JAGATARAのOtoが語る、江戸アケミが残したメッセージとバンドの過去・現在・未来

2020年1月、伝説のバンドがJagatara2020としてカムバック。復活劇の中心を担ったメンバーのOtoに、2万字のロングインタビューを実施した。聞き手は音楽ライターの内本順一。

江戸アケミさんの葬儀のあと三鷹の駅へと歩く帰り道は、ひとが歩いていなくてずいぶんと寂しかったし、何よりとても寒かった。あれからもう30年が経つ。

「二〇二〇年は江戸アケミの三十回忌にあたる。情況が良ければ、なんらかの形で”じゃがたら祭り”をやりたいと密かに思っている。まあ、アケミも言っていたように、別に”じゃがたら”の名前は必要ではないけれど。みんなでつながることこそが大切だからね。そのときにふさわしい呼び方でいい」

2014年12月に出版されたOtoさんの『つながった世界 — 僕のじゃがたら物語』にその一文があったのを僕は覚えていた。そして、それが実現した。相応しい呼び方は「Jagatara2020」。江戸さんの30年目の命日にあたる2020年1月27日に渋谷クラブクアトロで、Jagatara2020『虹色のファンファーレ』と題された公演が行われた。多数のゲストがじゃがたらの曲を歌ったり演奏したりしたが、そのなかのひとりである鮎川誠さんが「今日はアケミの追悼だけど、”新しいじゃがたらのお祭り”みたいだね」と言った。Otoさんが意図した通り、それはまさに”新しいじゃがたらのお祭り”だった。

2019年3月16日に渋谷クラブクアトロで開催された「TOKYO SOY SOURCE 2019」で、じゃがたらはJagatara2020として蘇り、最後にOtoさんからアナウンスされたのがこの「虹色のファンファーレ」と題された公演だった。その間には熊本に住むOtoさんを除いた何人か(CO-JAGATARA)での、下北沢の小さなお店でのライブもあった。そして12月にはじゃがたら(暗黒大陸じゃがたら~JAGATARA)の過去作品のサブスクリプション配信がスタートした。つまり、じゃがたらの音楽が世界に開かれたのだ。また『南蛮渡来』『裸の王様』『君と踊りあかそう日の出を見るまで』がアナログ盤で復刻(『君と~』はCDも)。新曲2曲と未発表ライブ音源3曲(+カラオケ2曲)を収録した新しいCD『虹色のファンファーレ』と、メンバーのインタビューなどを収めたムック『じゃがたら おまえはおまえの踊りをおどれ』も発売された。


「虹色のファンファーレ」にて(Photo by 西岡浩記)

この一連の動きを通して新たにじゃがたらと”出会った”ひとも、もしかすると1月27日の会場にはいたかもしれない。この30年の間にじゃがたらの音楽と出会い、初めてライブを観るというひとはもっと多かっただろう。でも自分の肌感で書くなら、もっとも多かったのは80年代にじゃがたらのライブを何度か観ていたひとたちだったように思う。見た目以上に、曲に対する反応の仕方でそう感じた。自分も80年代に、追いかけるようにじゃがたらのライブを観に行っていたので、それがわかったし、そういうお客さんたちがなんだか同士のように思えたりもした。みんながいくつかの曲を一緒に歌い、わけても「もうがまんできない」は大合唱となった。ステージの上にいるひとたちも素晴らしかったが、下にいるひとたちも素晴らしかった。上も下もなく、JAGATARA2020とはここにいるみんなのことなんだと理解した。


Oto(Photo by 西岡浩記)

その公演の翌日、渋谷LOFT9で行なわれたトーク&アコースティックライブ「Jagatara2020 ナンのこっちゃい生サロン~お前たちはお前たちの仲間を作れ」に参加し、そしてその翌々日にOtoさんと会って話を聞いた。クアトロ公演のこと、江戸アケミさんの残した言葉のこと、新しいCDのこと、いまとこれからのこと。

じゃがたらと新たに出会ったひと、もう一度出会い直したひと、心にずっとじゃがたらがあり続けたひと。すべてのひとに読んでもらいたい。

80年代初頭のじゃがたらを振り返る

―Otoさんにインタビューさせていただくのは2回目なんですよ。前回はTANGOSの1枚目(※)のときだから、25年以上も前になりますが。

※JAGATARAの南流石とOto、元VIBRASTONEの渡辺貴浩、元ミスター・クリスマスの角田敦によって1994年に結成されたユニット。1stアルバム『水田』は94年9月に発売された。

Oto:おお、そうでしたか。

―そのときにもお話したかもしれませんが、僕にとってじゃがたらは人生で一番大事なバンドなんです。ものすごく影響を受けました。

Oto:(初めて聴いたのは)いくつくらいのとき?

―18か19のとき、通っていたデザイン専門学校の帰りにお茶の水のディスクユニオンで「LAST TANGO IN JUKU」を買ったのがきっかけでしたね。1981年のことです。


1981年に「財団法人じゃがたら」名義でリリースされた1stシングル「LAST TANGO IN JUKU c/w Hay Say!!」。翌年の1stアルバム『南蛮渡来』(「暗黒大陸じゃがたら」名義)に「タンゴ」と改題して再録された。シングル版は『Best Of Jagatara - 西暦2000年分の反省』に収録。

Oto:へえ~。逆に僕が訊きたいんだけど、そのときどんな印象を持ったの?

―その頃は国内のバンドの自主制作盤をいろいろ買って聴いていたんですよ。ザ・スターリンの『スターリニズム』とか、AUTO-MODの「LOVE GENERATION」とか、BANANARIANS、NON BAND、東京ROCKERS関連とか。それらを片っ端からテープに入れて聴いていたんですが、じゃがたらの「タンゴ」(LAST TANGO IN JUKU)と「Hey Say!!」はほかとは異質の耳残り感があって、結局その2曲ばかり何度も繰り返すようになった。何が異質だったのかとあとで考えると、リズムなんですよね。その頃はどちらかというとパンクっぽい音が好きだったけど、じゃがたらはヨコノリで、ファンクで、思い返すとそのとき僕は初めてグルーヴのある音楽に惹かれるようになったんです。

Oto:まだ僕がじゃがたらに入る前の話なんだけど、新宿のハバナムーン(ゴールデン街にあったバー。バンドマンが多数出入りしていた)で友達と飲んでいたら、そこに「LAST TANGO IN JUKU」が置いてあって。初めて聴いたとき、やっぱりドラムとベースのインパクトがすごい強かったんですよ。このドラムとベースは素晴らしいなと思って、そこがもう、いま内本さんが言ったように、ほかのバンドとは違っていたところ。当時は会うひとみんながパンクの話をしていたけど、『DOLL』とかそういう雑誌で話題になっていたバンドとじゃがたらでは、音楽のなかに入っているソースが全然違っていた。

―そうですね。

Oto:僕が「LAST TANGO IN JUKU」に出会う前に、じゃがたらが「11PM」で紹介されたことがあってね。今野雄二さんがサブカルチャーを紹介するコーナーで、そこでは音楽の中身よりもエログロなパフォーマンスで話題になっているバンドがあるっていう紹介のされ方をしていて。『DOLL』に載っていたアケミのインタビューを読んでも、流血パフォーマンスについて「プロレスみたいなライブをやりたかった」とか言ってるから、「いやいや、プロレスはそんな甘いもんじゃないだろ」って否定的な印象を抱いていたんです。だけどそのあとに「LAST TANGO IN JUKU」を聴いて、ぶっとんだ。その頃、僕がずっとやっていきたいバンド像として、エキゾチック・ミュージックというのがあったんですけど。

―マーティン・デニーとか?

Oto:きっかけはマーティン・デニーとかだったけど、「実はローリング・ストーンズだってエキゾチック・ミュージックじゃないか。あれもミクスチャーじゃないか」という聴き方があって。自分のなかで音楽の聴き方がちょっと開かれた時でした。まあストーンズはブルースやソウルなど黒人音楽とロックのミクスチャーだけど、僕の場合はもうちょっとこう、いろんな島の音楽が好きで、バンドにしても5人編成とかじゃなくてキーボードやブラスが入ってるものも好きだったんですよ。

で、バンドの魅力のひとつに長く続けていくことのよさがあると思っていたので、じゃあ長く続けていくには、そういう考え方が合うひとじゃないと難しいだろうなと思っていたんです。そんなときに「LAST TANGO IN JUKU」と出会った。レゲエのフィーリングを持ったドラムとベースなのに、ギターのアプローチは70年代的なロックで……あの頃アケミは南部ロックとか土臭いロックが好きだったからね。そこにフリーキーなサックスのアプローチも加わっていて、アケミの歌い方には独特なパンク感があった。それですごく関心を持ったんです。とりわけドラムに。その頃の僕はレヴォリューショナリーズが大好きで。あと、フェラ・クティも。だからレヴォリューショナリーズごっことフェラ・クティごっこができるドラマーがどっかにいないかなって思ってたんだけど、まあそんなことでとにかくじゃがたらのライブを一度観てみようと、渋谷の屋根裏に観に行ったんです。

そこではもうエログロなパフォーマンスなんてやってなくて、ひたむきに音楽をやっていた。で、やっぱりドラムとベースが僕にはすごく印象的で。それとあの頃はギャング・オブ・フォーとかポップ・グループとかリップ・リグ&パニックなんかも好きだったんだけど、そういう匂いもライブに感じた。そのライブが終わって一番話しやすかったのがドラムのウメちゃんで、話したら家も近かったから、お互いの家を行き来するようになって。ウメちゃんもレヴォリューショナリーズとフェラ・クティが好きだったので「こういう音楽作れないかな」みたいな話をしているなか、「アケミに話してみるよ」ってウメちゃんが言ってくれて、それで初めて「じゃがスタ」(渋谷区松濤の雑居ビルの屋上にあった、じゃがたら専用のスタジオ)でセッションすることになったんです。そのときはレゲエのダブの遊びを延々とやってましたね。

―ウメちゃんは、Otoさんがじゃがたらに入る前にバンドをやめられたんですよね。

Oto:そうなんですよ。だからウメちゃんと一緒にライブをすることは叶わなかったんだけど。


レヴォリューショナリーズは数多くのレゲエ名曲が録音されたジャマイカのスタジオ「チャンネル・ワン」にて、スライ&ロビーを中心に結成されたハウス・バンド


リップ・リグ&パニック、ドン・チェリーとネナ・チェリーが参加した83年の東京公演

―ちなみに僕が初めてじゃがたらのライブを観たのは、82年4月4日に代々木公園の特設ステージで行なわれた『反核ライブ』でした。『南蛮渡来』が出るよりも前。

Oto:それ、ビデオ(『ナンのこっちゃい HISTORY OF JAGATARA』)に入ってるよね。

―入ってましたね。そのときに僕、カメラを持ってたので写真も撮ったんですよ。これなんですけど……。

Oto:おおっ。これはやばい。



Photo by Junichi Uchimoto

―じゃがたらガールズがコーラスをしていて。

Oto:これ、「ジャンキー・ティーチャー」の歌詞を書いているうさぎ(83年の映画『神田川淫乱戦争』に主演した女優・麻生うさぎ)ですよ。うさぎはじゃがたらが好きでP・C・E&Cというグループを始めて、リップ・リグ&パニックみたいな編集的な構成の曲の作り方をしていたんですけど、僕はその頃ダブをやりたかったので、P・C・E&Cのライブにミキサーで参加してダブディレイをやってたんです。うさぎ、可愛かったんだよなぁ。

―このときに初めてじゃがたらを観て何に驚いたかというと、江戸さん、ステージの上で歌っていたかと思うと、バンドがインプロっぽく演奏しているときにはこうやって(下掲の写真のように)下に降りて、客に混ざってステージを観てたりしてるんですよ。それまで僕は、演者はずっとステージ上にいるのが当たり前だと思っていたんですけど。

Oto:はははは。



Photo by Junichi Uchimoto

―これが僕の初めてのじゃがたらライブ体験で、その後83年の日比谷野音の「天国注射の昼」も観て。そして85年の「アース・ビート伝説」を野音の外で聴き、江戸さんが本格復帰した86年に当時まだ六本木にあったインクスティックで観て以降は、行けるライブは必ず行くようになりました。全員揃いの赤いジャケットでやるようになった六本木インクやフジテレビの「ライブ・ジャック」(86年)の公開収録に始まり、89年の活動停止までずっと追いかけるようにして観ていたんです。

Oto:そうだったんだぁ。

30年経ったいまのほうが、アケミの歌が身に沁みてわかる

―さて、今回Jagatara2020としてまた動き始めたわけですが、そこに至る経緯についてはもう『Rooftop』『MUSIC MAGAZINE』『MUSICA』などでOtoさんが詳しく話されてますし、僕も読んだので、それについては今日は聞きません。それよりもやり終えたばかりのクアトロ公演「虹色のファンファーレ」を振り返りながら、いろいろ聞いていければと。

Oto:うん。

―まずクアトロ公演を観て僕が思ったのは、もちろん初めて観るひともいたでしょうけど、あの場にいた多くはかつてじゃかたらが大好きで、なんらかの形で思いを持ち続けていたひとたちだったんじゃないかと。そして、単に「ライブを観る」というよりは、それぞれが自分自身の思い……じゃがたらへの思いだったり、あれからの30年の自分の暮らしや生き方に対する思いだったりを確認したり肯定したりすることができた、そういうライブだったんじゃないかということで。

Oto:うん。そうですね。開演前に僕らは楽屋でスタンバイしていて、そこから(ステージに)上がっていったら、「もうがまんできない」の合唱が起きていて。

―じゃがたらお春のライブ音源(エド&じゃがたらお春『LIVE1979』)がかかっていて、「もうがまんできない」が流れたときにお客さんみんなが一緒に歌っていた。

Oto:まさかみんなが音源に合わせてああやって歌うなんて思ってもみなくて。完全に想像を超えてました。去年の「TOKYO SOY SOURCE 2019」でライブ中にみんなが一緒に歌っている光景を観たときも感激したんだけど、それがさらにこうなったんだなぁと思った。あれって、お客さんたちの30年間の日々から溢れ出てきた歌声でしょ?  江戸アケミの魂をみんなで迎えていたわけですよね。アケミ降臨状態ですよ(笑)。あの始まりは強烈でしたね。こんなふうに情熱を持って集まったみんなと一緒に、これからゲストを迎えてじゃがたらの曲を聴けるのかと思うと興奮した。ま、僕は演奏しなきゃならないんだけど(笑)。

―始まる前にじゃがたらお春の音源をかけることは決めていたんですか?

Oto:別のアイデアもあったんだけど、やっぱりアケミの30回忌だし、僕が入って以降のじゃがたらはこれからステージで見せるわけだから、その前の原石を聴いてもらおうと思って。初めて「じゃがスタ」で一緒にセッションしたとき、アケミは「こんなことをしようとしてくれるやつがいるのか」って僕のこと面白がってくれたと思うんだよね。で、「じゃあ、Otoにじゃがたらの素材を渡さなきゃね」ってアケミが言って、以前のライブテープとかを何本か貸してくれたんですよ。そのなかにあったもので、じゃがたらお春のあのライブテープは特にインパクトがあったんです。


EBBY(Photo by 西岡浩記)


南流石(Photo by 西岡浩記)

―なるほど。「もうがまんできない」で起きたあの合唱が象徴しているように、お客さんたちはそれぞれの強い思いを抱いて観にきていたと思うんですが、きっとメンバーやスタッフのみなさんも特別な気持ちであの場にいたんでしょうね。それは感じました?

Oto:メンバーにもスタッフにもそれぞれ物語はあるだろうけれど、みんなこの場にいることができてよかったと思っていたと思います。いろいろ切ない話もあったけれどね。でも僕はもっとメンバーみんなの30年間の話も聞きたかった。本当はちゃんとしたメンバー宴会をやろうとも考えていたんだけど、リハーサルに時間をとられてしまってできませんでした。

―時間さえあればメンバーひとりひとりの思いを聞きたかった。

Oto:ですね。アケミが亡くなってからの30年をどういうふうに考えて、ひとりひとりどんなふうにバトンを受け取っていたのかなってことに僕は関心があった。ミナミからはときどき連絡があって、よく話を聞いていたんだけどね。僕も「こんなふうに考えてるんだ」って話してたし。で、EBBYはEBBYでFacebook(のプロフィール)に「Jagatara Ebby」って書いてるくらいだから、そこを引き受けてるんだろうし。だからそれぞれの思いがあるだろうし、僕もそこは知りたいところで。

そんななかで自分はどうなんだって考えると、アケミが生きているときに自分ほど一生懸命アケミに関わっているひとはいないだろうと思ってたんだけど、でも亡くなって、時が過ぎていくなかで、「ああ、全然わかってなかったんだなぁ」って思って。もう少しアケミの言うことを理解できていたら、また違った現実があったのかもしれないなって想像するようになった。そのわからなかった部分に関して、長く一緒にいた人間としてはやっぱり後悔もあるし、わかりたいという気持ちがあるから、そういう思いで日々暮らしていくと、ほつほつほつほつと「あ、あの言葉の意味はこういうことだったのかな」っていうのが降ってくるようになって。それがずっと続いている感じなんですよね。アケミの言葉の解明というか、「あれはこういう意味だったんだな」っていうのが何個も貯まっていって、貯まっていくと嬉しくて。歌にしても「なんてステキな歌なんだろ」って思いがでてきて。

だからアケミが生きていた頃よりも30年経ったいまのほうが、歌の中身が身に沁みてわかる。身に沁みてわかりながらギターが弾けるし、音楽ができる。なので、その思いをただ音にするっていうか。僕自身はいまそんなふうになってるから、今回のライブでも1曲1曲味わい深く演奏できたんですよ。

―それはでも、聴き手も一緒で、あの頃は聴き流していた言葉がビンビン心に響いてきた。それは昨年の「SOY SOURCE」でもそうだったし、今回のライブもそうでした。

Oto:そうなんだぁ。そんな話をじっくりしたいね。来てくれたひとたちとそんな話をする会とかやりたいね(笑)。

江戸アケミには、歌わなければならない歌があった

―それから、今回のライブにはたくさんのひとがゲスト・ヴォーカルという形で参加したわけですが、そのうちの何人かが自分の言葉をじゃがたらの歌に加えて歌っていたのが印象的でした。Nobuさん(桑原延享)は「FADE OUT」に自分で書いた歌詞を足して歌っていたし。こだま和文さんは「ある平凡な男の一日」の最後のほうに”大切な日々の暮らし。誰にもおびやかされない日々の暮らし。生きていること”といった言葉を加えていた。

Oto:ね。向井(秀徳)くんも「つながった世界」のなかで”繰り返される諸行無常”って言ってたし、不破(大輔)さんも詞に自分の思いを重ねたベースソロっていうのがあったし。

―「みちくさ」のいとうせいこうさんのラップもそうですが、そんなふうに自分の言葉や音をじゃがたらの歌に乗せていて、その結果としてその歌はそのひとの歌にもなっていたし、2020年のいまの歌にもなっていた。そこが素晴らしいなと思ったんです。で、江戸さんの書く歌詞には、もともとそういう特性が備わっていたんだなとも思ったんですよ。

Oto:アケミが詞を書いてきて、見せてもらうと、ちょっと言い方が曖昧だな、これって何を指しているのかなって思うところがあって。僕が訊くと、「いや、それはひとつのことに限定して言いたいわけじゃないから」って言うわけですよ。「限定させないように書くのがなかなか難しいんだよ」って。

―説明を嫌うひとでしたからね。

Oto:そう。「ひとつのことを、そのひとなりに受け取れるように伝える、そんな言葉の選び方をするのが難しいわけよ」とか言っててね。「じゃあ、それは具体的なことではないんだね?」って訊くと、「オレのなかでの具体的なことであったとしても、それをそのまま伝えると狭くなるから」って言ってた。つまりアケミの意図は、受け手がそれぞれの受け取り方を自由にできるようにすることであって。例えば”オレは決して忘れはしない あの日のすべての出来事を”(「都市生活者の夜」)ってあって、「アケミ、”あの日のすべての出来事”っていうのは、どういうすべて?」って訊くと、「すべてはひとそれぞれで違うだろ。だから具体的にすることはないんだ」というような答えが返ってきましたね。


渋谷クラブクアトロ入口に貼られたJAGATARA『それから』のポスターと江戸アケミの写真(Photo by 西岡浩記)

―だから今回出演された方たちも、それぞれが自分の受け取り方で曲のメッセージを受け取って、自分の言葉のように歌えていたんでしょうね。

Oto:うん。思うんだけど、例えば清志郎さんの歌だったら言ってることがすごく具体的でわかりやすくて、身近な感じで受け取れる。だからひとつの歌を多くのひとが聴いたときに、受け取り方にそれほど誤差が生じない気がするんです。それは清志郎さんの、思ったまんまを伝えるというやり方だったと思うんですけど、アケミが伝えたいのはそもそもそういう個人的な何かへの思いとか解釈とかじゃなくて。もっと言うなら、巨悪のシステムに対しながらどうやって自分らしく生きられるか。それこそ「おまえはおまえのロックンロールをやれ」「おまえはおまえの踊りを踊れ」じゃないけど、いかにそのひとらしく生きることができるかっていうメッセージなんですよね。そうすると言い方も個別のことではなくなっていく。だから、あるときには「オレは別に歌にしたいことなんてないんだよ」と言ってて。

―言ってましたね。

Oto:それは、自分の歌は私小説的なものではない、あるいは具体的な社会批判ではないって意味でそう言ってたわけでね。逆に言うなら、個人的に歌いたいことは別にないけど、歌わなければならない歌がある、っていうことだったと思うんですよ。実際に歌を聴くと、本当にそういうものがほとんどで。巨悪のシステムはアケミにとって「闇」だったり、希望は「光」だったりと、極めてシンプルな言葉遣いをしているんだけど、それをどう選びとってどう歌にするのか。アケミはそこをちゃんとやっていた。闇と太陽と光はアケミのなかですごく大きくて、そのなかでいろんな情景が出てくるんですよね。

昔よりもいまのほうが、じゃがたらの必要性が顕在化している

―先日のライブの本編最後の曲は「夢の海」でした。無人のマイクスタンドにスポットライトがあたり、そこで響いたのは江戸アケミさんの歌声。3時間半に及んだライブのなかで最も重要かつグッときた場面だった。

Oto:うん。


Photo by 西岡浩記

―あそこに「夢の海」という曲をもってきたのは、”飛び出そう 緑の街へ””雨があがれば 陽はまた昇る”……つまり希望を伝えたかったからということですよね。

Oto:希望ですね。うん。かすかな希望。僕は、アケミはガイア意識を感じて歌っていたと思っていて。

―というと?

Oto:高橋健太郎さんは(Rolling Stone Japan掲載のコラムで)エコロジーという言葉を使っていたけど、エコロジーという環境学的な意味でアケミが捉えていたことはきっとなくて、僕はアケミが感じていたのはガイア意識だと思っている。自分は人間という生き物なんだって思ったときに、じゃあその人間ってなんだろうって疑問がわいて、そういうことを集中して突き詰めていったときに”ああ、自分は地球そのものなんだ”ってわかって、地球そのものなのにそれを一番汚しているのは人間じゃないかと気づいて。そこからアケミの歌が変わっていった。83年に「BIG DOOR」って曲を作るんだけど、その前にガイア意識の直接的な体験がアケミのなかで起きて、それからアケミはそこで見たビジョンをどんどん歌にしていくようになったと僕は思っている。だけどその重要なアケミのなかのガイア意識について、これまで誰にも指摘されたことがなかったんですよ。




―そういう意識で歌っているひとって、日本にはあまり……。

Oto:いないでしょ?  まあ、祭り系のなかには何人か知ってる人はいるけれど、日本のロックの歴史のなかでは極めて少ない。そういうひとが誰かいますか?っていう。でも世界を見ると、例えばグレイトフル・デッドとかね。健太郎さんも挙げていたけどマーヴィン・ゲイの「Mercy Mercy Me (The Ecology)」とか。あるいはギル・スコット・ヘロンの曲とかにも既にそういう意識が入っていて。それと比較して「日本のロックは……」みたいに言うつもりはないけど、でも地球人としてそういうことを考えながら作品にしていたアケミはやっぱり稀有だと思う。あえてこういう言い方するけど、成熟していたと思うんですよね。キリスト者として洗礼をのちに蹴ったとはいえ、聖なるものを求める気持ちや哲学的な探究心が働いていた。僕は、江戸アケミはそこが際立っていたと思っていて。

27日に会場のクアトロに行くとき、渋谷駅に着いてハチ公前の交差点を渡る際に深く思ったことがあったんですよ。昔「じゃがスタ」での練習が終わってからアケミとナベちゃんと3人でよくそこを通ったりしていたんだけど、27日にあそこに立ってふとあの頃の情景を思い出した。それで思ったのは、「タンゴ」の歌詞で”ゴミの街に埋もれた 食いかけのハンバーグ”ってあるじゃないですか。みんなはそれをどういう思いで聴いていたのかなってことで。まず「ゴミの街に埋もれた」ってことは、地球はゴミだらけってことでしょ。「食いかけのハンバーグ」ってことは、全部食ってないってことでしょ。ハンバーグはファストフードでしょ。この短いフレーズのなかに、人間がここまで地球をゴミだらけにしてしまったということと、生産はするけどちゃんと食べないで捨ててしまう人間がいるということが織り込まれている。で、”あんたの手から落ちて まわり巡って 地面に吸い取られた”と続くんだけど、それは地球にまた戻っていく状態じゃないですか。地面に吸い取られ、溶けてまた自分の身に返ってくるという循環の映像が浮かぶわけで、それがもうタルコフスキーの映画のように美しいんですよ。アケミの言葉のいくつかは、そういうふうにものすごく映像的で。

「都市生活者の夜」のなかに出てくる”オレの言葉も空に舞ってゆっくりと弧をかき始める”というのもそう。パラレルワールドがある。此岸と彼岸、この世とあの世がある。あの曲は僕が同じビートで15分の尺でって決めて、転換の仕方とリズムの進み方をアケミに渡して、そこからアケミが物語を想像して書いてきたんだけど、その能力の高さたるやハンパじゃないんです。ものすごく高い。だけど、そういうメッセージに歩み寄ったじゃがたら評、江戸アケミ評を僕はいままで見たことがなくて。みんなアケミの資質的な部分とかサウンドのこととかにばかり印象がいってしまうみたいで。

―とはいえ、以前に比べたら江戸さんのそういう歌詞や言葉をリアルに受けとめているひとは増えたと思うし、この前のライブに出演された七尾旅人さんや、「アケミさんが亡くなった年に生まれました」と言っていた折坂悠太さん、あの場にはいなかったけどMars89さんとか、バトンを受け取っている若いミュージシャンも増えましたよね。2003年に江戸さんの十三回忌ライブが新宿ロフトであり、2004年にもクラブチッタで「じゃがたら祭り」があって僕も観に行きましたが、あの頃よりいまのほうがそういう若いミュージシャンも増えたし、じゃがたらの必要性が顕在化している。

Oto:うん。僕もそう感じました。30年が過ぎて、初めてそう感じた。それは現実的に原発の事故が起きちゃってるし、救いようのない社会になってしまったからかなあ。アケミが亡くなったのは1990年で、30年が経ったわけだけど、アケミには過去も現在も未来も全部ひっくるめたビジョンが見えていて、それに対して歌を作っていたからいまがフィットしてくるというか。普通のひとは地球とかガイア意識と一体化した経験なんてないから、ただその地点で目に見える社会を見るわけじゃないですか。例えば1990年の地点で目に見える社会からは、福島原発の事故は見えてないわけで。そうすると原発に対する危機感も当然変わってくる。だから当時の普通のひとからしたら、アケミの歌は心配性神経過敏症のひとの歌に聴こえたかもしれない。豊かな暮らしを楽しんでいるときに何を辛気臭いこと言ってんだよ、みたいな感じでね。で、言葉がスルーしていって、入ってこないまま聴かれていたんじゃないかって思うんです。でもいまは全然ストレートに入ってくる。それはここまで日本が嘘だらけの黒塗り国家になって、闇に覆われてしまったからじゃないかとも思うんですよ。

お前たちはお前たちの仲間を作れ

―こういう話をしていると、江戸さんがいかにシリアスに現実社会を捉え、危機意識を強く持ち、未来に向けて予言的な言葉を多く残した凄い芸術家だったかという話になっていくわけですが、でも一方で大らかで明るくて、バカなことをたくさん言ったりやったりしていたひとでもあったわけじゃないですか。28日のイベント(「Jagatara2020 ナンのこっちゃい生サロン~お前たちはお前たちの仲間を作れ」)のトークで、山本政志監督が「アケミは凄い人だったと言われてるけど、オレはあいつのバカなとこいっぱい知ってるから。じゃがたらのバカパートを忘れてほしくないんだよ」とおっしゃってて、僕もダジャレばっか言ってる江戸さんが好きだったのでなんかスッとしたんですよ。昔、渋谷陽一さんの「サウンドストリート」(NHK-FM、82年10月放送)に江戸さんとOtoさんが出たときに、江戸さんが「なんかエラそうなこと言ってるけど、オレ、ほんとはバカなんだよ。それが言いたいね」「バカでなぜ悪い?!」って言っていて。そういう江戸さんを最高だなと思っていたので。

Oto:そうそう、そこはほんとに大事なところで。それがアケミの質感なんだよね。だから僕なんかがこうやって自分の解釈を言いすぎると、なかなか評価されなかったことに対するフラストレーションを言ってるみたいになるけど。それって例えばキリストは普通に思っていることを言ってるだけなのに、弟子たちが妙に崇めてしまってそれをひとに言いふるまうみたいな構造に近くなってくる。アケミはさ、自分はエラそうなこと言いたくないって思っていて、「オレはただのナンのこっちゃいジジイだ」って言うわけよ。そこがやっぱり、いいわけですよ。普通のひとはすぐ権威のあるポジションにいきたがるじゃないですか。アケミはそんなポジションいらないわけで。

―むしろ嫌悪している。

Oto:そう。嫌悪してるから「オレはナンのこっちゃいジジイだ!」って(笑)

―そこがステキなんですよねえ。だから、よくIQ(知能指数)が高い低いって言いますけど、江戸さんはEQ(Emotional Intelligence Quotient)=心の知能指数が高いひとだったんだと思って。あるいはLQ(Love Quotient)、つまり損得勘定ではない愛の指数の高いひとだったんだなと。

Oto:うんうん。LOVE Qね。そうするとなに?  山本で言うとバカQ?  BQ?(笑)

―ははははは。いいですね、BQって(笑)。僕はIQが高いだけのひとよりそっちのほうが好きだし、実際にこれからの社会を動かしていくのはEQ、LQの高いひとだと思っている。音楽シーンを見ていてもそうですけど、ずいぶん前からIQの高いミュージシャンやプロデューサーがロック・ミュージックやポップ・ミュージックを作るようになって、それこそ江戸さんのように「オレ、バカなんだよ。バカでなぜ悪い?!」って言いながら大きな声でバーンと歌えるひとがいなくなってしまった。だから僕はそういうバカ指数と愛の指数を併せ持ったシンガーの登場を渇望しているんですけど。

Oto:バカ指数と愛の指数を併せ持ってるって、いいよね。山本が映画でそこを通していけてるのは、やっぱりかっこいいしね。だから僕もアケミを神格化するのは気持ち悪いと思うし。山本が「Oto、そこだけに走るのはやばいぞ」って言ってくれて、僕も「それはその通りだね。オレはその傾向にいきがちなところがあるから、そう言ってくれてありがとね」って素直に認めたんだけど。ただ、神格化するなというのを安易に考えるのは思考停止することになるから。アケミが探求した歌の深さがあって、僕はそこからのメッセージがいま、あれからますます地球を腐らせてしまった僕らひとりひとりに突きつけられていると思うんだ。なのでその歌の内容をしっかり受けとめたいと思っているんです。


Photo by 西岡浩記

―山本監督とOtoさん、いい関係性ですね。

Oto:うん、そうだね。アケミがいて、こういう僕がいて、一緒にやってきたのが面白いと思っているし、僕自身は山本みたいに言ってくれる友達がいてくれることで自分の個性のバランスをとっていけると思うので、そこはありがたいですね。で、いまはミナミがいるから。毎朝起きたらアケミの写真の前に座って必ず対話してその日を始めるとミナミは言ってて、それをずっとやってきているわけだけど、ミナミにはミナミの個性と魂があって、それはアケミとイコールのわけはない。ミナミがセンターとって歌えば、それはアケミの成分とはやっぱり違うわけだからね。アケミはいまいないんだから、いろんなひととのハーモニー、協調性でいかないと。リーダーを立てて、ひとりが全体をひっぱるっていう考え方は、もうしんどいんじゃないかな。

多様性が尊重される時代だけど、ひとりで多様なんて無理だからね。誰かより誰かのほうが凄いって考え方はもう違う。もうそういうプラットホームじゃなくなった。いまはエクステンションの考え方が面白いと思う。「お互いがそれぞれの拡張である」って考える感じです。自分ができないことを相手がやれることの喜び。そうやって補える関係に豊かさを感じる。その感じがバンドを超えて、じゃがたらの音楽で繋がれるひとたちに広がっていったら面白いと思うんだ。違った暮らし方をしているみんなが、お互いを認め合える関係は豊かだと思う。「意識のコミュニティ」みたいなことかなあ。

だから28日のイベントのタイトルを「お前たちはお前たちの仲間を作れ」って付けたんだけど、この腐りきった日本の社会でタフに生き延びるためには、相互依存の関係、ふたりでひとつの関係、ひとりひとりは別々だけど予め繋がっていることをわかり合っているというのが、必要なフォーメーションじゃないかと思っていて。アケミもあの頃からそういうビジョンを見ていて、だから「じゃがたらなんてどうだっていいんだよ。お前たちはお前たちの仲間を作れ」って言ってたんだと思うんだよね。だからクアトロで最後にミナミが客席に入って、みんなで一緒に歌ったことこそが、今回の僕らのメッセージだし。開演前に自然に「もうがまんできない」の声が立ち上がったのも、そういうことだと思うし。もうステージにあがっているメンバーだけがじゃがたらじゃないっていうのが、Jagatara2020のあり方であり、考え方。でもそもそもアケミがそういう考え方だったんだよね。さっき内本さんが奇しくも言ってくれたように、ライブ中にステージから下に降りてバンドを観てたりするアケミがいて、それは象徴的なことだし、アケミの立ち位置であり視点であり資質だったんだと思う。

―初めからそうだった。

Oto:そう。最初からそういうビジョンだったんだと思います。

じゃがたらの今後、Otoにとってのレベルミュージック

―Jagatara2020としてのCD『虹色のファンファーレ』が発売されたので、その話も少ししましょう。新曲が2曲入ってますね。「みんなたちのファンファーレ」と「れいわナンのこっちゃい音頭」。「みんなたちのファンファーレ」はミナミさん色がバーンと出ている明るい曲で。

Oto:内本さんはTANGOSも聴いてくれていたから、TANGOSでミナミが書いてきた歌詞の感じがわかるでしょ。

―一貫してますよね。それでいて、この曲からはミナミさんの歴史も感じるというか、ミナミさんにとっての”それから”があって、この歌に来れているということが伝わってきます。それが凝縮された1曲というか。

Oto:ほんと、そうですね。ミナミの歌が作れたことがすごく嬉しかった。ミナミのなかのアケミへの返礼が普遍的になって、天に応えているような感じがする。それが僕らみんなの歌になっているというか。このメロディがでてきたのはレコーディングが決まってからだけど、リズムのアイデアはずっと持っていたもので、アフリカのトゥアレグのひとたちのビートをファンク的に拡張したものなんです。で、歌の構成は、インドのバジャンに影響を受けている。天に向かって歌う曲をずっと作りたくて。Jagatara2020でそれができたことが、すごく嬉しいんですよ。

―「れいわナンのこっちゃい音頭」のほうはTURTLE ISLANDの永山愛樹さんが歌詞を書いて歌っています。この前のライブで愛樹さんがこれを歌うのを観ていて、江戸さんのバトンを受け取ったひとたちのなかでも、とりわけさっき言った「バカで何が悪い?」っていうようなところ……それこそBQ(笑)やLQの高さを受け継いでいるように感じました。

Oto:そこが僕が彼を好きなところで。だから意図的に。愛樹は明るいけど、明るいだけじゃなくてひとの悲しみと痛みの部分を真剣に受けとめている。爆発的に放出される彼のパワーは、辛さを全部跳ね返すものだと思うんです。人間の良心とか生命力を信じる気持ちが深くて強い。山本が指摘するようなアケミのバカをも包み込む抱擁力を愛樹にも感じたので、これはぜひ愛樹に歌ってもらいたいと思ったんです。大所帯をひとつにまとめる統領に相応しい思いやりが愛樹にはあるんですよ。



―そんな新曲2曲に加えて、88年・89年の未発表ライブ音源が3曲。新曲で「れいわナンのこっちゃい音頭」があって、未発表音源で「へいせいナンのこっちゃい音頭」があるというのがいいですね。

Oto:その2曲で僕とアケミの個性の違いが際立つっていう。アケミはやっぱり原石というか、宇宙に直結しているエネルギーが降りてきてるようなひとだったから……あ、こういう言い方がちょっと気持ち悪いか(苦笑)。この曲のなかで、それまでは”ナンのこ~っちゃ~い”とか気持ちよさそうに歌っているのに、マイナーのワン・コードになって”は~い、ゼロから~、は~い、始まるぜ~”って続いていくところがあって、あのパートを作ってしまうところがアケミらしいというか、ボブ・マーリーに近いところがあるよね。シャウトして、だんだんカオスになり、絶叫していく。言わずにおれないという感じで、強烈に放出されているエネルギーを感じる。まさに江戸アケミ節ですよね。で、「れいわナンのこっちゃい音頭」では僕はあえてそこに手を出さないで、”ナンのこ~っちゃ~い”のリフレインだけお裾分けしてもらった。アケミが生きていたら、「”は~い、ゼロから~”って歌ってるほうが大事なんだよ、ここをカットはなかろう」って言われそうだけど(笑)。でも僕は、じゃがたら流の音頭にしたかったので。




Photo by 西岡浩記

―さて、最後に今回のライブの総括とこれからの活動についてのことを伺えればと。

Oto:Jagatara2020の今回のライブはある種の実験でもあって、要はゲストの方に入ってもらって、どれだけじゃがたらの音楽になるのかってことを自分で知りたかったところがあった。だからなるべく歌ってもらう方にフィットする曲をチョイスしたつもりだけど、それでも噛み合わない曲も出てくるかなぁとか、お客さんが聴いたときに違和感を持つ曲が出てくるかなぁとかって不安も少しあったんです。でもやってみた結果思ったのは、誰に歌ってもらってもいいじゃないかってことで。とにかくゲストに迎えた歌手たちの歌が最高で、演奏しながらひたすら感動してました。一回こっきりの生リミックスみたいなもんでしょ? 聴き逃したくないなぁって感じでしたよ。じゃがたらの音楽性がそこにあれば誰が歌ってもフィットするんだなって思えた。それは愛樹を迎えて「れいわナンのこっちゃい音頭」を作ったときにも思ったことで。愛樹に歌ってもらって、それがじゃがたらになるかどうかは実験だったんだけど、なったなと僕は思ったから。

―なってますね。

Oto:うん。彼の歌がじゃがたらの歌になれてよかったです。それともう一方の話としては、今回、旧作がサブスクリプション化して、要するに世界からいつでもアクセスできるようになった。これは大きなことなんですよ。いままでなら、バンドを固定化して、アルバム作ったらプロモーションして、それに纏わるツアーをしてっていう流れがあったりしたわけだけど、いまはそうやって世界からいつでもアクセスできるから、日本のなかで継続的な活動をしているかどうかはそれほどたいした問題ではないと僕は思っていて。

―なるほど。

Oto:コンサートが決まったら、それ用にセットアップすればいいから、バンドを固定でいく必要はない。それは自分のなかですごく重要なポイントだったんですよ、Jagatara2020をやるにあたって。で、今回のライブは法要なので、自分の人生のなかでのお勤めとしてちゃんと果たしたかったことであり、必要なことだったんだけど、本当にみんなのおかげで無事に終えることができた。だから僕自身はまた森に戻ります。僕自身がライフワークとして選んでいるのは森からの暮らしなので。

ここからの10年で日本はすごい崩壊が起きると思っているし、中産階級はとっくの昔になくなって、もう日本は下層階級社会に落ちた。30年前はまだ自主権を持っていたけど、水の権利は売る、種の権利は売る、食品は遺伝子組み換えとゲノム編集でキテレツなものになってしまっている。政府は「福島は安全です」とかってプロモーションをして、どんどんアメリカ財務省から侵略されて搾取されっぱなしになって、国民は国民で自分たちが茹でガエルにさせられていることに気づかない。本当にとんでもないことになっているわけです。僕はそれに服従することはできないので、始めは音楽やりながらも安全な食べ物を作っている友達を増やしてやりくりしていこうと思っていたんだけど、福島の原発事故が起きたときにそれすらもう難しいと思って、音楽だけやっていられる悠長な時代を終えました。それでまず自分が生き物として安心できる食べ物を自分の手で得る暮らしを始めなきゃと考えて、自給的な暮らしに向かった。それが僕のリアルなロックです。”よく見ろ お前の足元を”とアケミは「HEY SAY!」で歌っていたけど、頭と口でバビロンを非難しても自分の足がバビロンにどっぷり浸かっているようじゃ話にならない。まずは自分の足を洗わないと。世界の支配者たちにとって、食品は人工削減と支配のための兵器なんですよ。誰かが作ったそういう食品を信じて食べるのは覚悟がいる。そんな世界のなかで、なるべく支配と侵略に服従しない暮らしをすることが自由獲得のロックだし、レベル・ミュージック(革命の音楽)なんです。そんな音楽を聴きたいので、じゃあ、まずは自分からやっていこうと。いつまでもただ叫んでるだけじゃ仕方がない。実際に始めていかないとね。アケミといたら僕は絶対そんな話をしていると思うし、僕にとってのじゃがたらのバトンの受け取り方はそこだったんですよね。



Oto:毎日お茶を作って生計を立てているのもそういうことだし、お米と必要な野菜を作って暮らしているのもそう。日々の暮らしのなかではゴハンとみそ汁、あとは梅干しがあれば生きていける。お米は自分で作ったものだし、味噌も大豆を育てて作っている。みそ汁の具は畑でとってきたばかりのものだし。それが僕にとってのレベルミュージックなんだよね。この暮らしをしていても音楽は作れるし、この暮らしをしているからこそ生み出せる音楽がある。だから日々の暮らしを脅かすものに屈しないで暮らすことが大事じゃないかと僕は思っていて。

ーはい。

Oto:世界の人口を削減するために、いまは添加物、遺伝子組み換え、ゲノム編集の技術によって、食品でじわじわと特定のひとたちを殺すことができるようになってしまった。そんな食べ物に依存しながらグローバリズムを批判しても、僕は話にならないと思うんですよ。じゃあ、そういう闇の世界に屈しないで生きていくにはどうしたらいいんだと考えて。そのビジョンをまずは自分から始めてみようと、いまの暮らしに入りました。で、この日々の暮らしがJagatara2020のビジョンになっていきます。いざ始めてみると、面白いですよ。自給的な暮らしは憧れでもあったし、暮らしの技を身につけていけるのは本当に面白い。

なので、メンバーを固定して定期的にいくつもライブをやって、それで暮らしていくというようなバンド形態は、もう考えていません。かつて音楽で生活費を稼ごうなんて考えたことがありましたけど、すごいストレスだった。いまは音楽は純粋に好きなことだけやればいい。ただ、アケミのメッセージがそうだったように、腐ったシステムの餌食にならないために必要な歌や音楽はあるんですよ。なので腐ったシステムの餌食にならないことをしようとしている集まりには参加したい。平たく言えば社会的なテーマを持った集まり。単に有名なバンドが集まるだけの大きなロックフェスとかには、もう興味がないんです。

―出る意味と価値のあるものに限定したい。

Oto:僕自身の考えはそうです。ただ、ライブ自体が楽しいからやりたいという思いのメンバーもいるでしょうし、それはもちろんやっていいと思っていて、そこの自由を僕がどうのこうの言うつもりはないんですよ。だから、僕は渋さ知らズ・システムって呼んでるんだけど(笑)、僕が出れないライブなら誰かゲストを入れてもいいし、若くて面白いギタリストがいれば参加してもらって、また新たなじゃがたらを実験していけばいいと思っているんです。もう、のれん分けって感じでね。アケミがいたときのじゃがたら……大文字のJAGATARAと、いまのJagatara2020は別物なので、別物の可能性を追求してやっていけばいいと思う。じゃがたらの音楽の作り方はもうフォーマットがあるわけだから。ミナミが歌ってもいいし、EBBYが歌ってもいいし、ていゆうが歌ってもいいし、ゲストが歌ってもいいし、そこはオープンでいいと思うんです。

―バンドというよりは、プロジェクト的なあり方ということですね。

Oto:そうですね。昔、渋谷のパルコ3で4時間ライブをやったことがあって、そのときはミナミとユカリがメインで歌う場面とか、ホーンセクションがメインのインストをやる場面とかもあった。そのコーラス・メインの曲もホーンがメインの曲も、結局作品として出すことはできなかったけど、僕はその構想も持っていたんですよ。当時はプリンスのバンドがそういう活動をしてましたよね。いままたそういう試みをするのもいいだろうし、いろんな面白いフロントマンとコラボしながら作品を作るのも面白いと思う。

で、僕自身はさっき言ったように森から発信するというビジョンを進めていきたいと思っています。「じゃがたら復活」とか言われてるけど、ライブに関してはまあ1年に1回か、2〜3年に1回か。わからないけど、それぐらいでやれたらなぁってくらいの感じですね。やらなさすぎかな(笑)。でも次に僕が入ってのJagatara2020のライブが3年後だったとしたら、そのときは3年経ったなりに進化した音楽をやりたいし、進化したじゃがたらを見せたい。新鮮味のないライブはつまらないからね。83年にアケミが高知に帰って86年に戻ってきたわけだけど、そのときも僕なりに考えて、あたかもずっとバンドが続いていたかのように見せようと思っていたんですよ。3年間休んでいたのはこのためだったのかって観たひとが思うぐらいに進化させた状態でアケミを迎えたかった。そういう思いはいまも変わらないから。

―クアトロのライブでも進化がハッキリと伝わってきましたからね。

Oto:そう言ってもらえて嬉しいです。でも進化を見せるには自分がまず準備をしないとね。音楽は日々進化しているわけだから。僕もいろんなひとの音楽を聴いているから刺激は受けるし。特に若いミュージシャンの音楽の消化の仕方に驚くし、新鮮だし。だから3年後にまたあるとしたら新曲をやりたい。

―そうなると、3年後どころか……。

Oto:そうだよね(笑)。やりたいアイデアはいくつかあるんですよ。フィーチャリング(七尾)旅人で作ってみたいし、フィーチャリング折坂くんでも作ってみたいしね。まだほかにもね。まあ僕が勝手に思ってるだけですけど。

―いいですねえ。本当にいろいろ楽しみにしてますよ。

Oto:はい。長いことありがとうございました。


Photo by 西岡浩記


<SPACE SHOWER TV>

「アンコールアワー JAGATARA特集」
※93年にスペシャで放送された番組の再放送となります。
・初回放送 3/13(金)24:00~26:00
・リピート 3/21(土)25:00~
https://www.spaceshowertv.com/program/special/2003_jagatara.html

「Jagatara2020 ライブ&ドキュメント」
・初回放送 3/14(土)22:30~24:00
・リピート 4/4(土)23:30~、4/17(金) 26:30~
https://www.spaceshowertv.com/program/special/2003_jagatara2020.html



Jagatara2020
『虹色のファンファーレ』
Pヴァイン
価格:¥2,000+税
発売中

収録曲
1. みんなたちのファンファーレ(新曲)
2. れいわナンのこっちゃい音頭(新曲)
3. LOVE RAP(1988年/未発表ライブ録音)
4. プッシー・ドクター(1989年/未発表ライブ録音)
5. へいせいナンのこっちゃい音頭(1989年/ライブ録音)
6. みんなたちのファンファーレ(カラオケ)
7. れいわナンのこっちゃい音頭(カラオケ)

https://www.jagatara2020.com/