。スプリングスティーンは左派の筆頭であるバーニー・サンダースを支持しているという。「エリザベス・ウォーレンかどちらか迷うところだけどね。でもバーニーのことは支持してる」。しかし現在、彼は中道派である民主党の大統領候補を全面的に支持している。「アメリカという国が掲げていた理想が、今は放棄されてしまっている」。彼はそう話す。「忌むべき状況だと思う。今この国に必要なのは、それを蘇らせることができる人物なんだ。ジョー・バイデンが大統領になれば、この国が世界からの信頼を取り戻すための長い道のりを歩み始められると思う。今の政権は、民主主義の象徴というアメリカの理想像を粉々に破壊してしまった。我々は仲間を見捨て、独裁者に肩入れし、気候変動問題に背を向けてしまった」

共和党大会の感想について訊ねると、彼はこう語った。「ぞっとしたよ。無数の嘘とねじ曲げられたアメリカのイメージを、人々の意識に植え付けようとしているんだ。胸が引き裂かれる思いだったし、見ていられなかった。俺たちは今すぐトランプ政権を終わらせ、もう一度やり直さないといけない」


「俺とクラレンスの姿に、理想としてのアメリカを重ね合わせようとしていたのかもしれないね」

スプリングスティーンは2000年に発表した「アメリカン・スキン(41ショッツ)」で、アフリカンアメリカンに対する警察の暴力を糾弾した。そのトピックに言及した数少ない白人のロックスターの1人である彼でも、ブラック・ライヴズ・マターのムーブメントが明らかにした真実には打ちのめされたという。「白人至上主義と白人の優遇は、俺が思っていたよりもずっと根深いってことを思い知らされた」。彼はそう話す。「俺は過去3〜4年の間、白人至上主義や白人の優遇を主張しているのは一部の過激派の人間だと思っていた。でも今、それはこの国の大動脈にまで入り込んでしまっているんだ。その事実に衝撃を受けたし、今まで気づかずにいた自分を愚かだと思った」

現在30歳の息子エヴァンがニューヨークシティでの行進に参加していることを、スプリングスティーンは誇りに思っているという。「この社会から人種差別がなくなることはない」。彼はそう話す。「それは事実なんだ。それでも俺は、人々が皆同じアメリカ人だっていう考え方ができる社会は実現しうると信じてる。あのムーブメントには大きな希望を感じているし、それを牽引しているのが多種多様な若者たちだっていう事実にも勇気付けられる。あれは歴史そのものが求めている変化をもたらそうとするムーブメントなんだ」


昨年秋にコルツ・ネックのスタジオにメンバーらと集まった時のスプリングスティーン:(前列左から):ロイ・ビタン、ジョン・ランドー、ブルース・スプリングスティーン、ロン・アニエロ、ロス・ピーターソン (後列左から):ゲアリー・タレント、マット・ペイン、Kevin Buell(Photo by Rob DeMartin)

スプリングスティーンはブルーのルーズリーフ型ノートを開き、クラレンス・クレモンズとBLMについて書いたページを探している。そのページの上部には、アルファベットの「C」が記されていた。彼とクレモンズが時折ステージ上で見せたおどけた仕草や、誰の目にも明らかな2人の絆にオーディエンスが惹きつけられる理由について、スプリングスティーンはこう語っている。「俺たちの姿に、理想としてのアメリカを重ね合わせようとしていたのかもしれないね。それには意図的な部分もあったんだ。俺たちは音楽を通じて、ジョン・ルイスが唱えた『愛に満ちたコミュニティ』っていうコンセプトの意味をオーディエンスに伝えようとしていたから」。今年この世を去った下院議員で公民権運動の活動家だった彼は、生前頻繁にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの言葉を引用し、「あらゆる人間の尊厳と価値を尊重するという、根元的な価値観に基づいた社会」の実現を訴え続けた。

クレモンズが時に困難に直面していたことを、スプリングスティーンは理解している。『明日なき暴走』のタイトルトラックをレコーディングした時、Eストリート・バンドのメンバー構成は白人と黒人がほぼ半分ずつだったが、その状態は長く続かなかった。クレモンズを含む黒人のメンバーたちはツアー中に人種差別を経験したが、バンド内にそういった風潮は存在しなかったという。ドラマーのアーネスト・「ブーン」・カーターは、かつて筆者にこう語った。「メンバーやクルーの中に、人種差別をするような人間はいなかったよ。水を差すのはいつも外部の人間だった」。カーターとデヴィッド・サンシャスがフュージョンのグループを始めるためにバンドを離れて以来、クレモンズはEストリートで唯一の黒人メンバーとして、大多数が白人のオーディエンスの前でプレイし続けた。「彼のすぐそばにいたからこそ、人種差別から目を背けることはできなかった」。スプリングスティーンはそう話している。クレモンズは作家のピーター・エイムズ・カーリンに対し、Eストリート・バンドが1988年に初めてアフリカでライブを行った時に、大勢の黒人のオーディエンスを前に演奏できて興奮したと語っている。「ブルースのコンサートの観客の中に、黒人は数えるくらいしかいなかったからね。紫の花を咲かせる木々と大勢の黒人のオーディエンスに囲まれて、天国にいる気分だったよ」

かつてスプリングスティーンは、ステージ上で頻繁にクレモンズと情熱的なキスを交わしていた。彼の姿を求め、ブルースがステージの反対側まで駆けていくことも珍しくなかった。長い間、彼のその行動は様々な角度から分析されてきたが(クイアという概念、人種差別の打破等)、最近では100%ストレートのロックスターがオーディエンスの視野を広げようとしていると解釈した若い音楽ファンたちが、その写真をソーシャルメディアに数多く投稿している。筆者がそのことを指摘すると、スプリングスティーンは純粋に驚いている様子だった。「冗談だろ」。彼はそう話す。「正直に言うよ。俺はそんなことなんてこれっぽっちも考えてなかった。特に意味なんてなかったし、深く考えたこともない。俺たちは親しかった、それだけさ」

少し経ってから、彼はこう付け加えた。「俺の人生において、あんなにも誰かと深く繋がったことはほとんどない。彼との絆に、そんな知的解釈を挟む余地なんてないんだ。45年間にわたって友情を育んだ最愛の友との関係は、そういう社会学みたいな観点で説明できるものじゃない」


「今みたいな状況じゃ、思ったことは迷わず口にすべきなんだよ。ためらったりせずにね」

『レター・トゥ・ユー』には、終末を感じさせる部分が確かに存在する。冬景色の中に佇む彼をカバーにした本作のタイトルが、アーティストとしてのアウトプットを総括する意味を含んでいることを彼は認めている。それは「自分の心が真実だと告げているあらゆるものを呼び起こそうとする」世界に向けた、彼からの手紙だった。彼は否定するかもしれないが、70年代に書かれた3曲にも今作に収録される必然性が宿っているように感じられる。

本作がEストリート・バンドとの最後のアルバムとなる可能性はあるのだろうか? 「彼がそう考えている可能性はあると思う」。ヴァン・ザントはそう話す。「誰かの死を目の当たりにするたびに、それは現実味を帯びていく。愛する誰かを失うかもしれず、その誰かもまた大切な人を亡くしてしまうかもしれない。このレコードが世に出る頃に、20万人くらいの人がそんな風に感じていたっておかしくない。そういう人々はこのアルバムにカタルシスを覚えるかもしれないし、文字通りの意味で受け止めるかもしれない。今みたいな状況じゃ、思ったことは迷わず口にすべきなんだよ。ためらったりせずにね。彼の本心については分からないけど、俺は別の意味があると思ってる。これが最後のアルバムになったら、その時はその時だよ。でももし再びレコードを作ることになったなら、いつものようにベストを尽くすまでさ」

スプリングスティーンは今後について、「明日のことは誰にも分からない」とだけ語っている。だが「ゴースト」のコーラスにおける「私は生きている」というシャウトには、彼の強い意志を感じ取ることができる。「俺はまだ進み続けるつもりだよ。最近のプロジェクトがキャリアを総括するようなものだってことは自覚しているけど、それはこれまでの自分の歩みを振り返ったに過ぎない。俺にはまだやるべきことがあるし、立ち止まるつもりはないよ」

彼は現在「数多くのプロジェクト」を水面下で進めており、複数の「幻のアルバム」や無数のアウトテイクのアーカイブ化はそのひとつだ(例えばワインバーグはここ3年で、過去の作品少なくとも40曲で「多種多様なスタイル」のドラムを重ね録りしたという。「平凡なアーティストなら絶対にボツにしないような曲ばかりさ」)。そのいくつかは『Tracks』のvol.2に収録される予定であり、他の楽曲も何かしらの形で発表されることになるという。「いい出来の作品がたくさん残ってるんだ」。そう話すスプリングスティーンは、過去の自身とのコラボレーションを大いに楽しんでいるという。「当時に戻った気分になれるんだ、いとも簡単にね。1980年や1985年、あるいは1970年の音源を聴くと、今の自分を反映させるためのスペースが残されてるように感じるんだ。どれも歌い方は違うんだけど、今の俺はどの声色も使いこなすことができる。その気になればね」

午後の日差しが和らぎ始めた頃、スプリングスティーンは立ち去ろうとする筆者の車が停めてあるところまで一緒に歩いてくれた。彼の後ろからは、ジャーマンシェパードのDusty (ダスティー・スプリングスティーンというわけだ)と小さなテリアのToastがついてくる。だが筆者が車に乗り込む直前に、気まぐれを起こした彼は筆者をスタジオに連れて行ってくれた。そこでは『レッキング・ボール』以降のアルバムのプロデュースを手がけているロン・アニエロと、エンジニアのRob Lebretが詳細不明のプロジェクトに取り組んでいた。譜面台に置かれている楽譜の上部には、聞いたことのない曲名が記されている。楽器が所狭しと並べられたその空間を指しながら、彼はこう言った。「これが『千のギターの館』さ」。ついでに見せてくれた隣接するガレージには、愛車のバイクや様々なヴィンテージカーが収まっていた。そのうちのひとつは彼の自伝の表紙に使われていたコルベットであり、つい最近彼の息子の1人がリノベーションによって当時の外観を再現してくれたという。

彼に頼まれ、アニエロがよく冷えたPatrónのボトルを空けた。腰を下ろした我々の目の前にあるスクリーンに映っているのは、トム・ジムニーが監督を務めた『レター・トゥー・ユー』の製作ドキュメンタリーだ。スプリングスティーンの長年に渡るコラボレーターである彼は、現在我々が座っている場所でカメラを回し、同作が生まれていく過程を印象的なモノクロ映像で描いた(「カメラマンが20人くらいいたんじゃないかな」。ワインバーグはそう話す)。スプリングスティーンによると、その映像の10分程度がアルバムのリリースと同時に公開される予定だという。

だが我々は、1時間30分に及ぶ本編を最後まで観た。スプリングスティーンは時折リモコンを手に取り、音量をMetLife Stadium級まで上げた。作品が進むにつれて、彼はテキーラで喉を潤し、誰かが飛ばしたジョークに笑い、時々映像に合わせて歌っていた。ブルース・スプリングスティーンがEストリート・バンドと共にレコードを生み出していく過程を本人のすぐ隣で追体験する、そんな午後のひと時だった。

映像を流し始める前、筆者とアニエロのグラスに酒を注いだスプリングスティーンは「ロックンロールに乾杯」と口にした。わずかな沈黙を挟んだ後、さらに彼はこう付け加えた。「今も生きてればの話だけどな」。笑い声を上げた彼と共に、我々はグラスを傾けた。

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from Rolling Stone US


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ブルース・スプリングスティーン『レター・トゥ・ユー』
Bruce Springsteen / Letter To You
ソニー・ミュージックジャパン インターナショナル
SICP-6359 2400円+税
発売中

収録曲
1. One Minute Youre Here / ワン・ミニット・ユア・ヒア
2. Letter To You / レター・トゥ・ユー
3. Burnin Train / バーニン・トレイン
4. Janey Needs A Shooter / ジェイニー・ニーズ・ア・シューター
5. Last Man Standing / ラスト・マン・スタンディング
6. The Power Of Prayer / ザ・パワー・オブ・プレイヤー
7. House Of A Thousand Guitars / ハウス・オブ・ア・サウザンド・ギターズ
8. Rainmaker / レインメイカー
9. If I Was The Priest / イフ・アイ・ワズ・ザ・プリースト
10. Ghosts / ゴースツ
11. Song For Orphans / ソング・フォー・オーファンズ
12. Ill See You In My Dreams / アイル・シー・ユー・イン・マイ・ドリームズ
 
【リンク】
日本公式:http://www.sonymusic.co.jp/artist/BruceSpringsteen/
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アーティスト公式:https://brucespringsteen.net/