ミュージカル『刀剣乱舞』(以下、刀ミュ / dアニメストア、DMM.comで配信)4作目、「つはものどもがゆめのあと」は第1作「阿津賀志山異聞」に続いて三日月宗近(黒羽麻璃央)、小狐丸(北園涼)、岩融(佐伯大地)、今剣(大平峻也)の4振りが集合。そこに“源氏の重宝”と言われる髭切(三浦宏規)と膝丸(高野洸)が新たに加わる。向かう時代は平安末期から鎌倉初期。鎌倉幕府を成立させまいとする時間遡行軍の目論見を阻止することが目的になる。

「阿津賀志山異聞」の際、主である義経の死に苦しんだ今剣が自ら隊長に名乗り出る。彼が再び試練を乗り越え精神的に強く成長するのか気になるうえ、髭切と膝丸が主(声:茅野イサム)から受けた密命とは何かという新たな謎も。「阿津賀志山異聞」よりも源義経(荒木健太朗)と源頼朝(冨田昌則)の歴史パートが深く描かれ、物語は大きくうねっていく。なるほどこう来たかと膝を打つ快作である。

はじまりは小狐丸による舞「あどうつ聲」から。能の「小鍛冶」に登場する伝説の名刀・小狐丸ならではの能の風情を感じる曲と舞だった。小狐丸はこの能に登場しているものの実際存在したか定かではない。歴史を守ることが刀剣男士の使命ではあるがそもそも「史実」とは何か「つはものどもがゆめのあと」はそこに切り込んでいく。

■見ていて心配になるくらいの今剣

歴史といっても現代人はその目で見たことはなく、書物で語り継がれてきたことしか知らない。その書物もどこまで事実かわからないことも多い。「勧進帳」が人気の義経、弁慶の関わりや、主として弁慶の存在も確実なところはわからない。とすると、今剣、岩融、髭切、膝丸の存在も危うくなってくる。今回はずばりそこをテーマにすることで、いっそう狂おしいほど胸をかきむしられるような刀剣男士たちの心情が描かれる。

4作目にして、舞台装置の階段がこれあまでのザッツ大階段というようなものとはうって変わり、段鼻(踏み板の先端)が凸凹してうねっている。これは単なる装置のリニューアルではなく、この物語の重要なセリフ「自らの存在を疑ったことはあるか」(岩融)を表すような、信じていた歴史はほんとうに正しいか否か、その揺らぎのようにすら見えてくる。刀剣男士たちは、このうねる階段の上をまっすぐ全力で上がったり下りたり飛んだりし続ける。6振りの太刀筋も迷いを振り払うかのように美しい。

いったいどこまで刀剣男士たちは苦しまないとならないのか。とりわけ今剣。「阿津賀志山異聞」から時間が経過しているからまだいいとして、こんなに悩む役、演じていたら病みそうで心配になってしまう。

中盤、今剣が奏でる琵琶の調べから「散るは火の花」の歌で見せる源平合戦。ドライアイスの煙が床を這う幽幻の美が圧巻。そしてここから源氏同士の悲劇の内紛になっていく。今剣の精神状態が心配されるが、気丈。でもじょじょに自分は存在しないんじゃないかと気づいていく。これだけ愛おしく想っている義経と関係がなかったとしたら……という切ない片思い。なんで毎回、今剣は苦しめられるのか。可哀想に。でも今剣は頑張り続ける。

■1作目から進化した役者たち ※この先作品のネタバレに触れます

今剣役の大平峻也は小天狗らしく身のこなしが俊敏。翔ぶときに膝をぐっと高く上げ、ぴょんぴょん跳ねて相手を撹乱する。小刀の軽やかな扱いも小気味良い。闘いのときはピリッとしているが、義経にだけは表情を崩す。そのギャップがたまらない。

今剣を見守る岩融を演じる佐伯大地は、薙刀を振り回す腕の動きが豪快。「阿津賀志山異聞」のときは「ははは」という笑いが書き文字みたいだったがだいぶ自分のものになってきていた。勇猛果敢だが心根はすごく優しいというキャラをみごとに演じている。今剣が自身に関する重大な事実に気づいてないことにいちいちハラハラする表情や、武蔵坊弁慶(田中しげ美)へのはにかんだ表情も良かった。今回、今剣と岩融は「五条大橋の出会い」や「勧進帳」など伝承されている義経と弁慶の数々の名場面を演じるために稽古を積み重ねるが、大平峻也と佐伯大地も今剣と岩融を演じるために稽古と本番を繰り返してきたことをひしひしと感じた。

三日月宗近役の黒羽麻璃央は「阿津賀志山異聞」のときは瞬間瞬間でしゅっと背筋を伸ばてキメることが何度かあったが、今回はいつでも当たり前に優雅な感じになっていて、それが三日月宗近役のもつエリートの余裕のようなものに感じられる。蓮の華を掲げ歌う「この花のように」のたおやかさと凛々しさ。

小狐丸役の北園涼は小狐だけど大きいので、今剣とはまた違う翔ぶ動きをする。階段から大きく跳ぶ躍動感はかなりのもの。今回「阿津賀志山異聞」に続いて今剣が中心に話かと思いきや、三日月丸宗近に重きが置かれていて、小狐丸は、三日月宗近のように闇に隠れて見えない想いをわかりながらも、刀剣男士としての使命に三日月宗近を引き戻そうとする。花びらが舞うような映像のなか、手足の長いふたりの華麗な闘いは鮮烈だった。

三日月宗近を見張る密命を帯びていた髭切、膝丸。初登場らしく新鮮な雰囲気を醸す。ちょっと斜に構えて冷めた現代っ子的な感じがするふたり。一見、似て見えるが、髭切の三浦宏規はちょっとのんきでやさしい雰囲気があって、アクションもくるくると回転して軽やか。膝丸の高野洸はアクロバットが得意だから側転が鮮やかに決まる。公演中止になってしまった舞台『タンブリング』2020ではバック転も披露してくれそうだったので残念だったなあと思いながら配信を見た。

6振り、それぞれ役割が違うが、共通して感じたのが果てしない孤独とアイデンティティが定かでない不安感をそれぞれがそれぞれのやり方で押し殺す悲哀。三日月宗近以外は自分が本当に存在するかわからない。実体がある三日月宗近は仲間のためにルールを破ろうと、藤原泰衡(加古臨王)にすべてを背負わそうとする。戦の天才・義経が生き残ったら戦乱の世になる。そうならないためにも義経は死なねばならない。加古臨王の苦渋の演技。泰衡と三日月宗近が蓮の華を見る場面は今剣と義経、岩融と弁慶、そして三日月宗近と藤原泰衡とエモさ三連弾は心臓保ちません……。