ポール・マッカートニーの愛車 アストンマーティンDB6が日本に来るまで

 クラシックカーの価値を判断するにはヒストリーが大きな要素になる。その点からすれば、ここに紹介するアストンマーティンDB6は素晴らしい。ポール・マッカートニーが所有していただけなく、あの名曲『Hey Jude』のメロディが生まれ、車内のカセットレコーダーに吹き込まれたという、重要なヒストリーが秘められているからだ。それを、縁あって海外事情に明るいフリーランスライター、古賀貴司氏の友人が購入したという。その顛末記をお伝えしよう。

その昔、私は外部編集者として某中古車雑誌社に出入りしていた。その頃、編集部で出会ったのが「フレンチ君」というニックネームがついたエンスージアストのS氏だった。その名のとおり、彼は無類のフランス車好きで、当時でもフランス車を10台ほど所有していたと記憶している。そんなS氏が同じ事業部を去り、インターネット関連会社を起業したことは知っていた。S氏は右肩上がりに事業を拡大させ、気付けばマザーズへの上場を果たした。実はアストンマーティンが好きだとの告白
 
そんなS氏と近況報告がてら、夕飯を共にすることになったのが2016年のことだった。車談義に花を咲かせたが、意外だったのは"フレンチ君" であったはずなのに、実は昔からアストンマーティンDB5が"夢の車" だと話してくれたことだ。下世話な話ではあるが、上場すれば経済的なゆとりは相当なものになる。



現に彼は、いつのまにかアストンマーティン DB9ヴォランテや、ベントレー・コンチネンタルGTなども所有していた。このような車名を記すと、なんとなくS氏が"ギラギラ" したIPO長者に聞こえてしまうのは分かる。だが、彼の名誉のために記しておくと、土日も返上して仕事に明け暮れ、唯一の贅沢がカーライフと言ってもいいほど車好きという人物だ。普段のもっぱらの移動手段は電車、もしくは奥様用のシトロンC4ピカソという堅実さも持ち合わせている。
 
ただ、彼ほどの財力があれば、DB5はもはや高嶺の花ではないことは明らかであった。そこで私は、ヒストリックカー専門店ではなく、UKのアストンマーティン本社にいる知人に連絡を取ることにした。私が直接、アストンマーティン本社に問い合わせたのは、クラシックアストンを取り扱う「アストンマーティン・ヘリテージ(アストンマーティン・ワークスのクラシックカー部門)」の存在を知っていたことが理由だ。数日して「あいにくDB5の在庫はないが、ポール・マッカートニーが乗っていたDB6ならある⋯」との返信があった。
 


私は、以前CNN で、このDB6の特集(2015年放映)が流れていたことを覚えていた。ポール・マッカートニーが運転中、ふと『HEY JUDE 』のメロディが思い浮かび、オプション装備されていたカセットレコーダーで、それを録音したという逸話が残っている車だった。ポール・マッカートニーが所有していたというだけでなく、この車内でメロディが録音されたという"ヒストリー" は後々、高く評価されることになる。"将来的な価値が見込める" という理由からアストンマーティン側から提示されたのは、一般的なDB6の倍以上の価格で、残念ながらポール・マッカートニー車の購入話は流れた。そしてS氏はといえば、翌週にはネットで見つけたシャンパンゴールド色のDB6 をイギリスから購入してしまった。

 

私がマッカートニー車のことを忘れたころ、S 氏から「やっぱりポール・マッカートニー号を購入した」と衝撃的な連絡が入った。シャンパンゴールド色のDB6を手に入れたあとも、『HEY JUDE』のメロディが生まれた車というヒストリーがずっと気になっていたという。一度は諦めたが、アストンマーティン側から若干のディスカウントが提示され、価格面で折り合いがついたそうだ。いやはや、フレンチ君、いきなりDB6を2台も手にするとは⋯。
 
日本におけるアストンマーティン正規ディーラーのオープニングに併せて、本社から幹部が来日。S氏が売買契約書にサインする際、私は"紹介者" として立ち会った。

「実車を確認することなく私たちの技術とサービスを信頼してくださって感謝します。そんなSさんの信頼を裏切ることのない整備をしてご納車します」と語ったのちに、"Welcome to Aston Martin Family! " というキメ台詞とともに交わされた握手が印象的であった。


 
そして、アストンマーティン側から提案されたのは、マッカートニー号の納車整備の仕上がり確認およびゲイドンとニューポートパグネルのファクトリー見学への招待。そしてなんと「グッドウッド・リバイバル」への参加だった。アストンマーティン側としては、納車整備が行われるニューポートパグネルからマッカートニー号に乗って、グッドウッドまで3時間ほどのドライブを楽しんではという配慮だったのだろう。