アウグスト・ホルヒ博物館 "もうひとつ"のアウディ・ミュージアム

アウディの創業期、そして、創業者アウグスト・ホルヒの軌跡をたどるために、グレン・ワディントンはドイツ東部のツヴィッカウの街に向かった。

アウディの故郷、ツヴィッカウへようこそ。いや、ツヴィッカウは旧東ドイツの街では? ツヴィッカウで生産されたのはトラバントでは? アウディの拠点は、ツヴィッカウからは200マイル(約320km )ほども離れた、バイエルン州インゴルシュタットでは? いずれもご賢察のとおりだ。
 
インゴルシュタットでは、2000 年にアウディ・ミュージアム・モビール(アウディ自動車博物館)が華々しくオープンした。しかし、アウディがこの街を拠点にしたのは1965 年以降のことだ。この時、アウディの名は実に25 年ぶりにこの街に再登場したのだった。当時、フォルクスワーゲンは生産能力を高めるため、メルセデス・ベンツから、インゴルシュタット工場を所有するアウトウニオン・グループを買い取った。時期を同じくして、優れた技術で創られた新型のサルーンが完成し、それに相応しいブランド・ネームが必要となった。それには「アウディ」の名はまさにうってつけだった。
 
アウディの前身であるアウトウニオンのコングロマリットはもちろん、アウディの創業期、そして創業者アウグスト・ホルヒの軌跡をたどるなら、ドイツ東部ツヴィッカウを目指す必要がある。
 
アウグスト・ホルヒは1868年に生まれ、28歳の時に、マンハイムで発展段階にあったベンツ社(Benz & Companie Rheinische Gasmotoren-Fabrik、通称Benz&Cie)の一員となった。同社は、カール・ベンツが創業したライン川ガスエンジン工場で、1926年には、ゴットリープ・ダイムラーが設立したダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社(DMG)が設立と合併して、ダイムラー・ベンツ社が設立される。
 
話をホルヒに戻すと、1899年にベンツ社を離れてケルンに自社を設立し、2年後に最初アの自動車を製作している。その後、1902年にザクセン地域に、1904年にツヴィッカウに会社を移転させた。しかし、経営幹部との意見の対立から、1909年6月にはホルヒ自身がホルヒ社( Horch-Motorwagenwerke AG:ホルヒ自動車製作所株式会社)から去ることになってしまう。翌1907年4月には、元繊維工場を利用してアウディ社(Audi Automobilwerke GmbH:アウディ自動車工業有限会社)を設立した。その建物が現在のアウグスト・ホルヒ博物館で、ホルヒ社の工場からわずか1.6kmほどしか離れていない。


 
新たな社名の「アウディ」は「ホルヒ」に由来している。ドイツ語で「聞く」を意味する「ホルヒ(horch)」を、ラテン語に訳すと「アウディ(audi)」だ。アウディはその名が意味するとおりに、世間の多くの人々に"聞かれるように"なっていった。アウディ車は、山岳レースのオーストリア・アルペンランで3回連続して勝利を収め、そのクォリティーと信頼性から、たちどころに評判を集めた。さらに、アウディヴェルケAG( Audiwerke AG:アウディ製作所株式会社)へと発展したアウディ社は、ドイツ初の左ハンドル車も発表し、同車はあらゆる競合他社が追随する先例となった。
 
ただ、ホルヒはいつでも、経営者としてよりも、技術分野の革新者としての側面が強い人物だった。彼が手がけた車は、6気筒エンジン、そして8気筒エンジンへと、より高級市場に向けて発展していったものの、この流れは当時の市場動向には逆行していた。1928年にはDKWを率いるイェルゲン・スカフテ・ラスムッセンに買収されることになった。その後、アウディは新しい試みとして前輪駆動車を開発し、ツヴィッカウ工場で生産を開始している。
 
1932年には、DKW、アウディ、ホルヒの3社が合併し、さらにヴァンダラー社の自動車部門の株を買収して、ドイツに新しい自動車会社連合のアウトウニオンが発足した。アウトウニオンには4つの独自のブランドを持ち、廉価な2ストロークエンジン車から高級リムジンに至るまで幅広い車種を備え、各ブランドの持ち味を生かす方向で事業を進められた。たとえば1933年アウディ・フロントUWは、フェルディナント・ポルシェの設計によるヴァンダラーの2リッター 直列6気筒エンジンを搭載し、サルーンのボディワークはホルヒのボディショップから供給されている。こうしてすべてが順調に進んでいたところに、第二次世界大戦が勃発し、1940年4月にツヴィッカウで生産されたアウディが戦前としては最後の1台となった。
 
アウディに代わって生産されたのは軍用車両だった。しかも、ドイツの自動車産業界で唯一無二の存在であったアウトウニオンの全設備は、後にドイツ民主共和国(旧東ドイツ)となった東部地域に位置していた。戦後には、2ストロークエンジンのDKW 車がここツヴィッカウと旧西ドイツの双方で生産されたものの、ツヴィッカウ製はIFA( Industrieverband Fahrzeugbau:車両製造工業協会)のモデルとして流通し、企業体としてのアウトウニオンは1948年に旧東ドイツで解体されてしまう。その後、アウトウニオンは西ドイツ領のインゴルシュタットを新たな拠点として再建され、1954年以降はメルセデス・ベンツによる株式取得が徐々に進められていった。
 
一方、ツヴィッカウの工場は、1958年にトラバントで有名なVEB ザクセンリンク社の生産基盤となった。1988年に入ると、工場内の使われていないカフェテリアを利用して、ミュージアム展示が開始された。当初は、IFAとVEBザクセンリンク社のモデルを中心とした、14台の展示から始められたという。1990年にはフォルクスワーゲンがツヴィッカウの工場を引き継ぎ、2002年にはアウディが資金を投じてオリジナルの工場部分の修復や復元を進めた。そして2004から05 年にかけて、3000 ㎡の展示スペースが徐々に再オープンされていった。
 
なお、ミュージアムが今日の見事な状態に整えられたのは、2017 年に施された大がかりな開発と拡張の成果だ。現在は、新たに加えられたエリアをあわせて6500㎡におよぶ敷地に、年間10万人以上の人々が訪れている。場内には見どころが満載で、進む方向を変えるたびに驚きの連続だ。ガイドツアーはゆうに5時間にもおよぶという。ツヴィッカウは街の中心部も美しい歴史的なエリアとなっている。1904年以降は常に自動車製造業の拠点であり続けてきた街で、現在はフォルクスワーゲンがこの街で電気自動車を生産している。
 
こうした背景からも、このミュージアムを訪れる価値は十二分にあるといえるだろう。ミュージアムについてはウェブサイトに詳しく紹介もされているが、まずはオクタン誌とともに館内を巡ってみよう。


HP: アウグスト・ホルヒ博物館
(August Horch Museum Zwickau )
www.horch-museum.de