映画『パラサイト 半地下の家族』アカデミー賞作品賞受賞が革新的である理由

ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』は、栄えある第92回アカデミー作品賞を受賞した初の外国語映画となっただけでなく、文化の壁を新たに取り壊すのに一役買った。米ローリングストーン誌のコラムニストが受賞式の模様やいかに本作の受賞が革新的であったかを回想する。

自分が歴史を変えることをジェーン・フォンダは知っていた。フォンダの表情をぜひ見てほしい。プレゼンターとして作品賞を発表する直前、一呼吸置いて微笑んでいるではないか。その直後の出来事を知ったうえでフォンダの表情を見直すのは、リアルタイムで目撃するのと同じくらい楽しいものだ。だから、そのシーンをもう一度だけ見れたら見て欲しい。

第92回アカデミー賞授賞式はおおむね予想通りの結果になるだろう、と誰もが思っていた。他の映画賞をさらった俳優4人に与えられたアカデミーの栄誉も予定調和だし、想定の範囲内だった。ブラッド・ピットのスピーチ(魅力的で政治的)、ローラ・ダーンのスピーチ(刺激的で政治的)、ホアキン・フェニックスのスピーチ(挑戦的で政治的)、レニー・ゼルウィガーのスピーチ(これは……どう表現しよう?)には心地良いまでの親しみやすさがあったし、授賞式でのスピーチもこの数カ月にわたって彼らが壇上で発してきたコメントに比べると少しは印象的かな、と思えた。ジュリア・ルイス=ドレイファス、ウィル・フェレル、マーヤ・ルドルフ、クリステン・ウィグといったプレゼンターたちも期待通りだったし、スティーヴ・マーティンやクリス・ロックといったコメディアンたちも”司会者なきイベント”の司会者としてカムバックを果たした。典型的なものから鳥肌ものまで、あらゆる音楽シーンを網羅した歌曲賞のパフォーマンスもあった。たしかに、ミスター・ロジャースことフレッド・ロジャーズのような赤いカーディガンを羽織ったジャネール・モネイがオープニングにふさわしい完璧なダンスパフォーマンスを披露しながら「オスカーって白人だらけ!」と歌い、最前列のオーディエンスの前で変人っぷりを全開にするなんて誰も想像しなかった。ましてや、エミネムが17歳のヒットを披露するなんて、誰が想像しただろう。だが、これらはすべて”大胆かつ華やかな序章”と”一風変わっているが、スベる心配がほとんどない妥当な選択肢”でしかなく、21世紀のアカデミー賞授賞式に不可欠な要素だと言っていいだろう。『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』よりもプレゼンターのキアヌ・リーブスとダイアン・キートンを紹介した時のほうが出番が多かったケリー・マリー・トランのように、有名なプレゼンターの紹介にも有名人があてがわれた。

『パラサイト 半地下の家族』が国際長編映画賞(旧外国語映画賞)を受賞した時も、とくに誰も驚かなかった。同賞が昨年『ROMA/ローマ』に与えられたように、これは”あなたの映画は大好きだけど、あまり出しゃばったマネはしないでね”という審査員のメッセージが込められた一種の残念賞的なものであることをシニカルな人々はわかっていたから。続いて『パラサイト〜』は脚本賞を受賞。脚本賞は、”ビッグな賞”をより一般ウケする作品のために温存したい審査員が極めて革新的な作品に贈る安全な逃げ道のような賞である。その後、評論家の意見や過去の受賞作にもとづいて『1917 命をかけた伝令』のサム・メンデス監督の手に落ちるだろう、とささやかれていた監督賞にポン監督の名前が挙がった。もしかしたら、ひょっとしたら、韓国映画が[作品賞を]取るかも……という期待がよぎった。だが、読者の皆さんも覚えているだろう。アルフォンソ・キュアロンが昨年『ROMA/ローマ』で監督賞を手にしながらも、作品賞を逃したことを。それでも、淡い期待の炎が消えることはなかった。


ここでフォンダのシーンに改めて戻ってみよう。封筒を開き、一呼吸置く。作品賞として『パラサイト〜』が呼ばれた時の幸福感とフォンダの言葉が完璧にシンクロしていた。作品賞に十分値する良作はいくつもあった(『ジョーカー』だってそうだ)。それなのに、あらゆる予想を覆して審査員が文芸作品の実写化、ハリウッドをテーマにしたハリウッド映画、”エッジー”なメガヒット作、俳優たちの演技が光るドラマをはじめとするアカデミー賞らしい選択肢ではなく、格差を描いた外国語映画を称え、作品賞という栄誉を授けたのは革新的だった。それは、アカデミー賞授賞式では感じることがない興奮であり、唯一無二の感覚、初めての感覚だった。なぜなら、もっとも栄えある作品賞を外国語映画が初受賞したのだから。

そして長年映画をパスポートのような存在としてとらえてきた人々に対し、今回の受賞は、アメリカの映画スタジオとスクリーンといったループの向こうに新しい世界が広がっていること、慣れ親しんだ文化や映画の好みから視野を広げることのメリットを教えてくれた。『パラサイト〜』を観ることは、映画の歴史——ヒッチコックからスコセッシにいたるまで——をたくさん吸収してきた芸術家の作品を観ることである(授賞式のスピーチでポン監督が受けたスタンディングオベーションといったら……すみません、ちょっと落ち着きます)。同時に、同作は極めて韓国的でありながらも徹底して普遍的であり、特定のジャンルやスタイルに落ち着くことがないのに一貫性があって親しみやすく、タイムレスでありながらも、ある瞬間を明確に切り取っている。文化の垣根を超えた珍しいヒット作として出発した同作は、言葉や字幕というハードルにもかかわらず、人々の共感を得た。ティーンエイジャーの娘と70代の母の両方が称賛する映画は、ミニシアター系あるいはオタク向けという境界を超え、人々の意識により広く浸透している作品だと言っていいだろう。

今回の受賞によってより多くの人がポン監督の過去の作品を観る(観てください!)、あるいは韓国の映画(観てください!)、またはアジアの映画や外国語の映画(観てください!)をもっと観るようになるかはわからない。『パラサイト〜』がアカデミー受賞作となったいま、いままで以上にたくさんの人が同作を観るだろうし、同作が名作の仲間入りを果たすチャンスも、より強いものを求める人々のゲートウェイ・ドラッグとなる可能性も飛躍的に増した。ある日突然、人は”国際映画”に対する食わず嫌いを感じなくなるかもしれないし、他者を”異世界”の存在にように感じなくなるかもしれない。アジア人だらけのステージの異質さに慣れ、以前よりも当たり前のように感じるかもしれない。そしてある日突然、アカデミーは”ローカル”色を弱めて、よりグローバルになった。ある日突然、人は世界をいままでとは違う広い視野で見られるようになるかもしれないし、世界を変えるための一歩を踏み出すかもしれない。少なくとも、人はこうしたすべてを想い描くことができる。だってそうだろう? 映画は夢をインスパイアするためにあるのだから。