スポーツカーブランドとしてポルシェのイメージを確立した勝利の数々

1953年、ポルシェのエンジニア、エルンスト・フールマンが設計した4本のカムシャフトを装備したエンジン(タイプ547)が、ベンチテストに成功したのち、パリモーターショーで初めて一般に公開された。この”フールマンエンジン”はポルシェのレーシングカー、タイプ550のほか、のちに356カレラにも搭載されることになる。

第20回ミッレミリアには6カ国から合計18台のポルシェのスポーツカーが参加し、その全てが1,600 kmを完走してブレシアの地でフィニッシュした。ポルシェは1,300 ccと1,500 ccの両方のクラスで優勝した。

ル・マンでは、ヘルム・グレックラー/ハンス・ヘルマン組とリヒャルト・フォン・フランケンベルク/ポール・フレール組の操る2台のポルシェ タイプ550が初めてスターティンググリッドに並んだ。この2台のクローズドボディのレーシングカーは、1.5リッタークラスでワンツーフィニッシュを果たした。

ポルシェのレーシングシーズンを締めくくる最高の成果として、ドイツスポーツカー選手権において1,100 ccクラスでリヒャルト・トレンケルが優勝、また1,500 ccクラスでハンス・ヘルマンが優勝している。12月連邦国防軍からの水陸両用4輪駆動車の入札募集に応じ、タイプ597”ヤクトワーゲン”の開発作業がスタートした。

1954年もポルシェは世界中のさまざまなモータースポーツに参加し、ラリーで206勝、レースで214勝を記録。スポーツカーブランドとしてポルシェのイメージ確立に貢献しました。スウェーデンの”ラリー・オブ・ザ・ミッドナイト・サン”では、カール・グンナー・ハンマールンドがタイプ356で総合優勝を果たした。ランス12時間レースでは、ヘルムート・ポレンスキー/リヒャルト・フォン・フランケンベルク組とオーギュスト・ヴイエ/ジャッキー・オリヴィエ組が、いずれもポルシェ タイプ550スパイダーを駆り、クラスワンツーフィニッシュを達成。



ついで、ニュルブルクリンクでは上位4位までをポルシェが独占。またリエージュ・ローマ・リエージュ・ラリーでは総合優勝を果たすとともに、完走した上位11位のうち6台までがポルシェという結果になり、改めてこのラリーがポルシェの祭典であることが証明された。そのほかのハイライトとしては、ドイツスポーツカー選手権での優勝(ハンス・ヘルマン)や、ツール・ド・フランスのスポーツカーカテゴリーでの優勝(ストレ/リンゲ)、ミッレミリアでのクラス優勝(ヘルマン/リンゲ)、カレラ・パナメリカーナでのクラス優勝(ヘルマン)などがある。

連邦国防軍によるポルシェ タイプ597の試験は成功裏に終了したが、年末、政府の委員会はこのツッフェンハウゼン製のオフロード向け4輪駆動車に否定的な判断を示した。ポルシェ工場はスポーツカーの生産でフル稼働の状態となっていたため、最終的にはタイプ597の民生バージョンは造らないことが決定された。そのためポルシェ”ヤクトワーゲン”は試作段階で71台が製造されたのみとなった。

ポルシェKGの従業員は約500人で生産台数は合計1,853台だった。この数字には9月から生産を開始した356スピードスターも15台含まれている。このスポーツカーは米国市場向けに特別に設計された356の軽量バージョンで、車両本体価格は約3,000 USドルでしたが、まもなく大きな販売上の成功を収めることになるのだ。