ミッキーマウスと呼ばれたポルシェ│その名の由来は?②

フールマンとはうまくやっていく確証があった。なぜなら彼はこのプロジェクトを知ったとき、彼が作った4カム・エンジンはすでにエンジン技術の世界では評価を得ていたものの、実際の実力確認はまだだったので、レーシングカーに積んで走れば信用を立証できるからだ。フールマンはエンジン専任というだけでなくそれ以上の役割を担う必要があると感じ、ポルシェ・エンジニアリング・チームを統率する意欲に満ちていた。
 
タイプ645は空気の抵抗を極力少なくすることを目標に、トレッドを狭め、前面投影面積の小さいボディを設計の基本とした。550では前後とも49.0インチ(約1245mm)のトレッドを、このクルマでは前輪で46.9インチ(約1190mm)、後輪で45.3インチ(約1150mm)にまで抑えた。クリエは1/5のクレイモデルを製作するにあたって、ホイール/タイヤとボディの隙間を極力なくし、後輪は一部を包み込むようなプランを描いた。上から見てノーズが丸いのも特徴だった。
 
オイルクーラーのために穴を開ければ空気抵抗がふえる原因となるので、フロントリッドそのものがオイルクーラーの役目を負う表面冷却方式を採用した。そのために裏面は配管が複雑に這い、冷却効果を高めるために表面は無塗装とした。ボディ形状は、ランプ類の位置を前後とも規定に合致させながらも形状を流線型に近づけるなど、とことん考え抜いたデザインを投入した。
 
クリエが描いたタイプ645のクレイモデルは空力的要素が盛りだくさんで、ドライバー後ろのヘッドレストはそれ自体がエンジンルームに向かって空気を流す形状をなしていた。ヘッドレストはその背後にある網状の穴の上方に気圧の高い渦流を作り出すよう成型され、その効率的な冷気導入法は通常エンジン冷却のために浪費するパワーを限りなくゼロに近づける効果があった。その設計はすぐに特許をとった。その特許には、これまでにないやり方でエンジンベイに冷気を供給するということも含まれた。

これは、エンジンを覆うリッドのほぼ全幅にわたって後ろ向きに開いたスリットがリアデッキの上全体を流れる空気をスムーズに流し、それと同時にエンジンなどが収まるリアコンパートメント内に負圧を生じさせる、というものである。これによりエンジン冷却ファンのハウジングを覆うふくらみは小さくできた。また、キャブレター用の空気取り入れ口を後ろ向きにするなど、空気抵抗低減へのアイデアは枚挙に暇がなかった。
 
フォルスナーが推し進めた横幅を狭くする設計思想は、ホイールベースを550より6.2インチ(約15.8mm)短くしてわずか76.4インチ(約1940mm)に抑え、同時に車重を軽くすることにも貢献した。ボディの材料も一般的なアルミを用いるのではなく、耐久性では劣るがより軽いマグネシウムを全面的に使用した。ただし、右側ドアだけはその限りではない。というのは、ボディ右側には燃料タンク、左側にはドライバーが座ることからドアの重さに差違をつけることで左右の重量バランスをとったからである。


 
新しいこのスパイダーを語るにふさわしい特徴は、マルチ・チューブラー・スペースフレームを採用していることである。この設計コンセプトはフォルスナーのものと知られているが、フールマンもイタリアのチシタリアで働いていた頃、グミュントのポルシェと共同でその種のフレームを特別に製作していたことがある。実際、アーウィン・コメンダは、のちに最初のポルシェと認められることになる1948年のミドエンジンVWスポーツ・ロードスター用にスペースフレームを設計している。そんな経験があるからか、645のスペースフレームは驚くほど軽い。鍵となるひとつの要素はボディカウルを支える三角形の太いチューブがステアリングコラムのマウント部分につながっていることである。片側3本のチューブはここでフロント・サスペンションやアンチロールバーやスパンの狭いトレーリングアームを支持するクロスチューブ一式と接続される。

一般のクルマに見られる不均等分割のトラックロッドとは異なり、均等に分割されたトラックロッドとステアリングギアボックスから延びる1本の抵抗の小さなリンクがステアリング機能を果たす。
 
もうひとつ重要なのが、リアのトーションバーを保持するクロスチューブの上にある小さなチューブによる補強構造である。そこからリア上方に向かって何本か小さなチューブが立ち上がり、その先端はリアダンパーを支える高位置のクロスチューブにつながる。さらにそのクロスチューブからファブリケーテッド構造の受け台が吊るされる形で付き、エンジン/ギアボックスのアセンブリーをベルハウジングの下側で支えている。コクピットの両側にはそれぞれX型の補強材が1組ずつ入り、加えて三角形をなす短いフレームが開放四辺形の補強を請け負う。フレームはこうして完成する。
 
話は飛ぶが、オーストリアはグミュントにいたエンジニアたちは、タイプ360プロジェクト、すなわち1947-48年のチシタリア・グランプリカーのためにきわめて複雑なリアサスペンションを設計していた。戦前のアウトウニオンのスウィングアクスルは、各輪のブレーキの付いたホイールハブを適正な位置で保持するために上下ラテラルリンクを使用し、トレーリングアームが引き起こすトルク反動を抑える役目も持たされていた。さらにバネ下重量が小さいことからホイールの制御も正確に行なえ、通常のスウィングアクスルよりキャンバー変化も小さいなど、きわめて進歩的なサスペンションだったのだが、これに代わるものを目指したのだった。


 
このサスペンションはタイプ645に投入された。ここで使われたトレーリングアームは、VW-ポルシェでは一般的なブレード形状だったが、そこに軽め孔を空け、水平面に対して10度の角度をもって取り付けられた。チューブラーリンクは、上下ともエンジン架装台の後部に取り付くピボットに対してわずかに前方かつ内側に向けて配置された。下側のリンクは水平だったが、アッパー側は中心に向かって13度下がる形を採った。この方式だとロールセンターがチシタリアのそれよりは高くなるが、スウィングアクスルのそれより高くなるわけではなかった。

この設計ならば、当時でも狭い5.25×16インチ・タイヤのグリップ性能を高めるために2 度のネガティブキャンバーを付けても心配はなかった。2列のボールベアリングが入ったリア側のハブを支持するトレーリングアームの両端はファブリケーテッド構造となっていた。駆動輪のハーフシャフトは外側の端にフッケ・タイプのジョイントを持ち、内側はサスペンションの動きに応じて長さを変えるポットタイプのジョイントが付いていた。シンプルな形で装着されていたが、1955年というこの時代ではテレスコピック・ダンパーともどもきわめて洗練されたリンク機構といえるだろう。グランプリレースの世界でも1950年代後半までそのようなサスペンションが採用されたことはなかったのだから。