現在、第44作『魔進戦隊キラメイジャー』(2020年)が話題を呼んでいる「スーパー戦隊シリーズ」。その長い歴史を支えているのは、いつの時代にも子どもたちの憧れとなるヒーロー像を大切にし、ワクワクするようなアクション、目を見張る特撮シーン、そして心に残るキャラクタードラマを作り出すスタッフ陣の、作品にかける熱い思いだといえよう。

  • 鈴木武幸(すずき・たけゆき)。1945年、東京都出身。1968年に東映入社後、テレビ部プロデューサーとして『がんばれ!!ロボコン』『アクマイザー3』『サイボーグ009』『未来ロボ ダルタニアス』など数多くの特撮・アニメ作品を手がけた。専務取締役(2010年)顧問兼テレビ事業部門エグゼクティブプロデューサー(2016年)を経て、2018年に退社するまで50年もの長きにわたり、東映制作のテレビ作品に携わり続けた。著書に『夢を追い続ける男』(講談社/2018年)がある

第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)から第43作『騎士竜戦隊リュウソウジャー』(2019年)まで、45年にもわたって子どもたちの人気を集めてきた「スーパー戦隊シリーズ」の歴史を一望できる展示イベント『スーパー戦隊レジェンドヒストリー ~ゴレンジャーからリュウソウジャー、そして未来へ~』が2019年12月13日から2020年2月16日まで横浜・放送ライブラリーにて開催され、幅広い年代の「スーパー戦隊」ファンが連日つめかけて大盛況となった。

ここでは、第5作『太陽戦隊サンバルカン』(1981年)から第19作『超力戦隊オーレンジャー』(1995年)まで連続してプロデューサーを務め、2018年に退社するまでスーパー戦隊シリーズおよび東映特撮ヒーロー作品を見守り続けた元・東映プロデューサー、鈴木武幸氏にインタビューを行って、80年代から90年代にかけてどのように「スーパー戦隊」が進歩・発展を遂げてきたか、そしてシリーズを継続させていくにあたってどのような"チャレンジ"をしてきたかなど、貴重な証言の数々を聞いた。

――『スーパー戦隊レジェンドヒストリー』の展示をご覧になられたご感想はいかがでしたか?

歴代シリーズの展示パネルに使用している写真は、まだテレビの撮影を開始する前の「撮影会」で撮られたスチールがほとんどでしたね。あれをひとつひとつ見ると、当時の記憶がよみがえってきます。

私が担当していたころの「スーパー戦隊」では、1作ごとに撮影会の場所を変えて、なるだけ背景に変化をつけたいと思ってやっていました。今や、本当に懐かしい写真です。こういうのも年々やりにくくなってきて、携帯やスマホで撮影され、すぐに拡散されてしまうので、最近では一般の人が入れない場所を選んで撮影会を行っています。今回の企画展ではパネル展示のほかにも、巨大ロボットや歴代"レッド"ヒーローの立像展示、武器や変身アイテムといった小道具の展示などがあって、趣向を凝らしていて楽しいですね。

――スーパー戦隊の歴史でいいますと、鈴木さんがプロデューサーを務められた『太陽戦隊サンバルカン』はシリーズの方向性を完全に定めた作品として、高い人気を博しました。次の『大戦隊ゴーグルファイブ』(1982年)ではヒーローのアクションに「新体操」を用いて"華麗さ"を打ち出したり、『科学戦隊ダイナマン』(1983年)では敵のジャシンカ帝国のデザインワークにロボットアニメで人気の高かった出渕裕さんを起用したり、シリーズを長く続けていく上でいろいろな新機軸を盛り込んでいました。

私は『サンバルカン』を担当するまで、『闘将ダイモス』(1978年)や『未来ロボ ダルタニアス』(1979年)、『サイボーグ009』(1979年)などのアニメ作品のプロデューサーをやっていたのですが、出渕さんとは『闘将ダイモス』『未来ロボ ダルタニアス』で敵メカのデザインを描いてもらったころからの付き合いでした。出会ったときはまだ10代という若さで、まばゆいばかりの才能を感じていましたから、私が実写作品を手がけるようになったらぜひ出渕さんに実写作品のキャラクターデザインをやってもらいたいと思ったんですよ。

――また『科学戦隊ダイナマン』の中盤以降や『超電子バイオマン』(1984年)では堀長文監督、そして『電撃戦隊チェンジマン』(1985年)からは長石多可男監督と、『Gメン75』などの刑事ドラマで活躍してきた方たちを「スーパー戦隊シリーズ」に招いたのも鈴木さんの大きな功績ですね。

堀監督、長石監督を口説き落として「スーパー戦隊」の演出陣に加わっていただいたのは、やはりしっかりとした"ドラマ"を見せたいから、という理由が大きかったですね。こういった特撮ヒーロー作品では、どうしてもキャラクターやメカニックの活躍を前面に押し出し、強調する必要がありますが、それらを子どもたちに強く印象付けるためには、ヒーローやゲストキャラクター、そして悪の幹部、怪人といった登場人物たちを魅力的に描く"ドラマ"が必要不可欠なんです。

――スタッフの布陣に新風を吹き込むという意味では、第15作『鳥人戦隊ジェットマン』(1991年)ではそれまでキャラクターデザイナーとして参加していたものの、東映テレビ作品の監督は初めてという雨宮慶太さんをパイロット(第1、2話)監督に抜擢したことも、当時ファンの間で大いに話題となりました。

そうでしたね。東映では助監督から現場に入って、経験を重ねてから監督デビューする……という流れがあり、現在もそうやって新たな才能がどんどん生まれてきているんですが、『ジェットマン』のときは「スーパー戦隊シリーズ」に新しい流れを加えたいという思いがあったため、『未来忍者』を撮った雨宮さんにいきなりパイロット監督をお願いしたんです。雨宮さんは第1、2話の画コンテを全カット分描いてきて、これをスタッフに見せたところ「これなら大丈夫」とみんな納得して、見事に役割を果たしてくださいました。

――他にも『地球戦隊ファイブマン』(1990年)で佛田洋さんが特撮監督になるよう矢島信男さんに進言されたり、『大戦隊ゴーグルファイブ』から『地球戦隊ファイブマン』まで9作品連続でメインライターを務め、スーパー戦隊の作品水準を高めてきた曽田博久さんに代わって『鳥人戦隊ジェットマン』では井上敏樹さんをメインに抜擢したりと、シリーズの若返りを図って新しい感性の持ち主をどんどんメインのポジションに据えていった鈴木さんの行動があったからこそ「スーパー戦隊シリーズ」は時代と共に柔軟な変化をしていくことができたと思います。

佛田さんや三池(敏夫)さん、尾上(克郎)さんたちの才能のすばらしさは、ふだんの仕事ぶりを見ていればわかりますからね。どんどん活躍の場を与えていかなければ、と思っていました。