感染拡大を抑制する「ソーシャル・ディスタンシング」に効果はあるのか?

シカゴ大学の経済学者らの試算によると、新型コロナウイルスから最も弱い人々を守るための厳しい対策は、米社会にとって8兆(約860兆円)ドル規模の大きな経済的価値があるという。
 
コロナウイルス感染拡大の対策には莫大な費用がかかる上、経済活動の大部分が一斉に停止している。株式市場は崩壊した。米国内では、失業者数が2020年3月第4週の1週間だけで300万人以上増加した。米国議会は2兆2000万ドル(約236兆5000億円)規模の経済支援策の可決を余儀なくされたが、最前線の各州の予算が崩壊し始めたため、さらなる追加支援策が必要とされるだろう。トランプ大統領は「問題の規模よりも救済策を小さくする訳にはいかない」と不満を漏らしたが、それでも幸いなことに、彼はイースターまでに全てを元通り再開するとした計画を撤回した。

しかし、ソーシャル・ディスタンシング(人同士の距離を取る感染対策)の苦しみから得るものなどあるのだろうか?

シカゴ大学の経済学者が試算したところによると、COVID-19対策によって救える可能性のある命を金額に換算すると、8兆ドル(約860兆円)という莫大な額になるという。同大学の経済学部は、自由市場の厳密な正統性を提唱してきたことでよく知られている。「8兆ドルと言えば米国のGDPの3分の1以上で、年間の国家予算よりも大きい」とシカゴ大学の経済学者は報告書で述べている。

研究報告を主導したマイケル・グリーンストーンは、シカゴ大学ケネス・C・グリフィン経済学部のミルトン・フリードマン特別名誉教授を務める。グリーンストーン教授はローリングストーン誌に対し、コロナウイルスにかかるコストを試算する際にはバランスを重視したかった、と語った。

「お金の話とお金ではない話があった時には、お金絡みの話題の方が圧倒的に説得力を持つ。つまり株式市場の低迷、雇用の増加、GDPの低下などの話題は数値化しやすくわかりやすい。そこで我々は、ソーシャル・ディスタンシングも同じように金額換算することで、効果をわかりやすく伝えられると考えた。」

グリーンストーン教授は、今後3〜4ヶ月間に渡って「適度なソーシャル・ディスタンシング」を続けた場合の効果を試算した。研究では、ソーシャル・ディスタンシングを、「感染の疑いのある人の自宅隔離、同居者の自宅隔離、高齢者や重症化するリスクのある人のソーシャル・ディスタンシング」と定義した。これは「感染拡大を抑制する」ためのホワイトハウスによるガイドラインで規定された定義と、ほぼ同じだ。多くの州(合わせて30州程度)ではさらに踏み込んで、市民に自宅隔離命令を出している。

グリーンストーン教授が主導した研究は、インペリアル・カレッジ・ロンドンによる衝撃の研究結果をベースに作られている。インペリアル・カレッジが発表した、COVID-19による死亡者数が数百万人に達する可能性がある、という警告が米国と英国政府の尻に火を付け、ソーシャル・ディスタンシングの実現に踏み切らせた。シカゴ大学はインペリアル・カレッジの試算モデルをさらに進めて、ウイルス感染といわゆる「オーバーフロー」を回避することによる死亡者数の低減可能性を試算した。オーバーフローとは、医療機関の集中治療室(ICU)のキャパシティ不足が発生し、必要な患者に対して人工呼吸器等による十分な医療行為を施せない状態のことだ。

シカゴ大学の試算モデルでは、ソーシャル・ディスタンシングにより176万人の命が救えるとしている。その内63万人は、ソーシャル・ディスタンシングを実施しなければ病院で適切な治療を受けられず死に至る可能性がある人数だ。ソーシャル・ディスタンシングが感染拡大の「曲線をなだらかにする」可能性があるという明るい知らせが得られた一方で、シカゴ大学による試算によると、米国内の病院システムはこのまま行くとオーバーフローしてしまうという悲惨な結論が出ている。また研究報告書では、適度のソーシャル・ディスタンシングを広く適用しても、ICUでの治療を受けられない患者が100万人近く発生する可能性を指摘している。ICUのベッドを割り当てられない患者はどうなるだろうか? シカゴ大学の研究では「90%は死に至ると試算している」とグリーンストーン教授は言う。(多くの州が、トランプ政権の勧める適度のソーシャル・ディスタンシングではなく完全なロックダウンを採用しようとしているのは、シカゴ大学の試算モデルのような研究結果の方を信用しているからに違いない。)


シカゴ大学の研究は、死の危険から救える可能性のある患者の命を金額換算することに主眼を置いている。計算には、国の機関が日常的に利用している「統計的生命の価値(VSL)」が採用された。VSLは例えば、高速道路の制限速度の引き上げや、ある環境汚染物質を新たに禁止項目に加えるなど、政策変更にかかるコストと利益の計算に使われている。国の機関が、人の生死を左右するかもしれない政策のコスト計算をしていることは「ショッキングな事実かもしれない」とグリーンストーン教授は言う。「政府をはじめ、程度の差こそあれ各州や地方自治体でも採用されている手法だ。社会は常にこのようなトレードオフを受け入れねばならない。」

VSLに基づく試算は、将来の所得や購買行動に限って適用されるものではない。「福祉を評価する際の基準にもなる」とグリーンストーン教授は言う。「市場で売られている食料やテレビなど実際に購入したモノの価値評価だけでなく、友人や家族と過ごす時間の満足度なども評価できる。包括的な評価基準だ。」

米国政府が現在採用している価値基準によると、国民1人あたりの価値は約1100万ドル(約11億8000万円)だ。これを年齢にかかわらず救える命に当てはめると、176万人を救えるとして約20兆ドル(約2150兆円)になる。米国の年間GDPに匹敵する金額だ。

一方で、「私は国家公務員ではない」と言うグリーンストーン教授の採用した価値基準は、政府の基準と異なる。余命の短い高齢者によりリスクの高い疾病であることを考慮して、教授の試算モデルではVSLを年齢別に調整している。「経済理論や常識的感覚から見て、今回の重大な経済問題ではVSLがライフサイクルによって変化する」と教授は言う。つまり寿命があと3年の人と、25年、30年、40年の人とではVSLも異なるはずだという理論だ。しかし年齢別にVSLを調整しても、ソーシャル・ディスタンシングは莫大な経済的利益をもたらす。「通常はどのような政策を採用しようが、これほど大きな利益を上げる機会はめったにない。我々の試算した8兆ドルというのは、1世帯あたり6万ドル(約650万円)に相当する」と教授は主張する。

シカゴ大学による研究結果は、年老いた国民を犠牲にすれば経済は繁栄し続ける、などという右派によるレトリックが根本から誤っていることも証明した。特にテキサス州の副知事による主張は酷かった。寿命の長さを考慮しても、社会から高齢者を失うことは、とても計りしれず耐え難い損失になる。

「テキサス州の副知事とは100%関わりたくない」とグリーンストーン教授は締めくくった。