ザ・バンド『ラスト・ワルツ』が史上最高のライブ映画となった理由

ザ・バンドのドキュメンタリー映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』が、10月23日(金)より全国順次公開される。同作で大きくフィーチャーされているのが、彼らの伝説的ラスト・ライブを収めたマーティン・スコセッシ監督の『ラスト・ワルツ』。ライブ映画の常識を変えた手法に改めて迫る。


「この作品は大音量で上映しろ!」というコンサート映画の宣伝でよく使われる決まり文句は、フリーダム・ロックのCMにおける「よし、ボリュームを上げろ」というキャッチフレーズに通ずるものがある。しかし70年代の終わりに、映画『ラスト・ワルツ』のオープニングで黒一色の背景に「この作品は大音量で上映しろ!」のフレーズが白抜きの文字で映し出されると、誰もがこれは冗談で言っているのではないと感じた。本作品は、メーターが振り切るまでボリュームのつまみを目一杯上げて鑑賞すべきだ。

●【画像を見る】ザ・バンド、ボブ・ディランとのツアー未公開写真

映画は、コンサートのラストシーンから始まる。疲れ切ったザ・バンドのメンバーがよろよろしながらステージに戻ると、声を限りの歓声を受ける。「みんな、まだいたのか? もう1曲だけ。それで本当におしまい」と、ギタリストのロビー・ロバートソンが観客に語りかける。リヴォン・ヘルムがストレッチしてドラムの準備に入る。ベーシストのリック・ダンコは、煙草をふかしながら皆に感謝祭を祝う言葉を投げかける。彼らは既に5時間以上に渡り、豪華ゲストを迎えてレパートリーの全てを披露してきた。ピアニストのリチャード・マニュエルとマルチ奏者のガース・ハドソンも加わり、ファンキーな楽曲「ドント・ドゥ・イット」が始まる。マーヴィン・ゲイの「ベイビー・ドント・ユー・ドゥ・イット」をベースにしたカバー曲だ。演奏後、ロバートソンは「おやすみ、さよなら」と言い残してステージを去る。



1976年11月25日、ザ・バンドはオリジナルのラインナップでファイナルコンサートに臨んだ。カナダの吟遊詩人による最後の作品は、オールスターの大スペクタクルショーになった。『ラスト・ワルツ』と銘打ったイベントは、グループの事実上のリーダーで、ロックンロールのツアー生活に疲れ始めたロバートソンとサンフランシスコのプロモーター、ビル・グレアムの手により制作された。金に糸目をつけないファイナルイベントは感謝祭のディナーに始まり、最後はニール・ダイアモンドからニール・ヤングまで全ゲストが参加するセッションで終わる。フェアウェルイベントとしては大規模なものだった。さらに、髭を生やした神経質なマーティン・スコセッシの存在なしには、よくある懐かしのイベントのひとつに終わっていただろう。当初は単にコンサートを記録するだけの計画だった。しかし当時35歳の映画監督の頭の中には、独自のアイディアが浮かんでいた。結局スコセッシは、ロックの歴史の一時代を築いたアメリカンミュージックの先駆者を追った完全なドキュメンタリーとして、それまでで最高のコンサート映画に仕上げたのだ。

撮影からしばらく時間を置いた1978年4月に劇場公開された『ラスト・ワルツ』は、200年後も語り継がれるタイムカプセルだ。酒と薬に囲まれたザ・バンドの全盛期を知らない世代のファンには、ザ・バンドと言えば真っ先に本作品が頭に浮かぶだろう。ある時はロニー・ホーキンズのバー・バンドのメンバーで、またある時はディランの地下室の仲間として彼のエレクトリック・フォークへの転換期を支えたザ・バンド。彼らのアルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』は、時代を変えた。その彼らがファイナルコンサートの会場となったウィンターランドのステージに立ち、ガットバケット・ブルーズからニューオーリンズのリズム&ブルーズ、さらにはヒルビリー・ミュージックのバラードまで一気に駆け抜ける。ビッグ・ピンク・アルバムのインナースリーヴの左側に使われたモノクロ写真では、メンバーが草原に立ってポーズを取っている。この1968年の写真には、ヒッピーとは一線を画す一昔前のギャング風の5人のミュージシャンが収まっている。まるでロック版のドルトン・ギャングだ。一方で1976年の彼らを見ると、ロバートソンはイタリアのジゴロ風に決めて、マニュエルは格子柄のスーツ(「まるでW・C・フィールズが結婚式に着ていくような服だった」とロバートソンは自伝『Testimony』の中で振り返っている)に身を包んでいる。まるでアルバムのA面からB面を通して再生するように、彼らは全てをやり尽くした。16年間ツアーを続けたザ・バンドは、ミュージシャンとして次の機会はないようだ。彼らに残された時間はわずかしかない。

マーティン・スコセッシによる画期的手法

ロバートソンがもう十分だと判断し、ザ・バンドでのライブはこれ以上やりたくないと感じた時、ラストコンサートのアイディアをサンフランシスコでプロモーターをしていたビル・グレアムへ持ち込んだ。サンフランシスコは、彼らがザ・バンド名義で初めて演奏した場所だった。ロバートソンはまた、彼らの最後の姿を映像として残せないかとも考えていた。もともとウッドストックの住人だった彼らは、自分たちの住む場所へと押し寄せた長髪の若者たちに混じり、時代を代表するコンサートへも参加した。しかし彼らのパフォーマンスはドキュメンタリー映画には収録されていない(ほとんどの人は、ザ・バンドがこの3日間の平和と音楽の祭典に出演したことすら知らないだろう)。ロバートソンは、バンドのツアーマネージャーを務めるジョナサン・タプリンが、かつて映画『ミーン・ストリート』をプロデュースしたことを思い出した。さらに同映画の監督は、映画『ウッドストック』の編集にも携わったロックンロールを愛するエネルギッシュなイタリア系アメリカ人だ。というように、自分たちと縁が深い人物がそこにいた。

マーティン・スコセッシは当時、伝統的なハリウッドのミュージカルと新しいハリウッドのリヴィジョニズムとを融合させようとして結局は失敗に終わった映画『ニューヨーク・ニューヨーク』の仕上げ作業に忙殺されていた。そんな時期にロバートソンとタプリンは、スコセッシに連絡を取った。彼は自分の映画を仕上げるまでは他の仕事を受ける気もなかったし、プロデューサーたちも許すはずがなかった。しかしロックの荒々しい一時代の終わりを象徴する出来事に立ち会えるということと、当時のポピュラー音楽を代表する有名人が並ぶゲストリストを目にすれば、依頼を断るという選択肢はなかったはずだ。ビル・グレアムの口述自伝『Bill Graham Presents』によると、スコセッシは「私に選択の余地はない。私がやらねばならない」と述べたという。



感謝祭の夜に行うショーへ向けた一連の作戦会議が、秘密裏に進められた。プロダクション・デザイナーのボリス・レヴェンはサンフランシスコ・オペラハウスからオペラ『椿姫』のセットを借り、さらに映画『風と共に去りぬ』で使用されたシャンデリアも持ち込んで舞踏場を演出することとなった(しかしグレアムは、会場のコンセプトを考えついたのは自分である、とずっと主張していた)。撮影は当時の音楽系ドキュメンタリー映画で一般的に使用されていた16mmのボレックス製手持ちカメラではなく35mmカメラを採用し、一流のカメラ担当を揃えて撮影と同時録音を行った。セットリストと各楽曲の歌詞に合わせた詳細な台本が用意されたため、撮影監督を務めたマイケル・チャップマンはどこに何台のカメラを配置するかを計画できた。さらにカメラは盛り上がる観客ではなく、専らステージ上のミュージシャンに向けられた。「観客中心の映画は、モンタレー・ポップやウッドストックで既に作られてきた」とスコセッシは、リチャード・シッケル著『Conversations With Scorsese』で語っている。「今回の映画は別物だ。音楽を中心としたカメラワーク、編集、ライブ・パフォーマンスの記録など、私にとってはその手法が重要だった」。

全てが画期的だった。『ラスト・ワルツ』は今なお、スコセッシの言うカメラワーク、編集、記録の全てを同じように重視した唯一のコンサート映画といえる。しかしグレアムは事あるごとに、スコセッシのチームが「重要な点を見逃している」と指摘していた。ロバートソンの言葉を借りると「白いハットをかぶったキリストのような」ボブ・ディランを見るために、25ドルも支払って集まった観客に対する配慮が欠けている、とグレアムは主張したのだ。コミュニティ意識に欠ける、と彼は不満を漏らした。しかし大いに盛り上がるステージ上のコミュニティを収めた本作品は、何よりもアーティストのパフォーマンスを優先したコンサート映画に仕上がった。以降スコセッシは、この表現方法を踏襲している。スコセッシ曰く、女の子たちが客席で顔を見合わせて笑うシーンから、タイガービート誌のピンナップのようにリック・ダンコの姿を映し出すことには興味がなかったという。それよりも、ヘルムがダンコの方をちらりと見てビートを刻み、楽曲「オフィーリア」のブリッジへ突入する。彼はそういったシーンが撮りたいと思っていた。ミュージシャンたち、特にザ・バンドのメンバーがスポットライトの下で生み出す魔力の映像化だ。

ザ・バンドは闇に包まれる、しかし音楽は流れ続ける

映画『タクシードライバー』の監督が、ロバートソンとその仲間たちへパナビジョン(訳註:撮影用カメラ)をただ向けていろ、とカメラクルーへ指図するだけでも、ステージ上の魔力を記録できただろう。マディ・ウォーターズが「マニッシュ・ボーイ」を情熱的に歌い上げれば、ニール・ヤングはカナダ人バンドを従えて「ヘルプレス」をリードする。実はその時ステージ袖のカーテンの後ろでは、ジョニ・ミッチェルがコーラスでバックアップしていた(ヤングには、さらなるヘルプも必要だった。ヘルムの自伝『This Wheels on Fire』によると、映像にはヤングの鼻の穴からはみ出ている白いコカインの塊が映り込んでしまっていたという。バックステージでのヤングの行為を隠すため、映画化するにあたり映像に修正を加える必要があった)。そしてヴァン・”ザ・マン”・モリソンは「キャラヴァン」をソウルフルにシャウトする。さらにボブ・ディランによる「いつまでも若く」や「連れてってよ」は、ディランとアメリカーナ音楽との移り気ながら壮大な絆を思わせる(ディランは当初、映画『ラスト・ワルツ』が、自身の「ローリング・サンダー・レヴュー」プロジェクトの一環として制作した映画『レナルド&クララ』の興行に影響することを懸念して、自分が登場する4曲の撮影を拒否したという)。

しかしスコセッシと、編集のジャン・ロブリーとイウ・バン・イーの手法は、注目に値する。楽曲「オールド・ディキシー・ダウン」のビートとシンクロして、バンドのメンバーの映像が次々と切り替わる(ヘルムのサウンドは、かつてこんなに素晴らしいものだったろうか?)。ロバートソンとエリック・クラプトンが交互にギターソロを取る時には、映像が両者を行ったり来たりする。ロニー・ホーキンズとかつての「ホークス」が楽曲「フー・ドゥー・ユー・ラヴ」を演奏し終える時のカメラワークは、彼らの一体感をよく表現している。特に楽曲「ザ・シェイプ・アイム・イン」等に見られるフレーミングは、音楽を引き立たせる手法に対するスコセッシらの造詣の深さが伺える。作品をアンコール曲のシーンから始め、続いてコンサートの冒頭へ戻るというユニークな展開を、35mmのフィルムで壮大に表現した。ライブの体験とツアー生活を終えるバンドへの称賛、すなわち北アメリカの音楽史における栄光の時代に対する感謝の言葉を、表現の技法を駆使して記録しているのだ。



配給会社のユナイテッド・アーティスツは、ロバートソンとスコセッシに追加の撮影分の費用を出すこととなった。コンサートから数ヶ月後、メンバー全員が再結集し、サウンドステージで3曲の演奏シーンを収録した。正確にはラスト・ワルツのコンサート映像ではないが、スコセッシの手腕のおかげでウィンターランドでのコンサートからの流れに見事にマッチした。ザ・ステイプル・シンガーズが参加してゴスペル色を強くした楽曲「ザ・ウェイト」は、正に日曜日の朝の教会での礼拝を思わせる。しかしこの荘厳なパフォーマンスが印象深いシーンになったのは、ロバートソンのダブルネックのギターによるイントロから、各パートを歌うシンガーへと次々に切り替わるカメラワークのおかげだ。特に「アー、アー、アーンド♪」とヘルムからダンコ、ロバートソンへとハーモニーを重ねるパートは見ものだ。ミュージックビデオが普及する遥か前からスコセッシは、音楽のリズムを映像化する手法を身につけていたのだ。コンサートという制限があっても、スコセッシとクルーらは見事にやってのける。自由な環境の下で、彼らは正真正銘のロック・ショーを演出したのだ。

たとえドラッグやメンバーの神経のすり減りやバンド内の緊張感や、あるいは行き過ぎた時代のせいだとしても、メンバーがお互いに別れを告げるのを重荷に感じていることを、スコセッシは他の誰よりも理解していた。映画『ラスト・ワルツ』がコンサートのラストの曲から始まっていることを知らずに鑑賞しても、「最後にもう一曲だけ」という雰囲気は感じ取れるだろう。しかし、並外れたコンサート映画とそれ以上の何かを見たのだと鑑賞者に確信させてくれるのは、作品の最後に流れるインストゥルメンタル曲『ラスト・ワルツのテーマ』のおかげだ。ロバートソンのギターのアップからカメラが引き、アップライトベースを弾くダンコとラップスティルギターのマニュエルがフレームに入ってくる。さらにマンドリンを演奏するヘルムと、オルガンセットに囲まれたハドソンへと映像は移動する。ザ・バンドのメンバーが揃って演奏している。引き続き大音量のまま作品は続く。映像と音楽が完全に融合している。カメラが徐々にステージから離れるにつれ演奏する彼らの影がだんだんと大きくなり、クレジットロールが流れ出す直前にザ・バンドは闇に包まれる。しかし音楽は流れ続ける。曲の最後まで。おやすみ、そしてさようなら。


From Rolling Stone US.


『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』
(原題「ONCE WERE BROTHERS:ROBBIE ROBERTSON AND THE BAND」)
2020年10月23日(金)より角川シネマ有楽町、渋谷WHITE CINE QUINTOほか全国順次公開
(c)Robbie Documentary Productions Inc. 2019
ホームページ:https://theband.ayapro.ne.jp/