XTCのアンディ・パートリッジが語るコロナ感染、バンド末期の記憶、災難続きの屈折した人生

XTCのアンディ・パートリッジがCOVID-19、バリウム中毒、20周年を迎えたバンドのラストアルバム『Wasp Star』について語る。「アンディとの会話は彼の音楽を聴いているようだ。一見するとハチャメチャ大騒動、だがその根底にはつねに暗い影が流れている」

ここのところ、アンディ・パートリッジはとくに悪運ばかり続いている。数カ月前にはコロナウイルスに感染したと本人は確信している――加えて、冬に雨が続いたせいでスタジオのドアがイカれてしまった。パンデミックのせいで近隣にはいつもより人が多いため、レコーディングすればもちろん近所迷惑になる。他のアーティストのために書いてボツになった楽曲を集めたニューアルバム『My Failed Songwriting Career』(僕の失敗した作曲家人生)の制作も、事実上停まっている状態だ。

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アンディとの会話は、彼の音楽を聴いているようだ。一見するとハチャメチャだが、その根底にはつねに何か暗いもの、少しばかり邪悪なものが流れている。XTCのラストアルバム『Wasp Star (Apple Venus Volume 2)』の20周年にちなんで最近電話インタビューを行ったところ、バリウムを止めた後あまりにもボロボロで自分の名前も思い出せなかった時期のことから、べろんべろんに酔っぱらって、どこぞの家の玄関から牛乳瓶を1本拝借した一生に一度の窃盗まで(ずっと気にかかって、数週間後に返却しに行ったそうだ)、様々な話を次から次へと語ってくれた。

『Wasp Star』は、アンディの人柄にたがわず多面的だ。冒頭から、快活な「プレイグラウンド」で意表を突かれる。キレのいい心地よいスネアドラムをちりばめた、日差しがさんさんと降り注ぐかのようなギターリフに誘われて、賑やかなパートリッジの遊び場へ一目散に駆けていくと、いじめっ子が今にも獲物に飛びかからんと待ち構えている。「学校を卒業しても、学校生活は一生ついて回る」とパートリッジが告げる。その不吉な警告をかみしめる間もなく、別の騒々しいギターサウンドが次の曲へといざなう。タイトルもずばり「ストゥーピッドリー・ハッピー(知らぬが花)」。

そこからは混乱状態。作曲担当でリードシンガーのコリン・モールディングの控え目な曲が時折入るほかは、狂喜乱舞から逃れることはできない。「イン・アナザー・ライフ」「ボーデッド・アップ」「スタンディング・イン・フォー・ジョー」。心地よくたゆたう「ウーンデッド・ホース」でいったん沼に堕ちたあと、半狂乱なラブソング「ユー・アンド・ザ・クラウズ・ウィル・スティル・ビー・ビューティフル」でまたもや弾け飛び、締めくくりは「ザ・ホィール・アンド・ザ・メイポール」。神話的な中世のリズムの中核には、重々しいメッセージが見え隠れする。すべては終わる、すべては崩れ落ちる――人類も例外ではない、と。「僕はそこまで無知だったのか?/その通り、すべてがほどけていく」と、アンディは感慨深げに歌う。

ローリングストーン誌はアンディにインタビューし、アルバムについて、XTC解散について、そして学校生活をそこまで引きずっている理由について話を聞いた。

※編注:XTCは2006年のコリン脱退から活動休止が続いているが、アンディは2014年に「XTCは解散していない。法的にはコリンと僕のバンドとしてまだ存在している」とツイートしている。

『Wasp Star』制作背景とXTCの終焉

―『Wasp Star』は、私が最初に聴いたXTCのアルバムでした。一般的には、XTCの最高傑作とは見られていませんが、私にとっては一番好きなアルバムです。

アンディ:本当かい? きっと君は「イケてない」組だったんだね。あの作品は、世間からあまり評価されなかった。ふつうはふるい落とされる。たいていはワースト1位か2位だね。(1978年の)『Go 2』と『Wasp Star』が、若者の間でもっとも不人気の2作品だ。

ただ、自分としてはかなり満足している。あれを出したばかりのころは、ちょっと落ち込んだ。でも、どちらかというと(ギタリストの)デイヴ(・グレゴリー)との個人的な確執のせいだろうね。それが作品にも少々表れたのかもしれない。彼はアルバムが完成する前に脱退したからね。だけど、いいアルバムだと思うよ。すごく力強い曲もあるし、エレキギターが炸裂した、ポップな作品だと思う。

―このアルバムを制作するころには、オリジナルメンバーはあなたとコリン・モールディングだけでした。そのことが、制作にどう影響したと思いますか?

アンディ:僕はずうずうしいことに、(デイヴが脱退する前に演奏したギターアレンジを)かなり多用した。「ほう、デイヴはこういう風にするつもりだったのか」と思いながら、リフやらパッセージやらなにやらをちょっとずつね。でもデイヴが脱退したから、アルバムには使わなかった。デイヴが去った時、かなり後味の悪い思いをしたんだ。それで、「よし、これらは全部なしだ、彼がやろうとしていたことを再現しよう、似たような感じでもいい、彼と同じくらい、いやそれ以上良いものを作ろう」となったんだ。

でも、自分をあそこまで追い詰めたことに関しては誇らしかった。「チャーチ・オブ・ウィメン」のソロとかね。そりゃあもう、自分をほめてやりたかった。他の曲にもいくらかそういうところがあって、「ワオ! もしかしたらデイヴがいないおかげで、僕の頭も冴えたんじゃないか」って思ったよ。「デイヴがいたらどうしていただろう?」じゃなく、「あそこはどうにかしたいな」としか考えていなかった。

―アルバムの楽曲の多くは90年代に書かれたそうですね。曲ができた経緯と、2000年に向けて修正した点を教えてください。

アンディ:実際に何があったかというと、ヴァージンの下で(1992年の)『Nonsuch』を制作した後、ヴァージンがプロモーションをミスったんだ。奴らがシングル「ラップド・イン・グレイ」の息の根を止めたようなものだ。それに僕の事情で、ライブツアーもやっていなかった。これ以上ライブツアーはやりたくなかった。ただ曲を書いて、スタジオで作業したかったんだ。

デイヴ・グレゴリーがある日こう言った。「なあ、労働環境が気に入らないときに他のみんながやってることを僕たちもやればいいんじゃないか? ストライキしたらどうだろう?」 ふざけていたのか、ジョークのつもりだったのかは分からない。でも僕は「そいつはいい考えだ」と思った。「その通りだ! ストライキしようぜ!」と言った。で、実際にやったってわけさ。それが5年近くも長引いた。向こうがなかなか僕たちを手放してくれなくてね。その間、曲をリリースできないってことは分かってた。もしリリースすれば、その曲の権利は永久に奴らのものになるからね。



―それでも、曲は書いていたわけですね。1999年の『Apple Venus Volume 1』と『Wasp Star』の違いについて少し教えてください。最終的には、自身のレーベルCooking Vinylからリリースしたんですよね。

アンディ:オーケストラを入れたいなと思ったんだが、オーケストラってのは高い買い物なんだよ。いわば、最高級のコールガールを雇うようなもんさ。1日3万ポンドの世界だよ。でも、どうしても作品に、オーケストラの音色や感触やサウンドが欲しかった。

それで、オーケストラのサンプリングがたくさん入ったサンプラーを自前で買った。Emulatorというサンプラーだった。僕は鍵盤弾きじゃないからさ、ものすご下手くそなんだ。鍵盤を1本指で弾くだけで十分、って感じだから。だけど、どういうわけか思い込んだんだな、「そうとも、アルバムを作るならこれがないと」って。

それから数年かけて、「イースター・シアター」や「アイ・キャント・オウン・ハー」や「ハーヴェスト・フェスティヴァル」を作った。基本的には、『Apple Venus Volume 1』の大半を自前の機材で作った。それで思ったんだ。「OK、もうオーケストラのことを考えるのは飽きたな。そろそろエレキギターに戻ってかき鳴らしたいな」ってね。



―それで『Wasp Star』ではギターに戻ったわけですね。でもなぜ、5年間の空白に書き貯めた曲を全部まとめて1枚の超大作アルバムとしてリリースしなかったのですか?

アンディ:僕はフレイバーをミックスしないのが一番だと思った。牛肉とアイスクリームは一緒にしないほうがいい。最高にうまい肉料理を食べて、それが終わったら最高にうまいアイスクリームを食べようぜ。コリンも同じ考えだったが、デイヴは違った。

デイヴは少し苛立って、こう言った。「おい、なんで出来のいい曲を集めて1枚のアルバムにしないんだよ?」 それで僕はこう言った。「それだと、単なる『Nonsuch 2』じゃないか。エレキのパートと、アコースティックとオーケストラが半々になる。僕は『Nonsuch 2』にはしたくない。ミッシュマッシュ(ごちゃ混ぜ、寄せ集め)は前にもやったじゃないか。オーケストラ色の強い曲がこれだけあるんだから、それを全部まとめようじゃないか。それはそれでひとつの作品にしよう。そしたら、まだエレクトリックの楽曲がこれだけ残ってる。今度はそれをまとめれば、それはそれでアルバムの色が出せるだろう」って。

ライブ活動停止とバリウム中毒

―80年代にツアーを一切やらなくなったのはなぜですか?――それがきっかけで作曲活動に力を入れていったようですね。ライブ用のアレンジを考えなくてよくなったわけですから。

アンディ:ステージが楽しめなくなってね。最初のころは楽しかったよ。駆け出しのころは、人々の注目を浴びるのは楽しかった。なんかゾクゾクしたね。観客は僕たちが何者かも、どんな曲をやるかも分からずポカンとしてて、それが最後には熱狂して歓声を上げるんだから。あれはかなりゾクゾクしたね。

でも、そういうことを5年もやってるのに、金が一切入ってこない。本当さ、大げさに言ってるわけじゃない。5年間ツアーして、僕たちの懐には一銭も入ってこなかったんだ。金が動いているのは分かっていた。見ればわかるさ、「5000人収容のハコで、チケットが1枚Xドルで、ソールドアウト。6回公演で、会場の規模はこうこうこう。ってことはフムフム、なるほど、これだけ金が稼げるわけか。その金はどこに行ったんだ?」

つまりはこういう筋書きなんだよ。死ぬほど働かされて心底ボロボロになったのに、労働に対する対価は支払れない。そりゃあ不満にもなるさ。この手の話は君も子供のころから山のように聞いてきただろう。これこれこういうスターが搾取されて、これこれこういうスターが馬車馬のごとく働かされた。それが僕たちの身にも起きたわけさ。とくに僕は貧乏神をひいた。インタビューでメディアが話を聞きたがるのは僕だったからね。


XTCは1982年にライブ活動を停止

アンディ:それに加えてまさにダメ押しだったのが、僕自身、自分がバリウム中毒だってことを知らなかった。12歳のころ、ちょうど13歳になる手前のころかな、母親の精神病が相当悪化して、僕もかなり参っていた。それでさ。「ああ、なんて可哀そうな子だろう、母親がイカれて精神病院送りになった。きっとこの子も上手く対処できそうにない。彼にもバリウムを与えておこう」

それで12の時にバリウムを与えられた。それからずっとバリウム漬けだよ。知らない間に中毒になってたんだ。毎日ひとつかみ飲んでた。ちっとも効果はなかったけどね。自分には当たり前のことが、実は中毒だってことが分からなかった。言ってる意味わかるかな。

―それで突然バリウムを断ったわけですね。どんな影響がありましたか?

アンディ:1979年に結婚したんだが、でかい全米ツアーの最中、新婚ほやほやの妻は僕が毎日バリウムを飲むのが気に入らなかった。なにしろ1錠じゃない、何錠も飲んでたからね。LAだかどこだったか覚えてないが、何かのコンサートで演奏した時だった。ショウのあと友人らと飲みに出て、ホテルに戻って、こう聞いた。「おい、薬はどこだ?」

すると彼女は「これからはもう飲まなくていいのよ」「なんだって? どういう意味だよ」って言うと、彼女は「全部トイレに流しちゃったわ」 ホテルにあるような、でかい業務用のトイレでさ。

僕はブチきれた。「くそっ! 肝心要のやつがなくなっちまった! でかい全米ツアーはまだ途中だってのに。ちくしょう、どうすりゃいいんだ」って考えたのさ。相当頭に来てたので、大暴れした。ホテルの客室をめちゃくちゃにしたのは、生涯あの時だけだ。本当に申し訳なかった。

気持ちが落ち着いたところで、こう考えた。「待てよ、彼女が正しいかもしれない。あんなもの必要ないだろ。なんの役にも立ってないじゃないか。何かいいことあったか? ゼロだ。もう薬は要らない。僕は大丈夫。きっと上手くいく」

―でも上手くいかなかったんですね。

アンディ:脳みそが溶け出してさ。自分が誰なのかも思い出せないし、どこにいるのかも思い出せないような状態だった。たしかあれは大雪の中、東海岸を走っていた時だったと思う。ニューヨーク州の内陸かどこかだった。僕は「なあ、小便がしたい。ここでバスを停めてくれ」と言って、車から飛び降りて、雪の積もる中をぶらぶらさまよった。膝のあたりまで雪に埋もれながら、空の星を見上げてこう考えていた。「僕は誰だ? 名前はなんだっけ? ここはどこだ? 何か変だぞ。あそこのバスに乗っている奴らはだれだ?」

みんながツアーに連れて行こうとするのを、僕は必至で抵抗した。「いやだ、ちくしょう、僕は家に帰る」 とにかく体が動かなくて、ベッドから起き上がってサウンドチェックに行くこともできなかった。次の公演に向かって車を走らせる間、自分が誰かも分からない始末さ。

結局、とてつもない禁断症状を克服するのに何年もかかった。13年も中毒だったところへ、いきなりドカン! そりゃあ電車も柵に衝突するわな。

問題の多い青春時代

―アルバム(『Wasp Star』)の曲についてずっと訊きたいと思っていたことがあるんです。とくに「プレイグラウンド」についてなんですが、いまのお話にぴったり当てはまるような気がします――若いうちからバリウムを始めて、問題の多い青春時代を送ったという意味で。あなたの生い立ちと重なるところが相当あるように思うのですが、いかがでしょう?

アンディ:そうだね、やせっぽっちでネクラな子供だったから、学校ではかなりいじめられたよ。あまりにも痩せこけてたんで、学校ではステッキと呼ばれた。それがものすごく嫌でね。運動ができるタイプの子によくいじめられてた。でも実は、彼らもひそかに僕のことが好きだったんじゃないかな。彼らを大笑いさせていたし、絵も描けたしね。

僕は世の中がどういうものか分かってて、それが好きじゃなかった。10代半ばに差しさかるころには、学校はいじめの第一段階で、どうやら学校を出ても同じぐらい濃い、同レベルのいじめが続くらしいことに気づいていた。まるっきり学校と変わらない。いじめる奴、エゴの塊、支配する人間。学校のいじめっ子や意地悪な教師と変わらない。

学校の何がムカつくかって、何も教えてくれないところさ。本来教えるべきことを教えちゃくれない。つまり、疑問を持つということをね。実際は疑問を持つと、問題児扱いされるんだ。

この5~10年で、僕も相当政治的になった。人間性や政治思想を毛嫌いする傾向は、おしなべて大きくなっている。でも、「プレイグラウンド」を書いたときは服従の構造が見え始めたときだった。決して質問は許されない。ベールの向こう側を覗いてはならないんだ。





―もう一つ、ぜひお伺いしたかった曲があります。「チャーチ・オブ・ウィメン」です。この曲ができた経緯を少し教えてくれますか?

アンディ:昔はよく、ほぼ毎日のように、娘の小さい、子供用のミニ・アコースティックギターを持ち歩いていたんだ。娘が「ねぇパパ、学校でギターの授業を取りたいの」って言うから買ってやったんだ。「でもどうせ長くは続かないだろうから、店で一番安いやつにしよう」って思ってね。偉大なるロックギターの聖地、ルーマニア製のやつだったよ。娘は数カ月は一生懸命学校でギターを習って、その後は部屋の隅に忘れ去られて、全く手を付けられなくなった。

すごく小さくて軽いから、僕は家じゅうそれを持ち歩いていた。トイレに持って行ってはポロンポロン弾いて、突っ立ってテレビを見ながら、この小さなルーマニアのギターをポロンポロン弾いていた。

ある晩ニュースを見ていた時だった。どんなニュースかは忘れたけど、イントロの出だしの何小節かを適当に弾き始めた。無意識の状態だったから、何となく出てきたのさ。

ちょうどその数年前、素晴らしい本を読んだんだ。バーバラ・G・ウォーカーという女性が書いた『The Womans Encyclopedia of Myths and Secrets』という本だ。おそらく今までで一番好きな本だね。目からうろこが落ちたというか、ガツンとやられた本だった。これまで女性たちが宗教に登場せず、社会や支配層から疎外されていた経緯をまとめた本だった。

そのことが頭の片隅にあったから、女性についての曲や、僕の女性観についての曲を書きたいと思っていたんだ。僕は恥ずかしがり屋で、自分が女好きなのは分かっていたけど、恥ずかしくて女性にどう接すればいいか、どう話しかければいいか分からなかった。拒絶されるのが怖かったんだ。ある意味恐れてもいた。あの麗しきモンスターたちは、僕がお近づきになろうとすると拒絶するんだからね。

アンディの新作はどうなる?

―それとは対極的な「アイム・ザ・マン・フー・マーダード・ラヴ」についてもお話しいただけますか?

アンディ:あれはちょっとした思い付きだった。愛を擬人化してみたらどうだろう? 空に浮かぶ可愛らしいぽっちゃり顔の天使の代わりに、愛の神エロスに小さな弓と矢を持たせてみたら? 「ピューン! 命中! また1人ハートを射貫いたぜ。あいつはもうメロメロ。はっはっは!」 それでいつも思っていたんだ、「もしこのキャラが大人になったら、どんな風になるだろう?」

僕もそれなりに失恋したり、恋煩いをしたことはある。みんなそうだと思うけどね。試しに、愛というキャラクターを抹殺すると想像してみたらどうだろう? 世界は良くなるだろうか、見てみようじゃないか。みんな状況をちゃんと分かっているだろうか? 失恋や恋煩いはないほうがいい? そっちのほうが、世界は良くなっている?



―最後の質問です。今現在、新作を制作中ですか?

アンディ:残念なことに、冬の長雨で自宅のスタジオのドアがかなり歪んでね。6週間ずっと寝たきりだったもんだから、まだ修理していないんだ。あれは人生で最悪の風邪だった。今にして思えば、コロナウイルスにかかっていたんだと思う。

2月から3月にかけては、完全に使い物にならない状態だった。それに毎日大雨、大雨だろ。スタジオのドアは開かないし、納屋のドアも開かない。ようやく元気になったんで、大工を呼んだ。

すると大工はこう言うんだ、「ドアを新品に替える必要がありますね。錠も新しくしたほうがいいでしょう、こっちもいかれていますから」 つまり、仮にスタジオの中に入れても、ドアを絞められないわけさ。ロックダウンのせいで近所の人たちはみんな庭に出てるもんだから、スタジオではヘッドフォンで作業しなくちゃいけない。僕の歌声を隣近所には聴かれたくないからね。

今やっている作業は、これまで誰かのために書いてボツになった曲が何百とあるんだ。それを引っ張り出して、ちゃんと手直しして、1つの作品集にまとめようと思っている。仮タイトルは『My Failed Songwriting Career』さ。