国際的にもあらゆる局面で、“多様性(ダイバーシティ)”が当たり前になってくるこれからの社会。子どもたちが、その“多様性”を許容し、主体性を持って問題に対し柔軟に考えられる力、行動を起こす力を養うにはどうしたら良いだろうか。
それは、子を持つ親の悩みでもあり、教員としてより良い教育に日々奔走する先生方にも大きなテーマだろう。

そこで注目したいのが、全国の小・中・高校・特別支援学校等に配布されている国際パラリンピック委員会(IPC)公認教材『I’mPOSSIBLE (アイムポッシブル)』だ。小学校には一昨年、昨年、今年とこれまで3度配布され、中学校・高校には昨年と今年の2回、全国3万6000の学校に無償で配布されている。

この『I’mPOSSIBLE』を活用した、インクルーシブマインドが育つ教育とは?今年8月、日本財団ビル内にて開催された「パラリンピック研究会」によるシンポジウムから、『I’mPOSSIBLE』の秘密に迫る。

「“できない”を“できる”へ変える」考え方が育つ、パラリンピック教育

シンポジウムでは「パラリンピック教育の効果と課題 -『I’mPOSSIBLE』が伝えるパラリンピックの価値とその普及」をテーマに討論が行われ、パラサポのスタッフとして『I’mPOSSIBLE』日本版開発責任者を務め、IPCならびに国際オリンピック委員会の教育委員でもあるマセソン美季氏(左)と、東久留米市立南町小学校 教諭 石塚智弘氏(右)が登壇した。

まず『I’mPOSSIBLE』の主軸は、“パラリンピック”を題材にした教育”であるが、誤解しないでいただきたいのが、単純にパラリンピックの歴史やルールについて学ぶ、ということではないこと。パラリンピックを通じて、インクルーシブな考え方について学べる内容になっている。

「例えば、パラリンピックの特徴、競技、歴史などについて学び、諦めないことの大切さや限界に挑戦することの尊さ、「できない」を「できる」に変える工夫を学びます。また、この教材では、パラリンピックを切り口に、インクルーシブな社会を作るための考え方が身に付きます」(マセソン美季氏)

この考え方は、impossible(不可能)に、アポロストロフィ(’)の工夫を加えることで「I’mPOSSIBLE(私はできる)」へ変換された教材名にも反映されている。
できないから簡単に諦める、ではなく、できるようにするにはどうしたら良いか?その考え方のヒントがたくさん詰まっている、さらにはその考え方を通して社会をより良く変えていくきっかけとなるのが、パラリンピック教育なのだ。

イギリスで話題になった教育プログラムが制作のきっかけに

当日のモデレーターを務めた、順天堂大学スポーツ健康科学部
准教授 渡 正氏。

『I’mPOSSIBLE』が作られた背景には、イギリスの子どもたちに多大な影響を与えた、2012年のロンドンパラリンピックがある。
ロンドンパラリンピックの開催が決定した当初、国内では、チケットを購入して観戦したいか?という質問に対しYESと答えた人はわずか数パーセントであったが、その後のチケット販売時には、販売数の278万枚が全て完売。全会場が満員となり、パラリンピック史上最高の盛り上がりを見せ、世界中で話題となった。このムーブメントの主軸となったのが、チケット購入者の75%に当たる家族連れの観客だ。

ロンドンでの開催が決まった当時、イギリスでは2012年大会の国内事業として、『I’mPOSSIBLE』の前身となる教材「Get Set(ゲット・セット)」を使ったオリンピック・パラリンピック教育が、全国20,000を超える学校で実施された。その結果、パラリンピックに興味を持った子どもたち自身から、両親や友達を誘ってパラリンピックを観戦しにいく、という現象が起きたのだ。
元々は、大会気運醸成のための教育事業であったが、イギリスのパラリンピック委員会によると、「Get Set」の教育を受けた2/3以上の子どもたちが、障がいのある人たちに対する認識が肯定的なものへ変わったという報告があり、多様な人々が相互に認め合える共生社会の構築に大きく貢献。この教育がもたらした効果・価値が認められ、大会以降、今もなお現地で続いている教育プログラムとなった。
このロンドンパラリンピックの成功事例から、さらに進化を遂げ、パラリンピック教育に特化した教材として、『I'mPOSSIBLE』が生まれたのである。

授業を行なった際の子どもたちの反応、学びとは?

「『I’mPOSSIBLE』は総合学習の時間を使って実施しています。大事なのは、教員としてこの教材を使って何をやりたいのか?を明確にし、狙いを定めること」と語る石塚氏。

実際に『I’mPOSSIBLE』を取り入れた授業ではどんなことが行われるのか?

これまで3年に渡り、六年生(平成29年)、三年生(平成30年)、五年生(令和元年)に『I’mPOSSIBLE』を活用した授業を実施してきた東久留米市立南町小学校 教諭 石塚智弘氏は、どの子どもたちも、非常に集中し、大いに楽しみ、問題に対して前進していくことや公平さについてを学んだ、と語る。

「プログラムは、座学と体験による実技で構成されているのですが、まず座学は、リオパラリンピックのダイジェスト映像が秀逸。毎回授業で流しているのですが、子どもたちは皆、パラリンピアンの姿に釘付けになり、子どもの言葉で言うと「すごっ!」「強っ!」なんて声を発しながら、彼らから発せられる高揚性というものを素直に感じて感動しています。特に印象的なのが、『失ったものを数えるな、残されたものを最大限に活かせ。』というメッセージ。本質に迫る、非常にインパクトの強いメッセージなので、子供の心に残ります。また、パラリンピックには独自の競技ルールや用具があり、クイズを通して様々な工夫やアイデアを学ぶのも毎回非常に盛り上がります。分からないことを、家で自分で調べてくる子もいたり、子どもたちに内在されている、様々な価値や気づきを引き出せるのも魅力。そして『公平』とはどういうものか、を考えるきっかけになっています」(石塚氏)

体験授業では、実際に競技に挑戦するが、実はパラリンピック競技は独自のルールや用具で、子どもたちがそのまま行うには難しい点がある。しかし、この難しさをどうしたら子どもたちでも実践できるのか?ということを生徒と一緒に考えるのも、この教材の醍醐味である。

「例えば、パラリンピック独自の競技で、視覚障がいのある選手が行うゴールボールを実践したとき。ゴールボールは、プレーヤーが全員目隠しをしてボールをゴールに投球する競技ですが、そのままだと子どもたちには難しすぎるんですね。そこで、五年生で実施した際には、自分たちでルールを作ってやってみよう!という指導をしました。そうすると、子どもたちから、「得点が入ったことを観客が教えてあげる」なんていう本来は無いルールのアイデアも出来てきたりして。みんなで色々な意見を出して話し合いながら考えれば、できないことも解決していける!と非常に盛り上がりました。自分たちの作ったルールで進めることによって、それぞれに責任も生じ、とても主体的な活動になったと思います。また、実際にプレーする選手だけでなく、ボール係や実況係といった周りのサポートする人たちの大切さ、というものに気づく子どもたちがとても多く、他者感覚というものを身に付けることにつながる授業となりました」(石塚氏)

多忙な教育現場で、プログラムの実施を根付かせるためには?

「規定の時間で全てやるのが難しければ、その一部をかいつまんで活用してもらっても構いません。順番通りでなくとも学校の状況に合わせて使っていただきたい」(マセソン氏)

パラリンピック教育で引き出せる価値、魅力は計り知れないが、実際の現場では、持続的に根付くために検討しなければいけない課題も多い。そのため、教材には様々な工夫が施されている。

「日々大変な忙しさの中で活動する教員の方々が、とにかく使いやすくて分かりやすい教材を目指しました。試験段階でフィードバックをいただいた現場の先生方の声を出来るだけ反映させ、かゆいところに手が届くようなパッケージとなっています。例えば、子ども達にどんな声がけをしたら良いか、時間の配分方法や授業の流れ、映像を含む様々な資料など、必要なものを一つにまとめているので、先生方が教材研究の時間を確保できなくても、パラリンピックの知識がゼロでも、パッケージさえ開けていただければ、すぐに授業が始められます。パラリンピック関係者がいなくても授業が出来るように作られているも大きな特徴です」(マセソン氏)

とはいえ、やはり任意教育という点で、なかなか教員に手に取ってもらえない、実施が難しいといった懸念の声が現場から上がる。

「教材は、パラリンピック競技の関係者を必要としない内容となっていますが、『ゲスト講師がいないとパラリンピック関連の授業はできない』『パラリンピックの競技体験には特別な用具がなければできない』と思っている人は少なくないのが現状で、残念に思っています」(マセソン氏)
※注:教材内では、特殊な用具については実施しやすいよう代替案を明記している。

「『I’mPOSSIBLE』は、使ってみると本当に価値のある素晴らしい教材、と実感するのに、なかなか手が出ない、出せない先生方が多い。その大きな要因は、圧倒的に時間が足りない、というのがひとつ。年間で決まっている通常のカリキュラムのスケジュールは、ただでさえギッシリですので、組み込むのが非常に難しい上、これは教育現場の働く環境の問題ですが、教員も長時間労働で疲弊している場合があります」(石塚氏)

I’mPOSSIBLE日本版事務局では、こういった教育現場の厳しい現状の中で、少しでも教員の皆さんに手に取ってもらい、実践につながる活動を行なっている。

「ただ配布するのではなく、その使い方や、パラリンピック教育の意義をお伝えするために、教員研修を積極的に行なっています。これまで約8,000人の教員の方々に研修を受けていただきましたが、依頼も徐々に増えてきているので今後も継続していきます。また、今年8月21日に『I’mPOSSIBLE』日本版の公式サイトも公開され、各学校から寄せられた情報を元に、実際の活用事例を紹介できるようになりました。教育系のメディアとともに、今後は公式サイトを通して、より多くの情報を発信し、各学校が情報をシェアし合えるハブとして機能させていく予定です」(マセソン氏)

会場からは、今回のようなシンポジウムに参加したいが、遠方でなかなか来られない人のために、シンポジウムの様子をリアルタイムで動画配信して欲しい、とのリクエストもあり、マセソン氏は、取り入れられるよう積極的に検討したい、と述べた。

最後に、パラリンピック教育というと、今年の東京パラリンピックに向けて、と考えがちだが、実はそうではない。パラリンピックの意義は、スポーツを通して社会に変革を起こし、誰もが認められ、活躍できる共生社会の構築を目指すもの。
2020年度から小学校の学習指導要領に、パラリンピック教育が明記された。マセソン氏も「2020年は、日本にとってパラリンピック教育元年。一過性のイベントとして終わらせるのではなく、継続的な教育として推進していかなければならないもの、ということを共通認識として持っていただきたい」と語った。

2020年の東京パラリンピックの閉会式では、『I’mPOSSIBLE』を活用し、共生社会の実現に向けて特に優れた取り組みを行った学校を表彰する「I’mPOSSIBLE アワード」も開催され、日本国内から2校、海外から1校の各2名(学校関係者1名と児童生徒代表者1名)が、東京パラリンピックの閉会式に参加できるという。
通常のカリキュラムとはまた違った、多様な未来を生き抜くインクルーシブマインドが育まれる、この可能性に満ちたパラリンピック教育に、ぜひ今後も注目してもらいたい。いま世界では国際版『I’mPOSSIBLE』が、アジア、オセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカの5地域31ヵ国で教育に活用されている。

「I’mPOSSIBLE アワード」(応募締め切り:2020年1月31日)
https://www.parasapo.tokyo/iampossible/award/

text by Parasapo Lab
photo by Tomohiko Tagawa