元東映プロデューサー吉川進氏が2020年7月10日、この世を去った。84歳だった。

吉川氏は1958年に東映へ入社し、1964年に新設された「テレビ部」でプロデューサーとなった。初プロデュース作品は、歴史上の剣豪たちを主役にした連作形式のテレビ映画『日本剣客伝』(1968年)。やがて『ブラックチェンバー』(1969年)、『あひるヶ丘77』(1969年)をはじめ時代劇、ホームドラマ、文芸作品、メロドラマなどあらゆるジャンルの"大人向け"テレビドラマに携わった後、『人造人間キカイダー』(1972年)で初めて特撮ヒーロー作品を担当した。そして「スーパー戦隊シリーズ」の原点となる『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)や「メタルヒーロー」の元祖『宇宙刑事ギャバン』(1982年)などを手がけて、人気シリーズへと成長させた。

2019年12月~2020年2月に横浜・放送ライブラリーにて開催された企画展「スーパー戦隊レジェンドヒストリー」の取材に応じる、在りし日の吉川進氏

吉川氏が作り上げた"ヒーロー"たちには無敵の強さだけでなく、血の通った"人間味"のあるキャラクターとして描かれることが多く、視聴者である子どもたちからの親しみや憧れを抱かせる大きな要因となっていた。

ここでは、吉川氏がプロデューサー時代に作り上げた代表的な作品を、いくつかの資料を交えてご紹介してみよう。テレビドラマを愛し、作品制作に全力を尽くした氏の功績をここに称えたい。

吉川氏が初めて「特撮ヒーロー」作品を手がけたのは、1972年にNET(現:テレビ朝日)系で放送された『人造人間キカイダー』だった。『キカイダー』は、日本全国に"変身ブーム"と呼ばれる社会現象を巻き起こした石ノ森章太郎・原作の『仮面ライダー』(1971年)の勢いに乗って作り出された、当時としても非常に斬新な特撮ヒーロー作品だった。

『キカイダー』の企画を石ノ森氏と共に練り上げたのは、『仮面ライダー』を阿部征司氏と共同で手がけていた東映テレビ部プロデューサー・平山亨氏。数多くの作品を同時に担当し、常に多忙だった平山氏に代わって、実際に『キカイダー』の制作を担ったのが吉川氏であった。吉川氏はそれまで"大人向け"ドラマこそ豊富だったが、特撮ヒーロー作品をプロデュースした経験はなかった。『キカイダー』当時を振り返った吉川氏は「平山さんの『仮面ライダー』とは毛色の違った作品にするため、渡邊亮徳(当時のテレビ部部長)さんが私を呼んだのでしょう」と語っていた。

吉川氏は"大人向け"と"子ども向け"の違いとして「残酷描写や暴力表現など、刺激の強い映像を子どもには絶対に見せてはいけない」という確固たる考えを持っており、これは後年の作品に至るまでスタッフ諸氏に徹底してきたという。その一方で「面白いドラマは、子どもが観ても大人が観ても面白いものだ」という持論もあり、初のプロデュース作品『キカイダー』では、このあたりがはっきりわかる場面がいくつもあった。

主人公の人造人間ジロー=キカイダーは、生みの親・光明寺博士によって「良心回路」が取り付けられ、悪の組織ダークのロボットたちと違って「善悪を見分けられる"心"」を備えている。しかし回路が不完全であるため、プロフェッサーギルの「悪魔の笛」の音を聴くとジローは頭脳を狂わされ、ギルの命令に従ってしまう。光明寺博士の娘ミツ子はジローの良心回路を完全にしたいと願っているが、ジローはあえてそれを拒否。なぜなら彼は人造人間ではなくひとりの"男"としてミツ子に接していたいと思っており、身体の中(メカ)を見られたくないのだ。そしてジローは不完全な良心を自らの精神力でカバーしようと努力するのである。繊細な感情を備えた人造人間ジローと、彼に"人間味"以上のものを感じとるミツ子との切ないラブロマンスがキカイダーVSダーク破壊部隊の激闘と並行して描かれ、これが『キカイダー』という作品の独自性となって多くのファンの心をひきつけた。

ジローを演じた伴大介のナイーブなたたずまいと真摯な演技によって、若い母親や中高生といった女性ファンの支持も高まったという。まさに吉川氏の考える「面白いものに大人も子どももない」という持論が、世に証明された形となった。

『人造人間キカイダー』のクライマックスを盛り上げるキャラクターとして、渡邊亮徳氏の発案で「強力なライバル」を出すことが決まった。それが、光明寺博士の脳を頭部に組み込んだ悪の戦士サブロー=ハカイダーだった。ヒーローに対抗する「アンチヒーロー」の最高峰として今もなお特撮ファンの間で伝説的に語り継がれているハカイダーは、初登場(第37話)から2回もさかのぼり、第35話よりシルエットにてその存在がほのめかされている。その上、「ハカイダーの歌」「三郎のテーマ」と自分のテーマソングを2曲も持っているのも破格の待遇だといえる。

吉川氏はキカイダーとハカイダーのライバル関係について「キカイダーを佐々木小次郎、ハカイダーを宮本武蔵」と位置づけ、不完全で未熟なキカイダー、そしてキカイダー抹殺のためだけに生きる誇り高き戦士ハカイダー、双方の魅力を打ち出そうとしていた。吉川氏の考える「ハカイダーの悪の美学」は脚本家・長坂秀佳氏によってスリリングでドラマチックなストーリーに組み込まれ、珠玉のエピソード群となって結実した。

キャラクター描写、アクションともに『仮面ライダー』との差別化を見事に図り、強烈な印象を視聴者に与えた『人造人間キカイダー』だったが、裏番組のTBS『8時だョ!全員集合』が驚異的な人気を博していたこともあり、視聴率的に苦戦を強いられた。そこで、続編の『キカイダー01』(1973年)では平山氏の発案で、"悩めるヒーロー"ジローとは真逆の"頼れるヒーロー"イチローを創造。ハカイダー4人衆からアキラ少年を守る力強いキカイダーゼロワンの活躍を打ち出すことになった。

それでも吉川氏は「主人公のイチローに面白みがなく、シナリオが書きにくい」といった長坂氏の意見を汲む形で、段階的に作風を変化させ、大犯罪組織シャドウの幹部として卑劣に生きるハカイダー、悲劇の女戦士ビジンダー、孤高の剣豪ワルダーたちがそれぞれの思惑をぶつけあうことでストーリーを成立させる「ロボットによる群像劇」というべきキャラクタードラマを繰り広げた。

吉川氏とドラマ・映画を通じて親交の深かったアクション俳優・千葉真一が見出した新人女優・志穂美悦子(後に日本を代表する大女優へと成長)が演じたマリ=ビジンダーは、かつてのジローと同じく正義と悪とのはざまで悩み苦しむ役割を担い、その清潔感のある美貌と男顔負けのハードアクションの魅力で、多くのファンを獲得した。吉川氏の手がけた作品には、特撮ヒーロー作品のヒロインを単純に"画面を彩る華"だと捉えず、ヒロインもまたヒーローと同じく信念を持ってアクティブに行動する"自立する女性"として描く姿勢がうかがえる。『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)のモモレンジャー/ペギー松山、『宇宙刑事ギャバン』(1982年)のミミー、『宇宙刑事シャイダー』(1984年)のアニー、『スパイダーマン』(1978年)のアマゾネス/吉田冴子しかりである。