近年、パラリンピックが開催された都市は、開催決定をきっかけに変貌を遂げ、誰もが暮らしやすい社会へと近づきつつある。オリンピック・パラリンピックの開催意義が問われている今だからこそ知りたい、過去の大会のレガシーとは?

~国民に浸透したパラリンピック精神~
2012年<ロンドンパラリンピック>

東京2020パラリンピックが手本にしているのが、「パラリンピック史上最大の成功」を収めたといわれる2012年のロンドンパラリンピックだ。成功のカギは、“パラリンピックの精神”をイギリス国民が実感するチャンスが数多くあったことにある。

まずは教育だ。オリンピック・パラリンピック開催前より、幼稚園から高校までの教育機関が、パラリンピックやパラリンピアンに関連した教材で授業や体験を行う公式教育プログラム『GetSet(ゲットセット)』を採用。GetSetを通じてパラリンピックについて学んだ子どもが両親らにその魅力を伝えたことで、大人たちがパラリンピックに関心を向けるきっかけとなった。このいわゆる“リバースエデュケーション”が大会成功の大きな原動力となったといわれている。このGetSetは26,300校で取り入れられ、ロンドンパラリック以降も使われ続けている。

イギリスでは、ロンドンパラリンピック以降も「National Paralympic Day」のイベントの中でパラスポーツ体験ができるなど継続した活動が際立つ

また、メディアの力も大きかった。ホスト放送局でもあった公共テレビ局の1つ「チャンネル4」は障がいのあるプレゼンターとレポーター、番組制作スタッフを起用。大会期間中は計150時間、大会前も合わせると計500時間を費やし、パラリンピック関連の中継や番組を放送。工夫を凝らした広告も展開、パラアスリートを本物・一流の選手であることを認知させ、社会的地位を押し上げた。

実際、ある調査によると、イギリスでは、成人の3人に1人(2,000万人相当)が「パラリンピックを境に、障がいのある人への態度が変わった」、3人に2人が「パラリンピックが障がいのある人に対する人々の見方を変えた」と答えたという。

こうした教育やメディアの継続した取り組みは、障がい者の雇用面でも大きな変化をもたらしている。2019年の調査では、イギリスの16歳から64歳の障がい者のうち約420万人が雇用されているが、これは2013年と比べて130万人増で、年10~30万人ずつ増加していることになる。パラリンピックの開催は、インクルーシブ社会の実現にもつながっている。

~劇的に変わったアクセシビリティ~
2008年<北京パラリンピック>

ロンドン大会から一大会さかのぼり、2008年の北京パラリンピックを見てみよう。

よく知られている通り、北京パラリンピック前の中国のアクセシビリティ(バリアフリー)の評判は決して良かったとはいえず、当時8,300万人もの障がい者が社会から取り残されていたともいわれていた。

大会の1年前に、万里の長城などを巡るツアーに参加したアメリカのパラリンピックスイマー

しかし、北京パラリンピック開催決定を機に、中国は劇的な進化を遂げることになる。

まず、7年の歳月をかけて「大規模アクセシビリティ建設キャンペーン」を実施。国際パラリンピック委員会(IPC)のニュースによると、異例ともいえる1億2,400万ユーロ以上を費やし、大会で使用する体育館などの施設をはじめ、中国全土の道路、交通機関、公共施設、ホテル、万里の長城や紫禁城といった主要観光スポットなど、約14,000ヵ所を対象に大規模な施設整備を行った。

また、北京パラリンピック開催を目前に控えた2008年7月1日、障がいのある人に対する改正法が施行。障がいのある人が平等に社会生活に参加できるよう、社会保障や雇用の改善、アクセシビリティを促進するという内容が盛り込まれた。なかには飼い主と盲導犬が一緒に公共の場に入ることができるというものも含まれており、中国社会の変化を後押しする大きな一歩となった。

~ボランティア運動と教育プログラムが発展~
2014年<ソチパラリンピック>

ハード面での進化が目覚ましかった中国に対し、ソフト面で飛躍を遂げたのが、2014年にソチパラリンピックを開催したロシアだろう。

ソチパラリンピックの閉会式で握手をするフィリップ・クレイヴァンIPC会長(当時)とロシアのプーチン大統領(右)

ソチパラリンピックの最も重要なレガシーの1つは、ロシアで最初ともいわれるボランティア運動の発展だ。ソチパラリンピック開催に向けて14地域に計26のボランティアセンターが設置され、ボランティアのトレーニングベースともなった。2012年までに約2,800のパラリンピック関連プロジェクトが実施されたのだが、これもボランティアなしには成り立たなかった。

ボランティアが大きな力を発揮した例の1つが、インタラクティブインターネットサイト(アクセシビリティマップ)の開設だ。ソチパラリンピックに向けて、スポーツ施設や横断歩道などで、車いすマークのある駐車場、視覚障がいのある人のためのアクセシビリティ、車いす用のエレベーターなどをボランティアが一つひとつ見つけ出してリスト化。バリアフリー情報として掲載した。このソチの例を参考に、現在ではロシア国内200都市でもアクセシビリティマップが作られている。

ソチパラリンピックの組織委員会で、ボランティアおよび内部コミュニケーションのマネージャーを務めたDana Vorokovaさんは、ロシア社会の変化についてこう述べている。

「パラリンピックはロシア全体を変え、国民を1つにし、障がいのある人たちに対する社会の態度を変えた」

~パラリンピックのレガシーを受け継いだ大会~
2016年<リオパラリンピック>
2018年<平昌パラリンピック>

これまでのレガシーを受け継いだ大会となったのが、2016年のリオパラリンピックと、2018年の平昌パラリンピックだ。

まず、リオパラリンピックについて見てみよう。

リオパラリンピックの開会式ではボランティアがブラジルの国旗にキスをするワンシーンも

アクセシビリティの面では、公共の場所や観光スポットを中心にバリアフリー化が進み、100万ユーロ近くをかけて道路の舗装、スロープや視覚障がい者誘導用ブロックの設置などが行われた。法的な整備も進み、交通、住居、サービス、教育、スポーツ、市民権の行使における障壁を取り除く新しい法律もできた。

メディアに関する数字も特筆に値する。リオパラリンピックは154の国と地域でテレビ放送され、41億人以上が視聴。ロンドンパラリンピックの38億人と比べ7%増加した。放送時間の合計数は5,110時間近くに上ったが、これは北京とロンドンの合計放送時間よりも多い。

ブラジル国内での放送時間は247時間、累計視聴者数は4億7,200万人に達した。テレビ観戦をきっかけに、ブラジルの多くの人たちが障がいや障がい者に対する意識を変えたに違いない。実際、2017年にサンパウロでユースパラパンアメリカンゲームスが行われた際にはアクセシビリティがさらに改善、「リオのレガシーが受け継がれ続けている」と証言する選手もいた。また、この大会にはリオパラリンピックに参加したボランティアたちが引き続きボランティアとして参加した。さらに、IPCニュースによると、リオパラリンピック後の障がい者の就職率は、開催が決まった2009年と比べ49%増加した。

また、リオパラリンピック同様、韓国で行われた平昌パラリンピックも国内のアクセシビリティ改善に大きく貢献した。同大会開催に向けて、組織委員会は「アクセシビリティ認識プログラム」を立ち上げ、移動はもちろん、設備、備品・アメニティ、家具なども含めたアクセシビリティの強化に尽力。アクセシビリティに優れていると認定した宿泊施設やレストランに認定書を授与することで、取り組みを後押しした。

笑顔で記念撮影をする平昌パラリンピックのボランティア

パラリンピックは、時にその国の「慣習」「道徳」「法律」を変え、社会の在り方を塗り替えてきた歴史がある。次なる舞台は、東京。日本ではすでにパラリンピック教育が進められているが、“心のバリアフリー”が十分に浸透しているとは言い難い。東京パラリンピックはそれを一気に推し進めるチャンスとなる。ホスト国である私たち一人ひとりがその参加者であり、立会人となるだろう。

text by TEAM A
photo by Getty Images Sport