80年代初頭、すでに400km/hに迫る最高速度をマークしていた!|ル・マンのために開発された 零ベースのレースマシン 童夢RL81 Vol.1

世界が注目した日本で最初のスーパーカー、「童夢 零」は、ジュネーブショーに出品したときから、市販を前提に熟成に務められた。

そして過酷なレースを通して技術力を磨こうと考える。スポーツカーレースの最高峰はル・マン24時間だ。このレースに参戦することを目標に置いたが、チャンスは突然、現れた。

童夢 零とそれをベースにしたレース仕様のスケールモデル化が持ち込まれ、その権利料を資金として79年のル・マン挑戦が決定したのだ。


 あわただしくレーシング仕様のマシンが製作され、ゼッケン6とゼッケン7の2台がル・マンの土を踏んだ。

ネーミングは童夢 零RLである。アルファベットの「RL」はレーシング・ル・マンの頭文字をとったものだ。

パワーユニットはF1にも使われ、信頼性の高いフォード製のV型8気筒、DFVユニットをチョイスした。


 初参戦の79年、47回大会には2台態勢で挑んだ。が、C・クラフト/G・スパイス組、T・トリマー/B・エバンス組ともにル・マンの魔女に惑わされ、リタイアを喫している。


 翌80年はモディファイしたRL80を送り込んだ。このときはC・クラフト/G・スパイス組だけを送り込んだが、予選で7番手につけ、決勝でも快走。25位で初完走を果たしている。

これは一緒に走ったマツダとともに日本車として初めての完走だった。


 意気あがる童夢は、3年目のチャレンジに熟成の域に達したRL81を送り込む。メカニズムに大きな変化はない。

だが、カラーリングを一新し、新たな気分でル・マンに挑んだのである。それまでの2作と同じように、デザインテイストは童夢 零に似せていた。

童夢 RL81後ろ
今見ても凛々しく、しかも優美なフォルムだ。6kmの長いストレートでは400km/hに迫る最高速度をマークしたのだから驚く。

童夢 RL81上
上から見ると、ブレーキやエンジンの冷却のため、数多くスリットが設けられていることが分かる。夜間も走るためヘッドランプも装備する。コクピットには、中央のカバーを後方に開けて乗り込む。

RL81のゼッケン
ドライバーはクリス・クラフトとバーン・エバンスのコンビだ。ゼッケンの上にはル・マン24時間レースに出場するための許可証が張られている。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年6月号 Vol.145(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)