圧倒的な強さを見せた!輝かしいポルシェ550Aスパイダーの歴史

1955年、ミッレミリアでは3台のポルシェ タイプ550スパイダーがエントリーし、見事クラス1位、3位、4位を獲得した。北極圏を横断して道路やサーキットを走るスウェーデンラリーでは、スポーツカー、タイプ356が総合で上位4位までを独占した。サーキットでもポルシェは抜群の成績を残し、ル・マンで再びクラス優勝を果たしたほか、ドイツ選手権でもリヒャルト・フォン・フランケンベルクがステアリングを握って1,500 ccのスポーツカーカテゴリーで優勝した。

9月に行われたフランクフルト国際モーターショーで新しい1.6リッターエンジンを搭載したポルシェ356 Aが登場。技術的に進化した”Aシリーズ”は、外見上はカーブしたパノラミックなフロントウインドウによって識別可能だった。このモデルレンジの頂点となるのは、モータースポーツに起源を持つ100 PSのエンジンを備えた、ポルシェ356 A 1500 GSカレラである。

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ポルシェKGにとって輸出の重要性がますます大きくなっていた。1955年には年間生産台数のほぼ半数が海外で販売され、このうち北米へは1,514台のスポーツカーが輸出された。

米国では、ホフマン自動車会社の提供する顧客サービスに対する不満が大きくなったため、ポルシェの従業員、オットー・エリッヒ・フィリウスが現地に派遣された。10月、彼はニューヨークにポルシェ初の独自の営業所を開設し、”ポルシェ・オブ・アメリカ・コーポレーション”(POAC)の名のもとで、独立した販売ネットワークの構築を進める。

1956年1月1日、ボーデン湖畔フリードリヒスハーフェンに、マンネスマン グループ傘下の企業として、ポルシェ ディーゼルエンジン製造会社(Porsche-Diesel-Motorenbau GmbH Friedrichshafen a.B.)が設立されている。この年の秋には、マンツェルの地でポルシェ ディーゼルの名のもとでトラクターと定置エンジンの生産が開始された。



5月27日、ニュルブルクリンク1,000kmレースにおいて、タイプ550Aスパイダーを操るマリオーリ/フォン・トリップス組とヘルマン/フォン・フランケンベルク組が1.5リッターのスポーツカーカテゴリーにおいてワンツーフィニッシュを達成、ポルシェはその強さを再び証明した。

6月10日には、タルガ・フローリオでウンベルト・マリオーリがタイプ550Aスパイダーで総合優勝を果たす。また、7月29日、ル・マン24時間レースにおいて、ポルシェが連続6回目となるクラス優勝を果たすのであった。

1957年、セブリング12時間レースでは、アメリカのプライベートチームのバンカー/ウォレス組とクンスル/マイルズ組がクラスでワンツーフィニッシュを達成、この結果は世界スポーツカー選手権に加算された。

5月、今回が最後となるミッレミリアのスターティンググリッドにウンベルト・マリオーリが操るプロダクションカーのポルシェ タイプ550 Aスパイダーが登場、クラス優勝を果たすとともに総合でも5位につけた。1,600 ccのGTカテゴリーでは、パウル・エルンスト・シュトレーレ/ヘルベルト・リンゲ組がシュトレーレのポルシェ 356A カレラ GTを駆って優勝している。

ニュルブルクリンク1,000kmレースでは上位4位までを独占。またル・マン24時間レースではプライベーターのヒューガス/ド・ボーフォール組がクラス優勝を果たした。8月4日、ポルシェは初めてフォーミュラ2グランプリのためにニュルブルクリンクのグリッドに並び、エドガー・バルトのドライブするポルシェ タイプ550 Aスパイダーがレースを制している。