コービー・ブライアントが事故死、5度のNBA制覇を果たしたレジェンド

ロサンゼルス・レイカーズを5度のNBA制覇に導き、バスケットボール史に残る得点記録保持者のレジェンド、コービー・ブライアントが41歳で死亡。米カリフォルニア州の丘陵地帯で起きたヘリコプターの墜落事故の犠牲者9名には、バスケットボール界のレジェンドと13歳の娘ジアナさんも含まれていた。

ロサンゼルス・レイカーズを5度の米プロバスケットボール(NBA)制覇に導き、バスケットボール史に残る得点保持者のレジェンド、コービー・ブライアントが41歳で死亡した。

バスケットボール界の元スーパースターであるブライアントは、米現地時間1月26日の朝、米カリフォルニア州の丘陵地帯、カラバサス近郊で墜落したヘリコプターに13歳の娘ジアナさんと同乗していた。ロサンゼルス郡保安局の発表によると、今回の事故で同乗者9名全員が命を落とした。

ブライアントの訃報を最初に報じたのは、米ニュースサイトTMZだった。その後、米スポーツ専門チャンネルESPNでNBAレポーターを務めるエイドリアン・ウォジャロースキーはニュースが事実であると述べ、ブライアントと娘のジアナさんだけでなく、ブライアントがカリフォルニア州サウザンドオークスに設立したマンバ・スポーツ・アカデミーで行われるバスケットボールの練習に向かう別の親娘も同乗していたことを公表した。地元紙ロサンゼルス・タイムズもブライアントの死亡を確認。地元当局が事故原因を調査している、とヴァラエティ誌が報じた。

「コービー・ブライアントと娘のジアナさんの悲劇的な死にNBAファミリーは心を痛めています」とNBAコミッショナーのアダム・シルバーは追悼コメントを発表した。

「20シーズンにわたってコービー(・ブライアント)は最高の才能と、徹底して勝利を追求する心がひとつに合わさることで何が実現できるかを私たちに見せてくれました。コービーはNBA史上もっとも優れたプレイヤーのひとりであり、5度のNBA制覇、シーズン最優秀選手(MVP)受賞、18度のオールスター戦への選出、2度のオリンピック金メダル獲得といった彼の功績は、まさに伝説そのものです。しかし、こうした功績にとどまらず、バスケットボールを持って自分の能力を最大限に活かして戦うことを世界中の人に教えた人物として、人々の記憶に残るでしょう。コービーは手に入れた知恵を惜しまず人々に与え、次世代のプレイヤーと分かち合うことが自らの使命だと考えていました。とりわけ、バスケットボール愛を娘のジアナに伝えることに特別な喜びを感じていました」

「コービーはバスケットボールコートのレジェンドだった。彼は、そのキャリアと同じくらい意義のある第二幕の人生に向けてスタートを切ったばかりなのに」とバラク・オバマ前大統領はTwitterに投稿した。「ジアナさんを失ったことは、親である私たちにとっても胸が張り裂けそうな知らせです。ミッシェルと私より、この悲痛な日を迎えているヴァネッサさんとブライアント家の皆様に心からの愛と祈りを捧げます」

元NBA選手、ジョー・ブライアントを父に持つコービーは、ペンシルベニア州ローワー・メリオン高校出身の天才少年として知られていた。1996年のNBAドラフト全体13位でシャーロット・ホーネッツから指名を受け、トレードでレイカーズ入りを果たしたブライアントは、ドラフト1巡目でNBA入りを果たした初の高校生となった。

世界最強の毒蛇”ブラックマンバ”をあだ名に持つブライアントの20年にわたるNBAでの輝かしいキャリアは、この偉業から始まった。20シーズンのうち、18シーズンにわたってブライアントはオールスター戦に選出された。これを上回る記録の保持者は、同じレイカーズの偉人、カリーム・アブドゥル=ジャバー選手ひとりである。ブライアントは、NBAオールディフェンシブチームに12回、オールNBAチームに15回選出された。2度にわたって得点王に輝き、2009年と2010年のNBAファイナルでMVPを受賞し、2008年にはNBAファイナル最優秀選手賞を受賞した。レイカーズ現役時代につけていた紫とゴールドの背番号”8”と”24”は永久欠番となって本拠地であるロサンゼルスのステープルズ・センターに飾られている。

2006年1月、ブライアントはトロント・ラプターズとの試合で81点をマーク。ウィルト・チェンバレンのかの有名な”100点ゲーム”に次ぐNBA歴代記録を打ち立てた。

ブライアントは2015〜16年シーズンを最後に引退。2016年4月13日に行われたレギュラーシーズン最終戦では60点をマークした。2019年12月にはバスケットボール殿堂入りを果たしている。


根っからのレイカーズファンであるレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーは、2016年にブライアントの引退試合に敬意を表して米ローリングストーン誌に以下のように語っていた。さらに、フリーはロサンゼルスで行われたブライアントの引退試合でアメリカ国歌を演奏した。

「コービー・ブライアントがプレイしたほぼ全試合を観たり、試合のことを耳にしたり、あるいは記事を読んだりしてる」とフリーは言った。「彼は、規律と勤労意欲に重きを置き、クリエイティビティを育んだ人物だ。いつのときも、俺は彼に対して多大なる敬意を抱いてきた。コービーが若くて傲慢で愚かで、誰もが知るように自己中心的だった頃もね。コービーはいつも俺にとってかけがえのない存在だった」

「なんだろう、コービーのことはいつもチャーリー・パーカーとか、ジョン・コルトレーンとか、ジミー・ペイジとか、ジミ・ヘンドリックスみたいに自分が好きな人物として見てきた」とフリーは続ける。「コービーは変化し、進化し、成長することで自分の技術をマスターした。彼の成長を見守るのは最高だったよ。だって、レイカーズに入団したのは17歳のときだったから。それ以来、ロサンゼルスのためにあまりに多くの貢献をしてくれた」

米現地時間1月26日、フリーはソーシャルメディアで哀悼コメントを発表した。

2018年、ブライアントにはアカデミー賞受賞というサプライズが待っていた。ブライアントが脚本を、作曲家ジョン・ウィリアムズがスコアを手がけた映画『親愛なるバスケットボール』が第90回アカデミー賞短編アニメ賞を受賞したのだ。だが、ブライアントのオスカー受賞はいくらかの物議を醸した。#MeToo運動が活発になるにつれ、2003年にブライアントがコロラド州のリゾートホテルで女性従業員に性的暴行を加えて起訴された事件が再び取り沙汰されるようになったのだ。ブライアントは当時、合意の上での性行為を主張していた。マスコミからの批判の嵐が吹き荒れると、原告女性との間に示談が成立したため、最終的に女性は法廷での証言を拒否する結果となった。

ブライアントの衝撃的な死のニュースは、レイカーズのレブロン・ジェームズ選手がブライアントの記録を抜いて歴代3位の通算得点をマークした数時間後にもたらされた。25日の試合でジェームズは”MAMBA 4 LIFE”と敬意を込めてスニーカーにメッセージを刻んでいた。「コービーはレジェンドだ。それだけはハッキリ言える」と25日にジェームズはコメントしていた。「高校からまっすぐNBAに入団する姿を見て、触発されたんだ。当時は、マジかよって衝撃を覚えた。17歳のガキがNBAに入ってインパクトを与えるなんて。これは俺のモチベーションになった。コービーは、彼が実現してくれたことのおかげで、俺を知るずっと前から俺をサポートしてくれてたんだ。だから、こうしていま、彼と同じジャージを着てNBAという歴史的な団体の一員として、紫とゴールドを背負えるのはとても光栄であると同時に本当に最高の気分だ」

ブライアントの訃報を受け、26日の第62回グラミー賞授賞式の舞台でもあるステープルズ・センターの周りにはファンが集まり、レイカーズのレジェンドの死を偲んだ。