パリの日本の前衛芸術展示で唯一選ばれたスバル360 スバルデザインの起源と伝承 3

86年の12月、フランスの首都パリにあるポンピドーセンターで日本の前衛芸術を紹介している。いろいろなジャンルの作品が展示されたが、クルマは1台だけだった。スバル360だ。その理由は百瀬と佐々木、2人の名工が盛ったり削ったりして名作に仕上げたスバル360を、文化的な視点から見てみよう、と言う狙いだったようである。

スバル1000のバンを造る。
 加藤がスバル360のマイナーチェンジをデザインしている頃、百瀬たちは悲願の上級ファミリーカーの開発に乗り出した。スバル360はリアエンジン、リアドライブの後輪駆動だったが、このファミリーカーは前輪駆動のFF車だ。プロジェクトの最初の段階ではFR車も検討された。だが、精度の高い等速ジョイントが国産化され、FF車にゴーサインが出されている。もちろん、FF方式を推したのは百瀬だ。欠点も多かったが、百瀬はFF車の欠点をなくせばいいんだ、と言い続けた。


加藤がデザインを担当したスバル1000バン。検討用の5分の1クレイモデルで4ドア版。

 先行開発は加藤が入社する前から始まり、63年にA‐5と名付けられたプロトタイプが造られている。が、これと並行してFR方式も視野に入れた、よりコンパクトなA‐4も試作された。このプロジェクトはA-4構想を発展させたFF方式の小型自動車開発計画、63Aプロジェクトへと引き継がれていく。そして日本で初めて水平対向4気筒エンジンを積み、センセーションを巻き起こしたスバル1000が誕生する。

 シンプルな構造で、しかも剛性の高いモノコックボディを採用し、水平対向エンジンとFF方式のメリットを活かして広いキャビンスペースとトランクスペースを実現した。また、カーブドガラスを採用し、室内の有効幅を広げている。


加藤がデザインを担当したスバル1000バン。検討用の5分の1クレイモデルで2ドア版。

 サスペンションも進歩的なレイアウトだ。フロントはダブルウイッシュボーン式、リアはトレーリングアーム式で、トーションバーとコイルスプリングを組み合わせたオイルダンパーを装備した。このクラスとしては類を見ない贅沢な4輪独立懸架だ。ブレーキもバネ下重量を軽減するためにフロントにインボードブレーキを採用している。

 スバル1000のデザインは、スバル360のデザインを手掛けた佐々木達三をアドバイザーにして進められた。技術部長の百瀬がデザインも見たが、実務を行ったのは加藤の上司の中嶋昭彦だ。その下に林哲也と加藤がついている。エクステリアは、オーソドックスなノッチバックとセミファストバックの両方が検討された。セミファストバック・スタイルのデザインを担当したのは中嶋と林だ。クレイモデルが出来上がると、林はインテリアをデザインしている。


完成した実車。リアピラーは実用的な角度に落ち着いた。奥に見えるシトロエンDS19は、当時、試験車として所有。シトロエンも総合的に検討した。

 「佐々木さんは古民家などが好きでした。いつもいいものを見ろ、いいものを食べろ、いい家に住め、と言っていました。佐々木さんはスバル1000のアドバイザーでしたが、工業デザインのことにおいて学んだことは多かったですね。

 スバル1000は小物のデザインをやらせてもらいましたが、セダンのデザインが終わりに近づいた頃、商用のバンをデザインしてみろ、と言われ、これをまとめました。上司やエンジニアからはいろいろ言われたのですが、その意見を聞かないで作業を進めたんです。5分の1スケールの試作クレイは、Dピラーを寝かせた5ドアのハッチバック風のデザインでした。これはアメリカ軍のキャンプ時代のバラックが残っている風景をバックにデザインしたものです。


チーフデザイナーのアシスタントとして参加した、スバル1000の開発。加藤はバンパー、オーバーライダーの造形やロゴタイプなどを手がけた。

 スバル1000バンは、ラゲージルームのフロアをフラットにし、セダンの持っている特徴的な面を活かしてデザインしていきました。商用車と言うと貧相なデザインになることが多いのですが、スバルらしいクルマに仕上げました。スバル1000は、最初はゴールドの丸い六連星のエンブレムをつける予定だったんです。でも最終的に横長のスバルマークになりました。リアゲートは上下2分割で開きます。荷室はフラットで、低く、荷物も積みやすかった」
 と、加藤はスバル1000をデザインしたときの思い入れと苦労を語る。

掲載:ノスタルジックヒーロー 2008年 08月号 vol.128(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)