【9】ニッサンR91Vで宙を舞う! マツダ787BのJ・ハーバートが救出に|ヨコハマタイヤと伝説を作った レーシング・ドライバー 和田孝夫 Vol.9


 91年7月21日の「富士500マイルレース」。

 予選。ポールポジションは長坂尚樹/R・ラッツェンバーガー/P・H・ラファネル組のデンソー トヨタ91C‐V。和田/岡田組の伊太利屋ニッサンR91Vは8番手につける。

「ル・マン24時間レース」の日本車初優勝凱旋レースになったJ・ハーバート/B・ガショー組のレナウンマツダ787Bは9番手。

 スターティングドライバーの和田は11周目、左リアタイヤのバーストで1コーナー手前で宙を舞い、2回転半横転して出火。サンドトラップに裏返しで着地。(車内カメラと炎上シーンはYoutubeで見られる)。その後方を走行していたJ・ハーバートが唯一マシンを止めて救助に駆けつける。和田がマシンから脱出し走り出した。J・ハーバートは右手を差し伸べるが、和田はなぜかその手をふりほどきウオールに向かって走った。J・ハーバートはレースに復帰するが、そのために3周遅れの4位になった。 

 和田は目、顔、首の火傷のために御殿場の病院に入院した。3週間後、病院を抜け出し、8月11日の「スーパーカップRd3富士チャンピオンズレース」に出場したが予選落ちした。

「炎が右目に入り『目玉焼き』になりました(笑)。目がよく見えなかったのでJ・ハーバートと衝突しそうになった。彼の勇気には今も心から感謝しています。病院から抜け出しすぐレースに出場しましたが、鎖骨が折れているのが後になって判明した。速く走れなかった理由がそれ。すぐ三重県津市の『井上整形外科』へ転院しました」

 和田は一瞬の輝く走りを見せる希有なドライバーだ。353戦を闘い、ポールポジション14回(4%)、完走249戦(71%)というデータ(JAF調べ)がある。

 しかし、和田のレースは数字に表れない観客を魅了する何かがある。普通のドライバーならとっくにあきらめるところを最後まであきらめずに一途に走る。エンジンが回らなくてもそのなかで最速タイムを出す孤高のレーシングドライバーなのだ。何度も大事故に遭ってもフェニックスのように甦る。まさに雑草のごとくしぶとさをみせる。

 もし、和田が鈴鹿のF2で大事故を起こさなかったら、あの時にトップドライバーを超える速さを見せたはずだ、と残念がる関係者が多い。

「結婚は83年でした。現在、高校1年生の娘と休日には3人で遊びに行きます。42歳の時の子供だから可愛いですね。娘につられてボクも若返ってますよ」と満面の笑顔を見せた。

 そんな幸せそうな和田の笑顔を見ていると、ヨコハマ一筋に走った男が3カ月の記憶を失った苦悩を背負っているとは到底想像できなかった。 



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