はっぴいえんど、遠藤賢司、金延幸子など「日本語フォーク/ロックの源流」名曲15選

はっぴいえんども在籍した1969年設立の先駆的レーベル「URCレコード」のカタログから、日本のポピュラー音楽史を振り返るうえで知っておくべき15曲を紹介する。

高石友也(現:高石ともや)やフォーク・クルセダーズ、ジャックス、岡林信康をマネージメントしていた秦政明は、所属アーティストの作品を大手レコード会社から発売する際に、歌詞の規制とリリース中止を経験。これがきっかけで、表現の規制を受けない自主制作盤を会員に配布する「アングラレコード・クラブ」を1968年に発案し、会員募集を呼びかけた。69年2月からレコードの配布を開始するや、フォーク・ファンの間でたちまち話題となり、同年8月からは作品の一般発売も開始。これが日本におけるインディ・レーベルの走り、「URCレコード」の第一歩となった。

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「アングラレコード・クラブ」(後のURCレコード)会員募集告知(1968年)

フォーク・シンガーのみならず、はっぴいえんどや休みの国などロック勢も所属したURCの作品群は、近年海外で俄かに注目を集めている。その契機となったのが、2017年に米Light In The Atticから発売されたコンピレーション『Even A Tree Can Shed Tears: Japanese Folk & Rock 1969-1973』。はっぴいえんど、西岡たかし、加川良などURC勢の楽曲を多数収めたこのアルバムに続き、同レーベルは2019年に金延幸子の『み空』をリイシュー。海外メディアで金延の存在がクローズアップされるようになった。

レーベル発足から50年を過ぎた今年、新たに『URC 50thベスト・青春の遺産』『URC RAREシングルズ』と、2枚の編集盤が登場。続いて、元所属アーティストたちのインタビューを中心とした書籍『URCレコード読本』も今夏発売されたところだ。

ここでは『URCレコード読本』の冒頭を飾る「後世に残したいURCの50曲」企画から、代表的な15曲をピックアップしてプレイリスト化。多彩なアーティストたちが巣立った”日本語のフォークとロック”の源流、URCの入門編として活用して欲しい。

※以下、掲載曲はリリース年→50音順




五つの赤い風船「血まみれの鳩」(1969年)


URCの第一回配布作品であるスプリット・アルバム、『高田渡/五つの赤い風船』に収録された、西岡たかしによるオリジナル曲。ディレクションは加藤和彦が務めた。プロテスト・フォークの影響下にありながら、シュールな手触りの歌世界を展開。穏やかな語り口で伝える物語は寓話的だが、強烈な色彩を伴って聴き手の五感を刺激する。西岡たかしがシュールさを増幅させた木田高介、斉藤哲夫との共演盤『溶け出したガラス箱』(70年)や、多重録音を駆使したソロ作『満員の木』(73年)も必聴。


中川五郎「腰まで泥まみれ」(1969年)


スプリット・アルバム『六文銭/中川五郎』に収録、今も中川のライブで歌われる重要なレパートリー。1967年、ピート・シーガーの来日公演でこのプロテスト・ソングを目撃、すぐに訳詞をつけて歌い始めた、という伝説が有名だ。実際はシーガ―の来日より前にこの曲を知っていたそうで、それほど敏感なアンテナを持っていた恐るべき高校生シンガーであった。昨年発売された著書『七〇年目の風に吹かれ:中川五郎グレイテスト・ヒッツ』(平凡社)で、当時の活動や心境について詳しく語られている。


中川五郎


休みの国「追放の歌」(1969年)


休みの国は、2016年に他界した”カイゾク”こと高橋照幸によるプロジェクト。ジャックスのライブにローディーとして同行していた高橋と、ジャックスの谷野ひとしを中心にして発足。スプリット・アルバム『休みの国/岡林信康リサイタル』にも後期ジャックスの面々が協力した。最も大きな反響を呼んだのが「追放の歌」で、当時主流の直接的なメッセージ・ソングとは一線を画す、戯画的な筆致で真実をあぶり出す歌詞の鋭さは2020年の今も有効だ。のちに六文銭、斉藤哲夫もこの曲を取り上げた。

岡林信康「今日をこえて」(1969年)


1stアルバム『わたしを断罪せよ』に収録。ここでの演奏は中川イサト(ギター)とジャックスの木田高介(ピアノ)、谷野ひとし(ベース)、つのだ☆ひろ(ドラムス)で、アレンジを担当した中川はジェームス・バートンのサウンドをイメージしたという。歌詞もデビュー当時のリアリズムが変容、早くも脱フォークの前兆が窺える。岡林は次作『見るまえに跳べ』(70年)で、はっぴいえんど共にこの曲を再録音。グルーヴ感を強調し、よりロック色の濃いサウンドに生まれ変わった。


高田渡「鉱夫の祈り」(1969年)


『高田渡/五つの赤い風船』に続く初のフル・アルバム『汽車が田舎を通るそのとき』は、女性との会話を挟みながら弾き語りを進行する構成。前作に収められた「自衛隊に入ろう」の逆説的な表現で注目されたが、この曲では毒とユーモアを抑え、訥々と炭鉱生活の苦しさを訴えていく。滋味溢れる弾き語りは、この時点で20代前半とはとても信じ難い。息子の高田漣は、選曲・監修を担当した父のオールタイム・ベスト盤『イキテル・ソング』(2015年)にこの曲を選び、自身も歌っている。


高田渡(Photo by Shoji Hori)


早川義夫「サルビアの花」(1969年)


ジャックス解散後に発表した初のソロ・アルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』に収録。ドラマティックな歌詞を書いたのはジャックスの「マリアンヌ」や「遠い海へ旅に出た私の恋人」で知られる相沢靖子。無駄を徹底的に省いたアルバムの中でも、この曲のピアノ弾き語りは強烈な印象を残す。もとまろのカバーでヒットしたが、そちらは鬼気迫る原曲と違って、カレッジフォーク風のライトな仕上がり。他にもあがた森魚、甲斐よしひろ、井上陽水など数多くの歌手にカバーされた。

斉藤哲夫「悩み多き者よ」(1970年)


早川義夫に見出され、”若き哲学者”と呼ばれた斉藤のデビュー・シングルA面。ボブ・ディランとジョン・レノンの影響下でこの曲を書き上げた時、斉藤はまだ二十歳前だった。印象的なピアノを弾いたのは渡辺勝(はちみつぱい〜アーリー・タイムス・ストリングス・バンド)。アルバム『君は英雄なんかじゃない』(1972年)には再録音ヴァージョンが収められた。後年オフ・コースがこの曲をカバー。それが縁で2006年、小田和正のテレビ番組『クリスマスの約束』に招かれ、共演を果たした。


遠藤賢司「雨あがりのビル街(僕は待ちすぎてとても疲れてしまった)」(1970年)


1969年、東芝のEXPRESSレーベルからシングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」でデビュー。ファースト・アルバム『niyago』はURCで制作され、バックにはっぴいえんどから細野晴臣、鈴木茂、松本隆が参加した。この曲は、そのはっぴいえんどもライブでカバーしたことで知られる。アコギと歌唱のデリケートなニュアンスを活かした編曲のさじ加減が絶妙。2014年に発売された『ひとりぼっちのNIYAGO』は『niyago』の直前に録音された音源で、シンプルな弾き語りヴァージョンが聴ける。


遠藤賢司(Photo by Shoji Hori)


加川良「教訓1」(1971年)


URCの楽曲を管理する音楽出版社で働いていた加川は、この曲を1970年の中津川フォーク・ジャンボリーで歌い、一躍URCの看板スターに。翌71年のファースト・アルバム『教訓』にも収められたこの反戦歌は、上野瞭の「教訓ソノ一」を下敷きにして生まれたものだ。加川は2017年に他界したが、その翌年、加川と交流があったハンバート ハンバートが『FOLK 2』で歌詞を一部変えてカバー。そのヴァージョンを自宅で弾き語る動画を女優の杏がYouTubeで公開し、突如「教訓1」が注目されたことも記憶に新しい。



ザ・ディランⅡ「プカプカ(みなみの不演不唱)」(1971年)


1969年、大塚まさじが大阪の難波で開店した喫茶店「ディラン」の常連だった西岡恭蔵、永井ようと大塚によって結成されたのがザ・ディラン。西岡の離脱後にザ・ディランⅡが発足、デビュー・シングルのB面に選ばれたのが西岡作の「プカプカ」だった。大塚は今年リリースしたライブ盤『ゾウさんのうた Live at 一会庵』でもこの曲を歌っている。原田芳雄、大槻ケンヂ、つじあやの、曽我部恵一、羊毛とおはな、ハナレグミなど多くのカバーが生まれスタンダード化。西岡の自演版も人気が高い。


ザ・ディランⅡ


はっぴいえんど「夏なんです」(1971年)

作詞:松本隆、作曲:細野晴臣で、細野がリード・ヴォーカルを取ったセカンド・アルバム『風街ろまん』収録曲。ジェイムス・テイラーやトム・ラッシュの唱法をお手本に、自身の声質に合った唱法を模索していた細野が、前作以上にシンガーとしての存在感を発揮。『HOSONO HOUSE』(73年)の到来を予感させる。洗練されたマジカルなコード進行、穏やかなヴォーカルが、真夏の『風街』を切り取った歌詞と見事に合致。前述のコンピ『Even A Tree Can Shed Tears』にも収録された。


金延幸子「時にまかせて」(1972年)

秘密結社○○教団、愚の一員としてURCからシングルをリリース後、ソロ活動を開始した金延は、大瀧詠一のプロデュースで71年にビクターのSFレーベルからシングル「時にまかせて/ほしのでんせつ」を発表。しかしポップ志向の大瀧と意見が合わず、金延のイメージとはかけ離れた仕上がりになったという。ファースト・アルバム『み空』は細野晴臣にプロデュースを委ね、「時にまかせて」もカントリー・ロック調に変身。『URCレコード読本』には金延自身による『み空』の全曲解説が掲載されている。


金延幸子

友部正人「一本道」(1973年)

名古屋での活動を経て、「大阪へやってきた」で歌われている通りに10トントラックで大阪に到着。大塚まさじによると、無口でほとんど喋らないが、ひと度ギターを持って歌い始めると強烈な個性を発揮する友部は「皆が一番恐れた男」だったそうだ。デビュー・アルバム『大阪へやってきた』(72年)は一部にはっぴいえんどの面々などが参加したが、2作目の『にんじん』は他者の入る隙が一切ない濃密な弾き語り作品に。映画1本分に匹敵するドラマが凝縮された「一本道」は同作のハイライトだろう。


なぎらけんいち「昭和の銀次」(1973年)

五つの赤い風船や高田渡などURC勢の作品に刺激されたなぎらは、1970年、中津川フォーク・ジャンボリーに飛び入り出演して注目された。72年にビクターのSFレーベルからアルバム『万年床』でデビュー。2作目『葛飾にバッタを見た』は、念願叶ってURCから発売。コミカルな「悲惨な戦い」ばかり語られがちだが、アメリカの伝承歌を踏まえたバラッド(物語歌)の巧さも絶品。スリの生活をテーマにした「昭和の銀次」は、車窓から小菅の拘置所を眺めている時に思い浮かんだという。


なぎらけんいち(なぎら健壱)


三上寛「赤い馬」(1974年)

URCでの2枚目のスタジオ・アルバム『BANG!』は、山下洋輔のマネージャーだった柏原卓が制作に関与し、ジャズに急接近。7分に及ぶこの大曲も、山下と共に訪れた沖縄での”サイケデリックな想い出”から生まれたものだ。『ひらく夢などあるじゃなし』(72年)とはやや異質な心象風景を思わせる歌詞に、山下を中心としたジャズ・ロック/プログレッシブ・ロック的な演奏が溶け合い、唯一無二の世界を形成。コード進行の一部は、意外にもビートルズ「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に影響されたそうだ。

●【画像を見る】URCレコード、当時の貴重写真・資料(16点)



『URCレコード読本』
発売中
本体 1800円+税
A5判 192ページ

〈CONTENTS〉
名曲セレクション
後世に残したいURCの50曲
URCレコードの歴史(小倉エージ)

アーティストによる証言①
高石ともや
中川五郎
中川イサト
休みの国

元ディレクターによる証言
レコード制作現場の実状(小倉エージ)

アーティストによる証言②
金延幸子
スティーヴ・ガンが語る金延幸子の魅力
斉藤哲夫
大塚まさじ
三上 寛
なぎら健壱
古川 豪
やぎたこが語るレジェンドたちとのコラボ

世代別URC体験トーク・セッション
Soggy Cheerios(鈴木惣一朗×直枝政広)
中村ジョー(イーストウッズ/元ザ・ハッピーズ)×石垣窓(フリーボ)
佐藤良成(ハンバート ハンバート)×前野健太

コラム
岡林信康:『岡林、信康を語る』で明かされたURC在籍時の心情
高田 渡~永遠の「仕事さがし」
今日的視点で見るURCレコードの後継者たち
URC50周年記念コンピレーションCD

詳細・購入:https://www.shinko-music.co.jp/item/pid0648579/