横浜中華街を縦横無尽に走り回る 69年式 トヨタ2000GT 1

横浜中華街には旧車がよく似合う。2010年にはラリー日本の中継地点に選ばれ、世界各国の旧車が中華街大通りを通過したが、違和感なく中華街の風景に溶け込んだ。日本の名車の代表格であるトヨタ2000GTも同じだろう。

 オーナーの梁保強さんは太平洋戦争の5〜6年前に来日した母親の店を受け継ぎ、製麺店として全国的に知られるように。仕事の成功とともに発売当初から欲しかった2000GTの購入を考え、探しまわったが、程度の良い車両を見つけることができなかった。それもそのはず。生産はわずか337台。旧車ブームが到来する前のことで取り引きも盛んではなかった頃の話だ。

 それから長い年月が過ぎた93年頃、たまたま見ていた米国の中古車雑誌の片隅に小さく総走行距離1万8000マイルの2000GTが載っているのを見つけ、米国の友人に頼んで程度を見てもらうことに。すると意外にも非常に良い状態だとの返事を聞いて即購入し、日本へと移送。乾燥した米国の気候のせいかエンジンやシャシーの程度は良かったが、ボディのペイントはところどころ剥がれ落ちていたため純正色への塗り替えを決意。さらに消耗品の交換も含めてレストアを行うが、大幅な直しをする必要はなかった。

 何より乗ることが大切と考えている梁さんはレストア後も普段使いし、自宅と店との往復に利用。中華街を走り回るトヨタ2000GTとして有名になった。「当時理解を示さなかった子どもたちが今では自慢しています。このことが本当に嬉しかったですね」と梁さん。今日もトヨタ2000GTをフットワーク軽く走らせている。



フォグランプリムが太くグリルとの一体感が無いのが前期型の特徴。ここが前、後期の大きな違い。



当時スーパーカーの代名詞だったリトラクタブルヘッドランプ。試作車の中には固定ヘッドランプのものがあったという。



必要最低限の装備におさえられた当時の国産車にはないデザイン。



ボンネットの両端にはエンジンルームの熱気を抜くためのスリットが設けられている。砲弾形のフェンダーミラーは角度調整できる部分がミラーを除きメッキ処理されている。



フェンダーミラーの下で、両サイドスリット部の真上中央に付けられているのが七宝焼エンブレム。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年 04月号 vol.144(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)