スーパーボウル・ハーフタイムショー、歴代出演者31組の格付けチェック

2020年のスーパーボウル・ハーフタイムショーは、ジェニファー・ロペスとシャキーラが圧巻のパフォーマンスを見せた。過去にはボノ、ビヨンセ、ブルース、ブリトニー、ジャネットにジャスティン、プリンスからマドンナ、マイケルからマッカートニーまで、多数のアーティストが出演。素晴らしい年もあれば、どうしようもない年もあった。以下、独断と偏見で31組のパフォーマンスを格付けチェックした。

31位:ブラック・アイド・ピーズ(2011年)




Photo by Dave Martin/AP/REX/Shutterstock

最悪。とにかく最悪。当時これを見たとき、何か魔法のような特別な瞬間――ユニコーンが血を吐くとか――を目の当たりにしているのだとわかった。光るロボットスーツ姿のブラック・アイド・ピーズ。「(Ive Had) The Time of My Life」をサンプリングした「The Time (Dirty Bit)」。アッシャーなんて穴があったら入りたそうだった。そして悲劇を告げる言葉。「皆さん……唯一無二の存在……スラッシュ!」。ファーギーと「Sweet Child O Mine」をデュエットするなんて。一体全体どうしてこんなことになったんだ? この年は、クリスティーナ・アギレラが彼女なりに解釈したあの国歌斉唱を披露した回でもある。つまり、音楽にとってはつらい1日だった。スティーラーズのファンにとっても然り。


30位:1967年から1989年までの全ての回


Photo by Robert Riger/Getty Images

1990年代以前、スーパーボウルのお偉いさんはハーフタイムショーをイベントの一部に盛り込むところまで頭が回らなかった。それまではトイレ休憩の時間だったのだ。だから最初の24回までは比べてもあまり意味がない。大学生マーチングバンドやエルビスのそっくりさん、キャロル・チャニング、ジョージ・バーンズ、ザ・ロケッツなど低予算の余興、そして毎年欠かさず登場するUp With People。ただの場繋ぎを現代の水準と比べるのもおかしな話だが、少なくともブラック・アイド・ピーズよりはマシだ。


29位:ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック(1991年)




Photo by Gin Ellis/Getty Images

人々がハーフタイム中にまともなショーを挟むことを覚え始めたのがこの頃だったが、飲み込みは悪かった。ニュー・キッズを責めてはいけない。彼らはノリのいい楽曲をやらせてもらえず、代わりに一番イケてないヒット曲「This Ones for the Children」をやらされ、その後ディズニーのちびっこ合唱団へと続いていった。しかし当時は湾岸戦争が始まったばかり、世間は「小さな世界」などとても聞きたい気分ではなかった。ABCニュースはハーフタイム中に戦地速報を伝えたため、このショーは試合終了までお預けとされたが、それで良かったかもしれない。数週間後、ニュー・キッズはアメリカン・ミュージック・アワードに出演し、ドニー・ウォルバーグが「War Sucks(戦争なんてクソ食らえ)」と書かれたTシャツ姿で登場した。


28位〜25位

28位:フィル・コリンズ、クリスティーナ・アギレラ、エンリケ・イグレシアス、トニ・ブラクストン、ティナ・ターナー(2000年)




Photo by Jeff Haynes AFP/Getty Images

顔ぶれだけ見ると期待できそうだが、ところがどっこい、どのスターもヒット曲をやらなかった――フィル・コリンズに合わせてエアドラムをするのを楽しみにしていた人々、あるいはクリスティーナにノリたかった人々は、誰も知らないダサいバラードに期待を裏切られた。フィルは『ターザン』の愛のテーマを歌い、クリスティーナとエンリケは「Celebrate the Future Hand in Hand」とかいう曲で観客の神経を逆なでした。「Proud Mary」ですらティナを炸裂させるには至らなかった。これはスーパーボウルなのだ。あっと言わせなくてはならない。ちゃんと心から好きなものをやらなくてはならないのだ。


27位:グロリア・エステファンとオリンピックのフィギュアスケート選手たち(1992年)




Photo by Bill Sikes/AP/REX/Shutterstock

ミネソタ開催の年だったので、題して「ウィンターマジック」ページェント。巨大な雪だるまにフィギュアスケート選手のドロシー・ハミルとブライアン・ボイタノ。クイーンの「Dont Stop Me Now」に合わせて、可愛くない小人集団がアイスホッケーのスティックを振り回しながら踊る。そしてグロリア・エステファン。壮大な白銀の北国といえば、当然思い浮かぶのはグロリア・エステファン&ミネアポリス・サウンド・マシーンだからだ。だが視聴者はチャンネルを回して、コメディドラマ『In Living Color』の生放送特番に変えてしまった――世界を変えた天才的なアイデアのひとつだ(『In Living Color』はアイデアの宝庫だった)。それまで、誰もスーパーボウルのハーフタイムに対抗しようとしなかったが、見事大成功。安っぽいディック・バトカスネタのジョークでさえも、1月に「ウィンターワンダーランド」を聴くよりはマシだった。この年が大きな転換期となった。『In Living Color』の賭けがようやくスーパーボウルに揺さぶりをかけ、ハーフタイムショーに本腰を入れさせたのだ。翌年ハーフタイムに起用されたのはマイケル・ジャクソンだ。


26位:パティ・ラベル、トニー・ベネット、テディ・ペンダーグラス、マイアミ・サウンド・マシーン(1995年)




1995年、アメリカ、マイアミ州にて マイアミのジョー・ロビー・スタジアムで行われた第29回スーパーボウルのハーフタイムで、大観衆を楽しませるトニー・ベネットとパティ・ラベル(Photo by Hans Deryk/AP/REX/Shutterstock)

全く、1995年は名だたる大惨事が相次いだ年だった。『ウォーターワールド』、”ハリケーン”ピーター・マクニーリー、ビル・クリントンの秘書が「大統領、女性がピザを届けに来ました」と告げた運命の日。そしてこれ。ディズニーはフィールド上でインディ・ジョーンズの劇を繰り広げたが、賢明にもハリソン・フォードは関わっていない。パティ・ラベルとトニー・ベネットはそこまで運が良くなかった。フィナーレの「愛を感じて」に至る頃には、全米の視聴者が恐怖で口をあんぐりしていた――ナチスの兵士たちが失われたアークをこじ開けるのを見守るかのように。


25位:ピート・ファウンテン、アーマ・トーマス、ダグ・カーショウ、スヌーピー(1990年)




Photo by George Rose/Getty Images

ニューオーリンズ礼賛、漫画『ピーナッツ』の生誕40周年記念、そしてたぶん、ドラッグへの思いもあったかもしれない。一体どういう組み合わせ? ジャンバラヤやマルディグラとチャーリー・ブラウンの間にどんな関係性が? だがニューオーリンズらしさのおかげで、音楽は懐メロ感全開でそれなりにウケはよかった。最後はミシシッピ川を下る蒸気船に乗ったスヌーピーが「聖者の行進」に合わせて踊り、「ハッピーバースデー、チャーリー・ブラウン」へと続く。その一方で、コテンパンにされたブロンコスファンの視聴者は、ハーフタイム前に二度とハイにならないよう誓った。


24位〜21位

24位:ブルース・ブラザーズ(1997年)




Photo by Jeff Kravitz/FilmMagic, Inc

ちなみにこのとき、ジョン・ベルーシはすでに他界していた。だが、スーパーボウルがブルース・ブラザーズを復活させた。恐らく、1985年のシカゴ・ベアーズのメンバーを再結集して「Super Bowl Shuffle」を再演することができなかったのだろう。ダン・エイクロイド、ジョン・グッドマン、ジム・ベルーシが、厚かましくもソロモン・バークやジェームス・ブラウンのソウルの名曲にチャレンジした。ソウルの神様本人も登場したが、ジム・ベルーシよりもう少し長く映してもよかったのでは? 「Tush」でZZ Topが救済に駆け付けたものの、時すでに遅し。手の施しようもなかった。


23位:マルーン5(2019年)




Photo by Jeff Roberson/AP/Shutterstock

2019年、コリン・キャパニックのNFL追放を巡る騒動の真っ只中で、スーパーボウルに関わりたいという人間は誰もいなかった。カーディ・Bとリアーナはきっぱり出演拒否。NFLがなんとか引っ張り出すことができたのがアダム・レヴィーンだった。「みんなのためにギターを弾いてもいいかい?」と叫んだ時の彼ほど、ロックスターらしからぬ姿はないだろう。トラヴィス・スコットとビッグ・ボーイ、スポンジボブの友情出演にも関わらず、結果は散々。「Moves Like Jagger」でレヴィーンがタンクトップを脱ぎ捨て乳首を見せたときは、会場は残念な独身女性のパーティと化した。


22位:ザ・フー(2010年)




Photo by Kevin Mazur/WireImage

ピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーのいずれも、アメフトの試合を一度も見たことがなかった(NFLが参考として送ったハーフタイムショーのDVDも)。ザ・フーがこのショーの注目度や重要性を理解していなかったのも、それで説明がつくだろう。ところがどっこい、彼らは明らかに準備不足で舞台に上がり、たどたどしく名曲メドレーを披露した――あんな残念な状態で、生まれて初めて「Wont Get Fooled Again」や「Baba O Riley」聴いた子供たちのことを思うと可哀そうでならない。ダルトリーは、歌詞の通りソーホーの建物の出入り口で目覚めたばかりのような声で、やっとの思いでフーフー言いながら「Who Are You」を台無しにした。「シンガロング」の嘘くさい歓声も、まるで『となりのサインフェルド』の録音笑いのようだ。悲しいが、これが真実。そう簡単に自由にはなれないのだ。


21:タニヤ・タッカー、クリント・ブラック、トラヴィス・トリット、ザ・ジャッズ(1994年)




Photo by George Rose/Getty Images

みんな何を期待していたのか――ニルヴァーナが『アンプラグド』のステージを再現するとでも? この年はアメリカンカントリーが大集結し、当時の輝かしきナッシュビルのスターたちの手を借りて、大仕事をやり遂げた。絶頂期を迎えようとしていたメンツが勢揃いしていた中、ザ・ジャッズだけは解散ツアーの6年目か7年目に差しかかっていた(可哀そうなワイノナ、母親が乱入するまでは素晴らしいソロを披露していたのに)。スリルこそなかったものの、この手のライブは無難にいくのが賢い選択だ。


20位〜17位

20位:ジャネット・ジャクソン、ジャスティン・ディンバーレイク、P・ディディ、キッド・ロック、ジェシカ・シンプソン、ネリー(2004年)


Photo by Jeff Haynes/AFP/Getty Images

世間はまず乳首を、そしてそれがもたらした被害を目の当たりにした。間違いなく、史上最も有名なハーフタイムショー。アメリカの若者世代は、「乳輪」という言葉が母親の口から飛び出すのを耳にする羽目になった。当時飛ぶ鳥落とす勢いだったジャネット・ジャクソンのキャリアはここでいったん終わった。ジャスティンも問題のシーンでの無様な(そして堂々とした素ぶりは微塵もない)対応のせいでイン・シンク解散後の大衆との蜜月が幕を閉じ、キャリアが潰されるところだった(JTがセクシーの称号を取り戻すには、2年の歳月とティンバランドの力が必要だった)。

音楽は概ね素晴らしかったが、その後はひどいものだった。ブッシュ政権(取り分け連邦通信委員会にいたコリン・パウエル元国務長官の息子)はヒステリックに正義を振りかざし、MTVとミス・ジャクソンを悪者扱いした。MTVはこれを境に音楽ビジネスから完全撤退を決めたと言っても過言ではない。とにもかくにも、アメリカにとっては大惨事。ついでにジェシカ・シンプソンも歌ったんだった。

19位:ボーイズIIメン(1998年)




Photo by Getty Images

ハーフタイムに関して言えば、90年代後半の合言葉は「60年代のR&Bオールディーズ多めでよろしく」。当時、まだ世界最大かつ最高のポップグループのひとつに数えられたボーイズIIメンは、このステージでモータウンに敬意を払い、スモーキー・ロビンソンやテンプテーションズ、フォートップス、マーサ・リーヴスなどを披露した。そしてなんと――ジム・ベルーシはいなかった。


18位:ジャスティン・ティンバーレイク(2018年)




Photo by Mark Humphrey/AP/REX/Shutterstock

JTが14年前、ジャネット・ジャクソンのキャリアをふいにした犯行現場に、よりによって「Rock Your Body」を引っ提げて帰ってきた。基本に徹して、イン・シンクの再結成も(デスティニーズ・チャイルドのような顔出し出演すらさせなかった)、ジャネット・ジャクソンとの再演も、「Cry Me A River」でのブリトニー乱入もなし。「Sexy Back」ではティンバランドすら出てこなかった。ジャスティンはニューアルバムを宣伝し、できるだけ当たり障りなく観客を楽しませることを心がけた。ハイライトは「I Would Die 4 U」でのプリンスと束の間のビデオデュエット。だが「Cant Stop The Feeling」で幕を閉じる頃には、プリンスでさえも状況をうまく説明できなかっただろう


17位:スティーヴィー・ワンダー、グロリア・エステファン(1999年)




Photo by Joe Traver/Getty Images

マイアミで、スティーヴィーは歌い継がれてきた往年の名曲をいくつか披露し、殊勝にも地元の女神グロリア・エステファンにスーパーボウルの汚名返上という長年の夢を叶えさせた。そして「Sir Duke」でデューク・エリントン生誕100周年を祝い、フィナーレでは片方の袖に「AFRICAN」、もう片方の袖に「AMERICAN」と書かれたジャケットを着て登場した。グロリアがビートを操り、マイアミの観衆にサルサパーカッションをプレゼント。友情出演で駆け付けた、当時人気だったスイングリバイバルの火付け役、ビック・バッド・ヴードゥー・ダディは未来の歴史研究家たちに、90年代がいかに奇妙奇天烈だったかを教えてくれることだろう。


16位〜13位

16位:シャナイア・トゥエイン、スティング、ノー・ダウト(2003年)


Photo by Al Bello/Getty Images

彼女のパフォーマンスは、キャリアを台無しにしかねないほどひどかった。だがスティングとグウェンが救済に駆け付けた。2人はあうんの呼吸でハモりながら「Message in a Bottle」を披露した。グウェンはこうした役回りに天性の才能を備えている。いかにもアメリカらしいエネルギーで、地元南カリフォルニアの観客を盛り上げた――「Just A Girl」で会場を総立ちにさせた――彼女に再びお呼びがかからないのが不思議なくらいだ。ボーナスポイントは、クリス・バーマンの締めの一言。「スティングがレイダースのオフェンスの声を代弁してくれました!」(訳注:前半終了時点でレイダースがボロ負けしていて、そこへスティングがSOSと歌ったことを指している)


15位:ブルーノ・マーズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(2014年)




Photo by Elsa/Getty Images

ブルーノ・マーズとは勇気ある選択だった――与えられた枠を埋めるだけのレパートリーがあるのか人々は疑問視した。だが彼はあのドラムソロですぐに自分が適任であることを証明した。オールドスクールR&Bの動き、ジャッキー・ウィルソン風のリーゼント、ジェームズ・ブラウン張りのスーツ、そしてアイズレー・ブラザーズの「Shout」をカバーして、90年代のモータウン祭りを思わせるハーフタイムショーを見せてくれた。そしてレッド・ホット・チリ・ペッパーズにバトンタッチ。彼らは彼らで、勇気ある選択をした。誰もが予想していた通り、自分たちの最大のヒット曲に合わせて上裸で飛び回っただけだった。


14位:ダイアナ・ロス(1996年)


Photo by Al Bello/Allsport

史上最もディーバらしいハーフタイムショー。輝くクレーンからステージに降り立ちながら、ミス・ロスが「カモン、ワールド!」と叫ぶ。「素晴らしい景色を見せてあげる! この超スーパーなスーパーボウルで!」。 ステージ演出は危険などお粗末な出来だった――スプリームスのメドレーでは、真っ赤なベストのダンサー軍団と衝突するんじゃないかと心配せずにはいられなかった。だがあのエンディングたるや。ダイアナが「あら――お迎えが来たわ!」と告げると、ヘリコプターが着陸し、いかにもディーバらしく退場。スーパーボウル関係者は明らかにこのショーがお気に召したらしく、その後90年代はずっと60年代ソウルレビューが続いた。


13位:コールドプレイ、ビヨンセ、ブルーノ・マーズ(2016年)



コールドプレイに拍手――ビヨンセの前座という難題に直面した大方のバンドは、都合よくインフルエンザにかかってしまうものだから(間にブルーノ・マーズの「Uptown Funk」を挟むよりは、インフルエンザの方が面白かったかもしれない)。クリス・マーティンとその仲間たちは素晴らしい「Viva La Vida」を披露したが、やはりビヨンセがメインアトラクションだったことは間違いない。ブラックパンサーの衣装に身を包んだダンサーたちを引き連れての「Formation」世界初公開。わずか2分間の触り程度だったが、その後のショーをかすませるには十分だった。


12位〜9位

12位:トム・ペティ(2008年)


アリゾナ州グレンデールで行われた第42回スーパーボウルで演奏するトム・ペティとハートブレイカーズ(Photo by Matt Slocum/AP/REX/Shutterstock)

ペティ本人もよく言うように、負け犬にも時には運が向いてくるものだ。実際にこの年ジャイアンツも、ヘルメットキャッチでスーパーボウルを制した。ペティのステージも素晴らしかった――この大舞台を理解し、自分がなすべきことをわかっていた。「American Girl」は完璧なオープニングソング。ハーフタイムショーとして非の打ち所がない。とはいえ、史上最もがっかりするスーパーボウルだったことも否定できない。筆者はニューイングランド出身なのだ。申し訳ない


11位:マイケル・ジャクソン(1993年)




Photo by Steve Granitz/WireImage

MJは生涯を通じて、偉大なTVパフォーマンスをいくつも世に送り出した。『ソウル・トレイン』での「I Want You Back」、『モータウン 25』での「Billie Jean」、1998年グラミー賞授賞式の「Man in the Mirror」。そしてこれが最後の傑作だった。彼はちょうどオプラ・ウィンフリーとのインタビューや、アルバム『デンジャラス』、そして1993年グラミー賞でのジャネットとの愛らしいツーショット(「僕とジャネットは本当に別人だよ!」)と、トップシーンに返り咲いた時期だった。90秒間、身動きもせず無言で立ち続けた後、2つの大ヒット曲に合わせてしなやかに動きまわり(「Billie Jean」と「Black and White」)、最後はそこまででもない1曲で絞めた(「Heal the World」)。


10位:ポール・マッカートニー(2005年)


Photo by Jeff Gross/Getty Images

彼は「Freedom」をやらなかった。しかも2001年のスーパーボウルのようにテリー・ブラッドショーとの「A Hard Days Night」のデュエットもなかった。代わりに、マッカートニーは過去10年間のライブと同じように往年の名曲をストレートに、飾り気なく、威風堂々と演奏した。ビープ・ビープと歌う「Drive My Car」で幕を開けるなんて、一体誰が予想しただろう? そして「Live and Let Die」で会場全体を熱狂させた。試合の方も最高。


9位:ケイティ・ペリー、ミッシー・エリオット(2015年)


Photo by Jeff Kravitz/FilmMagic

ケイティが輝いていないなんて言わせない――ベガス風のショーを堂々とやってのけたのだから。極め付けはラリったような踊るヤシの木と(そしてもちろん)レフト・シャーク。だが一番のサプライズは、「Get Ur Freak On」と共にシルエットで浮かび上がった謎の人物。嘘だ、あり得ない。いや、本当だ。あのミッシー・エリオットが久しぶりに大舞台に現れ、世界をあっと驚かせた。待ち望んだカムバック。時機を心得ているとはこういうことだ。ケイティに拍手を――真のスターだけが、ミッシーとスポットライトを分け合うだけの自信を持ち合わせているのだ。


8位〜5位

8位:ローリング・ストーンズ(2006年)




Photo by Michael Zagaris/Getty Images

ミックと仲間たちが一発かましにやってきた。彼らはたった3曲できっちり仕事をやり遂げた。「Start Me Up」「Rough Justice」、そしてもちろん「Satisfaction」。曲を披露する前にミックがジョークを飛ばす。「第1回スーパーボウルの時に呼ばれてたら、この曲をやってたかもな」。 たとえそうだったとしても、この男は並みのNFL選手よりも元気だ――ステージ中を駆け回り、腰を振り回すミックにバックフィールドの選手も思わず身体を動かしてしまう。当然といえば当然だが、TV局側は「死人をイカせる」という歌詞の部分をカットした。


7位:レディー・ガガ(2017年)




ヒューストンで行われた第51回スーパーボウルでのガガ(Photo by AP/REX/Shutterstock)

レディー・ガガがスーパーボウルでどんな隠し玉を用意しているのか、誰もが考えを巡らせた。どのぐらい羽目を外すだろう? どのぐらい政治色を出すだろう? どのぐらいガガらしいのだろう? すると彼女は、誰もが喜ぶヒット曲メドレーで直球ど真ん中を狙ってきた。しかも幕開けは「忠誠の誓い」。「神の下、ひとつの分かちがたい国として、全ての人々に自由と正義があらんことを!」 。だが彼女は「全ての人々に」の部分に、クィアの応援歌「Born This Way」で新たな意味を加えた。恐らく「トランスジェンダー」という言葉がスーパーボウルで発せられたのはこれが初めてだったろう。ドッキリも、サプライズゲストもなし――ガガはこれでもかと自分らしさを貫き、恐ろしくなるほどだった。「Telephone」はビヨンセがいてもいなくても、やはり圧巻。

6位:マドンナ(2012年)




Photo by TIMOTHY A. CLARY/AFP/Getty Images

マドンナは長年に渡り、TVの画面で歴史的なタッチダウンを幾度も決めてきた。なのに、彼女がスーパーボウルの舞台に立った瞬間、あれほど不安な気持ちになったのは何とも奇妙だった。恐らく皆、何かとんでもないヘマをするのではないかと気を揉んでいたのだろう(彼女はそういうことが時々ある)。しかし現れたのは古代ローマ時代のグラディエーター軍団を従えた女王の中の女王。歴史に名を残すポップの名曲、すなわち彼女の持ち歌をグラマラスに繰り出した。完全たるカオス。マドンナはいつもそうだ。「Like a Prayer」でのシーローとのハーモニー。ポンポンを持ったセクシーダイナマイト、ニッキー・ミナージュの友情出演。素晴らしい。ああ、それともう一つ。「世界平和!」


5位:ブルース・スプリングスティーンとEストリート・バンド(2009年)


タンパで行われた第43回スーパーボウルでのEストリート・バンドのブルース・スプリングスティーン(左)とスティーヴ・ヴァン・ザント(Photo by Winslow Townson/AP/REX/Shutterstock)

「ワカモレディップから離れてくれ! チキンフィンガーから手を放すんだ!テレビの音量は最大に!」 。我らがボスは、4時間ぶっ通しコンサートのような熱気を14分間に凝縮した。「Tenth Avenue Freezeout」「Born to Run」「Glory Days」にアメフト風の歌詞を織り込んで(「スピードボール」の歌詞に特に意味はなかっただろう?)。カメラを押し倒さんばかりのスライディングもお見事。海岸沿いから大都市まで、全米中のチキンフィンガーが冷めきった。安らかに眠れ、ビッグマン。


4位〜1位

4位:エアロスミス、ブリトニー・スピアーズ、イン・シンク、ネリー、メアリー・J・ブライジ(2001年)




タンパで行われた第35回スーパーボウルのステージで、エアロスミスのスティーヴン・タイラーと並ぶブリトニー・スピアーズ(左から2番目)と、イン・シンクのジャスティン・ティンバーレイクとランス・バスと並ぶネリー(右から2番目)(Photo by Amy E Conn/AP/REX/Shutterstock)

このショーに関しては、未だに賛否両論が巻き起こる。傑作か、それとも狂気の沙汰か? 個人的にはどちらも正しいと思う。GIFタトゥーなるものが発明されれば、真っ先に「Walk This Way」のタトゥーを顔に入れるつもりだ。当時、このショーはスキャンダルを巻き起こした。数カ月後、エアロスミスがロックの殿堂入りしたとき、キッド・ロックが式の最中にこう尋ねた。「一体何を考えてたんだ?」。 だが「Walk this Way」はTV放映史上最もイカれた3分間のスペクタクルに違いない。シルバーのアメフトパンツを履いて、「遊ぶ気満々のあの娘」(「Walk This Way」の歌詞に登場する「Missy Who Was Ready to Play」)役を演じるブリトニー。一緒に声を張り上げるメアリー・J・ブライジ。ジョー・ペリーのギターソロをバックにラップを披露するネリー。まさに、誉れ高い低俗なアメリカのポップミュージックの歴史が、このパフォーマンスに凝縮されている。


3位:ビヨンセ(2013年)


Photo by Mark Humphrey/AP/REX/Shutterstock

彼女がスキマ時間に密かに何をしていたか知った今振り返ると、ビヨンセのスーパーボウルでの偉業にはさらに驚きが増すばかりだ(恐らくスーパードームから真っ直ぐスタジオへ直行し、リムジンの中で「Partition」を作ったのだろう)。ビヨンセは「Crazy in Love」「Baby Boy」「Independent Women」と、超人的なレパートリーで世界を圧倒した。デスティニーズ・チャイルドの再結成ではケリー・ローランドとミシェル・ウィリアムズが魔法のようにステージに登場。だがビヨンセの感情を爆発させるような「Halo」で観客の熱は頂点に達した(「みんな私に手を向けて――みんなのエネルギーを感じたいの!」)。この素晴らしい女性と同じ時代に生まれるとは。


2位:プリンス(2007年)




マイアミのドルフィン・スタジアムで行われた第41回スーパーボウルのハーフアイムショーでのプリンス。(Photo by Chris OMeara/AP/REX/Shutterstock)

プリンスが歴代最高のショーを見せてくれることは、誰もがわかっていた。だが彼は雷鳴轟く嵐のマイアミで、その期待をさらに超えてみせた。フーファイターズのカバー? 「We Will Rock You」からの「Lets Go Crazy」? 「All Along the Watchtower」? 「Purple Rain」での伝説のギターヒーローのジャム? このセクシー野郎が次にどんなサプライズを繰り出すのかなんて誰も知らなかった――スーパーボウルのような一大イベントで、ロックンロールは歴史的な威力で尊大さを爆発させた。完全無欠。ただただクール。


1位:U2(2002年)


Photo by Theo Wargo/WireImage

U2はライヴ・エイドの「Bad」と並ぶ、正真正銘のTVロックライブの名場面を生んだ。9.11から数カ月後、U2はこのステージを被害者たちに捧げた。「Beautiful Day」で幕を明け、哀愁たっぷりに「MLK」を演奏する中、巨大スクリーンには亡くなった人々の名前が映し出された。忘れられない光景の後、クライマックスの「Where the Streets Have No Name」へ。最後にボノがジャケットの前をはだけ、裏地に縫い付けたアメリカ国旗を覗かせた。まだ反戦、反暴力の意識が高かった当時のアメリカに向けた、あの当時ならではのステージだ。こうしたメッセージを壮大に、かつ感情にダイレクトに訴えることができたのはU2だけだろう。大の大人が号泣した。U2がこれまで抱いた野望、彼らが発した崇高な主張は、今宵に全て繋がった。