17年も納屋の中に打ち捨てられていたポルシェ356  前編

この1954年356プリAカブリオレは、塗装を剥がしたベアメタルの状態で17年も納屋の中に打ち捨てられていた。よみがえったその走りを絶好のドライブ日和に楽しんだ。

戦争でグミュントの元製材所に疎開していたポルシェは、本拠地シュトゥットガルトに戻ると356の本格的な"量産"に乗り出した。グミュント製356の特徴はボディがアルミニウム製であることだ。木型の上で丁寧にたたき出され、軽量だったものの、アルミパネルでの製造には時間がかかり、完成には熟練の技を要した。
 
問題は、シュトゥットガルトのファクトリーを米軍が接収して自動車修理工場として使っており、生産ラインを整えるスペースがないことだった。そこでポルシェはコーチビルダーのロイターと話し合い、自社工場が使えるようになるまでロイターのワークショップの一部を356の製造にあてる契約を結ぶ。


 
計画では1949年末か50年初頭の生産再開を目指していた。実際には1949年9月に新車の製造が始まり、11月にはクーペボディ500台の製造をロイターに発注している(カブリオレボディはグレーザー社で造られた)。ここで重要なことがある。"グミュント356"と呼ばれる最初期モデルは受注分の製造完了に1951年までかかった。ところが、シュトゥットガルト製のクーペは1950年代初頭には既に出回り始めていた。つまり、数カ月間にわたって新旧モデルが並存していたのである。
 
生産が軌道に乗るまでには時間がかかった。1950年の製造数はわずか392台(クーペ345台、カブリオレ47台)だ。1951年には1238台(うちカブリオレ298台)に増えるが、翌年は798台(クーペ478台、カブリオレ304台、ロードスター16台)に減少した。しかし、1953年にはペースが上がり始め、クーペ1537 台、カブリオレ460 台、合計1997 台が製造された。1954 年はさらに増えて2303台となり、うち327台がカブリオレだった。写真のクルマはその1台である。




 
このシャシーナンバー60597は、1954年6月25日に完成した。アメリカ仕様で製造され、大西洋を渡って、東海岸のポルシェ公式ディーラーだったニューヨークのホフマン社に送られた。エンジンナンバーのP-33104から標準の1500エンジンだったこと、3722というトランスミッションナンバーからポルシェ製のオールシンクロメッシュ4段ギアボックスだったことが分かる。カーデックス(ファクトリーの仕様書)に詳細は記されておらず、「アメリカ向け標準仕様」で造られ、塗色は5406シルバー、内装はレザーだったことが分かる程度だ。ホフマンに売却されたのは1954年11月26日だった。
 
余談ではあるが、このクルマは、ファクトリーがカブリオレの量産にあたって重量の確定に使用した車両とシャシーナンバーが"6"だけしか違わない。そこで使われたシャシーナンバー60591は、同じ仕様のクーペより5kgだけ重い832kgだった。

「アメリカ向け標準仕様」はエンジンと内装のレベルに関わる言葉だ。レベルには標準とデラックスの2種類があった。このクルマで注目すべきは、カーデックスには「標準」と記されているにもかかわらず、思いのほか装備が充実していることだ。デラックスの特徴となる装備がすべて揃っているのである。356カブリオレにはクーペより豪華な装備のクルマが多いが、これもその一例といえる。
 
一般的なアメリカ向け標準仕様には、ラジオやリクライニングシート、助手席のサンバイザー、通気システム、ステアリングのトリムリングといった装備はなく、シートもレザーではなくビニールだった(カブリオレだけはレザー)。エンジンも55bhpのタイプ546 1500で、よりパワフルな70bhpのタイプ528"スーパー"ではない。このクルマの場合、ラジオとヒルシュマン製アンテナはカーデックスに記載がないので、最初のオーナーの希望でディーラーが取り付けた可能性が高い。
 
アメリカ向けカブリオレの価格は、標準仕様が3695ドル、デラックス仕様が4584ドルだった。インフレ率を考えると現在の4万2000ドルに相当する。それでも、レストアされた今のこのクルマの価値に比べれば微々たる金額だ。
 
シャシーナンバー60597の初期のヒストリーについては分かっていない。分かっているのは、25年前にイギリスにやってきたことだ。その際に登録はされず、塗装の下の状態を確認するためだったのか、オーナーはボディのペイントをすべて剥ぎ取った。しかし、作業はそれ以上進まず、かわいそうにこのカブリオレはそのまま放置されていた。そして17年後にロジャー・ブレイが入手し、デボンにある自身のワークショップでレストアすることとなったのである。


 
入手時の写真が示すように、コンディションが比較的よいのはひと目で分かった。リアにクラッシュの痕跡がある以外、大きな事故による目立ったダメージはなく、ひどい腐食の兆候もなかった(少なくとも一般的な356に比べれば)。コンバーチブルによく見られるようにフロアの状態は悪かったが、何といっても、オリジナルのエンジンとトランスミッションを搭載していたのが大きかった。そう、昨今話題の"マッチングナンバーのバーンファインド"だったのだ。
 
部分的に解体された状態ではあったものの、計器類、シート、エンジンフードのフレームなど、入手が困難な主要パーツはすべて揃っていた。とはいえレストアを必要としていたのはいうまでもない。
 
ロジャー・ブレイのウェブサイトでは、ボディワークのレストアの過程を様々な写真で詳しく紹介している。それを見ても、一般的なレストアプロジェクトより車体がよい状態だったことが分かる。
 
完成したレストアの品質は、これまでに私たちが見た中でも間違いなくトップクラスだ。発見されたときの写真と現在の姿を見比べると、同じクルマだとは到底信じられない。それにしても、このカブリオレはどんな走りをするのだろうか。それを知る方法はもちろんひとつだ。