2020年代の希望のありか:後戻りできない激動の10年を越えて

「2010年代は歴史上で最も大きく変化した時代」という声もあるが、その感覚はどれほど日本に伝わっていただろうか? この10年間における社会とポップカルチャーの変容を確かめるべく、テクノロジー・ビジネス・音楽・出版など世界の最前線に触れてきた編集者、若林恵(黒鳥社/WIRED日本版前編集長)に様々なアングルから振り返ってもらった。

※この記事は2019年12月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.09』に掲載されたコラムを改題し、加筆修正を加えたものです。


裏切りのインターネット

アメリカに文化施設専門のコンサルティング会社「La Placa Cohen」というのがありまして、それが「Culture Track」という定量調査をが3年ごとに行ってるんです。その2017年のレポートには、2014年からの3年の間に「カルチャー・ランドスケープが決定的に変わった」と書いてあるんです。実際、世界的にも「2016年」あたりに深い断層があるということはよく言われてるんですが、この年に何があったかというと、簡単に言えばトランプ当選とブレグジットです。

2016年はソーシャル・メディアが普及しだしてちょうど10年目くらいのタイミングでして、それが出てきた最初の頃は、「旧来のマスメディアが伝えてこなかった声が伝わるようになる。そのことで世の中が決定的に変わるんだ」という希望的観測があって、実際に「アラブの春」のような民主化運動が起きたりしました。そうした流れのなかで、Twitterの創業年の2006年にTIME誌は「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に「あなた(You)」、つまりは「市民のみなさん」を選んだわけです。「権威よりも創発」といったような言い方で、権力者の指示ではなくインターネットを駆使した集合知によって社会が動くようになるんだという希望が持たれたわけですね。

2010年末からの「アラブの春」、翌年の「Occupy」(ウォール街を占拠せよ)など、SNSを発端とする市民の抗議運動も起きたたことで、個人がエンパワーメントされてグローバル企業や政治家などのエスタブリッシュメントが新しい勢力によって打ち倒されることを多くの人が夢見たわけです。日本でも震災のときにTwitterが大いに役立ったこともあって、新しい社会が来るんじゃないかといううっすらとした萌芽を感じることもあったと思うんです。そうした流れは目に見えるインパクトは減ったかもしれませんけど、確実に「#MeToo」のような運動にまでつながってはいるので、その夢が完全に潰えたかと言えばそんなこともないんですね。

ただし、その10年間の間には、まったく別のことが同時進行で起きていて、それは、自分たちの希望のよすがであるところの新しいツールを提供してきた企業がやたらと肥大化して、かつてのエスタブリッシュメントのポジションにまんまとおさまっていったことです。俗に「GAFA」と呼ばれるITジャイアントたちが、かつての権力以上のスーパーパワーになってしまいました。表向きには「個人がエンパワーメントされていく」と喧伝されていた一方で、その声が大きくなればなるほどGoogleやFacebookといった企業が大きくなっていき、彼らがあるときからユーザーデータを広告ビジネスに利用しはじめるようになったあたりから「あれ? 利用されてるだけじゃない?」みたいな感覚が徐々に出てくることになります。


”ドナルド・トランプの大統領選勝利宣言【全文掲載】”より(Photo by Chip Somodevilla/Getty Images)


”米大統領選に関するFacebookのロビー活動や献金疑惑をNYタイムズが報道”より(Photo by JOSH EDELSON/AFP/Getty Images)

エドワード・スノーデンがNSAによる国民監視の実態を暴いたのが2013年ですから、その頃から、インターネットは諸刃の剣であることを市民も強く認識しはじめるようになっていきます。そして、2016年にトランプが大統領になったことで、インターネットやSNSが、ポピュリズムを加速させる強力な装置になりうることも明らかになり、特にアメリカではテック業界に対する逆風がものすごく強くなっていきます。で、トランプ当選の直後にケンブリッジ・アナリティカによる個人データ不正収集とその活用によって、大統領選とブレグジットの投票が操作された疑惑が出てきて、一時は新しい民主主義の実現を促すツールと思われたものが、民主主義に危機をもたらすものとして一気に認識されるようになったんですね。

ケンブリッジ・アナリティカの事件と前後して、EUでは個人データの取り扱いをめぐって「GDPR」(一般データ保護規則)という法律が施行されたのは象徴的な出来事で、その辺りでインターネットとデジタルテクノロジーについての見通しが、大きく転回することとなります。「ワールドワイドウェブ」(www)を考案したティム・バーナーズ・リーのような人ですら、その時期「インターネットは失敗に終わった」と語っていたほどです。

とはいえ、一度そっちに向けて作動しちゃったものをご破算にして一からやり直しというわけにも行きませんし、実際みんなの手にスマホが行き渡った世界は、良くも悪くもこれまでとは違うものにはなっていて、SNS登場当初に謳われた「市民のエンパワーメント」といった流れは、例えばアメリカの人種問題についていえば「ブラック・ライブズ・マター」のような運動から「#MeToo」のようなムーヴメント、さらには香港のデモにいたるまでを後押しし続けてはいるわけです。


一巡して、また振り出しに

これまで社会の非主流だと思われていた人たちの声が大きくなって、徐々にその主張が社会制度のなかにまで組み込まれていくようになると、今度はそれまで主流を構成していた人たちの肩身がどんどん狭くなっていくということも起きていきました。これまで大威張りで生きてきたおじさんたちが、やれパワハラだ、やれセクハラだ、やれコンプライアンスだ、やれポリコレだと謗られて身動きが取れなくなっていくと、その抑圧に対する跳ねっ返りとして良かった過去に逃げ込んで開き直るというようなことも起きてしまいます。その結果、市民同士の間でどんどん分断が進んでいくわけです。

そうした事態のコインの裏表のような格好でGAFAのような巨大プラットフォーマーの専横がますます深まっていきますので、市民のなかの分断をどう取り扱うのかという難題と並行して、その分断を進行させるドライバーにもなっているプラットフォーマーをどうガバナンスしていくのかという難題が国家的課題として前景化してきます。どこもかしこもこれには非常に頭を悩ませているわけです。

アメリカですら民主党のエリザベス・ウォーレンなんかは巨大プラットフォーマーは「分割すべし」とかなり強硬に主張していますよね。また、2019年には、10年代のテックイノベーションの旗振り役だったMITメディアラボが性犯罪者兼億万長者のジェフリー・エプスタインからの献金を隠蔽していた問題で大炎上して伊藤穰一所長が辞任に追い込まれるなんてこともありましたし、WeWorkやUberが槍玉にあがったりもして、いわゆるテック礼賛的な流れはだいぶ後退したように思うんです。

スタートアップ経済がどんどんマネーゲーム化していき、それを主導してきた人びとが「1%」の側になっていくにつれて「なんだお前らも結局そっち側か」と、だんだん冷ややかになっていった感じはありますね。ちなみに、退任したMITメディアラボの伊藤穰一さんが、テックイノベーションにおいて、「これからは倫理が重要になる」といったことを言い出すのが2015〜16年のことだったと記憶してますが、倫理の重要性を謳いながら幼児性愛犯から資金提供を受けていたら、まあ、さすがにまずいですよね。いずれにせよ2016年を境にしてテックバブルが一巡して、もとのところに戻ってきたという感じはあるわけです。この10年でスマホもSNSも、ほぼ全世界的にデフォルトの環境になった。さあ、これからどうするんだっけというところですね。

アーティスト主権の時代へ

いまお話ししたみたいなデジタル社会の良し悪しの双方は、音楽の世界でも顕著に表れた10年だったんだろうとは思います。Apple MusicやSpotifyのようなサブスクリプションサービスが基盤の環境となってアーティストやレーベルの首根っこをある意味抑えてしまうわけですが、とはいえ一方のアーティストはアーティストで何百万人というフォロワーという勢力を盾に、そうした巨大企業と戦うこともできるようになってはきていまして、2014年にテイラー・スウィフトがいきなりSpotifyから音源を引き上げたような、そういうドラスティックな行動を取ることができるようにもなりました。

なんの予告もなくいきなりアルバムを投下するのはビヨンセによって一般化した手法ですが、音楽家の活動を、もはやレコード会社もプラットホームであるディストリビューターもコントロールできなくなったのは、この10年で完全にデフォルトになったことで、業界は彼らの動きを後追いするかたちで、どうそれをサポートしていくのかというところに自分たちの役割を再び見出してきているように見えます。

そういう意味でいえば数ある配信先のなかから、どのサービスを利用していくのかという決定権はアーティストの選択に委ねられていく格好になっています。10年代はSoundCloudがヒップホップのスターを多く輩出した一方で、メジャーなアーティストもBandcampを利用しはじめるようにもなりました。Bandcampは、ずっと地道なマーケットプレイスモデルを堅持してきたプラットフォームですが、非常にクラシックな収益モデルをブラさずに守り続けてきたことで、どこよりも高い信頼を勝ち得ているのは音楽ファンとしては嬉しいですよね。彼らのエディトリアルも、いま一番と言っていいくらい面白いですし。

これはNetflixやAmazon PrimeのようなSVODのプラットフォームを見ていて感じるんですが、サブスクリプションサービスは、膨大なカタログを必要とする上、膨大なユーザーを捕まえなくてはいけないモデルなので、一体どこまでお客さんを取り続ければ商売が安定するのかが、どうもまだ不透明なように見えます。ユーザーを増やすためにはプレミアムなコンテンツが必要で、そのためにはお金がかかるので、その分だけユーザーを取らなくてはいけない。どこまで行けばブレイクイーブンになって安定したビジネスになるのか見ていてちょっと怖いところがありますよね。

音楽や動画コンテンツのサブスクリプションモデルへの移行は逆らえない流れではあるのは間違いないとは思いますが、そこにばかり依存し過ぎるのは危険なんじゃないないかという感覚は、コンテンツホルダーであれば、おそらくどのレイヤーの人も感じているのではないかと思います。いずれにせよサブスクリプションの収益で食えるのはほんの一部のトッププレイヤーだけだと言われていますから、そもそも収益源としてアテにならないという問題もありますし。


”ブランドがラッパーに投資、ヒップホップがもたらす音楽業界の新たなマネーフロー”より

そうした意識があってなのか、音楽活動はもはや音楽だけを扱うものではなくなっているのもデフォルトになってきた感があります。カニエ・ウェストが自身のアパレルブランド「Yeezy」を大ヒットさせ、リアーナがLVMHグループから「Fenti」を、ペギー・グーがFarfetchと組んで「Kirin」というファッションブランドを立ち上げたりするのを見ているとミュージシャンは、いまやブランドビジネスの非常に強力な起点でもあるのを感じます。そのブランド力をアーティスト本人がコントロールすることで、いよいよ360度ビジネスがこれからも加速していくのでないでしょうか。


つくり手はもっと自由になる

ビヨンセのライブ映像作品『HOMECOMING』は制作主体が彼女自身の会社「Rockwood Entertainment」で、その制作パートナーとしてコーチェラを主催するA.E.GやNetflixといった企業が選ばれているわけですが、お金の流れは詳細にはわかりませんが、ほぼ対等な立場でビジネスが組まれている感じがするんですよね。ライブの段取りから映像化まで自分の会社でやってしまえるから、制作面の全てをセルフコントロールできる。コンテンツをもっている側からすれば、組み先として、Amazonを選ぶのか、あるいはNetflixなのかHBOなのかは、もはや「どの”土管”を通すか」というだけの話になってきているように見えます。



どの配信業者も、強いファンベースをもった強いコンテンツメーカーのコンテンツは欲しいわけですから、配信プラットフォームが増えていけばいくほどに売り手市場になっていくのであれば、これはいい傾向のように思います。ディストリビューションを担当するプラットフォーム側は、YouTubeみたいにユーザージェネレイティッドな仕組みでない限り、常にコンテンツが足りない状態に置かれるようになると思うんです。なので、Netflixみたいなサービスの生命線は、面白い企画を開発できる人びとと、どれだけつながっていられるのかというところにあるかと思います。優秀なクリエイターがどんどん企画もってきてくれるような環境づくりが必要なんですね。

もちろん、彼ら自身からも積極的に声がけしているのだとは思いますが、いずれにせよ配信プラットフォームは、制作者・コンテンツクリエイターのマーケットをどれだけアクティベートできるかが大きな課題であるはずなんです。であればこそ、マーティン・スコセッシのような巨匠が参入してきたり、ちゃんと賞レースで競えるような作品を製作することにも意味があって、それは視聴者に対するメッセージであると同時に、世界中のクリエイターに対してのメッセージでもあるはずです。そこが一流の制作者が集うプラットフォームで、他のチャンネルではできない思い切った企画をやれる場所であることを証明することは、すでに名をなした巨匠だけでなく、若手のクリエイターにとっても魅力的に見えるはずです。

こういう流れがさらに進んで行けば、コンテンツのつくり手側にある種の自由やゆとりが生まれてくるようにも思います。NASが出資するヒップホップ・レーベルの「Mass Appeal」みたいに、ディストリビューションの部分はパートナー企業にすべて委ねて、自分たちは映画制作から音楽レーベルまでコンテンツの制作しかやらないといったビジネスモデルも可能になってきていますし、あるいはトラヴィス・スコットくらいのスターになれば、「遊園地をやりたい!」って言い出すと、もうそれだけで行政や市長までも動き出して実現できちゃうわけです。もちろん、これは大きな知名度と巨大なファンベースがあって可能になることですが、ほかにはないユニークなコンテンツをつくることができて、オーディエンスの姿を明確に可視化できるクリエイターであれば、スモールスケールでも同じ戦い方ができるようになっていくのかなと期待しています。
 
音楽は「商品」ではなく「通貨」
 
音楽はそれ自体でマネタイズすることがかつてのようにはできなくなっていますが、それでも相変わらず素晴らしく強いコンテンツですし、共感をもって人を束ねるのにこれほど強い効力を発揮するものもありません。音楽それ自体はお金を生まなくても、そこにある価値観を共有した人が集まってくるわけですから、音楽のまわりに集まった人たちに向けてどんなやり方で消費にコミットしてもらうことができるのかを試行錯誤する、というのがこれからのビジネスの順番になっているのかもしれません。音楽をもってコミュニケーションの回路をまずは開き、たくさんの人とつながっていくことでそこに新たなビジネスチャンスを開拓していくという、そういう流れなのかなと。音楽はすでに「プロダクト」(商品)であるよりも「通貨」に近いものになってるのかもしれないと思ったりするんです。

以前、ゴールデン・ティーチャーというグラスゴーのバンドに取材したんですが、「グラスゴーの音楽経済はどうですか?」と聞いたら「そんなものないよ!」と即答されたことがあるんです(笑)。みんながデイジョブをもっていて、それをやりながらバンドを掛け持ちしてるという感じなんですが、曲をレコーディングして、とりあえずSoundCloudに上げておくと、近所のライブハウスに呼ばれたりするわけです。で、そこで演奏をすると「なるほど、自分たち作った曲はこういう曲だったんだ」とわかってきて次にやることが見えてくるし、そのライブを観てた誰かが次のライブに誘ってくれる。そんなことを次々とやっていくと「ほらね、日本にまで来れちゃっただろ」って(笑)。わらしべ長者みたいな話なんですが、ここでの音楽は、もはや商品じゃないんですよね。



自分はメディアの仕事をしているわけですけど、メディアの仕事の面白いところって「取材」と言えば初めての人でも結構会ってくれたりすることで、それを記事にして出してみると「自分も取材されたい」なんていう人が出てきたりして、そうやって飛び飛びしながら動いていくと思わぬ場所にたどり着くことがあるところなんですよね。つまりひとつの記事が次の出来事を呼び込む起点になっていくということなので、とりあえず動くきっかけになってくれればそれでいいというようなところがあるんです。音楽ももしかしたらそういうところがあるのかもしれないですね。

先日、Dos Monosというヒップホップグループのメンバーの方とお話する機会があったんですが、明確に「コンテンツ」よりも「コミュニケーション」の方が先立つと言っていました。「コンテンツ=商品」という考えはすでに相対化されてしまっているものなのかなと思うんです。とくにヒップホップでは「作品=アルバム」という概念が希薄じゃないですか。客演=コラボがデフォルトの文化ですし、職人的に作品を煮詰めていくというよりは、その場のインスピレーションや創発といいますか、そういうことを基盤にしたアートフォームだと思うので、より「その時その場」のクリエイションが重視されるんだと思います。完成品よりもプロセスそのものが大事というか。

2019年の初頭にラッパーのJ・コールが100人以上のラッパーやトラックメーカーをスタジオに集めて「ラップキャンプ」を開催し、そこでできた音源をアルバムとしてリリースしましたけれど、あれこそヒップホップの原点なんだろうと思うんです。その場にいる人とコクリエイションしていくという。完成品の完成度よりも、そこで生まれるコミュニケーションの密度や、そこから生まれる意外性の方が優位に置かれて感じがするんですよね。


「ラップキャンプ」の模様を捉えたドキュメンタリー映像


ロックは終わり、ヒップホップが真ん中に

2017年にコーチェラを現地で観たんですけど、そこで何より驚いたのは、誰もレディオヘッドなんか観てないことでした(笑)。いや、まあ、「誰も」というと語弊があるんですけど、基本ロック系のステージはオーディエンスがオッサンばっかりなんです。その一方で、トラヴィス・スコットやフューチャーのステージとなるととんでもない混み具合で、しかもオーディエンスが圧倒的に若い。そんでもって、みんなで合唱してるんですね。ヒップホップって合唱するものだと思ってなかったので驚いちゃったんですが、みんな普通にライムを諳んじてるんです。かつてロックがいたポジションを、今は完全にヒップホップが占めていて、音楽カルチャーの揺るぎない柱になっているということを実感した次第で、残念な言い方をするなら、ロックはすっかりオワコンなんですよね。薄々そうじゃないかとは思ってたんですけど「ああ、やっぱり」って感じでした。




コーチェラの光景。写真上はヘッドライナーを務めたケンドリック・ラマーのステージ。(Photo by Kei Wakabayashi)

日本でもヒップホップは着実に広がっているんだろうとは思いますけど、それがメインストリームのど真ん中なんだって実感できている人はまだそんなに多くないですよね。同年代の人なんかにヒップホップの話をすると、大方の人が、それを音楽ジャンルだと思ってるんです。もちろん音楽ジャンルなんですけど、でもかつて「ロック」って言ったとき、それが指し示していたのは音楽ジャンルだけのことじゃなかったじゃないですか。そこにはもっと広義な意味があって、それは思想や生き方やアティチュードを抱合していたわけですよね。同じようにいま海外で「ヒップホップ」と言ったとき、それが指すのは音楽ジャンルではなくて、同じように思想や態度が含まれているんです。これはとても重要なことで、メインストリームをなしているカルチャーが入れ替わったということは、時代精神をつくりあげている思想そのものが変わってしまっているということなので、そこを見誤るととても頓珍漢なことになるんですね。

政治闘争のBGMとしてのロックミュージックというのはある時期まではアクチュアルのものとしてあったんだろうとは思うんですが、いま、それが例えばケンドリック・ラマーとかに変わっちゃっているとしたら闘争の基軸も、リズム感も、メッセージも、すべてがこれまでと違ってきちゃうわけです。というのも、ロックの背後にはつねにどこか左翼思想が貼り付いてきたかと思うんですが、ヒップホップの面白さは、従来の右翼左翼のくくりではまったく整理できない内容を、実はもっているところなんです。


右翼・左翼の対立は失効した?

人種差別をめぐる闘争という部分では左翼的な政治観と同調するところもあるんですが、その一方で、その価値観の基盤をなしているのは非常に保守的な家族主義や地域主義であったりもします。さらに経済というかお金儲けについても非常に貪欲で、アントレプレナーシップはとても重視されます。シリコンバレーの大物VCのベン・ホロヴィッツはテック業界きってのヒップホップ好きとして知られていますが、彼はビジネスマンがヒップホップに学ぶことはたくさんあると言います。

実際、お金やビジネスをめぐる苦難や苦闘といった主題はヒップホップではしょっちゅう扱われるものです。逆にロックは「経済」というものとちゃんと向き合ってこなくて、お金儲けをテーマにした歌は極端に少ない。これはちょうど左翼が、経済あるいは商売というものにとことん疎いという傾向と完全に符号するわけです。ヒップホップは右か左かという対立を、よくわからないやり方で無効化しちゃうところがあるんです。


”ケンドリック・ラマーが語る、トランプ政権下の社会に変化をもたらすのは「自分第一主義」”より(Photo by Twocoms / Shutterstock.com)

いまの日本は、右翼左翼の古い基軸のなかでひたすら泥仕合を演じているように見えますが、ヒップホップがデフォルトの感覚からしたら、それ自体がもうめちゃくちゃ古い感じにしか見えないんだと思うんですね。これは人に聞いた話ですが、いまの若者のなかでは「左翼」の方が「保守」とみなされているというんです。昔の考えに固執した人たちにしか見えていないということだと思うんですが、ロックが体現してきた反体制的な身振りが、時代の変化に対応できていない古い世代のものにしか見えなくなっているということと、それもまた符号するんだと思います。

ヒップホップを日常的に聴いている世界の若い世代が怒っていたとしても、それがこれまでの「怒れる若者」と微妙に違って感じられることの理由のひとつに、もしかしたらヒップホップという断層があるんじゃないかと思うんです。その感覚は日本にはまったくインストールされていないので、その差異やズレは、今後ますます大きくなっていくんじゃないかという気がするんです。個人的には早くアップデートした方がいいと思うんですが。

グローバルポップの到来
 
日本がグローバルな感受性に早くキャッチアップしたほうがいいと思うのは、2010年代が、音楽のグローバル化が本当の意味で本格化した10年だったからです。世界的DJであるディプロは「これまで真の意味でのグローバルポップというものは存在しなかった」とかつて言っていましたが、2010年代はヒップホップ(トラップ)やレゲトンといったみんなの根っことなる共通言語(Root Language)が世界化し、そのリズムやサウンドの上で、世界中の誰もが自分の声で表現することができるようになり、その結果としてナイジェリアのアフロポップの歌手が一気にグローバルスターになったり、BTS88risingといったアジア人が世界的に注目を集めたり、中南米のシンガーがグローバルで受容されたりといったことが起きました。世界のトップチャートに初めて世界中からの音楽が含まれるようになったんです。ディプロが語ったグローバルポップが初めて実現したんですね。これはとてもポジティブなことだと自分は思っています。


”K-POPはいかにして世界制覇を成し遂げたのか?”より、BTSのパフォーマンス写真(Photo by Jeff Kravitz/FilmMagic)

アジアで言えば、BTSがビルボード1位を獲得したのが大きなニュースになりましたが、2010年頃にK-POPを熱心に聴いていたことがあったんですが、その頃からすでに韓国勢がアメリカを制覇するのは時間の問題だという感じはあったんです。というのも、少女時代からBIGBANGから2NE1からBLACKPINKにいたるまで、韓国のレーベルは、コケてもコケても執拗に新しい弾を繰り出しては、着実に地盤を拡張し続けてきたからです。最初に欧米の壁を打ち破ったのがPSYだったのはさすがに予想外でしたけど(笑)、あれが単なるまぐれ当たりではなく、地道な努力と、ねちっこい戦略性のなかで起きたことだったことは、おそらくK-POPファンの方だったら理解できたと思います。そこからBTSまで、結構時間がかかったとも言えますけど、ああやって結果が出てみると、その間、時間を無駄にすることなくひたすら前に進んできてたんだなと思えます。

その前提条件として、やっぱりヒップホップにきちんと時間をかけて対応してきたのは大きいと思います。BLACKPINKがコーチェラに出ているのを配信で見ましたけれど、彼女たちのファッションも立ち居振る舞いは、どこにでもいそうなアジアンアメリカンと変わらないんですね。そのほかにも「#MeToo」的な流れのなかで民族的なダイバーシティへの意識が高まったことなども受けてアジア人がアジア人として声をあげることができるようになり、同時にお客さんの側にもそれを受け入れるコンテクストが揃ったといったことも大きかったんだろうと思います。


ボーダーレスミュージシャンの新世代

『WIRED』日本版でナイジェリアの特集(2017年VOL.29「ワイアード、アフリカにいく」)を組んだ時に、現地を取材した編集部員が言っていたのは、インターネットの普及によって、海外で学んでいた人たちが初めて故郷に戻って仕事ができる環境ができたということです。それまでは、例えばアフリカからヨーロッパに留学に行ったとしても故郷に戻って働くというオプションがなかったんです。ところがインターネットがそれを変えたそうなんです。インターネットの登場によって、ナイジェリアにいながらロンドンやニューヨークの仕事を受けることも可能になったんですね。

ナイジェリアのアーティストで、2019年にアルバム『A Good Time』を出したダビド(Davido)は、たしか生まれがアトランタです。移民の2世なのでアトランタの音楽シーンのなかで育ったんですが、そういう人がいまであればナイジェリアとアトランタを行き来しながらふたつのシーンをつなぐ役割を果たすことができるわけです。故郷のナイジェリアのシーンは、そうした人たちから最新の知見や海を超えたネットワークを授かることができますし、それをテコにして、いきなりローカルなミュージシャンがグローバルシーンに参入できるようになったんです。



先にお話したディプロが偉かったのは、率先してアフリカやアジアに飛んで「花粉を運ぶ人」の役割を担っていたところです。そうした存在がいたからこそBTSもいるわけですし、J・バルヴィン、ロサリア、カミラ・カベロみたいなラテン系アーティスト──もともとアメリカにはラテン系が多いというのもありますが──が全世界的にヒットし、ダビドやWizkid、Burna Boyといったアフリカ勢の活況もある。ケンドリック・ラマーがディレクションした『ブラックパンサー』サントラや、ビヨンセが仕切った『ライオン・キング』のサントラは、アメリカのブラックミュージックとアフリカのブラックミュージックが交錯するスリリングなもので、そうした試みを経て、ますます音楽は世界化・流動化していくことになるんじゃないかと思います。

インディロックの世界でも日本オリジンのミツキや、フィリピンオリジンのジェイ・ソム、カメルーンオリジンのヴァガボンのようにアジアやアフリカにルーツを持つ女性アーティストが活躍していて、あらゆるジャンルでそうした傾向は進んでいます。まさに「こんな世界が見たかった」と言いたくなるような光景です。今後は日本でも、そうした動きが可視化されていけばメインストリームにももっとダイバーシティが生まれて、そこにミツキやセン・モリモトのようなアメリカ在住の日系人や、スーパーオーガニズムのオロノみたいに日本を飛び出して海外で活躍している人が自然とリンクするようになったら面白いことになりそうです。

ビヨンセとガールズパワー
 
NPR Musicは10年代を総括するシリーズ記事のなかでビヨンセに一章を割いていましたが、ビヨンセが果たした役割は、いろんな意味で大きかったと思います。NPRは、彼女の功績を以下の5つにまとめ、ビヨンセが2010年代を定義したとまで言っています。「音源のサプライズリリース」「女性黒人に対するエンパワーメント」「ソーシャルメディアの扱い方」「音楽ジャンルの融解」「アルバムとの向き合い方」。

ビヨンセがすごいのは、みながSNSで必ずどこかで自爆するなか、あらゆる社会的なコンテキストにコミットしながらも、ほとんど炎上したりブーメランに合うことなく「ビヨンセ」という聖域を守り抜いたことだと思います。かなり激しいアクティビズムを展開しながらも、いつも清潔さを失わない。その流れを2018年のコーチェラ出演からの2019年の『HOMECOMING: The Live Album』で締めてみせました。見事なものです。

またジェイ・Zと夫婦で組んだカーターズの「APESHIT」は、ルーブル美術館という白人カルチャーの殿堂においてMVの撮影を行ったものですが、西洋文化の本丸に黒人的身体をもって侵犯し、メインストリームの白人カルチャー・西欧文明のなかにずっと隠されて存在してきた異教的なものや周縁的なものにフォーカスすることで白人主体の世界史を編成し直すという、大胆な試みでもありました。


”ビヨンセ、双子出産後初となった圧巻のパフォーマンスを10のエピソードで振り返る”より(Photo by Andrew White)

ちなみに2019年は、アメリカに初の奴隷船が到着してから、ちょうど400年目にあたる年で、ニューヨーク・タイムズが「1619」という特集面を作り、それがものすごいバズを呼んで、ポッドキャストのシリーズも大ヒットしたりもしました。ダイバーシティや#MeTooのような現在の視点を通して、いま一度歴史を読み直そうという試みは、黒人マーチングバンドの伝統を用いて過去のヒット曲まですべてを読み替えた『Homecoming』においても強調されていたことでしたが、これはブラック・ジャズにおいても顕著に見られた傾向だと思います。

ブラック・ライブズ・マターと#MeToo的が交錯する地点においてアリス・コルトレーンの再評価が進み、その影響をすぐさまソランジュが最新作『When I Get Home』に反映することで、忘れられていた歴史がアクチュアルなものとして現在化されていきます。おそらくいま「最重要ジャズ・アルバム10枚」といった企画をやったら、かつてわたしたちの世代が教わったような定番のセレクトとはまったく違うものになると思います。少なくとも半分は女性じゃないといけないという縛りだって、今後はデフォルトになっていくはずです。

男女比という話で言いますと、2022年までに音楽フェスの出演アーティストの男女比を均等にしようという「Keychange!」というキャンペーンがあり、その誓願に世界中の200以上のフェスティバルや音楽団体が署名しましたが、そうしたことが実現されていくことについては、自分はとてもポジティブに受け止めています。女性のミュージシャンが増えることに個人的には何ひとつ不都合はないですし、むしろ音楽の世界において女性がマジョリティになるなんてことが起きたら、音楽史が新たなフェーズに進みそうな気さえしますよね。

個人的には、いま面白いと感じるアーティストは女性の方が圧倒的に多いですし。サマー・ウォーカーとかティエラ・ワックとか、普通に天才だなと思いますし、ちょっと前の時代だったら、もしかしたら彼女らはシーンに存在できなかったかもしれないと思うと、やっぱりいい時代だなとも思うんですよね。



フランク・オーシャンのオレンジ
 
個人的な感慨で言いますと、2010年代の音楽はフランク・オーシャンに尽きているんです。2012年に『Channel Orange』が出てLPを注文したんですが、まだ届いていません。フランク・オーシャンのファンにしてみれば、10年代は「チャンネル・オレンジのアナログの到着を待っていた時代」ということになります(笑)。なんにせよ、自分にとって時代の”気分”はすべてフランク・オーシャンに含まれているという感じがあります。



日本の10年代っていうのは、ある意味「ポスト震災」の時代とも言えるかと思うんですが、日本人にしかわからないことばにしづらい「震災後」の感覚も、フランク・オーシャンの音楽のなかには含まれているような気さえするんです。うまく言えないんですが、何かが決定的に失われてしまった感覚とか、遠くに過ぎ去ってしまった感覚というか、そういうものがあるんですね。夕焼けを見るたびに、自分は「ああ、フランク・オーシャンのオレンジだ」と思って、とても感傷的な気分になるんです。

あとどこの空港で聞いてもものすごくハマるのもフランク・オーシャンの音楽の大きな特徴だと思っています。どこで聴いてもカッコいいし、違和感がないんです。あの独特の音のレイヤー感のせいなのかとも思うんですが、ラジオで受信したみたいな感じ、あるいは、どこからでもネットにアクセスできる感覚みたいなものが音のなかにあるんですね。その感覚を他のアーティストもこぞって真似しようとしましたけれど、あの感覚には誰もなかなか到達しないですね。

世の中がホントにクソみたいになってどんどん混乱が深まっている状況に対する怒りと、ミレニアル世代っぽいナイーブな優しさと諦念のようなものが絶妙に配合していて、ある意味ノスタルジックなんですが、でも何に対してノスタルジーを感じているのか、もはやわからないみたいな、ノスタルジアを感じる回路だけが残っていて、その対象が見つからない、そんな切なさを感じるんですよね。

2010年代はそんなにいい時代ではなかったんだと思うんです。みんなが抱いていた希望がどんどん裏切られ続けて「こんなに下らないことにしかならないわけ?」「もっとましなやり方はないわけ?」という思いが募っていった時代だったのかなと。とはいえ、その一方でこれまで前景化することのなかった声が前に出てきたことはあったので、そっちの方向が、次の10年にはもっと拡張されるといいなと思ってます。みんなが無駄に右往左往してたのが、ちょっとずつ落ち着き出したという印象はあって、そこには少しばかり希望をもっていますよ。


Photo by Kei Wakabayashi

TIMELINE

2010年
1月 TicketmasterとLive Nationが合併
11月 ザ・ビートルズ、iTunes解禁

2011年
3月 レベッカ・ブラック「Friday」が大ヒット
7月 Spotify、アメリカでローンチ

2012年
4月 コーチェラ・フェス、故・2パックのホログラムショー
7月 フランク・オーシャン、初恋相手が男性とカミングアウト
9月 ユニバーサル、EMIレコード部門を買収
冬 PSY「江南スタイル」が大ヒット
年間 音楽業界が1999年以来、初の業績回復

2013年
2月 バウアー「Harlem Shake」が大ヒット
12月 ビヨンセ、アルバム『Beyoncé』をサプライズ発表

2014年
9月 U2の新作、5億人のiTunesユーザーに自動配信
10月 ケシャ、性的虐待めぐりドクター・ルークと法廷闘争(〜現在)
11月 テイラー・スウィフト、Spotifyから撤退(2017年に復帰)

2015年
2月 プリンス、グラミー賞授賞式で「アルバムって覚えてる?」とスピーチ
3月 「ブラード・ラインズ」著作権侵害訴訟、ロビン・シック&ファレル側が敗訴
6月 Apple Musicがローンチ
7月 アルバム/シングル発売日、世界で金曜日に統一
11月 イーグルス・オブ・デス・メタル、仏コンサート中にテロ事件が発生

2016年
1月 デヴィッド・ボウイが死去
2月 カニエ・ウェスト、発表済みの『The Life of Pablo』収録曲を修正
4月 プリンスが死去
6月 グラミー賞、ストリーミング限定作品も候補対象に
6月 イギリスが国民投票の結果、EU離脱を選択(ブレグジット)
8月 フランク・オーシャン、『Endless』『Blonde』連続リリース
9月 TikTokがサービス開始
10月  ボブ・ディラン、ミュージシャン初のノーベル文学賞受賞
11月 ドナルド・トランプがアメリカ大統領選挙で勝利

2017年
1月 スペイン語楽曲「デスパシート」が大ヒット
3月 ドレイク、アルバムではなくプレイリストと称して『More Life』発表
4月 超豪華フェス「Fyre Festival」が開催中止
5月 アリアナ・グランデの英マンチェスター公演で爆破テロ事件
上半期 全米でヒップホップ/R&Bの売上がロックを上回り、最も売れたジャンルに
年間 ストリーミングが音楽売上最大の収入源に

2018年
4月 ケンドリック・ラマー、ピューリッツァー賞を受賞
〃   コーチェラ・フェス、ビヨンセの歴史的名演
5月 BTS、アジア人として初の全米アルバムチャート1位
6月 Spotify、R・ケリーとXXXテンタシオンの曲削除「誤り」と認める
7月 カーディ・B、女性ラッパーとして史上初めて2曲のNo.1ヒット
〃   ドレイク『Scorpion』ストリーミング再生回数が1週間で10億回超え

2019年
6月 Apple、iTunes終了を発表
7月 リル・ナズ・X、全米シングル・チャート最長1位の新記録樹立
9月 Netflix、有料会員が1億5800万人に



若林恵
1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後,雑誌,書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。著書『さよなら未来』(岩波書店・2018年4月刊行)。TwitterFacebookで「blkswn jukebox」と題し、気になる新譜を毎日紹介。
https://blkswn.tokyo



NEXT GENERATION GOVERNMENT
次世代ガバメント 小さくて大きい政府のつくり方
2019年12月9日発売
責任編集:若林恵
制作・発行:黒鳥社
発売:日本経済新聞出版社
本体1,800円(+税)
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