キング・クリムゾン「21世紀のスキッツォイド・マン」当事者たちが明かす50年目の真実

キング・クリムゾンによる1969年の大名曲「21世紀のスキッツォイド・マン」は、いかにロックの作曲水準を上げ、ひとつの音楽ムーブメントをつくりだす要因となったのか。バンドのオリジナルメンバーたちが制作現場を回想。彼らと同時代を過ごしたプログレッシブ・ロックのミュージシャンたちも、この曲の凄まじいインパクトを振り返ってくれた。

1969年の春、ある夜更けのこと。ライブのための遠征から戻ってきた若きロンドンのバンド、イエスのメンバーは、寝る前に一杯ひっかけるためにスピークイージーというクラブに立ち寄った。

「狭くてボロいところだった」と語るのはビル・ブルーフォード。当時はイエスのドラマーだった。「ロックグループはショーを終えた深夜1時ごろになると、よくそこに遅い晩酌とステーキ・サンドウィッチを食べにいったものだ。私たちはその日の仕事先から100マイルほど運転して戻ってきて、まさにそうするところだった」

イエスのメンバーたちが店に入ると、ある地元のバンドがステージでセッティングをしていた。

「入っていくとちょうどキング・クリムゾンが演奏を始めるところで、非常にうやうやしく、また静謐だった」ブルーフォードは語る。「その後、この神々しく全能の、力強い獣が自らを解き放った。誰かがそれまでに聴いたなにものともまったく似ていなかった。誰もこれがいったいなんなのかすらわかっていなかった。歌詞も異様、ミュージシャンたちが演奏に徹する姿も異様、サウンドも異様で、ストロボが焚かれて強烈な激しいエッジをつくりだしていた――なんというか、みんなを凍りつかせていた」

「その夜以来……」と彼は付け加える。「イエスをやめてキング・クリムゾンに入りたいとしか考えられなくなった」

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ほんの3年後、ブルーフォードはこの夢を実現することになる。キング・クリムゾンに加入し、四半世紀にわたって断続的な活動に参加したのだ。しかし彼が加入するまでの間に、彼がスピークイージーで目撃した「神々しく全能の力強い獣」は世界的な名声を獲得することになる。その夜、彼を含めたその場の全員を釘付けにした曲は、英国とアメリカのファンには奇妙で印象的なタイトルで知られるようになる。「21世紀のスキッツォイド・マン」だ。

精密かつ破壊的な「プログレ最初の叫び」

音楽のムーブメントは突然には始まらない。ムーブメントというのはじょじょに形になっていくもので、その起源は遡及的に見いだされる。それでも、「スキツォイド・マン」はさまざまな意味でプログレッシヴ・ロックのビッグバンのように思える。ビートルズの『サージェント・ペパーズ』、ピンク・フロイドの『夜明けの口笛吹き』、ムーディ・ブルースの『デイズ・オヴ・フューチャー・パスト』ほか、60年代の半ばから末頃にかけての冒険心あふれるクラシックはいずれも、このざっくりとだけ定義されたサブジャンルの重要な先駆だ。しかし、重要なのは「スキツォイド・マン」なのだ。1969年の10月10日、キング・クリムゾンのデビューアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』の1曲目としてリリースされたこの曲こそ、つづく50年に花開く、技術的要求の高い、形式を革新するロックの礎を築いたのだ。その影響は、イエス、ジェネシス、ラッシュといった70年代の巨人が発表した作品から、マーズ・ヴォルタ、オーペス、マストドンといった現代の精鋭の作品にまで至る。そして、ブルーフォードが示唆するように、プログレの最初の叫びは力強いものだった。



たんなるひとつの楽曲である以上に、「スキツォイド・マン」は7分半にわたるバンドの動機を示すステイトメントだ。ロックの力強さ、ジャズの即興性、クラシックの精密さが同じ目標に向かって動員されているのだ。楽曲はうなるような、不吉なプロトメタル的リフとともに始まる。ギタリストのロバート・フリップとアルトサックス奏者のイアン・マクドナルドが奏でるこのリフは、地獄のファンファーレのように鳴り響く。バンドがいったん鳴りを潜めると、残るのは刺すようなワンコード。そして、グレッグ・レイクの歪んだ声が、ピート・シンフィールドによる残忍にも予言的な、ヴェトナム戦争時代の対立と腐敗を描いたイメージを怒鳴りだす。

Cats foot, iron claw
Neurosurgeons scream for more
At paranoias poison door
Twenty-first century schizoid man

猫の足、鉄の爪
脳外科医師が「もっとだ」と叫ぶ
パラノイアの毒々しい扉に向かって
21世紀のスキッツォイド・マン

詞の描き出すヴィジョンは激しさを増すばかりだ。

Blood rack, barbed wire
Politicians funeral pyre
Innocents raped with napalm fire …

血塗れの棚、有刺鉄線
政治家を火葬する薪の山
ナパームの炎に陵辱される無垢の人びと…

ここでバンドは長大なインストへ逸脱してゆく。クリームがカウント・ベイシーをカバーしているように聴こえたかと思えば、次は世界で最もやかましく、タフな室内楽のようにも聴こえてくる。メインリフに戻ると、破滅を予告する最後のヴァースが始まる。

Death seed blind mans greed
Poets starving children bleed
Nothing hes got he really needs …

死の種、盲目の男の強欲
詩人どもは飢え子供たちは知を流す
必要なものはひとつも得られぬまま…

カニエ・ウェストまで及んだ影響力と先見の明

「21世紀のスキッツォイド・マンはまるであらゆるものをおびただしいほどに繰り返し多重録音したような作品だ。あなたは一聴するなり、凄まじい衝撃に襲われる」。ピート・タウンゼントは、キング・クリムゾンのアメリカでの所属レーベルであるアトランティックによる『クリムゾン・キングの宮殿』の広告にこんなコメントを寄せた。「マーラーの交響曲第8番以来、アナログレコードの中音域に収められたもっともヘヴィなリフに違いない」[訳注:マーラーの交響曲第8番は演奏に必要な編成が巨大であることから「千人の交響曲」としても知られる]



「スキッツォイド・マン」がプログレの領域――キング・クリムゾン唯一の結成以来のメンバーであるロバート・フリップは、今ではこのムーブメントに対して慎重な見方を示しているが――で影響力を誇ったのと同じように、その影響はより遠くへも届いている。オジー・オズボーンからフレーミング・リップス、ガヴァメント・ミュール、ヴォイヴォド、そしてなんと「レイト・ショー・ウィズ・デヴィッド・レターマン」のハウスバンドに至るまで誰もがこの曲をカバーし、バッド・レリジョンのような歯に衣着せぬパンクスも、1990年の「21st Century Digital Boy」でこの曲をもじっていた。2010年にはカニエ・ウェストが先鋭的なアンセム「パワー」で「スキッツォイド・マン」を大々的にサンプリングした――カニエはそのなかで「例の21世紀に生きてるが、そいつに一杯くわせてやる」とラップしている――ことは、この曲の息の長さと影響力のほどをはっきり示している。

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影響を広げると同時に、作者たちの手によって、この作品は進化しつづけてきた。フリップはキング・クリムゾンのサウンドとレパートリーをこの半世紀にわたって何度もいちからつくりなおしてきたが、彼は全く異なるメンバーたちと共に、しばしば「スキッツォイド・マン」に立ち戻ってきもした。この慣習はいまも続いている。2019年6月にSpotifyで解禁されて以来、100万以上の再生回数を叩き出した(※現在は500万回以上)「スキッツォイド・マン」は同年の秋、キング・クリムゾンの50周年ツアーの場を借りて世界中のステージから響き渡っている。その後に控える『クリムゾン・キングの宮殿』の新たなデラックス盤は、象徴的なオープニング・トラックの別バージョンを収録する予定だ。


2015年、日本でのライブ映像

「スキッツォイド・マン」を最初に耳にしてから半世紀経ってなお、ビル・ブルーフォードはそれがもたらした衝撃と先見の明に畏敬の念をいだいているようだ。

「こんなふうに考えてほしい」とブルーフォード。「1968年に、誰かがあるロックグループに音楽作品でヴェトナム戦争を批判しようと持ちかける。それは来たるべきプログレッシブ・ロックやヘヴィメタル、また生まれつつあったジャズ・ロックにヒントを与えるもので、この一曲にこれらすべての要素が詰め込まれていて、短く痛烈な歌詞もついている――『21世紀のスキッツォイド・マン』以上のものができるはずはない」

「スキッツォイド・マン」に影響を与えた音楽と文学

この曲の不吉な騒々しさを考えればぴったりと言えようが、「21世紀のスキッツォイド・マン」は地下室で誕生した。キング・クリムゾンという名がつく少し前のこと、1969年の1月、このバンドは最初の顔合わせを行った。ロンドンのハマースミス地区にある、フルハム・パレス・カフェの下のリハーサルスペースでのことだ。もともとはアート・ポップバンドのジャイルズ・ジャイルズ&フリップから派生したバンドとして始まり、最終的にはフリップ、木管とキーボードを担当するイアン・マクドナルド、ドラマーのマイケル・ジャイルズがメンバーとなった。マイケルの弟――ベーシストのピーター――は辞め、新たなグループでは、フリップの子供時代からの友人であり、気鋭のロック・アイドルであるグレッグ・レイクがかわりに加入した。


マイケル・ジャイルズ、ピーター・ジャイルズ(Ba, Vo)の兄弟とロバート・フリップの3人で結成された、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップの1968年作『The Saga of Rodney Toady』


右上から時計回りにグレッグ・レイク(Ba, Vo)、マイケル・ジャイルズ(Dr, Perc, Vo)、ロバート・フリップ(Gt)、イアン・マクドナルド(Key, Mellotron, Woodwind, Vibes, Reeds, Vo)(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

「とても小さくて薄汚い地下室だった。スプーンに油のこびりついた、ギリシャ風のカフェの下のね」マイケル・ジャイルズはキング・クリムゾン初期の本拠地について、ローリングストーン誌にこう語ってくれた。

「ジョージのカフェ、とみんな呼んでいた」と述べるのはイアン・マクドナルド。ニューヨークシティに構えるアパートメントで8月に収録したインタビューでのことだ。「オーナーは地下室を誰であれ使いたい人に貸していた。そこに私たちが収まった。マイケルはツーバスのドラムキットを持ち込み、私はメロトロンと巨大なアンプ、100ワットのマーシャルをいくつも持ち込んだ。まさにぎゅうぎゅうとお互い重なり合っていた、ほとんど文字通り。窮屈ではあったが、この親密さが自分たちのやっていることのクリエイティヴな側面に貢献したのかもしれない」

バンドのメンバーたちは音楽地図のいたるところから受けた影響を携えてこの空間に集まった。「ロンドンに着いた1967年、私の内側をふつふつと沸かせていたのは『サージェント・ペパーズ』だった」1995年にフリップはこう述懐した。そのインタビューでは、他の試金石として、ジミ・ヘンドリックスとベラ・バルトークの弦楽四重奏が挙がっている。




マクドナルドもビートルズの名前を重要なインスピレーション源として挙げており、アルトサックス奏者のジョン・ハンディによる切迫したモード・ジャズも並べている。一方で、ジャイルズによると彼は当時ジョン・コルトレーンのドラマーであったエルヴィン・ジョーンズの「なめらかな奔放さ」を称賛してやまなかったともいう。レイクはイギリスの教会聖歌を自分のなかに吸収しており、その様子はデヴィッド・ヴァイゲルによるプログレ史『The Show That Never Ends』に詳しい。また、レイクはビートルズ、シャドウズ、そしてジャニス・イアンをクリムゾン以前のいくつかのバンドでカバーしていた。シンフィールドは「熱狂的な活字中毒」を自称し、シェイクスピアやウィリアム・ブレイクにはじまり、フィリップ・K・ディックやハリール・ジブラーンまであらゆる者に通じていた。

「スキッツォイド・マン」は、煎じ詰めればこうした要素すべてを反映していると言えよう。

集団作曲とパッチワークの過程(1)

「私にしてみれば、あれは集団作曲だった」この4月、フリップはローリングストーン誌に楽曲の発端についてこのように語った。「あの5人の若者たちでなければ不可能だっただろう」

「スキッツォイド・マン」の起源を回顧して、フリップはそれはあたかも物理的な存在であるかのようだったと語る。「私がそいつに初めて出会ったのがいつか、あるいはそいつが私に出会ったのがいつか、はっきり覚えている」「グレッグ・レイクはたしかこんなふうに言っていた。『なあ、ちょっとこれについてきてくれ。こんなアイデアがあるんだ』」フリップは続けて、この楽曲を象徴するヴァースのリフを口ずさむ。「バーン、バディディー、ガーキー…」。


ロバート・フリップによる「スキッツォイド・マン」作曲プロセスの解説音声

この音楽的な空白に足を踏み入れたのは、イアン・マクドナルドだった。

「グレッグはリハーサル室でこの6音のメロディを弾き出した」とマクドナルドは語る。「彼が演奏し始めるなり、私はメロトロンのところまで行って『ダーダーダー』という半音で上昇するフレーズを弾いてみた」

そこにジャイルズは爆裂するドラムフィルでリフに区切りを打った。彼は爆音でセクションを舵取りしたのを覚えている。

「このリフには自分のようなドラマーにとってはおあつらえ向きの肥沃さがあった」と彼はEメールに記している。「ドラムが入り込む余地がたくさんあったし、テンポはツーバスやキット全体で速く、ミディアムに、あるいはゆったりとフィルを叩くのにぴったりだった。リフに合わせて好き勝手やるのもとても楽しかった。好き勝手というか、リフの上から下から斜めから自由に即興演奏すること、と言ったほうがいいだろうか」

ヴァースについては、フリップの思い出すところによれば、ヴォーカルのバッキングをひとつの耳障りな反復するコードだけにしようと言い出したのはレイクだったという。「グレッグが、そのコードをとにかく鳴らしてくれと言うんだ。[歌い出す]『バッ……バッ……バッ……』」

「あのセクションにはほとんどドラムがなかったが、私がマイケルにこう提案した。『最後の小節にだけ入ってきて、そして止めるのはどうだい』」マクドナルドはこのように付け加えて、ヴァースの終わりにあるタイトルそのものの一行にさらなるドラマを与える急転直下のドラムの起源を説明してくれた。

集団作曲とパッチワークの過程(2)

「ミラーズ」と呼ばれるインストのセクションもまたパッチワークからなる。せわしなく動き回る血気盛んなテーマはフリップによって持ち込まれ、続いてまた別の、ほとんどビッグバンドのようなアップテンポのリフになめらかになだれ込む。このリフは、マクドナルドがキング・クリムゾン加入前に陸軍でジャズを演奏していた頃に書いたものだ(アルバム・バージョンでは、この転換は2分25秒ごろに起こる)。

「当時、スタン・ケントンとかいった類のビッグ・バンドにはまっていた」とマクドナルドは語る。「当時はまだ陸軍にいた。『スリー・スコア・アンド・フォー』という断片を書いていたのを、『スキッツォイド・マン』のなかにとりいれた。あのセクション全体が私のもので、既に書き上げていたスコアから拝借してきたんだ」



ジャイルズはこうした多様なセクションのあいだのつなぎをつくりあげるのに重要な役割を果たした。例えば、メインのヴァース・リフから「ミラーズ」へと移るときに徐々に演奏をスピードアップしようと提案したのは彼だった。

ジャイルズが指摘するように、「スリー・スコア・アンド・フォー」のテーマに続くギターとサックスのソロには前もってのロードマップが存在していなかった。「ソロ・セクションはまったくもってフリーでオープンエンドなもので、小節数やソロの長さの限度は決まっていなかった」と彼は記す。「私たちは、自分たちの勘を頼りにして離陸し、飛行していた」

このパッセージは、ジャイルズによれば、「グレッグのほとばしるようなベースラインにあわせて、半分ジャズっぽい感じで、高速な四分の六拍子で即興し実験する自由」を与えたのだという。「ロバートやイアンの突飛なソロに触発されたり、それに並走したりするのもまた楽しかった。彼らのソロはやりたい放題のまま膨れ上がることもなければ、彼らの自然なサイクルを逸脱してしまうこともなかった」


1969年のキング・クリムゾン:左からロバート・フリップ、マイケル・ジャイルズ、グレッグ・レイク、イアン・マクドナルド、ピート・シンフィールド(Words)(Photo by Willie Christie)

ソロが終わると、「スリー・スコア・アンド・フォー」に少しだけ戻った後、バンドは、フリップの手によるまた別のインストのワークアウトへと移る。録音では、4分38秒ごろに始まる部分だ。ここでは、4人のミュージシャンは厳密な隊列を組んで、フレーズとフレーズの間にドラマチックな休止を残す。

「ロバートがこの入り組んだギターのピースをつくったんだ、私たちが『ストップ・スタート』と呼んでいる部分だ」とマクドナルドは回想する。「このセクション全体で私たちは完全にユニゾンしているが、これはもともとはロバートがギターの練習のために考えたもので、それを私たちはバンド全体で演奏するように移植したんだ」

「平凡でつまらないロカビリーのベースとドラムのパターンでは不足だったろう」ジャイルズはストップ・スタートセクションに関してこう書く。「だから私たちはどうしようかと頭を掻いていたのだが、私がみんなでユニゾンで演奏して含蓄のある休止を堪能しようと提案した」

そして、これもまたジャイルズが提案したことだが、バンドはストップ・スタートセクション全体をもっと小さな音量で反復し、次いでジャジーなスネアドラムの装飾が導いて「スリー・スコア・アンド・フォー」に入っていく。

5分45秒ごろ、楽曲の中心になる重々しいリフが強引に舞い戻ってくる。区切りをつけるのは、ジャイルズの表現にならえば、「重量級のツーバス」だ。最後のヴァースを終えるとバンドはふたたび加速。ただしここでの加速は2つの炸裂するノイジーでアブストラクトな即興で終わる。

「私はフリージャズ的なカオスを盛ったクレッシェンドを提案したんだ。偽のエンディングの後に短い休止が入って、すると2番めのカオティックなクレッシェンドが現れて作品を締めくくる」とジャイルズは語る。「デューク・エリントン・オーケストラがこうした二重のエンディングを数年先駆けてやっていたのを聴いて、とても感銘を受けた――だから、デューク氏に敬意を評して、ダイナミクスをちょっと拝借しようじゃないか、と」

ピート・シンフィールドの悪夢的な言葉

完成した楽曲は、精緻で疑似交響曲的な構造を持ち、いかにこのバンドがロックの音楽的なスコープを拡大しつつもその核となるインパクトを保ちうるかを示すものだった。

「キング・クリムゾンの音楽はほとんど例外なく、よりヨーロッパ的な構造に基礎をおいていた」とグレッグ・レイクは答えている。ローリングストーン誌のアンディ・グリーンによる2013年のインタビューで、バンドの1969年の作曲プロセスを語った際のことだ。「基礎的なブルースリフを使った音楽ではなかった。まったく異なる和声的な構成要素を持ち、異なる構造を持っていて、つまりヴァース、コーラス、ヴァース、ヴァース、コーラス、ヴァース、ヴァース、コーラス……というものではなかった」

「他にあのバンドについて面白いことといえば、もっとオーケストラ的だったということだ」と彼は付け加える。「ムーディ・ブルースみたいな、穏やかで優しく交響曲的な感じではなかった。強烈だった。『21世紀のスキッツォイド・マン』みたいな曲は文字通り人びとを脅かしたものだ」

もし音楽だけではそうした効果を持っていなかったとしても、ピート・シンフィールドの悪夢的な言葉が要点を明確にした。

バンドの作詞家であり、渋々ローディを務めていたシンフィールドは、初期の地下室でのライティングセッションの常連だった。「2、3ほどいい曲があった」と彼は思い起こす。「バンドはなにかヘヴィなものを探していた。そんなわけで、[「スキッツォイド・マン」の最初のリフを歌う]これはまさに私たちが探し求めていたものだった」


ピート・シンフィールドとロバート・フリップ(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

同じ頃、彼はジャイルズ・ジャイルズ・アンド・フリップとして知られたこのグループへ、生まれつつあったサウンドにぴったりの名前をつけた。

「凄く尊大な感じが欲しかった。それが『王(キング)』を名前に入れたかった理由だ。君主の尊大さ。……バンド自体が尊大だったものだから」とシンフィールドは説明する。「演奏される音楽はとても多様でクレヴァーなものだったから、私はその尊大さが既に名前の中に待ち構えていてほしいと思った」そして、「クリムゾンというのは」と彼は語る。「もしたくさんの炎や暴力的な光景、そして奇妙で暴力的な怪物を描こうと思ったら、この色を使うしかないだろう、という色だ」

「暴力的な光景」は、制作中のこの曲にとって不可欠なものだった。シンフィールドは――彼は自らの母親について「バイセクシュアルのコミュニスト」と説明したことがあるが、彼女ははやくから彼をアクティビズムに触れさせていた――新聞やテレビで絶えず流れ続けるヴェトナム戦争のイメージを目にしたことを覚えている。そのなかには、「カンボジアの上空を飛ぶ爆撃機が棒状の爆弾をいくつも貧しい農民たちに投下する画像や、あの火事から逃げて道を走る小さな女の子の写真もあった」

彼は簡潔だがばらばらな歌詞一式を徐々に書き始めた。言葉を効果的にリスナーの真正面に突きつけることで、こうした残虐行為を糾弾する歌詞だ。「もし映画だったら、それは連続する数フレームに過ぎないだろう」彼は「スキッツォイド・マン」に書き留めた言葉についてこう語る。「この歌詞には、人びとを震え上がらせ、動揺させ、恐れさせ、ドアから逃げ出させてほしかった――あるいは、私は、人びとにこの歌詞を自らの生活のなかにある他の暴力と結びつけてほしかった」

曲名に込められた「近未来の表現」

たとえば、「血まみれの棚(blood rack)」は、彼いわく「肉が山とつまれた肉屋の店頭を連想させるはず」だという。他方、最後のヴァースに出てくる「死の種(death seed)」は、シンフィールドが「悪事の報い」と呼ぶところの、エージェント・オレンジ[ヴェトナム戦争時に米軍がヴェトナムに投下した枯葉剤]のもたらしたものを暗示している。

「ナパームの炎に陵辱される無垢の人びと」は、彼が当時おかれていた状況と、戦場から届けられた光景の対照からきた表現だ。「私があたりを見回しても世界は無垢であるのに、ニュースで私が目にする次の画像は、男たちが火炎放射器で水田を襲撃し、村を焼き落としている様子を映し出す」と彼は語る。「現実のおぞましさを超えるものにはできなかった」

オープニングの一行で言及される「猫の足(cats foot)」はややわかりにくいが暗さには事欠かない。シンフィールドは「猫の手足(cats paw)」というフレーズを参照しているという。フランスの寓話「猿と猫」で有名になったものだ。「かつて、火の中になにか放り込んだり、火の中に入れた栗を取り出すときに猫の手を使ったという」とシンフィールドは語る。「だから、他の誰かの悪い目的のために使われる人のことを猫の足というわけだ」

いくつかのラインは、彼によると――鮮やかにも奇妙な「脳外科医師が『もっとだ』と叫ぶ(neurosurgeons scream for more)」のように――「純粋に音声学的なもの」だという。つまり、歌われたときによく聴こえるフレーズということだ。「パラノイアの毒々しい扉(paranoias poison door)」や「政治家を火葬する薪の山(politicians funeral pyre)」といったラインに現れる頭韻も、シンフィールドによると、「『p』をたくさん続けて置いてみると、歌われたときには、まるでマシンガンのように聞こえる」。

必要もないのに人類が手にしてしまったものとは彼にとってなんだったのか――これは「彼はなにひとつ得られなかった、彼が本当に必要なものは(nothing hes got, he really needs)」という締めくくりのラインのことで、彼によればこのラインは当時読んでいたSF小説にインスパイアされたものだろうとのことだ――と問われ、シンフィールドはこう答えている。「ジーザス、どこから始めればいい? 人類が手にしているものはすべて、彼が必要としていないものであり、求めていないものだった。なにもかも、より大きく、より偉大ななにかをつくるために発展していったが、彼はそれを必要としていなかったし、それは彼自身を破壊するものでさえあった」



楽曲の象徴的なタイトル・ラインは、(シンフィールドが)ある日マクドナルドと一緒にテレビを見ていたときに思いついた。

「『おお、なんてことだ、私たちはみんなおかしくなっていってるぞ』ということを表現するフレーズを探していた。世界中が本当におかしくなりつつあった」と彼は語る。「それを表現する必要があったし、いい感じに聞こえる必要もあった。よく聞こえるっていうのが大事だった」

彼いわく、「スキッツォイド(schizoid)」という単語がどこから来たのか「まったくわからない」のだという。「スキゾフレニアについて学んでいたわけでもないしなにか知識があったわけでもない」とシンフィールドは認める。「私にとっては、『スキゾフレニア』は単に狂った人びとの集団を表す言葉に思えた。それでなぜ『21世紀』かって? それもわからない。『20世紀』より響きがよかったんだ。ふさわしい響きがあった。多くの人々が狂気に陥るのを表現するのにふさわしい響きが」

「天啓だ。まさに予言というべきか」と彼は続ける。「それで私は最終的に、近未来の表現としてそれを入れたんだ。世界がそちらの方向に進んでいるとね」

マイケル・ジャイルズの見方では、楽曲の歌詞は「人びとに対する荒涼とした、不吉で、不穏な警告だった。人間の営みが持つまったくの無知、傲慢、強欲、そして愚かしさに気づいて目覚めよ、という」

ライブで真価を発揮した「スキッツォイド・マン」

「スキッツォイド・マン」の飛び抜けたポテンシャルは、キング・クリムゾンが1969年4月に最初の正式なギグを演奏しだすなり明らかになった。バンドは既にレーベルの関心をひき、熱狂的なプレスもひきつけていた(「フルハム・パレス・ロードのとあるカフェは、その奥底にとてつもないサウンドを秘めている」とインターナショナル・タイムス誌のコラムニストは書いている。シド・スミスによるバンドの決定版の伝記『クリムゾン・キングの宮殿』で引かれているものだ)。こうした初期のショウの強烈さのおかげで、口コミのバズが広がった。バンドはショウのたび「スキッツォイド・マン」で幕を開け、まったくの静寂からあの曲を始めた――そこには人目を引く視覚的なひねりもあった。

「クリムゾンに関する噂が広まってきていたから、私たちは『スキッツォイド・マン』でこんなふうにショウを始めた。最初は静寂で、次に、ドーン」マクドナルドは思い起こす。「ストロボライトを持っていたんだ。ピーター・シンフィールドが管理していた。それを使って、相対的に暗いところから始めて、すぐ『スキッツォイド・マン』とストロボライトをみんなに向けてぶっ放していた」

この投稿をInstagramで見る King Crimson(@kingcrimsonofficial)がシェアした投稿 - 2018年 3月月21日午後8時18分PDT
初期の「スキッツォイド・マン」のライブ体験にぶっ飛ばされた者のひとりがスティーヴ・ハケット、その後ジェネシスのギタリストになる人物で、このバンドは進歩的なロックの作曲のベンチマークを自らに課すことになる。

「私たちは本当にあんなものを他に聴いたことがなかった」とハケットは思いおこす。彼は1969年、ロンドンのマーキーで「スキッツォイド・マン」を観た。キング・クリムゾンはその年の春と夏にかけてそこで頻繁に演奏していた。「フリージャズっぽい感性があって、でもロック的な感性でもって演奏されていた。そして、ギターはずっとサックスと対になっていて、とても角のあるアプローチだった。最も興味深かったのは、作品の精緻さだった。ピート・シンフィールドが[照明を]手作業でやっていた。彼は作品を知っていたから、[ストップ・スタートセクションの]静寂の箇所ではブラック・アウトした。すごく効果的だった」

「彼らは最初に姿をあらわすと、演奏しないように鋭く注意を払っていた」とハケットは続ける。「抑制していたんだ。そのおかげで、ダイナミクスはいっそう過激になっていた。演奏が殴ってくるんだ。バンって!」

シンフィールドいわく、バンドに加わる前はDIYのサイケデリックなライト・ショウに手を出していて、それは「ぐるぐる渦巻いたものやシミが壁面を上下にいったりきたりする」ものだったという。しかし彼がクリムゾンに用意したヴィジュアルのセットアップは、赤、緑、そして青の電球をストロボに加えたもので、より簡潔で、音楽と同じくらいがっちりとリハーサルしたものだった。彼が自分の成果を「スキッツォイド・マン」に取り込み調和させることは重大な課題だった。「私はこういうひとそろいのスイッチを持っていて、音楽に合わせて操作することができた」とシンフィールドは語る。「実際の音楽を覚えなくてはならなくて、しかも音楽はとてもトリッキーなものだった。特に中盤の素早いギターリフ。人びとは[照明が]シンクロしてるものだと思っていた。そうじゃない。私が器用な手先で操作していたんだ」



キング・クリムゾンは、彼らの完全に視聴覚的な挑戦を、その年演奏した最大のショウに持ち込むことができなかった。1969年7月5日、ハイド・パークで開催された巨大野外フェスだ。ヘッドライナーはローリング・ストーンズで、何十万もの人びとが参加した。しかし、昼の日差しのなかであっても「スキッツォイド・マン」は人の心を捉えた。

●キング・クリムゾンがストーンズの前座を務めた50年前のライブを回想

「あのギグの最高潮は、オーディエンスが総立ちになって『スキッツォイド』中のイアン・マクドナルドのソロに喝采を送っていたところだった」クリムゾンのローディーだったリチャード・”ヴィック”・ヴィッカーズは、シド・スミスに語った。「巨大な群衆からの叫び声が起こると首筋の毛が逆だったのを覚えている」

「みんな一歩飛び退いていた感じだった」シンフィールドはその日、目にしたあの曲に対するリアクションを回想してこう語った。「あの曲は託された役目を果たしてくれた」

「スキッツォイド・マン」レコーディング秘話

バンドは既に「スキッツォイド・マン」を、最終的に『クリムゾン・キングの宮殿』に収録されることになる数曲と一緒にレコーディングしようと試みていた。6月、ムーディ・ブルースのプロデューサーであるトニー・クラークと共にだ。しかしセッションはご破算になった。マイケル・ジャイルズはクラークについて「彼は私たちを管理するのに関心があったのだろう」とシド・スミスに語っている。

7月の下旬、バンドはロンドンのウェセックススタジオに自分たちのデビュー作を制作するため再集結した。「スキッツォイド・マン」は彼らがそのセッションで録音した最後の曲で、8月1日の録音だ。

「私たちは全部ワンテイクでやった。最初から最後まで、エディットはない」マクドナルドは回想する。「後から数箇所オーバーダブしたところもあるが、ベーシックなトラックは私たち4人が最初から最後までワンテイクで演奏している。だから、『スキッツォイド・マン』を聴くのにかかる時間というのは、私たちがそれを録音するのにかかった時間ということだ」

フリップは彼のギターソロを8月4日に録音した。長く、流動的なサステイン、ホーンのようなトリル奏法に鋭い唸りを伴いつつ、そのパッセージはほとんど無重力的で、その下で激しくうごめくリズムレクションとは心をひきつけるコントラストをつくりだしている。

1974年のギター・プレイヤー誌でソロの素早い動きをどうやって実現したかについて語る中で、フリップは「すべてダウン・アップでピッキングした」と述べ、クロスピッキングと呼ばれるバンジョーに由来するテクニックについて解説している。彼は13歳ぐらいでこのテクニックを指導者のドン・ストライクから学んだのだという。ストライクはグレッグ・レイクにも教えていた人物だ。

そして、マクドナルドがダブル・トラックで炸裂する長大なサイケデリック・ノイズ・ジャズで続いた。彼が認めるように、該当する部分はアルトサックスによる2つの別々なソロが互いに重なり合ったものだ。彼は、自らが求める不安に満ちた効果を獲得しようと数回にわたって試行し、注意深く演奏を行った。

「ソロを数回演奏したのを覚えている。自分のやり方に満足いかなかったから、しまいにはスタジオの床でとても落ち着きようのないよじれた姿勢になった」とマクドナルドは語り、うずくまった姿勢を再現する。「それであのソロを演奏した。不安な感じが欲しかったから。……全部あまりにスウィートでメロディアスな演奏をしてしまっていた」

「録音するトラック数が足りなかったので、サックスのソロが凄く唐突に終わるのがわかるだろう」と彼は付け加え、ソロの「フッ」と終わる様子を口真似する。4分22秒ごろに聴かれる部分だ。「ロバートのギターを収めるスペースが必要だったから」

この投稿をInstagramで見る King Crimson(@kingcrimsonofficial)がシェアした投稿 - 2018年 2月月28日午後7時28分PST グレッグ・レイクとロバート・フリップ

ポストプロダクションのタッチは楽曲の荒涼として未来的な雰囲気をつくりだす鍵だ。ミキシングの過程で、マクドナルドいわく、バンドはレイクの歌声に甲高いディストーションを加えた。

「ヴォーカル[の効果]のためには、実際コントロール・コンソールに過入力しなければならなかった。……するとヴォーカルが完璧に電子的に歪む」マクドナルドは語る。「実際のところ、コントロールボードにそういうことをするのは非常に良くないことだろう。しかし私たちは実際にそうした。ミキシング中にヴォーカルの信号を突っ込んで、エッジーで不安に満ちたサウンドにしたんだ」

もうひとつ、トラックにうっすらと付け加えられたのは、 ヴァースのあいだ右チャンネルに聴こえる奇妙なシュッという音だ。ギターのコードが鳴るたびに同時に鳴る。この効果を得るために、ジャイルズがややオープンにしたハイハットでリズムを刻み、マクドナルドがミキシング・ボード上でサウンドを操作した。「私はコントロール・ボードのイコライザーを動かして、ハイハットの一打ごとに異なるトーンになるようにした」マクドナルドはこう語り、金属的なパルスの口真似をする。

最初のヘヴィメタル、まったく新しい世界

楽曲のほとんど聞き取れないイントロは、ほんの30秒足らずほどの長さで列車の警笛のように聴こえるが、ウェセックスでバンドがたまたま見つけたとある楽器から鳴っている。

「スタジオにはリードオルガンがあって、たしかパイプを駆動させる送風ポンプを備えていた」マクドナルドは思い返す。「あの音はなにかというと、あれ[オルガン]だ。鍵盤に自分の前腕を載せていた。パイプの中に風を送るふいごはそんなに強くない――基本的にふつうに演奏するのに使われるものだから。腕を鍵盤の上に置くと、貧弱なふいごにとっては完全に過負荷になってしまって、ぜいぜい言うようなこういう感じの音が出る」

「私たちはみんなそのまわりに突っ立っていた」グレッグ・レイクはクラシック・ロック誌でシド・スミスにこう語った。「まるで『宝島』のなかからやってきたみたいなものだった。あの話でも、みんな宝石や財宝の入った箱の周りに突っ立っている。……床から叫び声をあげるこのひどい顔。そいつが私たちに言ったのは『スキッツォイド・マン』の一言――私たちが制作中だった曲そのものだ。あたかも魔法のようななにかが起こっているかのようだった」

アルバムのリリースにあたり、バンドはいくつかの収録曲に副題を付け加えた。「なぜそんなことをしたかといえば……出版上の事情。そうしなかったら5つのタイトルしかない状態だったし、それでは短すぎた」マクドナルドは語る。それで、オープニング・トラックは「21st Century Schizoid Man (including Mirrors)」になった。

「なにかあの複雑な曲の中盤をあらわす一言が必要だった。鏡はいつでも複雑だ。お互いを反射し合うから」シンフィールドは付け加えた言葉についてこう語る。「もし2枚の鏡を持っているなら、鏡の世界を手に入れたことになる」



キング・クリムゾンのデビュー作のなかで耳にすると、「スキッツォイド・マン」は鮮やかなコントラストをなしている。「スキッツォイド・マン」の対には、牧歌的なバラードである「風に語りて」や「ムーンチャイルド」があり、不穏で壮大な「エピタフ」やタイトル曲がある。アルバムのリリース時、ローリングストーン誌の『クリムゾン・キングの宮殿』に対する好意的なレビューは「スキッツォイド・マン」を「軋むようでカオティック」と評し、「風に語りて」への「唐突で息を呑むような」つなぎを賞賛した。一方、メロディ・メーカー誌はオープニング・トラックを「容赦なくエキサイティングだ」と述べた。

「演奏するのがとても難しく、とても恐ろしかった」とフリップは「スキッツォイド・マン」のリリースから5年後に振り返った。1995年には、フリップもこの曲をロックの新時代を予言していたと振り返るようになる。「私にとって『スキッツォイド』は最初のヘヴィメタルだ」と彼は語った。

「私は、自分たちが、ロックとジャズを融合させるという、唯一とは言わないまでも、なにか変わったことをしているのはわかっていた」とジャイルズはこの曲について書いている。「もしかしたらそれは、フランク・ザッパの音楽の一部に近かったかもしれない――私にはわからないが。しかしグレッグの声、ピート・シンフィールドの言葉、ヘヴィ・ロック、そしてフリージャズが組み合わさることで、あの曲はとても特別なものになったし、それまでの音楽とも、1969年の音楽とも違うものになった」

ビル・ブルーフォードは、当時この曲がいかに恐ろしく思えたか強調している。

「他のみんなは『イチクー・パーク』とか『紫色の私の風車』とかについて歌っていた」彼はこう語る。「だからこのことは心にとめて欲しい。『スキッツォイド・マン』の、3つの小さく短い4行のヴァースはすこぶる奇妙だった――もし人びとが『血』とか『神経外科医』とかみたいな言葉で曲を始めようとすれば、こうした言葉はすぐさまイメージを呼び起こす。私たちはより厳しく、より新しい世界にいたんだ」

※筆者のHank Shteamerより:このストーリーのためのインタビューをコーディネートする手助けをしてくれたケイト・アシュリー=ノーマン、デヴィッド・シングルトン、イアン・マクドナルド、ランディ・アレクサンダー、そしてジャッコ・ジャクジクに謝意を捧げる。

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