史上最高のベーシスト50選

ファンクマスターからプログレの神童、スラップ奏法の達人から超一流のセッションミュージシャンまで。ローエンドとは何たるかを体現してきた史上最高のベーシスト50人をカウントダウン形式で紹介。

「ベースこそが土台なの」数々の名演を残した伝説的セッションミュージシャン、キャロル・ケイはかつてそう語った。「ベーシストはドラマーと一心同体となってビートを生み出す。彼らの演奏は音楽を支える枠組みになる」

ポール・マッカートニーによるヒプノティックな「カム・トゥゲザー」のリフ、ジェームス・ブラウンの「セックス・マシーン」におけるブーツィー・コリンズの狡猾なバンプ、あるいはトーキング・ヘッズのティナ・ウェイマスが「サイコ・キラー」で刻むミニマルなパターンまで、優れたベースラインはまるで呪文だ。永遠に鳴り止むことがないかのように感じられるそのフレーズは、聴けば聴くほどに豊かさを増していく。ギタリスト/シンガーや管楽器奏者がスポットライトを浴び、ドラマーが溢れんばかりのエネルギーを全身で表現するのに対し、ベーシストは曲が終わった後も頭の中で延々と鳴り続けるような、楽曲における根本的な何かを生み出す。

ベーシストは然るべき評価を得られないことも多く、バンド内でさえ過小評価されることもある。「一番人気のあるパートではなかった」スチュアート・サトクリフ脱退後にベーシストとしてビートルズに加入したときのことについて、ポール・マッカートニーはそう語っている。「誰もベースはやりたがらなかった。みんな目立とうとしてたからね」

ポピュラー音楽に不可欠なベースという楽器は独自の歴史を築き上げてきた。デューク・エリントンのオーケストラでアップライトベースを弾いたジミー・ブラントン、ビバップのパイオニアたるオスカー・ペティフォード、ジャズ界の巨人チャールズ・ミンガスやロン・カーター。あるいは、セッションミュージシャンとして無数の名演を残したキャロル・ケイやジェームス・ジェマーソン。ロックの闘士ことクリームのジャック・ブルースやザ・フーのジョン・ウェントウィッスル。ファンクの達人ブーツィー・コリンズやスライ&ザ・ファミリー・ストーンのラリー・グラハム。プログレの神童たるイエスのクリス・スクワイアやラッシュのゲディ・リー。フュージョンの代名詞となったスタンリー・クラークやジャコ・パストリアス。パンク/ポストパンクを極めたティナ・ウェイマスやミニットメンのマイク・ワットまで、歴史に名を残すベーシストの枚挙には暇がない。オルタナロック全盛の時代には、直感的なプレイでソニック・ユースの核を成したキム・ゴードンや、プライマスで超絶テクニックを見せつけたレス・クレイプールが登場した。より最近では、エスペランサ・スポルディングやサンダーキャットがローエンドを基調とする音楽的世界観を確立してみせた。

【ランキング一覧】ローリングストーン誌が選ぶ、史上最高のベーシスト50選

ここでは本誌が発表した「史上最高のドラマー100選」と同様に、あらゆる時代やスタイルを選出対象としている。本企画は単にテクニックの優れたプレイヤーを讃えるのではなく、「偉大な」ベーシストの基準を定めようとするものでもない。ここで選出されているのは、ロックやファンク、カントリー、R&B、ディスコ、ヒップホップ等、半世紀に及ぶ歴史の中で誕生した(ケイの言葉を借りるならば)ポピュラー音楽の土台の構築に貢献したベーシストたちだ。超絶技巧で知られるテクニシャンもいれば、ミニマルなコンセプトによってバンドの音楽性を支えたプレイヤーも登場している。

「手に取り、ネックの上で指を滑らせ、感触を確かめるんだ」レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーは以前、ベースの魅力についてこう語っている。「スラップしたり引っ張ったり、弾いたり叩いたりするうちに、自分が魔法にかかったように思えてくる。運が良ければあらゆる思考から解放され、自分自身がコードとスピーカーを通じて伝わってくるリズムの媒体となって、神から与えられたベースという楽器と一体化できるんだ」

ベースという楽器の魅力の虜となり、音楽史に大きな足跡を残したベーシスト50人を以下で紹介する。

50位 サンダーキャット

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ヒップホップ、ジャズ、R&B、エレクトロニカ等において、過去10年の間にその定義を押し広げたアーティストたち(ケンドリック・ラマー、ジャネール・モネイ、フライング・ロータス、カマシ・ワシントン、エリカ・バドゥ、チャイルディッシュ・ガンビーノ等)の作品には、かなりの高確率でサンダーキャットの名前がクレジットされている。音楽家が多い家庭に生まれたスティーヴン・ブルーナーことサンダーキャットは、若くしてスラッシュパンクの生ける伝説スイサイダル・テンデンシーズでベースを弾き始めた。その後も目を剥くようなテクニックに磨きをかけていった彼は、自身のルーツであるクラシックなファンクやフュージョンを、ヨット・ロックやニューメタル、そしてネオ・ソウル等と融合させた唯一無二のスタイルを確立し、ベース界における英雄として知られるようになった。遊び心に満ちたエキセントリックなオリジナル曲から無数のコラボレーションまで、6弦ベースから繰り出されるファットでリッチ、それでいて十分なエッジを備えたサウンドは常に抜群の存在感を放つ。「一般的な使い方に囚われなければ、どんな楽器も無限の表現力を発揮するんだよ」彼は2013年のインタビューでそう語っている。「ベースは俺にとっての支えであり、最高に頼もしい相棒さ」




49位 ダフ・マッケイガン

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ガンズ・アンド・ローゼズに加入するまで、ダフ・マッケイガンはほとんどベースを弾いたことがなかった。シアトルの80年代前半のパンクシーンの住人だった彼は、ギタリストおよびドラマーとしてのバックグラウンドと、ベースにおける独自のアプローチで「イッツ・ソー・イージー」や「ユー・クッド・ビー・マイン」等にラフなエッジを添えている。ベースの弾き方を学ぶにあたり、マッケイガンはプリンス(「R&Bのリズムにハマってたんだ」彼はかつてそう語っている)、レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズ、ザ・クラッシュのポール・シムノン、モーターヘッドのレミー・キルミスター、そして(意外にも)ポストパンクのグループ、マガジンのバリー・アダムソン等のスタイルを参考にしたという。「マガジンの曲ではベースの存在感が際立ってる。彼はベースにコーラスペダルを繋いでたんだ」ガンズの曲におけるガラスを思わせるスペーシーなベースサウンドを生み出しているコーラスエフェクトの使い方を、彼はそこから学んだという。その個性的なサウンドは、『アペタイト・フォー・デストラクション』『ユーズ・ユア・イリュージョン』において抜群の存在感を放っている。スラッシュやアクセル・ローズと共にバンドのサウンドの核を担った彼は、80年代と90年代のハードロックに大きな影響を与えたが、彼自身はそのことを自覚していない。「誰がそんな風に評価してるんだろうね」彼は以前そう話している。「俺はそういうことに無頓着なんだ。自分のサウンドは気に入ってるけどね」




48位 キム・ディール

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1986年当時、医療事務所で受付嬢として働いていたキム・ディールは、Boston Phoenix紙に掲載された「ハスカー・ドゥ、ピーター・ポール&マリーが好きなベーシスト募集」という広告を目にした。名乗り出たのは彼女だけだったが、彼女の憂いを帯びた歌声とパンク譲りのベースサウンドは、ピクシーズに見事にフィットした。『ドリトル』の1曲目「ディベイサー」の冒頭を飾るヒリヒリするようなベースのトーンや、「ジガンティック」(彼女が作曲した数少ない曲のひとつ)における催眠術のようなシンプルなライン等、彼女のベースは紛れもなく楽曲のアイデンティティとなっていた。彼女はプレイヤーとしてのエゴを排除することで、逆にベーシストとしての自身の魅力を発揮してみせた。「そういうのができなくて、目立ちたがる人もいるわ。特に『本物の』ベーシストはそうかもね」。「ホエア・イズ・マイ・マインド」におけるシンプルなベースパートについて、彼女はそう語っている。「そういうプレイヤーは、自分の存在を作品に反映させようと躍起になる。流すってことができないのよ」




47位 リーランド・スカラー

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シンガーソングライターが全盛期だった70年代のセッションミュージシャンに求めれられたもの、それはシンガーあるいは楽曲に寄り添い、バラードやミッドテンポのロックをしっかりと支えるスキルだった。その技術を磨き上げたリーランド・スカラーは、ジェイムス・テイラーやジャクソン・ブラウン、キャロル・キング、デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュ等の信頼を勝ち取った。「自分たちがあくまで主役のサポートであることを、私たちは理解していた」当時のロサンゼルスのシーンを支えていたスタジオミュージシャンたちについて、スカラーはそう話している。「自分のカラーを無理に出そうとせずとも、私たちはアイデンティティを確立できたんだ」。目立たないがメロディックな彼のベースは、テイラーのクラシックの数々(「きみの友だち」「ハンディ・マン」「Your Smiling Face」等)、ブラウンの「ドクター・マイ・アイズ」や『孤独なランナー』の全編、ジーン・クラークのカルトクラシック『No Other』等で耳にすることができる。80年代には「ドント・ルーズ・マイ・ナンバー」を含むフィル・コリンズのレコードの大半に参加したほか、ウェザー・ガールズのダンスアンセム「ハレルヤ・ハリケーン」ではファンクのタッチを添えてみせた。クロスビーが「世界最高のプレイヤー」と呼んだのも納得だ。




46位 ピーター・フック

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属するシーンも世代も異なるものの、時代を象徴するグルーヴィーなキラーリフを生み出し、筋金入りのアウトローとして数々の逸話を残してきたピーター・フックは、常にキース・リチャーズと比較されてきた。ジョイ・ディヴィジョンとニュー・オーダーのベーシストとして、彼は70年代および80年代のポストパンクにおけるベースの役割を定義し、無数のアート志向の若者たちが「シーズ・ロスト・コントロール」のメロディックなラインや、極端に低い位置で弾くプレイスタイルをコピーした。マンチェスター出身のミュージシャンの多くと同様に、フックはセックス・ピストルズに感化されてパンクバンドを始めた。彼のベースはジョイ・ディヴィジョンにおいてリード楽器の役割を担い、「トランスミッション」や「ノー・ラヴ・ロスト」等の暗澹としたクラシックを生み出した。ハイポジションを多用する個性的なスタイルは、シンガーのイアン・カーティスのアイディアだったという。「俺がハイポジションをよく使うのは、低音が聴き取れなかったからなんだよ。とんでもないオンボロのアンプを使ってたからな。でもイアンは気に入ってた」。ジョイ・ディヴィジョンがニュー・オーダーとして生まれ変わり、「エイジ・オブ・コンセント」等のクラブアンセムを生み出すと、彼は当代随一の人気ベーシストとなり、無数のフォロワーを生み出した。レディオヘッドのコリン・グリーンウッドはこう語っている。「ハイポジションを使ってクールなトーンを鳴らすフッキーのスタイルが好きだった。低音部と高音部を頻繁に行き来する僕のベースプレイは、彼の影響を受けてるんだよ」。物議をかもす発言も数多く残してきた彼は、これまでに爆笑必至の自叙伝を3作発表しているが、(それとは無関係かもしれないが)ニュー・オーダーの他のメンバーとの関係は良好ではないようだ。



45位 エスペランサ・スポルディング

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エスペランサ・スポルディングのライブを一度観ただけでは、彼女の真価を知ることはできない。オールドスクールのスタンダードを囁くように歌い上げる一方で、スムーズなR&Bや唸るようなプログレロックまでを飲み込んだオリジナル曲は大胆なまでにフューチャリスティックだ。その原動力となっているのは、巧みで極めて多彩な彼女のベースプレイに他ならない。親交のあったプリンスの曲の超絶ファンキーなカバーを披露し、優美でしなやかなエレキベースのフレージングによってバンドを束ね、ステージではウェイン・ショーターやテリ・リン・キャリントン、ジャック・ディジョネット、ジョー・ロヴァーノ等と壮絶なインプロセッションを繰り広げる。幼くしてヴァイオリン奏者として類まれな才能を発揮した彼女は、高校在学中にふとしたことからベースを弾くようになる(「ある日目覚めると、自分が仕事上のパートナーに恋をしていることに気付く、そんな感じだったの」彼女はベースを選んだ経緯についてそう話している)。それ以降進化を続け、21世紀において最も才能あるベーシストの1人として知られるようになった彼女は、これまでに4つのグラミー賞を獲得している。ドラマーでスポルディングのコラボレーターのキャリントンは2018年のインタビューで、彼女を過去のジャズベース界の偉人たちと比較することはフェアではないと語っている。「女性的な要素を取り入れることは、音楽の世界じゃ今は当たり前になってる。(50年代および60年代のジャズ界のレジェンド)ポール・チェンバースだって、彼女のようには弾けなかったんだから」キャリントンはスポルディングについてそう話している。「彼女はひとつのスタイルに固執しない。どこか儚くもあるんだけど、だからこそ美しい」




44位 ジョセフ・マクワラ


ジョセフ・マクワラ(Joseph Makwela)は南アフリカにおけるベースのゴッドファザーだ。60年代および70年代のヒット曲を演奏するレジデントバンドだったマッコナ・ツホーレ・バンド(モータウンのファンク・ブラザーズ、あるいはロサンゼルスのロッキング・クルーにに対する南アフリカからの回答と呼ばれた)の中心メンバーだった彼は、ムバカンガと呼ばれるスタイルのサウンドを生み出した。南アフリカ初のエレキベースプレイヤーとなった彼は、ザ・シャドウズのライブを観たことをきっかけに南アフリカに楽器を輸入した白人から、中古のベースを購入したという。アパルトヘイトによる人種差別が横行するなか、マクワラは独自のスタイルで南アフリカの音楽を生まれ変わらせた。ポール・サイモンの『グレイスランド』でベースを弾いたバキティ・クマロは、マクワラに影響を受けたと公言している。「ジョセフ・マクワラは、私が初めて観たエレキベースのプレイヤーだった」クマロは2016年にBass Player誌にそう語っている。「フレットレスベースを弾き始めた時、ハイポジションでメロディーを奏でる彼のスタイルを参考にしていた」。アグレッシブでアッパーな彼のプレイスタイルは、ムバカンガのクラシックであるマホテラ・クイーンズの「Umculo Kawupheli」や、マハラティーニの「Ngicabange Ngaqeda」におけるグルーヴの核となっている。『グレイスランド』と名コンピ『The Indestructible Beat of Soweto』によってムバカンガが世に知れ渡ったことをきっかけに、マッコナ・ツホーレ・バンドは80年代に再結成を果たした。




43位 マイク・ワット

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70年代後半、シンガーのD・ブーンとドラマーのジョージ・ハーリーと共に、カリフォルニアのサンペドロでミニットメンを結成したマイク・ワットは、ポピュラー音楽史上屈指のラディカルなアプローチを実践してきた。「彼はベースとドラムを徹底的に前に出そうとしていた」ワットはブーンについてそう語っている。「まるで財産を再分配するかのようにね。面白いアイディアだと思ったよ。ある集団の一部として演奏することは、他のプレイヤーたちと高度なコミュニケーションを試みることだと思ってるんだけど、彼のアイディアは俺のそういう考え方ともマッチした」そのコンセプトを核とし、ワットはファンクやジャズ、フォークにブルース、さらにはラップまでをも消化することでパンクを生まれ変わらせ、簡潔で尖った楽曲を数多く生み出した。1982年発表の「Bob Dylan Wrote Propaganda Songs」のイントロにおける雷鳴のようなベースは、ワットがハードコアのシーンのどんな猛者とも対等にやり合える強者だったことを物語っている。ミニットメンだけでなく、彼がハーリーと始めたfIREHOSE、パンクシーンにおけるベーシスト仲間でかつては妻でもあったKira Roesslerと結成したDos、再結成後のストゥージズ、そして現在も活動中の自身のグループにおいても、彼のスタンスは変わらない。ヒーローの1人と崇めるクリームのジャック・ブルースがそうだったように、ワットはベースを前に出そうとすることでプレイヤーとしての真価を発揮する。快活で溢れんばかりのエネルギーに満ちたフレーズの数々は、パンクの生ける伝説と呼ばれる彼の多弁ぶりを物語るかのようだ。




42位 トニー・レヴィン

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トニー・レヴィンの唯一無二のスタイルは、ジョン・レノンやデヴィッド・ボウイ、そしてシェールの作品でも耳にすることができる。しかし最も広く知られているのは、キング・クリムゾンとピーター・ガブリエル(レヴィンのことを「ボトムエンドの皇帝」と呼んだ)の作品への参加だろう。ガブリエルのヒット曲「ショック・ザ・モンキー」等におけるクールなタッピングによって、彼はチャップマン・スティックのサウンドを世に広めた。70年代にセッションミュージシャンとしてキャリアをスタートさせた彼は、ポール・サイモンのナンバーワンヒット「恋人と別れる50の方法」にもクレジットされている。ガブリエルがジェネシス脱退直後にレヴィンに声をかけて以来、2人の蜜月は現在に到るまで続いている。「ビッグ・タイム」も「スレッジハンマー」も、レヴィンなしでは生まれ得なかっただろう。7年の休止期間を経てキング・クリムゾンを再始動させたロバート・フリップは、『ディシプリン』を生み出す80年代の黄金ラインナップの1人としてレヴィンを迎えた(彼はベーシストとして、クリムゾンにおける最長在籍記録を保持している)。またレヴィンは「スリップ・アウェイ」と「ホエア・アー・ウィ・ナウ?」という、後期のボウイの傑作バラードでもソウルフルなベースラインを弾いている。彼は自身のパーカッシブなアプローチをサポートする「Funk Fingers」なるガジェットも発明した他、自身のプロジェクトであるスティック・メンの「Not Just Another Pretty Bass」では、チャップマン・スティックの新たな可能性を引き出してみせた。「敢えて言うと、オスカー・ペティフォードがジャズでやっていたことを、俺はロックやポップにおけるベースに落とし込んだんだよ」レヴィンは2013年に、その独創的なスタイルのルーツについてそう語っている。「口で説明するのは難しいけど、簡潔に言うとすれば、あるべき音をあるべきフィーリングで鳴らすってことさ」
 



41位 ジョージ・ポーターJr

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ミーターズのベーシストであるジョージ・ポーターJr、そしてドラマーのジガブー・モデリストが生み出す極めてタイトなグルーヴは、彼らの本拠地であるニューオーリンズのユルいパーティーのバイブスを体現している。ポップス史上最もファンキーなバンドのひとつに今も在籍する彼が、「シシー・ストラット」「ファンキー・ミラクル」「ジャスト・キッスド・マイ・ベイビー」「ハンド・クラッピング・ソング」等のファンククラシックで聴かせる液体のように滑らかなラインの数々は、故郷のセカンド・ライン・パレードの快活なムードを宿しており、腰にくる低音がスピーカーのコーンを激しく揺さぶる。大傑作の2ndアルバム『ルッカ・パイ・パイ』に収録されている「パンジー」において、ごくわずかなスペースにシンコペーションのパターンを刻んでいくさまは圧巻だ。ポーターとミーターズの功績はヒップホップの発展に大きく貢献し、ア・トライブ・コールド・クエスト、サイプレス・ヒル、N.W.A、パブリック・エネミー等が彼らの曲をサンプリングしている。またプロデューサーのアラン・トゥーサンのお気に入りでもあったポーターは、パティ・ラベルやドクター・ジョン、ロバート・パーマー、リー・ドーシー、アーニー・K・ドゥ等の作品でもベースを弾いている。ポーターは自身のユニークなスタイルについて、多様な音楽的バックグラウンドが基盤になっていると語る。「僕はクラシックギターを学んでいたから、ベースのフォーミュラが理解できた。レッスンで弾いてたのはカントリーやウェスタンの曲だったけどね」彼はつい先日そう話している。「でも僕は、ベースラインのセオリーとコードを同時に吸収しようとしてたんだ。だから機会が訪れた時に、僕は迷わずギターからベースに転向した」



40位 ビル・ブラック

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エルヴィス・プレスリーの初期ベーシストであり、ザ・ブルー・ムーン・ボーイズ(プレスリーとギタリストのスコッティ・ムーアとのトリオ)のメンバーでもあったビル・ブラックは、時代を代表するプレイヤーとしては記憶されていなくとも、革新的だった彼のスラップベースのテクニックは、世界を変えたプレスリーのロックンロールに不可欠な要素だった。「ビルは世界で最もお粗末なベーシストの1人だった」サン・レコードのオーナーだったサム・フィリップスはかつてそう語っている。「ただ、スラップだけは最高だったんだ」。彼が生み出すアップライトベースの前のめりなサウンドは、プレスリーの初期のヒット曲「ハートブレイク・ホテル」や「ザッツ・オールライト」等において、ドラムの不在を感じさせないほど豊かなリズム感を生み出していた。「ハートブレイク・ホテル」におけるビルのプレイに夢中だったポール・マッカートニーのために、妻のリンダ・マッカートニーは彼がそのセッションで使ったダブルベースの所在を70年代に突き止め、彼の誕生日にプレゼントした。プレスリーの最初のB面曲となったカントリーの名曲「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」のレコーディングにおけるブラックの役割について、ムーアはかつてこう語っている。「ビルはダブルベースの弦を思い切り叩きながら、ファルセットであの曲を歌った」彼はそう話す。「あれこそビルの真骨頂だった。音源はバラードだったけど、ビルはテンポを上げて歌い、狂ったようなペースでベースラインを弾いてた。エルヴィスはそれをものすごく気に入ってたよ」




39位 キム・ゴードン

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インディー/オルタナロックのパイオニアとして脚光を浴びた全盛期においても、アート色の強いミュージックビデオやチューニングを無視したギターのレイヤー等をトレードマークとしたソニック・ユースは、シーンの王道からはかけ離れた存在だった。中でもキム・ゴードンのベースは、バンドのアイデンティティの重要な部分を占めていた。80年代前半にソニック・ユースを結成した時、彼女は一度もベースを弾いたことがなかった。自身が認めているように、彼女のスキルは達人の域には程遠い。しかし、破壊した上で再構築されたギターを使用するなど、あらゆる面で実験的であろうとするバンドのヴィジョンに、彼女の直感的なスタイルは見事にマッチしていた。「私のミニマルなアプローチはバンドの音楽性にフィットしてた」彼女はそう話す。「サーストン(・ムーア)がメロディを弾く曲では、ただルート音を弾いたこともあった。私はテクニカルなプレイヤーになることを求められていなかったの」。初期のダークな「ブレイヴ・メン・ラン(イン・マイ・ファミリー) 」、キャリアの絶頂を迎えた90年代の代表作『ダーティ』(「ユース・アゲインスト・ファシズム」「シュガー・ケーン」)、そして憂いを増した後期の「ジャムズ・ラン・フリー」に至るまで、近づいてくる地下鉄を思わせるゴードンのシグネチャーサウンドとグルーヴは、バンドのあらゆる作品で耳にすることができる。




38位 ピノ・パラディーノ

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2002年にジョン・エントウィッスルが突如この世を去った時、ザ・フーは地球上のあらゆるベーシストをヘッドハンティングできたに違いないが、彼らはピノ・パラディーノに白羽の矢を立てた。ウェールズ出身の彼は、過去にジェフ・ベックやエルトン・ジョン、ジョン・メイヤー、ドン・ヘンリー、B.B.キング等の作品に参加していた。しかし彼の主戦場はR&Bであり、ディアンジェロが2000年に残したマスターピース『ヴードゥー』、同年に発表されたエリカ・バドゥの『ママズ・ガン』等にこそ、彼の真骨頂が発揮されている。両作におけるパラディーノのスムーズでシンコペーションの効いたグルーヴは、彼のヒーローで60年代のモータウンのレコードに数多く参加したジェームス・ジェマーソンを彷彿とさせる。キャリア史上最大の機会となったザ・フーへの加入のほか、彼はナイン・インチ・ネイルズやサイモン&ガーファンクルのツアーでもベースを弾いている。「ザ・フーに加入する話が来た時、ディアンジェロやエリカ・バドゥと仕事をしていた僕は、自分のスタイルを大きく変えないといけなかった」彼はそう話す。「彼らのマネージャーにこう言われたんだ。『ジョン(・エントウィッスル)が死んだ。3日後にハリウッド・ボウルで開かれるコンサートで弾けるか?』ってね。当然引き受けたけど、それが何を意味するのかを後になって理解したんだ。ピート・タウンゼントの指示はこうだった。「好きなように弾けばいい、ただし爆音でな!」




37位 ジョン・マクヴィー

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前人未踏の50年というキャリアにおいて、文字通り波乱万丈の道のりを歩んできたフリートウッド・マックにおいて、オールドスクールのロックの手堅さとカリフォルニアらしいスムーズなグルーヴを融合させ、思いやりのある性格でも知られるジョン・マクヴィーは、まさにバンドの精神的支柱というべき存在だ。60年台半ばにジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズのメンバーとして活動を開始した彼は、その後フリートウッド・マック(バンド名の一部は彼の名前からきている)に加入し、ジャムバンド色が強かったピーター・グリーン主導の時代から、大ブレイクを果たしたバッキンガム&ニックス期に到るまで、ドラマーのミック・フリートウッド(彼の名前もバンド名に反映されている)と強固な絆を育んできた。「オウン・ウェイ」や「リアノン」等の大ヒット曲には、レイドバックしたロサンゼルスのバンドにはない確かなタフネスが宿っていた。音楽ドキュメンタリー『Classic Albums』の『噂』のエピソードでは、フリートウッドがマクヴィー作の「オウン・ウェイ」のプレイバックを聴きながら「ジョン、お前はモンスターだ」と賛辞を送っている。「ザ・チェイン」でのアイコニックなベースブレイクは、一度聴けば二度と忘れない強烈なインパクトを残す。「キックにピッタリと音を重ねることを常に意識している」マクヴィーはそう語っている。「ミックには俺の考えてることがわかるし、その逆も然りだ。それが俺たちのグルーヴを支えてるんだよ、多分だけどね」



36位 レス・クレイプール

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80年代のベイエリアはスラッシュファンクのベースプレイヤーで溢れ返っていたが、アグレッシブなチョッパーという点では、レス・クレイプールの右に出る者はいなかった。ひょろ長いプライマスのリーダーはベースをリード楽器のように扱い、左手でフレットボードを凄まじいスピードで連打したり(「レース・カー・ドライヴァー」でのモールス信号のようなイントロ)、目にも止まらぬ高速ストラミング(「プディング・タイム」)等を得意とした。「ベースを弾き始めた頃に俺が自分に課した重大ルールのひとつは、指3本で弾くってことだった」彼はそう語っている。「大半のプレイヤーは2本の指で弾いてたから、3本使えばもっと早く弾けると思ったんだ」。その親指の強靭さが尋常でないことは確かだが、キャプテン・ビーフハートやブーツィー・コリンズの影響を受けたという彼の折衷したプレイスタイルは、ボス猫や神話上の漁師、猟奇的な山人等をテーマにした(本人は「アングラおとぎ話」と形容している)楽曲と見事にマッチしている。メタル譲りのリフ(「ザ・トイズ・ゴー・ワインディング・ダウン」でのミュート3連符)から中東のラーガまで、様々なプレイスタイルを操るクレイプールは、ジャムセッションの達人たちからなるオイスターヘッドやColonel Claypools Bucket of Bernie Brains等、複数のサイドプロジェクトでも即興演奏のスキルを遺憾なく発揮しているほか、現在進行中のショーン・レノンとのプロジェクトでは、フィル・レッシュにも通じるプログレッシブなサイケを追求している。クレイプールの最大の功績は、ベースがボトムエンドを支えるだけの楽器ではないことを証明したことだ。「彼のベースに対するアプローチには驚かされた」90年代にクレイプールとツアーに出たラッシュのゲディ・リーはそう話している。「私から大きな影響を受けたと話していたけど、彼のスタイルは唯一無二だ。そのリズム感には少し嫉妬を覚えるくらいさ」




35位 ルイス・ジョンソン

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マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」におけるシャッフルベースは楽曲のアイデンティティの一部だが、ルイス・ジョンソンがキャリアを通してこのスタイルにこだわり続けたとしても、彼は本リストに登場しただろう。クインシー・ジョーンズのお気に入りのセッションベーシストの1人である彼は、70年代後半〜80年代前半に生まれたポップス史上最も洗練された楽曲の数々でベースを弾いている。ジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」のフックにおける、彼のダイナミックなボーカルに引けを取らないスピード感と正確さを誇るベースラインは、彼がメロディックなベースラインというコンセプトを生み出したジェームス・ジェマーソンの正統な後継者であることを証明している。一方でジョンソンは、ラリー・グラハムの専売特許であるチョッパー奏法の魅力も理解していた。マイケル・マクドナルドの「アイ・キープ・フォーゲッティン」における硬質でクールなローエンド(冒頭から10秒の部分に登場するリフには一体幾つの音が詰め込まれているのか?)のプレイは、無数のヒップホップのプロデューサーたちをインスパイアしたはずだ。「当時俺が知っていたことのすべてを、あいつにじっくりと教えてやった」ジョンソンの兄でバンドメンバーでもあったジョージ(ルイスのThunder Thumbsというニックネームに対し、彼はLightnin Licksという愛称で呼ばれていた)は、弟にベースを始めさせた時のことについてそう語っている。「アメフトでいうと、あいつはクォーターバックみたいな花形プレイヤーだった。ボールを持ったら一気に走り出し、毎回必ずタッチダウンを決めるんだ」




34位 リチャード・デイビス

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エリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』やアンドリュー・ヒルの『Point of Departure』等の先鋭的ジャズの名作から、ヴァン・モリソンによるフリーフォークの金字塔『アストラル・ウィークス』まで、リチャード・デイヴィスは60年代屈指のレコードの数々にクレジットされている。しかし、それらは彼の膨大なアウトプットのごく一部に過ぎない。60年以上に渡るキャリアの中で、サラ・ヴォーンやポール・サイモン、イーゴリ・ストラヴィンスキー等、音楽史に名を残す巨人の数々と共演している彼は、無数のセッションやライブでその実力を証明してきた。デューク・エリントンの「カム・サンデイ」でドルフィーとデュエットしたアルコのライン、ブルース・スプリングスティーンが軽犯罪に手を染めた男の物語を歌った「ミーティング・アクロス・ザ・リバー」におけるウォームでリズミックなパターン、モリソンの「ビサイド・ユー」でのポエトリーに寄り添うような痛切なフレージング等は、彼の情感豊かなプレイスタイルが小編成のアンサンブルでこそ真価を発揮することを物語っている。「リチャードなしでは考えられなかった」発表から40周年を迎えた『アストラル・ウィークス』について、プロデュースを務めたルイス・メレンスタインはそう語っている。「彼があのレコードに魂を吹き込んだんだ」




33位 レミー・キルミスター

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モーターヘッドの代表曲「エース・オブ・スペーズ」は、レミー・キルミスターによるタップダンスのようなリードベースで幕を開け、「生まれながらの負け犬」の気持ちを歌う彼のボーカルとともに、愛機のリッケンバッカーは地獄へと突き進んでいく。キルミスターの「無鉄砲」の美学は、歌詞とベースプレイの両方に滲み出ている。モーターヘッド結成前、彼はスペースロックの雄ホークウインドに加入する際にリズムギターからベースへ転向した。「ベースは弦が2本少ないだけで、他は全部ギターと同じだ」キルミスターはそう話している。「残りの弦でコードを鳴らしてみただけのことさ。風変わりだけど、俺たちには合ってた」。ドラッグ依存を理由にホークウインドを解雇された後、彼は独自のスタイルを確立した。「レミーのディストーションの使い方には影響を受けたよ。ユニークで斬新、そしてエキサイティングだった」メタリカのベーシストだったクリフ・バートンは生前そう語っていた。サンドペーパーのようにざらついた歌声、そして弱者のウィットと見事にマッチしていた彼のベースへのアプローチは、彼自身が誇りにしていた個性だった。「俺のようなプレイヤーは他にいないと思う」彼はそう話している。「ずっとジョン・エントウィッスルに憧れてたけど、そのポジションはもう埋まってた。だから俺はその出来損ないになったんだ」



32位 スティング

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スティングの卓越したソングライティングスキルと歌唱力は誰もが知るところだが、彼のベーシストとしてのテクニックは見過ごされがちだ。元ザ・ポリスのフロントマンは弾きながら歌う方法を学ぶにあたって、ベースのパートが聴き取りやすいようレコードを78rpmで聴いていたという。「それまではあちこちのクラブでギターを弾いてたんだけど、ある人が手作りのベースを貸してくれたんだ。見た目といい大きさといい、まさに僕の好みにぴったりだった。その時にベースボーカルをやろうと思ったんだ」彼はBass Player誌にそう語っている。「ビートルズのポール・マッカートニーのパートを弾きながら歌う練習をしてたよ」。ニュー・ウェーヴとレゲエを融合させたザ・ポリスにおいて、エモーショナルでメロディックな彼のベースプレイは、バンドの音楽性の柱となっていた。「見つめていたい」や「ロクサーヌ」では、アンディ・サマーズのギターリフを際立たせつつも、耳に残る印象的なベースラインを弾いている。彼は長年にわたって音楽的挑戦を続けており、2018年に発表したシャギーとのコラボレートアルバム『44/876』では、センスに満ちたダビーなプレイでレイドバックした楽曲のムードを支えている。「建物の屋根から差し込む眩い黄金の光が、そのベースプレイヤーを照らし出してた」ポリスのドラマーのスチュアート・コープランドは、1976年に初めてスティングのパフォーマンスを観た時のことをそう振り返る。「当時のドラマーはみんなそうだったけど、僕は彼の歌唱力よりもベーシストとしてのスキルに惚れたんだ」




31位 バーナード・エドワーズ

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「君のレコードコレクションの中身が何であれ、金曜の夜のお供だけは必須なんだよ」シックのバーナード・エドワーズは1979年にそう語っている。ジャズとクラシックの知識に裏打ちされたスタイルでディスコにおける最重要ベーシストとなったエドワーズは、バンドメンバーで古くからの友人であるナイル・ロジャースと共に、あらゆる瞬間を金曜の夜へと変貌させるクラシックの数々を生み出し、70年代後半から80年代にかけて世界中のダンスフロアを熱狂させた。彼の参加作が「グッド・タイムズ」(ヒップホップ史上初のメインストリームヒットとなった「ラッパーズ・ディライト」をはじめ、これまでに最も多くサンプリングされたベースラインのひとつ)1曲のみだったとしても、彼は本リストに登場していただろう。しかし、彼はシックの代表曲である「おしゃれフリーク」「愛してほしい」「エヴリバディ・ダンス」等において、ソングライター兼プロデューサーとしてもクレジットされている。またシスター・スレッジの「ウィ・アー・ファミリー」、ダイアナ・ロスの「アイム・カミング・アウト」、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」や「マテリアル・ガール」等のダンスポップのクラシックでも、エドワーズは体が自然と動くようなキラーリフをプレイしている。多くのベーシストが裏方に徹するのに対し、自然体で常にスタイリッシュなエドワーズはスポットライトを浴びた。彼は1996年に43歳でこの世を去ってしまったが、彼が残した楽曲の数々は、今も結婚式やパーティーのサウンドトラックとして世界中で愛され続けている。




30位 ボブ・ムーア

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超一流のセッションミュージシャン集団、ナッシュビルAチームの主要メンバーであるボブ・ムーアは、ジョージ・ジョーンズやボブ・ディランの作品でのアップライト・ベースを弾いている。洗練されたスタイルで知られるムーアのほか、チャーリー・マッコイやバディ・ハーマン、レイ・エデントン、ハーガスピッグロビンス等のセッションの達人たちは、50年代から60年代にかけてパッツィー・クラインやチェット・アトキンス、ブレンダ・リー等の作品に参加し、ピアノ主体のポップやジャズをカントリーと融合させた。今や全米屈指の音楽都市となったナッシュヴィルのイメージに、彼らは大きく貢献している。「いつもピッグのそばに座って、彼の左手の動きを研究してた」ムーアはそう語っている。「やがて彼の動きを予測して、私は全く同じタイミングで手を動かせるようになった」。ロジャー・ミラーの「キング・オブ・ザ・ロード」の冒頭を飾る軽快なベースラインは、生涯を通じて1万7000以上のセッションに参加したとされるムーアの仕事のごく一部に過ぎない。彼のアプローチは、カントリーというジャンルにおけるベースの役割を完全に変えてみせた。「当時、ベーシストはバンドにおけるコメディアンと見なされていた」1940年代にナッシュビルでキャリアを開始した頃について、ムーアはそう話している。「私は異質な存在だった。れっきとしたプレイヤーだったからだ」




29位 ティナ・ウェイマス

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トーキング・ヘッズの名を世に広めた1977年発表のシングル「サイコ・キラー」では、デヴィッド・バーンが歌い始める前から不穏なムードが漂う。ティナ・ウェイマスが弾いたそのフレーズは、ロック史上最も印象的なベースラインのひとつだろう。狂気と畏怖を描く同曲の冒頭を飾るベースソロの8秒間は、後に音楽史に名を刻むバンドのキャリアのスタート地点となった。バーンの功績ばかりが評価されがちだが、ウェイマスはトーキング・ヘッズのソングライティングにおいて不可欠な存在だった。正式にクレジットされていないケースもあるが、彼女の存在はバンドのあらゆる面に風通しの良さをもたらしていた。バンドのドラマーであり、彼女の夫として40年間寄り添い続けているクリス・フランツはこう語る。「ティナがいなければ、トーキング・ヘッズは全く別のバンドになってたはずだ」



28位 アストン・ファミリー・マン・バレット

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ボブ・マーリーを支えたザ・ウェイラーズのリズム隊の片割れ、アストン・バレットは弟のカールトンとともに、レゲエのワンドロップのリズムを世界中に知らしめた。しかし、「レゲエの構築者」を自称する彼の功績はレゲエにとどまらず、ポップやR&B、ファンク等にも大きな影響を与えた。ハリー・J・オールスターズの1969年発表のインスト曲「The Liquidator」における軽快なベースラインは、その3年後にステイプルズ・シンガーズが放った大ヒット曲「アイル・テイク・ユー・ゼア」の基盤となっている。「ドラムは心臓であり、ベースは背骨なんだ」バレットはそう話している。「ベースが良くなければ体全体を支えることができず、アンサンブルは崩壊する」。ウェイラーズのリーダーのストーリーテリングを熟知していた彼は、ベースラインを考えるよりも前に、マーリーの書いた曲を隅々まで理解しようとした。「バリトンのパートを歌うつもりで弾くんだよ」自身のベースプレイについて、彼はそう語っている。「常にメロディックなラインを意識してるんだ」




27位 デヴィッド・フッド

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ステイプルズ・シンガーズの「アイル・テイク・ユー・ゼア」、アレサ・フランクリンの「オー・ノー・ノット・マイ・ベイビー」、エタ・ジェイムスの「テル・ママ」、R.B.グリーヴの「Take a Letter, Maria」等、60年代と70年代で最もファンキーなレコードには共通点がある。それはデヴィッド・フッドがベースを弾いていることだ。アラバマ州マッスルショールズにあるフェイム・スタジオの従業員としてスタートし、1969年にマッスル・ショールズ・サウンドのリズム隊として名を馳せたフッドは、小柄な体型を理由に「リトル・デヴィッド」というニックネームで呼ばれていた。「アイル・テイク・ユー・ゼア」でしなやかなソロを弾く部分では、メイヴィス・ステイプルズが彼をその名で呼ぶのを耳にすることができる。脈打つような深みのあるベースラインを生み出す彼を、ステイプルズは「至高のリズムセクション」と形容した。キーボーディストのバリー・ベケットや、ドラマーのロジャー・ホーキンス等、マッスルショールズを代表するその他のミュージシャンたちと共に、ポップ(ポール・サイモン「僕のコダクローム」、ロッド・スチュワート「さびしき丘」)、ブルース(ボズ・スキャッグス「ローン・ミー・ア・ダイム」)、ロックとR&Bのフュージョン(ボブ・シーガー「忘れじのロックン・ロール」)等、フッドは様々な分野で見事なベースプレイを披露している。また彼の息子はパターソンは、ドライブ・バイ・トラッカーズのシンガー兼ソングライターでもある。フッドは自身の功績について、一貫して謙虚な姿勢を保っている。ステイプルズ・シンガーズのクラシック「リスペクト・ユアセルフ」について、彼はこう語っている。「あの曲にもちょっとしたベースソロがあるね。冒頭と中盤で数小節弾いてるけど、あれはメロディックなフックに過ぎない。僕らはただポップなレコードを作ろうとしてたんだよ」




26位 イスラエル・ロペス・カチャオ

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イスラエル・ロペス・カチャオのキャリアは1930年代にピークを迎えたが、彼のスタイルは今日のあらゆるタイプの音楽に息づいている。彼がピアニスト兼チェリストの兄オレステス・ロペスと共に、ハバナの社交場を渡り歩く中で生み出したアフロ・キューバンフュージョンのマンボは、サルサやキューバンジャズ、R&B、ロックンロール、そしてラテン音楽の要素を取り入れたモダンなポップスのすべてに影響を与えた。「キューバのスタイルの一部はアフリカンなんだ」彼は後年にそう語っている。「キューバのあらゆる文化には、征服者としてのアフリカン・カルチャーが反映されている。それはキューバの人々の遺伝子の一部であり、自然と滲み出るものなんだ」。指板をダイナミックに行き来するライン、アンサンブルの中でも際立つエレガントかつ大胆なプレイスタイル、力むことなくビートを刻む正確無比なリズム感など、彼のスタイルはキューバ音楽の最大の魅力であるリッチで奔放なインプロビゼーションにおけるお手本となった。また彼は1950年代に、ジャズに影響を受けたジャムセッションのデスカルガを生み出している。カチャオは60年代にアメリカに移住したが、彼の功績を世に広めたのは90年代にリリースされた名演集『マスター・セッションズ VOL1&2』だった。




25位 クリフ・バートン

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ジェイムズ・ヘットフィールド、デイヴ・ムステイン、ラーズ・ウルリッヒの3人がメタリカを結成した時、彼らは目にも留まらぬ高速プレイを武器とするスラッシュメタルを追求するつもりだったが、クリフ・バートンとの出会いによってそのヴィジョンは一変した。彼は当時ライバル的存在のバンドでベースを弾いていたが、ライブの場で目撃した凄まじいベースソロに衝撃を受けた3人はバートンをヘッドハンティングし、彼の希望通り拠点をロサンゼルスからベイエリア(バートンの地元)に移した。メタリカに正式に加入したバートンは、R.E.Mやミスフィッツ、バッハ等の魅力をメンバーに教えることで音楽的ヴィジョンを飛躍的に拡大させ、バンド史上最もタフな曲群に知識と技術に裏打ちされたベースラインを吹き込んだ。1983年のデビュー作『キル・エム・オール』に収録されている「(アネージア)プリング・ティース 」では、クラシック音楽をアグレッシブにしたかのような巧みさと、歌っているかのようなワウが魅力のベースソロを聴くことができる。また「ダメージ・インク」におけるデリケートなイントロや「オライオン」の間奏部分は、スラッシュメタルがどれほど美しくなり得るかを証明している。1986年にバス事故でこの世を去った後も、彼の美学はバンドに受け継がれている。「誰かを貶めるつもりはないけど、彼は桁違いのプレイヤーだった」ウルリッヒはバートンについてそう語っている。「(アネージア)のレコーディングにおいて、あのベースソロは曲に音楽的な深みをもたらした。登場人物が3倍に増えたような、異なるダイナミクスを生んだんだ」。2019年にメタリカがサンフランシスコ交響楽団とコラボレートした際には、オーケストラのベースプリンシパルが「(アネージア)」をバートンに捧げることを提案したという。



24位 ゲディ・リー

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ラッシュのライブにおいて、キーボードと足元で操作するシンセを操りながら圧倒的なボーカルを聴かせるゲディ・リーは、絵に描いたようなマルチプレイヤーだった。しかし、タフで逞しくも、抑制を効かせたテクニックによるスピーディーでリズミカルなベースプレイこそが、先進的なロックの伝道師たる彼の真髄であり、それは60年代のパイオニアたるジャック・ブルースやジョン・エントウィッスル等と、90年代にシーンを揺るがしたレス・クレイプールやRATMのティム・コマーフォードらを結びつける鍵となっている。70年代のプログレ期のマスターピース『フェアウェル・トゥ・キングス』から、ニュー・ウェーブの影響を受けた80年代の傑作『グレイス・アンダー・プレッシャー』、90年代に発表したハードな『カウンターパーツ』まで、リーのガッツとセンスに満ちた意外性のあるファンクネスは、あらゆる時代のバンドに多大な影響を与えた。「シグナス X-1 第1巻『航海』」での軽快なフレージング、「トム・ソーヤ」における7/4拍子の鋼のようなブリッジリフ、ダンスポップに挑戦した「スカーズ」等でも、彼の独創的なプレイは曲のアイデンティティとなっている。「14歳の時に彼を観て、俺もあんな音を出したいと思ったんだ」クレイプールはリーについてそう語っている。「今も彼の境地にはまだ遠いけどね」




23位 ビル・ワイマン

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「俺より上手いベーシストなんて何百人といるよ」ビル・ワイマンは1974年に本誌にそう語っている。「ジャック・ブルースみたいに弾けるわけじゃないしさ。あんな風になりたいならもっと練習するだろうけど、そんなつもりはないんだ」。彼は謙虚な姿勢を崩さないが、ローリング・ストーンズのメンバーたちはその才能を認めている。「ビル・ワイマンは最高のベーシストだ」キース・リチャーズはそう語っている。「ベースプレイのセンスにはいつも驚かされるよ。あいつはものすごく敏感なミュージシャンだ」。「サティスファクション」のアイコニックなギターリフを支えるスマートなハーモニー(ギターのラインが上昇するにつれてベースは下降する)、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」における穏やかなフレージング、「ロックス・オフ」のグルーヴを支える小刻みなリズム等によって、ワイマンはリチャードの信頼を勝ち取った。「俺は音数で勝負するベーシストじゃない」ワイマンはそう話している。「スタンリー・クラークみたいなタイプじゃないんだ。ああいうプレイヤーはベースじゃなくてギターを弾くべきだと思うね。ボトムを支えるやつには覚悟がいる。他のプレイヤーのためにスペースを残し、そこを自分で埋めようとはしない。余白をたっぷり残すことで、曲にしっかりと呼吸をさせてやるんだ」




22位 フリー

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1983年の結成以来、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリストとドラマーは幾度となく入れ替わっているが、パンクとファンクとサイケデリックを大胆に融合させたワイルドなサウンドを代名詞とするフリーは、結成時から一貫してバンドのバックボーンであり続けている。フリーことマイケル・バルザリーは、ジャズのミュージシャンだった継父から大きな影響を受けて育った。「最初はジャズのトランペッターになりたかった。でも10代になって、親に反抗したくなったんだ」彼は2006年にそう語っている。「パンクロッカーとしてベースを弾くこと、それが俺のすべてだった」。ペッパーズ以外では、彼はザ・マーズ・ヴォルタの2003年のデビュー作『ディラウズド・イン・ザ・コーマトリアム』と、同バンドのスピンオフ、アンテマスクでベースを弾いている。2009年にはトム・ヨークと共にアトムス・フォー・ピースを結成し、「Before Your Very Eyes...」や複雑な展開をみせる「Reverse Running」等で、その類い稀なテクニックを披露している。しかし彼の真骨頂は、ブーツィー・コリンズ譲りのスラップベース(「ハイヤー・グラウンド」「サー・サイコ・セクシー」等)だけでなく、時には感傷的なメロディ(「ソウル・トゥ・スクイーズ」「バイ・ザ・ウェイ」等)を奏でるペッパーズでのプレイだ。「フリーこそがレッチリのアイデンティティなんだ」アンソニー・キーディスは1994年に本誌にそう話している。「彼はこのバンドの核であって、彼なしじゃ一切成立しないんだ」




21位 ギーザー・バトラー

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ブラック・サバスへの加入直後、リズムギターからベースに転向したギーザー・バトラーは、まさに予測不可能な独自のスタイルを確立した。60年代に流行した4つ打ちパターンに馴染みがなかった彼は、アンサンブルにハーモニーを生み出し、トミー・アイオミのパートを際立たせるというギタリスト的アプローチをベースで実践した。バトラーとアイオミのタッグが生み出すビッグなサウンドは、ブラック・サバスのインパクトの秘訣だ。「ウォー・ピッグス」でアイオミのドローンめいたギターリフの背後でブルージーなリードを弾いているバトラーは、中盤のソロ部でアイオミが音を伸ばすたびに、ジャック・ブルースを思わせるジャジーなフィンガーピッキングのソロを挟み込む。1981年作「スリッピン・アウェイ」ではアイオミと交互に遊び心のあるソロを弾き、「N.I.B.」の冒頭におけるソロパート(通称「Bassically」)ではベースにワウペダルをかませるというアイディアを誰よりも早く実践するなど、自由な発想も彼の魅力のひとつだ。高度なスキルの持ち主でありながらも、バトラーは決して謙虚な姿勢を崩そうとしない。「もともとリズムギター担当だった俺は、リードギタリストが残したスペースを埋めるのが仕事だと思ってる」彼はそう語っている。「俺はベースで同じことをやってる。つまりリズムプレイヤーってことさ。俺は自分をベーシストだと考えたことはなくて、ただ曲に必要だと思えるものを添えてるんだ」



20位 リック・ダンコ

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飾り気のないところがザ・バンドの魅力であることは疑いないが、彼らのクラシックを改めて聴いてみると、その強烈なファンクネスに驚かされる。抜群のリズムキープを誇り、音数を抑えたスタイリッシュなリック・ダンコのベースプレイは、「クリプル・クリーク」「キング・ハーヴェスト」等の代表曲において不可欠な要素となっている。オンタリオの郊外で育ったダンコは、電池駆動のラジオでグランド・オール・オプリを聴き、バーンダンスで演奏する父の姿を見て育った。1961年、彼はロニー・ホーキンスのザ・ホークスに加入し、後にザ・バンドのメンバーとなるロビー・ロバートソンやリヴォン・ヘルムと出会う。彼は同バンドのピアニストだったスタン・ゼレストから、リズムセクションとは何たるかを学んだ。数年後、彼らはボブ・ディランのエレキ路線転向後初のツアーでバックバンドを務めた。ザ・バンドとして活動を開始した直後から、数多くの作品を発表した再結成期に至るまで、ダンコはバンドにおける秘密兵器というべきポジションを確立していた。彼のトレードマークだったさえずるようなボーカルはもちろん、確かな技術に裏打ちされたベースプレイでヘルムが生み出す粘りのあるグルーヴを支えた。「ベースはバックグラウンドボーカルに似てると思う」彼は1994年にBass Player誌にそう語っている。「一歩退いた場所にいること。フロントをボーカルや他のパートに任せられるっていうのはいいものだよ。そうすることで、観覧車がずっと回っているかのような感覚を生み出すことができるんだ」




19位 ヴァーダイン・ホワイト

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アース・ウィンド・アンド・ファイアーのシンガー/ソングライター/ドラマー/プロデューサーのモーリス・ホワイトは、1970年に弟のヴァーダインをロサンゼルスに呼び寄せ、キャリアの浅かったバンドに加入させた。ルイス・サターフィールド(ヴァーダインは彼を「シカゴのジェームス・ジェマーソン」と呼んだ)からベースを学んだ後、彼はロン・カーターやリチャード・デイヴィス等のジャズプレイヤーについて研究したという。アース・ウィンド・アンド・ファイアーが残した、エレガントかつ嘆息するほど複雑、そして何百万枚ものセールスを記録したアルバムの数々には、彼が身につけたすべての知識と技術が活かされている。バンドの代表曲の多くはアップテンポなダンストラックだが、ホワイトのベースプレイの魅力はバラード群でより際立っている。「キャント・ハイド・ラヴ」の冒頭の勢いよく上昇していくベースライン、「ラヴズ・ホリデー」でのスムーズかつアタックの効いたフレージング、「アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」を支える敏捷で簡潔なリフ等はその好例だ。アップリフティングな曲群においても、彼の技術とセンスは大いに発揮されている。「ブラジルの余韻」において、彼の奏でる一音一音は光り輝くかのような存在感を放っている。ホワイトはメディアの前でも謙虚な姿勢を貫いており、自身のスタイルは他のメンバーを支えるためのものだとしている。「レコードにおける僕の役割は、ボーカルを引き立てることだ」彼はそう話している。「ボーカルがなければ、僕はつまらないラインしか考えつかないだろうね」




18位 クリス・スクワイア

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何十年にも及ぶキャリアにおいてメンバーチェンジを繰り返したイエスにおいて、ベーシストのクリス・スクワイアは(2015年に逝去するまで)一貫して在籍した唯一のメンバーだった。プログレロック界の巨匠が、キーボーディストのリック・ウェイクマンやギタリストのスティーヴ・ハウを失っても生きながらえることができたのは、スクワイアという強固なバックボーンがあったからだ。ジャック・ブルース、ジョン・エントウィッスル、ポール・マッカートニー等から影響を受けたスクワイアの分厚くメロディックなトーンは、プログレロックの金字塔『危機』や「悟りの境地」、そして80年代ポップの名曲「ロンリー・ハート」に不可欠な要素となっている。「ベースをリード楽器として使うというコンセプトを、クリスは別の次元にまで持っていった」スクワイアの死によせて、ウェイクマンはそうコメントしていた。「ショーマンシップを忘れず、一音たりとも妥協しない彼は別格のプレイヤーだった。ジョン・エントウィッスル、そしてクリスがこの世を去った今、私たちはクラシックロック史上最高のベーシスト2人を失ったことになる」




17位 ロビー・シェイクスピア

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ロビー・シェイクスピアは、リズムセクションとプロダクションの両方でパートナーを務めるスライ・ダンバーと共に、何十年にも及ぶレゲエの歴史にその名を深く刻んだ。「サウンドからドラムとの絡みまで、ベースのポテンシャルを最大限に引き出していた」70年代初頭にシェイクスピアのプレイを初めて耳にした時のことについて、ダンバーはそう語っている。「曲の一部で異なる3つのラインを弾いたりしていた。ブリッジやヴァースでもラインを変え、箇所によっては4種類くらいあった」。流動的でメロディック、それでいて極めてタイトなアンサンブルを誇った2人は、カルチャーの『Two Sevens Clash』やピーター・トッシュの『Equal Rights』をはじめ、レゲエの黄金期を支えたあらゆる巨人たちの作品に参加している。ダークで掴みどころがないというダブのイメージを刷新した2人は、80年代に登場したダンスホールのデジタルなサウンドに温もり与える術を編み出し、グレイス・ジョーンズやトーキング・ヘッズ、ボブ・ディラン、ミック・ジャガーといったメジャーアクトの作品におけるグルーヴを彩った。ボブ・マーリー以降、彼らほどジャマイカのサウンドの形成とその発信に貢献したアーティストはいない。



16位 チャーリー・ヘイデン

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オーネット・コールマンの「ロンリー・ウーマン」(1959年に発表されたジャズの枠を超えたこの名曲は、若かりし頃のルー・リードをはじめ、好奇心に満ちたリスナーたちを何世代にもわたって魅了してきた)は、ビリー・ヒギンスの倍速ライドシンバルに合わせて、チャーリー・ヘイデンの脈打つようなベースラインで幕を開ける。そのイントロは、地中に深く根ざした古の大木のような力強さを曲に与えている。フリーフォームの代名詞たるコールマンから、フォークの異端児ベックまで、ヘイデンのベースは決して色褪せない普遍的な魅力を楽曲にもたらす。アイオワで生まれ育ったヘイデンは、家族がホストを務めていたラジオ番組でカントリーの曲をヨーデルで歌い上げていた。チャーリー・パーカーの演奏を見てジャズに目覚め、50年代後半に大学進学のためロサンゼルスに移ったヘイデンは、ほどなくしてジャズに革命を起こすサックス奏者のオーネット・コールマンと出会う。ヘイデンはオーネットのヴィジョンに不可欠な存在であり、以降数十年にわたってライブとレコーディングの両面に貢献し続けたほか(バックバンドを務めた1968年のヨーコ・オノのライブを含む)、オールド・アンド・ニュー・ドリームス等のサテライトプロジェクトにも参加した。先進的でオープンなジャズのミュージシャンたちから絶大な信頼を得ていた彼の活動は多岐に渡り、パット・メセニー、キース・ジャレット、アリス・コルトレーン等の作品への参加のほか、自身の政治的ヴィジョンを反映したリベレイション・ミュージック・オーケストラや、ジンジャー・ベイカーとビル・フリーゼルとのウォームで感傷的なトリオアンサンブルでも、その類まれなセンスとスキルを発揮している。また彼はリンゴ・スターやK.D.ラングのほか、自身の息子や三つ子の娘とも共演を果たしている。「チャーリー・ヘイデンのプレイはリスナーの存在を感じさせる」コールマンはかつてそう記している。「彼が天才であることは、それだけで証明が可能だ」



15位 ドナルド・ダック・ダン

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メンフィス生まれのドナルド・ダンは(「ダック」というニックネームは彼の父親がつけたもので、2人がディズニーのアニメを観ていた時に命名された)、Staxのレジデントバンドだったブッカー・T&ザ・MGsのオリジナルメンバーではない。しかしバンドが飛躍するきっかけとなったのは、1964年に彼がルイ・スタインバーグに代わってベーシストとして加入したことだった。ダンの在籍期間は、オーティス・レディングやウィルソン・ピケット、サム&デイヴがサザンソウルの基盤を確立した時期と一致する。「アグレッシブでシンコペーションが効いている音楽ほど、僕のスタイルはよりフィットした」ダンは後にそう語っている。ドラマーのアル・ジャクソンとのテクニカルで多芸なリズムセクションは、洗練されたポップバラードやカントリーソウルのシャッフル、ゴスペルの影響が色濃いアップテンポなソウルまで、あらゆるスタイルに見事にフィットした。MGsによるサム&デイヴの「When Something Is Wrong With My Baby」のインストカバーで耳にすることができるゆるやかに下降していくベースライン、レディングの「ドック・オブ・ベイ」の冒頭を飾る軽快なフレージング等は彼の真骨頂だ。ブーツィ・コリンズが「俺たちのカルチャーの重鎮」と呼んだダンは、エリック・クラプトンやスティーヴィー・ニックス、ビル・ウィザース、ニール・ヤング等、数々のポップ/ロック界のレジェンドたちと共演しているが、ポピュラー音楽の発展に最も大きく貢献したのは、やはりブッカー・Tとスティーヴ・クロッパー、そしてアル・ジャクソンとの仕事だろう。「彼はR&Bにおけるベースプレイの基本を確立した」ピータ・フランプトンはダンについてそう語っている。




14位 ジョン・ポール・ジョーンズ

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レッド・ツェッペリンは1960年代末に彗星の如くシーンに登場したかのように思われがちだが、ギタリストのジミー・ペイジとベーシスト兼キーボーディストのジョン・ポール・ジョーンズは、その時点でセッションの経験を豊富に積んでいた。モータウンのレコードやチャールズ・ミンガス等のジャズベーシストに影響を受けたジョーンズは、ドノヴァンやジェフ・ベック、ダスティ・スプリングフィールド等の作品に参加しており、ローリング・ストーンズの「シーズ・ア・レインボー」のストリングスパートのアレンジも手がけている。そんな彼にとって、「幻惑されて」「強き2人の愛」でのゆっくりと歩いていくようなリードラインや、「移民の歌」「永遠の詩」における(ペイジとの息の合った)リズムチェンジは容易かったはずだ。彼の類い稀な音楽的センスは、レッド・ツェッペリン以外での活動においても発揮されている。「ジョンはひっそりと他のプレイヤーたちを挑発するんだ」ゼム・クルックド・ヴァルチャーズで活動を共にしたデイヴ・グロールはそう話す。「ジョンは他のミュージシャンのポテンシャルを引き出すことができる。みんな彼を失望させたくないって思うからね。彼のペースについていくことができれば、そいつはミュージシャンとして悪くないってことなんだ」




13位 スタンリー・クラーク

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マイルス・デイヴィスを支えたデイヴ・ホランド、ミロスラフ・ヴィトウス、ウェザー・リポートのジャコ・パストリアス、マハヴィシュヌ・オーケストラのリック・レアード等の名ベーシストたちは、60年代のポストバップをアリーナ級ロックのエネルギーによって発展させてきた。しかし、フュージョンにおけるベースの定義を確立した人物といえば、スタンリー・クラークをおいて他にいない。ダブルベース奏者だったクラークはクラシック音楽におけるキャリアを志していたが、ギグの場でのチック・コリアとの出会いは彼を別の道へと導いた。2人が結成したリターン・トゥ・フォーエヴァーは、70年代におけるエレキ楽器を用いたジャズグループの代表格のひとつとなり、クラークはローエンドの担当に止まらず、ソロイストとしても抜群の存在感を発揮した。『スクール・デイズ』をはじめとする初期のソロアルバム(後にベーシストたちの定番となる)ではファンクに接近し、グルーヴを損なうことなく脱帽もののテクニックを存分に披露している。最近では映画やテレビ番組のスコアも手がけているほか、見過ごされがちなベックのグラミー受賞作『モーニング・フェイズ』に参加したり、サンダーキャットのような新世代の代表格ベーシストたちによる再評価も進んでいる(「ベースという楽器の可能性を、俺はスタンリー・クラークから学んだ」彼はそう語っている)。「僕が活動を始めた頃、ベーシストの多くは目立たないことを意識しているようだった」クラークはかつてそう語っている。「物静かで曲を書くようなタイプには思えなかったけど、誰もが真剣に音楽と向き合ってた。僕はただ一歩前に出て、自分のバンドを組んだっていうだけだよ」



12位 ウィリー・ディクスン

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ハウリン・ウルフやマディ・ウォーターズ等も曲をカバーするなど、ウィリー・ディクスンは史上最高のブルースマンのひとりとして知られているが、それは彼の一面に過ぎない。彼はロックンロール創成期のチャック・ベリーやボ・ディドリーのレコードでベースを弾いているほか、彼が書いた「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」や「アイ・エイント・スーパースティシャス」はレッド・ツェッペリンやメガデスもカバーしている。「空き缶でできていた」というベースに夢中になった彼は、必死に貯めた200ドルほどをはたいてアップライトベースを購入した。1939年頃に「ベースの弾き方を学ぼうと必死だった」という彼は、Baby Doo CastonやHog Mason等の地元のミュージシャンたちに師事し、そのうねるような独自のスタイルはブルースの代名詞となった。「真剣にやり始めてから2〜3週間ほどで、私は今と大差ないテクニックを身につけた」彼は1980年にそう話している。チャック・ベリーから「メイベリーン」の原曲を初めて聴かされた時、カントリー&ウェスタン色が強すぎると感じたディクスンは、「深みをもたらすブルージーなアイディアとフィーリングを加えてやる」ことで、曲にロックンロールのアティテュードを吹き込んだ。「ウィリー・ディクスンは俺が最も影響を受けたプレイヤーだ」ローリング・ストーンズのビル・ワイマンはそう語っている。「彼は俺のアイドルだった。チャック・ベリーやリトル・ウォルター、ハウリン・ウルフをはじめとするChessのレコードの多くに参加してたからね」




11位 フィル・レッシュ

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グレイトフル・デッドがジャズやカントリーを取り入れることで、よりルーズでフリーフォームなロックを生み出したのと同様に、フィル・レッシュはベースのイメージを一新してみせた。デッドの結成時からベーシストとしてバンドを支え続けているレッシュは、実験音楽やクラシックを聴いて育ち、高校ではトランペットとヴァイオリンを弾いていた。彼が初めてベースを手にしたのは、デッドの前身バンドであるザ・ウォーロックスへの加入を提案された時だった。その誘いを受けた彼は、ウォーキングベースというクリシェを完全に放棄した。「僕とジェリーが作る音楽では、誰かの真似はしたくなかった」彼は2014年にそう語っている。ベースとリードを同時に弾く(ベースがメロディに寄り添っては離れる)という彼のアイディアは、ガルシアのギターと双璧をなすデッドのトレードマークだ。「トラッキン」「シェイクダウン・ストリート」「カンバーランド・ブルース」等のスタジオ音源だけでなく、名演として知られるライブアルバム『Cornell 5/8/77』での「深紅のベゴニア」や、(1975年作『One From the Vault』収録バージョンから端を発する)「アイズ・オブ・ザ・ワールド」のライブ音源の数々等でも、型にはまらない彼のサウンドを堪能することができる。




10位 ロン・カーター

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「ベース担当は最高のプレイヤー、ロン・カーター」ア・トライブ・コールド・クエストの超絶ファンキーな『ロー・エンド・セオリー』収録曲「ヴァーシズ・フロム・ジ・アブストラクト」のアウトロで、Qティップは高らかにそう告げる。ジャズとヒップホップの融合におけるマイルストーンへの参加も、60年にわたってポピュラー音楽の発展に貢献し続けているロン・カーターにとっては、無数にこなした仕事のひとつに過ぎない。2015年秋の時点で2200に及ぶ作品にクレジットされていた彼は、ジャズ史上最も多くのセッションに参加したベーシストとして、その1年後にギネスブックに認定された。その脅威的な数字はもちろんだが、彼が共演したアーティストのリストも極めて充実している。ジャズの歴史を塗り替えた60年代のマイルス・デイヴィス・クインテットへの参加、ロバータ・フラックやアレサ・フランクリンの代表曲での見事なパフォーマンス、ボサノバの先駆者アントニオ・カルロス・ジョビンの作品における優雅なリズム、さらにはバッハのスイング的解釈まで、彼の活動は多岐に渡る。地味なデュオであれ快活なビッグバンドであれ、カーターは音楽に品格を生み出すことができる。「カーター氏は比類なき耳を持つミュージシャンの1人だと思う」彼のコラボレーターであり、幼い頃から彼に憧れていたというパット・メセニーは2016年にそう語っている。「文字通り幾千というセッションに参加してきた彼は、どんなセッティングにおいても自身のアイデンティティをはっきりと示しつつ、他のミュージシャンの魅力を引き出すことができるんだ」



9位 ポール・マッカートニー

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どのような括り方であれ、ポール・マッカートニーが過小評価されることはまずない。シンガー、ソングライター、そしてパフォーマーとして最大級の評価を得ている彼だが、ベーシストしての実力については見過ごされがちだ。1961年にハンブルクを拠点にしていたビートルズからスチュアート・サトクリフが脱退したことを受け、彼は必要に迫られる形で初めてベースを手にした。「ベーシストの座を奪うために、僕がスチュを脱退に追い込んだっていう説があるよね」マッカートニーは伝記作家のバリー・マイルズにそう語っている。「馬鹿げてるよ。進んでベースを弾くやつなんていないし、当時はベーシストなんてほとんどいなかったんだ」。だが彼はベースを自身の一部とし、スタジオ作業におけるビートルズのクリエイティビティが爆発した60年代後半にHofnerから乗り換えたリッケンバッカーは彼の代名詞となった。「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ア・ダイアモンド」「ディア・プルーデンス」におけるクールでステディなラインから、「ペイパーバック・ライター」「レイン」「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」でのカラフルなリードまで、彼のベースプレイには親しみやすいボーカルとは異なる冒険心が反映されている。遊び心とメロディセンス溢れる当時の彼のスタイルは、影響を受けたと度々公言しているモータウンのジェームス・ジェマーソンを思わせる。1970年以降は、「心のラヴ・ソング」や「グッドナイト・トゥナイト」等のディスコ調の曲でも、彼は抜群のリズム感を発揮している。その後はベースを手にする機会が減っていくものの、彼は優れたベースラインが持つ無限の可能性を証明したプレイヤーとして、今も無数のベーシストたちにインスピレーションを与え続けている。




8位 ジャコ・パストリアス

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「僕の名前はジョン・フランシス・パストリアス3世、世界最高のベースプレイヤーだ」1974年にマイアミで行われたウェザー・リポートのライブのバックステージで、キーボードプレイヤーのジョー・ザヴィヌルとの対面を果たした際に、彼は開口一番そう言い放った。ザヴィヌルは笑い飛ばしたが、パストリアスの加入をきっかけにバンドがフュージョン界の頂点に上り詰めた数年後には、誰も彼の発言をジョークとは受けとめなくなっていた。小気味のいいハーモニクスを多用した高速ビバップを聴かせる1976年発表のソロデビューアルバムは、エレクトリックベースの可能性を大きく拡大した。同年にはウェザー・リポートに加入し、彼がトレードマークであるフレットレスベースのサウンドと不遜なまでのセンスによってオーディエンスを沸かせると、目立たない楽器というベースに対する従来のイメージは一変した。自己顕示欲を強く示しながらも、彼はコラボレーションにおいても抜群のセンスを発揮した。70年代中盤から80年代にかけて(彼は35歳にして悲劇的な死を遂げる)、パット・メセニーやジミー・クリフの作品、特に『へジラ』をはじめとするジョニ・ミッチェルの実験色の強いアルバムの数々で、パストリアスの革新的なベースプレイは見事に活かされている。「彼は私の空想が生み出したプレイヤーなのかとさえ思った。私は彼に何ひとつ指示を出す必要がなかったから」ミッチェルはジャコについてそう話している。「私がすべきことは彼の好きなようにやらせて、生まれてくる素晴らしいアイディアの数々を讃えることだった」




7位 ラリー・グラハム

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スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベーシストであるラリー・グラハムは、「サンキュー」や「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」等のヒットを通じてスラップベースを世に浸透させた。彼の正確無比でパーカッシブなアプローチ(グラハムはそれをthumpin and pluckinと呼んだ)は、サンフランシスコを拠点としていた母親を含むトリオでの活動を通じて培われた。そのグループのドラマーが脱退したとき、グラハムは「キックの代わりに親指で弦を叩き(thumpin)、スネアの代わりに指で弦をはじく(pluckin)」ことを考えついた。そのテクニックはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの楽曲に不可欠な要素となり、ポピュラー音楽におけるベースの役割を刷新するとともに、プリンス(グラハムと幾度となく共演し、友人でもあった彼を「僕の師匠」と呼んだ)等の次世代のアイコンたちに大きな影響を与えた。「50年代の音源はメロディがよく聴こえるようにミックスされていて、リズムパートの音量は絞られているケースが多い」ブライアン・イーノは1983年にそう語っている。「スライ&ザ・ファミリー・ストーンの『フレッシュ』はその常識を覆した。あれ以降、ミックスにおけるリズムセクション、特にベースとドラムの存在感が大幅に増した」。その理由について、グラハムは極めてシンプルな考えを持っていた。「体が自然に動き出すようなパワフルな演奏は無視できないさ」



6位 ジャック・ブルース

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クリームにおいてはエリック・クラプトンとジンジャー・ベイカーが注目されがちだが、ジャック・ブルースはトリオの強靭なアンサンブルに欠かせない存在だった。クラプトンがそびえるようなブルージーなラインを弾き、ベイカーがジャズドラムの定義を押し広げるようなパターンを繰り出す中、バンドのリードヴォーカリストでもあったブルースは、絶えず動き続けているように感じられるヘヴィーなベースラインでアンサンブルを束ねた。「ステージにおけるベースプレイヤーの役割について、俺はジャック・ブルースから多くを学んだ」ブラック・サバスのベーシストであるギーザー・バトラーはそう語っている。「クラプトンが観たくてクリームのライブに行ったんだけど、何より衝撃的だったのはジャック・ブルースのプレイだった。リズムギターの不在を埋めるような、あんなベースプレイは観たことがなかった」。3人全員が歌う「アイ・フィール・フリー」や、見事なハーモニーを聴かせる「サンシャイン・ラヴ」における大地を揺るがすようなベースライン、そして「ストレンジ・ブルー」でクラプトンのフレーズと絡み合うかのようなリフはブルースの真骨頂だ。「小柄な体からは想像できないくらい、ブルースのプレイには迫力があった」後にブルースと共演するマウンテンのギタリスト、レスリー・ウエストはそう話している。「彼のベースは雄叫びを上げるようでありながら、どんな時もメロディックであることを忘れなかった」




5位 キャロル・ケイ

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50年代にジャズクラブで技術を磨き、サム・クック等のヒットメイカーたちが信頼を寄せるセッションプレイヤーとなったケイは、これまでに1万曲以上でベースを弾いており、史上最も多くのセッションに参加したベーシストとして認知されている。ビーチ・ボーイズが1965年に発表した陽気にスイングする「ヘルプ・ミー・ロンダ」、リッチー・ヴァレンスによる1958年発表の不動のクラシック「ラ・バンバ」、フランク&ナンシーのシナトラ夫妻が1967年に歌った「恋のひとこと」のロマンチックなカバーまで、ケイはポピュラー音楽史のいたるところに足跡を残している。映画やTV番組のサウンドトラックへの参加も数知れず、『バットマン』や『ミッション・インポッシブル』等の主題歌にも彼女ならではのグルーヴを吹き込んでいる。「私はギタリストだったんだけど、『これはむしろシンプルなベースラインかも』ってよく思ってたの」彼女はプレイヤーとしての直感について、For Bass Player Onlyにそう語っている。「ベースがもっと躍動すれば、曲がもっと魅力的になると感じてた」。彼女が共演したスターの数々もケイに同意する。「彼はミックスにおいて、私のベースの音をすごく上げてた」ブライアン・ウィルソンについて、彼女は2011年にそう語っている。「『カリフォルニア・ガールズ』なんかでは、ベースしか聴こえない位の箇所もあるわね。フレットボードを行き来する私のスタイルとサウンドを、彼はすごく気に入ってくれてたの」




4位 ブーツィー・コリンズ

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ブーツィラ、キャスパー(『出てこいキャスパー』のキャラクター)、世界でただひとつのラインストーン製ロックスター人形Baba等、曲によって呼び名が異なるブーツィー・コリンズは、70年代のソウルとファンクにおけるベースの定義を刷新し、80年代と90年代のラップやポップに大きな影響を与えた。1970年にジェームス・ブラウンのバックバンド、JBズに加入したコリンズは、『Soul Brother No. 1』の「The One」のコンセプトに基づき、冒頭の音をできる限りのパワーを持って鳴らし、それ以外の部分をファンクネスで埋め尽くした。ジョージ・クリントン率いるパーラメントとファンカデリックでは、粘り気のあるワウベースでトリッピーな世界観を強調した。その後はブーツィーズ・ラバーバンドのフロントマンとしてスポットライトを浴び、星型のサングラスをかけて星の形をしたベースを弾き、漫画のような仰々しさでアニメ風のラブソングを歌った。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーから、Gファンクサウンドを確立したドクター・ドレーがサンプリングしたレコードの数々まで、彼のスタイルは以降のあらゆるベーシストとシーンに大きな影響を与えた。「拍の頭の鳴らし方、ブーツィの魅力はそれに尽きる」ジョージ・クリントンはそう語っている。「あいつがあれをやれば、『ABCの歌』だって一瞬でファンクになる。俺たちがどれだけポップになろうとしても、あいつがいる限り何をやっても超ファンキーになるんだ」




3位 ジョン・エントウィッスル

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ザ・フーのジョン・エントウィッスルは数多くの異名を持つ。立派な体格と極めて旺盛な食欲から名付けられた「the Ox(雄牛)」や、ストイックな佇まいを表した「the Quiet One(静かなる者)」も広く知られているが、地平線の向こうから現れる獰猛な嵐のようなベースプレイにちなんだ「Thunderfingers」よりも的確なものはない。キース・ムーンやピート・タウンゼントという超一流のエンターテイナーたちとステージ上で対等に渡り合うために、彼が身につけた流動的で優雅なそのスタイルは、誰も耳にしたことがない唯一無二のサウンドを生み出した。簡潔に言うならば、彼はベースをリード楽器として扱い、ギターにも引けをとらない存在感を発揮できることを証明した。「マイ・ジェネレーション」における強烈なソロは、無数のティーンエイジャーたちがベースを始めるきっかけを作った(誰もが彼のスタイルを真似することは不可能だとやがて悟るのだが)。「エントウィッスルはロック史上最高のベーシストの1人だと思う」ラッシュのゲディ・リーはそう話している。「縁の下の力持ちという立場にとどまることなく、凄まじいテクニックとサウンドをもって、ベースという楽器が持つ無限の可能性を証明してみせた」





2位 チャールズ・ミンガス

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チャールズ・ミンガスは単なるベースプレイヤーではない。作曲家、コンセプチュアリスト、クラシックの素養を持つチェリスト、社会批評家など、時にはベーシストとしての実力が隠れてしまうほど、彼は多くの才能に恵まれていた。しかし、ゴージャスな万華鏡のような彼の楽曲の根底にあるのは、その指が弾く弦を介してバンドへと伝心する飽くなきリズムへの探究心であり、そのサウンドは巨大なトランポリンの上で跳ね回るソロイストの姿を彷彿とさせる。ドラマーで音楽的ソウルメイトだったダニー・リッチモンドとタッグを組んだ「II B.S.」や「Better Get Hit in Your Soul」等のクラシックにおける、ウォーキングラインに逞しさとスピード感をもたらす快活なプレイは、力強くも優雅な彼のスタイルの真骨頂だ。ミンガスのキャリアは30年近くに及び、その間にジャズの形は大きく変化していったが、彼のベースへのアプローチはスタイルの違いを超えた普遍的な魅力を備えている。40年代後半のライオネル・ハンプトン・ビッグ・バンド(自身の名を冠した「ミンガス・フィンガーズ」)でも、50年代のビバップシーンの盟友たちとのジャムセッション(厳格なことで知られるミンガスが、スタジオでベースのパートをオーバーダビングしたことでも有名な『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』)でも、そして60年代に自身のアイドルであるデューク・エリントンと交わしたリズミカルでパーカッシブな対話(「マネー・ジャングル」)においても、彼の芯にあるものは少しもブレていない。ミンガスはジャズを主戦場としたが、ジョニ・ミッチェルとのコラボレーションや、ジャック・ブルースやチャーリー・ワッツ等のロック界を代表するベーシストたちを感化するなど、その影響力はジャズの世界だけに止まらなかった。生涯を通じ、ミンガスは自身の才能を認めようとしない相手に対して反論を繰り返した。ジャズの批評家たちによる人気投票の不公平さについて、彼はこう述べている。「どんなランキングにも選出されたいとは思わない。自分がどういうベースプレイヤーかは、自分が一番よく知っている」





1位 ジェームス・ジェマーソン

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モータウンのリズムセクションを束ね、次から次へとヒットを生み出すことでベースプレイヤーの可能性を押し広げながらも、60年代のモータウンのレコードにはセッションミュージシャンの名前が滅多にクレジットされなかったため、ジェームス・ジェマーソンは常に知る人ぞ知る存在だった。「ジェームス・ジェマーソンは僕のヒーローになった」ポール・マッカートニーはそう語っている。「彼の名前は知ったのはつい最近だけどね」。ジェマーソンがキャリアをスタートさせた頃、ベースは実用的な補助用の楽器とみなされていた。『ジェームス・ジェマーソン:伝説のモータウン・ベース』の記述によると、ほとんどのプレーヤーは「延々と続く2ビート、ルート音と5度だけのパターン、『アンダー・ザ・ボードウォーク』以降のクリシェ的なベースライン」ばかりを求められていたという。ベースパートのシンコペーションを強調し、コードの構成音を足すことでメロディに奥行きと深みを持たせ、ゴスペルのハーモニーを思わせる様々な音色を使い分けたジェマーソンは、ベースというフィールドに革命を起こした。彼は数えきれないほど多くの名盤でベースを弾いており、誰もが知っているポップ史上屈指のベースラインを誇るテンプテーションズの「マイ・ガール」、忙しないピアノに対抗するかのような上品で快活なフレージングが印象的なグラディス・ナイトの「悲しいうわさ」、そして類い稀なメロディセンスを見事に発揮したマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」等は、彼が参加したモータウンクラシックのごく一部だ。「ジェームスはベーシストの役割を一歩先へと推し進めた」そう話すのは、『ホワッツ・ゴーイン・オン』の数曲でベースを弾いているボブ・バビットだ。「機会を見つけては自分のアイディアを挟むっていうのを繰り返すうちに、それが彼の役割になっていった。彼は挑戦を続ける過程で、ベースという楽器の定義を塗り替えたんだ」




「史上最高のベーシスト50選」ランキング一覧

50. Thundercat
49. Duff McKagan
48. Kim Deal
47. Leland Sklar
46. Peter Hook
45. Esperanza Spalding
44. Joseph Makwela
43. Mike Watt
42. Tony Levin
41. George Porter Jr.

40. Bill Black
39. Kim Gordon
38. Pino Palladino
37. John McVie
36. Les Claypool
35. Louis Johnson
34. Richard Davis
33. Lemmy
32. Sting
31. Bernard Edwards

30. Bob Moore
29. Tina Weymouth
28. Aston ”Family Man” Barrett
27. David Hood
26. Israel Cachao Lopez
25. Cliff Burton
24. Geddy Lee
23. Bill Wyman
22. Flea
21. Geezer Butler

20. Rick Danko
19. Verdine White
18. Chris Squire
17. Robbie Shakespeare
16. Charlie Haden
15. Donald ”Duck” Dunn
14. John Paul Jones
13. Stanley Clarke
12. Willie Dixon
11. Phil Lesh

10. Ron Carter
9. Paul McCartney
8. Jaco Pastorius
7. Larry Graham
6. Jack Bruce
5. Carol Kaye
4. Bootsy Collins
3. John Entwistle
2. Charles Mingus
1. James Jamerson

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