横浜中華街を縦横無尽に走り回る 69年式 トヨタ2000GT 2

名神高速道路の一部が完成したころ各自動車メーカーが高速走行テストを行った。当時の国産車のほとんどは時速100kmを超えると振動がひどくなり、操縦安定性が悪くなった。
しかし米国車や欧州車は問題なく走ることができる。この事実をトヨタ社内では大きな問題ととらえ、高速安定性に関する研究を進める。

さらにトヨタは名神高速道路の全線開通時に「名神高速道路で10万km走行公開テスト」を行い、RT40コロナをテストに参加させ、64年の9月から11月にかけて一宮と西宮の間を275往復し、その高速安定性と耐久性とを証明。

このプロジェクトに参加したのが山崎進一氏。このテスト中に試作ナンバー280A、つまりトヨタ2000GT担当を命じられた。

大排気量、多気筒エンジンを積んでも安定性を損なわず前後バランスを取るためのロングノーズ、高速安定性を高めるための低い車高とロングホイールベース。
すべては名神高速道路で見せつけられた米国車、欧州車の性能に対抗するための必然的なスタイル。つまり2000GTのシャシー開発はこの時から行われていたと言っても過言ではない。

トヨタ2000GTのプロジェクトにヤマハスタッフが数十名なのに、トヨタから出向したのは4名。これはある程度の研究、実験がすでに蓄積されていたためだったともいえる。

また、トヨタ2000GTの兄弟車であった1600GTはRT40コロナの派生車。その大きな特徴となる高速域での操縦安定性も高速道路での実験によって培われた。

名車は突然生まれたわけではなく、日本車の将来を見据えたトヨタの慧眼があってこそだったといえるだろう。


俯瞰で見るとそのシンプルなデザインラインがよくわかる。現在でも古さを感じさせない。



マフラーはサビによる腐食がひどかったため、2000GTオーナーズクラブで製作したほぼ純正と同じ形のものに交換済み。



フロントフェンダー右側にはバッテリーが収納されている。スリットのパネルはボンネットを開けて内側から外すことができる。



左側にはエアクリーナーとウォッシャータンクが装備されている。こちらもボンネットを開けて内側からスリットパネルを外す。



ラゲッジスペースは毛脚の長いじゅうたんが敷かれている。ここはオーナーのサーキット走行用ヘルメット置き場となっていた。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年 04月号 vol.144(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)