憂歌団とTHE BLUE HEARTSのライブ盤から見る日本のブルース

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年7月の特集は、ライブ盤。第6週目となる今回は、憂歌団とTHE BLUE HEARTSのライブアルバムを語っていく。

人にやさしく / THE BLUE HEARTS

こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、THE BLUE HEARTSの「人にやさしく」。インディーズ時代の1987年に発売となったシングル。1996年に発売になったライブアルバム『LIVE ALL SOLD OUT』からお聴きいただいております。歌詞の「頑張れ」が染みます。今月2020年7月の特集は、先月に引き続いてライブ盤特集です。

今週は6週目、緊急事態宣言以降、ライブに人が集まるということがあたかも罪悪視されているように語られている、それに胸が痛みます。音楽とは空気を流して伝わるものです。同じ会場で同じ空気を吸っているからこそ、共感できる。密だから魂が震えるのです。今日はそんな2枚のライブアルバムをご紹介。題して魂のライブアルバム。1枚はこのTHE BLUE HEARTSの初めてのライブアルバムです。1991年のNHKホール、そして1992年と1994年の武道館公演を中心に集めたライブアルバムです。この「人に優しく」は1994年の武道館ライブでした。いろいろな会場の音を集めたものですけど、別々の会場で収録した感じが全くない。ベストライブというアルバムですね。THE BLUE HEARTSのこのライブアルバムと組み合わせられるライブアルバムはあるんだろうか? と思いついたのが憂歌団。1977年のアルバム『生聞59分』から「シカゴ・バウンド」



憂歌団の1977年のライブアルバム『生聞59分』から「シカゴ・バウンド」。生で聞くと書いてライブと読むんだと思いました(笑)。ずっと生聞(なまぎき)だと思ってました。この曲の作詞作曲は尾関真さん。このアルバムの中では「俺の村では、俺も人気者」という曲も書いていますね。名古屋で尾関ブラザーズというブルースバンドを組んでいた。内田勘太郎さんが名古屋に行った時に今まで聴いたことのない日本語の音楽と出会ったということで彼と知り合う。そんな経緯を読んだことがあります。僕らが憂歌団を聴いた時もそんな印象でしたね。今まで聴いたことのない日本語のブルースがこのアルバムでありました。



憂歌団の1977年のライブアルバム『生聞59分』から「パチンコ・ランラン・ブルース 」でした。このアルバムの発売がTrio SHOWBOATレーベルだったんですよ。SHOW BOATレーベルは、トリオがはっぴぃえんどの事務所「風都市」と一緒に作ったレーベルなんです。南佳孝さん、吉田美奈子さん、小坂忠さん、久保田麻琴と夕焼け楽団とかいろいろな個性的なアーティストを世に送り出しましたが、憂歌団もその中に入ってました。でもこのアルバムのインパクトは凄かったですね。関西のブルースバンドは1970年代にはサウス・トゥ・サウスをはじめ、ソー・バッド・レビューとかウエスト・ロード・ブルース・バンド、スター・キング・デリシャスとか錚々たるバンドがいたので、関東の僕らにはちょっと遠目に見るような感じで。すげえなあいつらという目で見ていたのですが、この憂歌団は全然違うものがいきなり飛び込んできた。エネルギーに圧倒されたという感じがありました。

木村充揮さんと内田勘太郎さんの2人が大阪市立工芸高校の同級生で、同じ日本画コースだった。当時大阪の天王寺に板根楽器というお店があって、そこにブルースのアルバムがたくさん置いてあって、そこでブルースを知るようになってバンドを始めた。その板根楽器に紹介されたのが京都のウエスト・ロード・ブルース・バンドの塩次伸二さんだったとお二人から聞きました。そして、初めてプロのステージに出たのが京都会館のジャズとブルースのコンサート。マーサ三宅さんという東京のジャズボーカリストがいて、2人がそこにアマチュアで出て「カンサス・シティ」を歌った時にプロの顔色が変わったんだそうです。こういう話は2010年にアルバム『憂歌兄弟』が出た時にお二人から伺ったんですけど、当時も今もこんな風にギターを弾ける、こんな歌を歌える人は未だにいない。そういう曲をお聴きいただきましょう。



いろいろな人がカバーしていますが、この曲を超えるものはないでしょうね。憂歌団と加山雄三さんは現象的というか、外見的に世の中の扱い方や見え方が対極に近いでしょう。これだけ演奏もアレンジも歌もパフォーマンスも全然違うことをやっていながら、加山さんの曲もいいと感じさせてくれる、曲の良さがちゃんと伝わる。これは曲の解釈が加山さんと同じところに立ってる。形も違うんだけど同じものを理解しているというカバーではないでしょうか。憂歌団は木村充揮さん、内田勘太郎さん、花岡献治さん、島田和夫さんの4人でありました。島田さんは2012年に亡くなって、その後は元RCサクセションの新井田耕造さんが参加してますね。新井田さんが参加したライブを赤坂BLITZで見ましたけど、凄かったですね。新井田さんは忌野清志郎さんのブルースをガッチリと受け止めて、スローバラードをちゃんと叩いてきた人です。それが憂歌団に入って、関東とか関西とかいうのはもういいんだよというようなブルースのライブになっておりました。ライブが見たいですねえ。さっきも申し上げましたけども、関東の音楽ファンにとって関西のブルース系のバンドは敷居が高かったんです。例えば木村充揮さん、内田勘太郎さんは高校生の頃から、エルモア・ジェームスとか聴いていたわけで、ブルースとは何か? というところから掘り起こして、自分たちの生き方にもしている。生活感、ある意味の泥臭さ、混沌としたエネルギーを全部演奏や歌にしていて鬼気迫るものがありました。でもユーモラスで皆暖かくて熱っぽいんですね。それに僕らは圧倒され続けた。そんな1970年代でしたが、この憂歌団のライブが収録されたのは、京大の西部講堂です。西部講堂、恐れ入る場所です。衝撃のデビュー曲をお聴きください。「おそうじオバチャン」、「嫌んなった」2曲続けてお聴きください。





京大西部講堂には1970年代にムッシュかまやつさんについて行った記憶がありますね。ここが京大西部講堂かと思いました。屋根にはまだオリオンの三ツ星が描かれておりました。今は内田さんは沖縄に在住でありまして、皆が一緒にやる機会はそんなにないんでしょうね。木村さんはソロ活動を精力的にやっております。今年は全然できないかとは思いますが、去年は『ザ・ライブ!』という2枚組アルバムを出しているんですね。ソロキャリア史上初のライブ盤。キャッチフレーズがいいですよ、”64歳の天使のダミ声”。その中にも「シカゴ・バウンド」と「嫌んなった」が収録されており、有山じゅんじさんと一緒にやられておりました。1977年発売の憂歌団、『生聞59分』から「おそうじオバチャン」、「嫌んなった」をお聴きいただきました。

ハンマー / THE BLUE HEARTS
リンダ リンダ / THE BLUE HEARTS

THE BLUE HEARTSの1996年に発売になったライブアルバム『LIVE ALL SOLD OUT』から「ハンマー」、「リンダ リンダ」の2曲を続けてお聴きいただきました。「ハンマー」は1987年2月に出た自主制作シングル『人にやさしく』のカップリングですね。「リンダ リンダ」は同年5月に出たメジャーデビューシングルです。このライブレコーディングは1991年のNHKホールと1992年の武道館。そういう意味では後期の録音ということになりますね。THE BLUE HEARTSがどういうバンドかという説明には、こんなわかりやすいに曲はないかなと思ったりもしました。「ハンマー」では、ハンマーが僕らの頭の上で振り下ろされるんです。ハンマーが世界中至る所で打ち下ろされる。打ち下ろされる側の歌なんですね。「リンダ リンダ」もそうです。忌み嫌われるドブネズミみたいに美しくなりたいと歌っているわけです。ドブネズミを美しいと歌っているのは、憂歌団と通じますね。最初の全国ツアーもドブネズミツアーでした。

THE BLUE HEARTSを初めて観たのは1987年の日比谷野外音楽堂でした。ドブネズミツアーの前で、東京でのお披露目のコンサート。4月に日比谷野外音楽堂でラフィン・ノーズがライブをやって、事故で亡くなってしまう方いた。THE BLUE HEARTSはパンクバンドでしたから、会場に警備があって、客席の通路の間に鉄柵が組まれて移動できないという異常な状態でライブが始まったんです。そしたら甲本ヒロトさんが「何だか動物園みてえだな」と言ったのが印象的でした。ステージから同情されるライブでありました。その後に1987年8月に熊本県阿蘇郡で行われた野外イベント、BEAT CHILDに、THE BLUE HEARTSも出たんです。その時もヒロトさんは「ウッドストックみたいだな」とおっしゃっていました。BEAT CHILDの時にはまだこの曲は誕生していなかったなと思いました。「青空」

青空 / THE BLUE HEARTS

1988年にリリースされた3枚目のアルバム『TRAIN-TRAIN』の中の曲です。西部劇ですよ、騎兵隊とインディアンが出てきます。1970年代以前、アメリカのハリウッド製の西部劇映画というのは騎兵隊がインディアンを征伐するというストーリーだったんですね。1960年代の終わりからアメリカのニューシネマが出てきて、騎兵隊の人はインディアンを侵略したんじゃないか?インディアンにも生存権があるという新しい歴史観の西部劇がたくさん生まれました。この「青空」でも、”生まれたところや皮膚や目の色で何がわかるというんだろう”と歌っております。今のニュース、特にアメリカの人種問題そのもののような歌ですね。これは1992年6月の武道館の演奏なんですね。1996年のライブアルバム『LIVE ALL SOLD OUT』からお聴きいただきました。でもTHE BLUE HEARTSの解散は1995年、ライブアルバムは解散発表後に発売されている。活動としては1994年のライブが最後だったわけで、バンドの存続中にライブアルバムは出なかったんだなあと今回改めて気づきましたね。ライブアルバムという形よりも、生のライブだというのが彼らの心意気だったんではないかなと思いながら、その熱気を感じていただこうと思います。「キスしてほしい」、「終わらない歌」二曲続けてどうぞ。

キスしてほしい / THE BLUE HEARTS
終わらない歌 / THE BLUE HEARTS

どちらも1992年6月の武道館ライブ公演からです。THE BLUE HEARTSは、甲本ヒロトさん、真島昌利さん、河口純之助さん、梶原徹也さんの四人組ですね。作詞作曲がヒロトさんとマーシーさん。この2人はピュアですね。ロックンロールの一番シンプルな形とピュアな衝動を持ち続けてる2人です。マーシーさんはギタリストですから、キース・リチャーズとかチャック・ベリーなどのロックン・ロール。ヒロトさんの音楽の目覚めは中学生で出会ったセックス・ピストルズで、パンクですね。日本のバンドだとシーナ&ザ・ロケッツでした。でも私がヒロトさんを改めて好きになったのは、エルヴィス・プレスリーの故郷であるメンフィスを訪ねた時でした。心からロックンロールが好きだっていうことと、エルヴィスの生誕地を訪問することの興奮がすごく初々しく伝わってきて。僕もエルヴィスからロックに入った人間として、年代を超えてると思った記憶がありました。

先ほどの憂歌団の曲にも、メンフィスが出てきましたからね。ヒロトさんのインタビューを読んでいると、ブルースシンガーの名前がいっぱい出てきます。そして去年、ヒロトさんと勘太郎さんがブギ連というブルースデュオを組んで『ブギ連』というアルバムを出しました。これが素晴らしいんです。勘太郎さんのブルースのギターとヒロトさんのボーカルなんですけど、ヒロトさんの声って決してブルース声じゃない。木村さんみたいにこれぞブルースという声ではないんですけども、ヒロトさんのあの声で歌うブルースと勘太郎さんのギターがものすごく合っていて。こういうブルースのアルバムが出たんだと思った記憶があります。アルバム『ブギ連』、機会があればぜひ耳を通してみてください。それでは最後の曲「TRAIN-TRAIN」。

TRAIN-TRAIN / THE BLUE HEARTS

魂のライブ盤ということで憂歌団とTHE BLUE HEARTSをお送りしましたが、ブルースってどういう音楽なんだろうと思った時にこんな歌詞を引用するとどうでしょう。「弱い者が夕暮れ さらに弱い者を叩く その音が響き渡ればブルースは加速していく いい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない」という音楽。説明になってるか分かりませんが、2020年夏の世界の歌だなと思いました。THE BLUE HEARTSの1988年の曲「TRAIN-TRAIN」。1994年の武道館での収録、最後のTHE BLUE HEARTSと言ってもいいのかもしれません。



憂歌団のライブ盤『生聞59分』とTHE BLUE HEARTSの『LIVE ALL SOLD OUT』を紹介いたしました。流れているのは、この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。THE BLUE HEARTSの2人は今、ザ・クロマニヨンズとして活動されていて来年15周年ですね。憂歌団は、それぞれ活動していて、2014年に憂歌兄弟を結成。この時のライブを見て、僕は初めてインタビューしました。憂歌団のライブはその前にも何度か観ているんですが、忘れられないのは阪神淡路大震災の時、神戸のライブハウス、チキンジョージが倒壊した。その時の再開ライブをチケットを買って観に行ったんですけど、そこに憂歌団が出ていたんです。会場に、1970年代の知り合いだった、さこ大介というシンガーソングライターがいて、デイリースポーツに勤めながら曲を作ったりライブをやっていて、憂歌団にも曲を書いているんです。彼がいたんです。「田家さん、木村紹介するよ」と言われて紹介されて、僕も始めましてと挨拶をして再開ライブのチケットにサインしてもらった記憶があります。さこ大介、元気かなと思いますが、チキンジョージは今年で40周年なんですね。40周年おめでとうございます。でもライブは密だからいいんです。来週もそんな放送になればと思いながら、今月もこの特集を続けます。



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210

OFFICIAL WEBSITE : https://cocolo.jp/
OFFICIAL Twitter :@fmcocolo765
OFFICIAL Facebook : @FMCOCOLO
radikoなら、パソコン・スマートフォンでFM COCOLOが無料でクリアに聴けます! 
cocolo.jp/i/radiko