ハリー・スタイルズ密着取材「心の旅で見つけたもの」

元ボーイズバンドのヒーローを密着取材。2019年のロックスターのあるべき姿がここに。

「セックスと孤独が新作のテーマなんだ」

ハリー・スタイルズはランチだからといってオシャレに手を抜かない。取材現場には白いヒラヒラの帽子をかぶり、グッチのサングラスにカシミアのセーター、ベルボトムのデニムといった格好で現れた。爪はピンクとミントグリーンのマニキュア。さらに、イエローのパテントキャンバスに”Chateau Marmont”のロゴが入ったポーチまで抱えていた。ビバリーヒルズのデリで働く頑強なマダムたちは、彼とはすっかり顔なじみになっていた。グロリアとライザは彼を可愛がって「愛しい人(my love)」と呼び、いつも通りツナサラダとアイスコーヒーを持ってきた。控えめに言えば、彼は周囲の注目の的。だが、ウェイトレスたちが彼のテーブルの周りをガードしているので、誰も近づけない。

ワン・ダイレクションで一躍時代のアイドルとなった時、彼はイギリスの小さな町で暮らす16歳の少年に過ぎなかった。バンドが活動を休止すると、2017年に野心的なソロデビューアルバムをリリースして我が道を歩み始めた。リード曲は実に見事な6分間のピアノバラード曲「サイン・オブ・ザ・タイムス」。ワン・ディレクションを知らない人々も、真実を目の前にして衝撃を受けた。絵に描いたような美少年は、実は根っからのロックスター気質だったのだ。



ハリーにとってここ最近の重要なトピックは、2019年のロックの殿堂授賞式。友人で、憧れの存在でもあるスティーヴィー・ニックスの祝辞で、会場から拍手喝さいを浴びた。「彼女はいつだって親身になってくれます」と、スピーチの中でハリーは言った。「相手が欲するものをちゃんとわかっているんです。助言なのか、ヒントなのか、ブラウスなのか、ショールなのか」。さらにこう続けた。「彼女は歴代の最悪な恋人よりも大勢の人々を泣かせ、マスカラを台無しにしました――僕のも含めてね」(バックステージでニックスはうっかり、ハリーが昔いたバンドを「イン・シンク」と呼んでしまった。まぁ、彼女ともなればこの手の間違いも許されよう)。

ハリーはもうかれこれ10年近く、世界のItボーイとして注目を集めてきた。彼が変わっているのは、Itボーイであることを愛しているということだ。アーティストの個性やクリエイティヴィティ、神経さえも容赦なく犠牲にするスター街道の真っただ中にありながら、ハリーは異様なまでに気楽に構えている。公衆の面前で、自分らしさは言わずもがな、少年らしい熱意を損なうことなく成長を遂げた。一連の有名人と浮世を流し――だが決して公の場で名前を明かすことはなく、かといってひた隠しにすることもなかった。スーパースターにありがちな道を歩む代わりに――超一流のプロデューサー陣、セレブリティの夢のデュエット、まばゆいクラブビート――彼はひたすら我が道を行き、以前よりも人気を集めた。いまは、彼が手がけた中でもっとも骨太かつソウルフルな楽曲が満載のニューアルバムの仕上げにとりかかっている。本人も言うように、「セックスと孤独がテーマなんだ」


「自分の弱さをさらけ出すようになった」

ハリーと会うと誰しもが彼に夢中になってしまう。その最たる例が、2月に彼のヒーローの一人、ヴァン・モリスンと楽屋で撮った写真だろう。こんなヴァン・モリスンの姿は見たことがない。彼は50年間カメラの前でポーズを取ってきたが、ほぼ毎回にっこり笑うのを拒んでいた。それがハリーと出会うや――どういう風の吹き回しか、ヴァンはまるで浮足立った女学生のような満面の笑み。ハリーはどんな技を使ったのか? 「彼の背中をくすぐったんだよ」とハリーは種明かししてくれた。「誰かがあの写真を送ってくれて――たしか彼のツアーマネージャーが撮ったんだと思う。それを見たとき、『パルプ・フィクション』のジョン・トラボルタが金色の光を放つアタッシュケースを開けた時みたいな気分だった。『くそっ、この写真は誰にも見せられないな』ってね」


2019年7月23日、クイーンズで撮影したハリー・スタイルズ(Photo by Ryan McGinley, Hair by Thom Priano / Statement Artists, Make-up by Dotti / Statement Artists, Styling by Harry Lambert at Bryant Artists.)

ハリーはいつもインタビューで、当たり前のように、そうした魅力を発揮する。10代のころに年がら年中公の場にさらされながら、プライバシーをがっちりガードすることを覚えたのだ。だが最近は、自分にも言いたいことがあるのだと気付き始めた。以前よりも堂々と自分の考えを口に出し、その後の反応を見られるようになった。「前よりユルくなった」と彼も言う。「前よりオープンになった。友達の前で素を出すのがどんなに気持ちがいいかってことに気づいたんだ。すべてをため込むんじゃなく、自分の弱さをさらけ出すようになった」

同世代の人々と同様、彼もカルチャーやジェンダー、アイデンティティ、男らしさに対する新しい考え方やセクシュアリティに疑問を抱いている。「僕はかなりラッキーだと思うよ。感情をオープンに話してくれる仲間がいるからね」と彼は言う。「友達の父親から言われたんだ。『お前たちは我々よりずっと恵まれている。自分には、胸の内を明かせる友人など一人もいなかった。本気で腹を割って話ができる仲間がいるのはいいことだ。自分たちはそうじゃなかった』って」

これをきっかけに、楽曲への取り組み方が変わった。「僕にとって(オープンになるということは)、膝を突き合わせて『ディナーではこれを食べて、毎日ここで食事して、寝る前には必ずコレをするんだ』っていうのとは違う」と彼は言う。「そうじゃなくて、『嫉妬すると何もかも手が付けられなくなるんだよね』って話すことなんだ。今までにないほどハッピーにもなるし、寂しくもなる。自分を可哀そうに思うこともあれば、イライラしたり、ウジウジ悩むこともある――そういうのを共有するのが、すごく新鮮なんだ」


新境地開拓のきっかけは「失恋」

ハリーは時々、悩みを抱えるごく普通の25歳のように見える。もちろん、それが本当の彼の姿なのだが(ハリーと知り合ったのは昨年のこと。筆者の拙書を読んだハリーが連絡してきたのがきっかけだった。もっとも、筆者はもう何年も彼の音楽について書いているが)。つねに地球上で最も自信満々のようにみられている彼が、悩みや疑問をぶちまけるのを聞くのはおかしなものだ。「バンドにいたときは、音を外すんじゃないかといつも不安だった。ヘマをしちゃいけないと、ものすごくプレッシャーを感じていた。レコード契約を結んだとき、マネージャーにこう質問したのを覚えている。『もし僕が逮捕されたらどうなるんだ? 契約はなかったことになるの?』。今では、ファンのみんなが僕に自分らしく成長できる環境を整えてくれたと感じている。安心してミスを犯して、学べる場所を作ってくれた」

裏口へ回り、彼が所有するシルバーの1972年型ジャガー・EタイプでLAの街を走りながら土曜の午後を満喫する。ラジオが壊れているので一緒に「Old Town Road」を歌った。彼は感心しながら、「”ロデオとパイオツ”――史上最高の歌詞じゃないか」。以前のハリーは謎に包まれたポップスターで、処世術に長け、秘密主義だった。だが、徐々に心を開いて自分のことを語るようになり、このインタビュー記事のタイトル案を提案するほどまで打ち解けた。ちなみに彼のイチオシタイトルはこれ。「スープ、セックス、太陽礼拝」



どうやって新境地に達したのか? 後になってわかったことだが、その過程には失恋が絡んでいる。デヴィッド・ボウイの教えも少々。瞑想も少々。マジックマッシュルームには相当お世話になった。だが結局は、世界で最も熱望されるポップスターになるか、それとも一風変わったアーティストになるか決めかねた、好奇心旺盛な少年に行き着く。そして少年は両方の道を選んだ。


Photograph by Ryan McGinley for Rolling Stone

英国生まれのロックスターには、変わらない点が2つある。ひとつは南カリフォルニアを愛しているということ。そして車好きだということだ。ハリーが「Old Town Road」を大絶賛した数日後、我々は今度はテスラに乗って太平洋岸沿いを走った。ハリーがラジオに合わせて口ずさむ。「カリフォルニアアアア!」と、ズマビーチを駆け抜けながら、運転席で彼が叫ぶ。「くそったれ!」。海岸沿いには驚くほど大勢のカップルの姿があり、なにやら議論しているようだった。どのカップルが別れ話をしていて、どのカップルが単に会話しているのか2人で想像した。「ああ、なるほど、会話ね」と、ハリーは夢心地に言った。「おお、懐かしの雑談よ」

今日のハリーは70年代のゆったりしたヨット・ロックな気分のようで、ゲリー・ラファティやパブロ・クルーズ、ホール&オーツを歌った。ニーナ・シモンが以前「リッチ・ガール」をカバーしたことに触れると、彼はその曲を聴いたことがなかった。逆にハリーは、ドニー・ハザウェイがカバーしたジョン・レノンの「ジェラス・ガイ」でやり返した。

ハリーが最近体験したいかにも南カリフォルニアらしい体験を話し始めた。氷室に閉じ込められるという”コールドサウナ”。本当にまつげが凍ったという。途中で車を止め、スムージーと(「結局はアイスクリームだよね」)好物の激辛シバムギドリンクを買った。まるでバッテリー液のようなのど越しだ。「これで寿命が数年延びるよ」と、彼は太鼓判を押した。


ハリーがスタジオワークを好きな理由

向かったのはマリブのシャングリラスタジオ。1970年代にザ・バンドが作ったスタジオで、現在はリック・ルービンが所有している。ここでハリーは、間もなくリリースされる最新アルバムの一部をレコーディングした。中へ入るやハリーは思い出し笑いを浮かべた。「そうそう、ここでしこたまマッシュルームをやったんだ」

トリップ体験が彼の創作活動で重要な位置を占めるようになった。「マッシュルームをやって、芝生に寝転がって、日向ぼっこしながらポール・マッカートニーの『ラム』をよく聴いていたよ。スピーカーを庭の方に向けてね」。ミキサーの横にあるスタジオの冷蔵庫に、チョコレートタイプのマッシュルームが大事にしまってあった。「ミキサーの回る音を聴いて、『よし、今朝はみんなで10時からフローズンマルガリータを飲もうぜ』って言い出したり」。ハリーが部屋の隅を指さす。「みんなでマッシュルームをやってたとき、僕はここに突っ立って舌の先を噛んじゃってさ。それで、口から血をだらだら流しながらなんとか歌ったよ。この場所にはいい思い出がいっぱいだ」



単なるロックスターのどんちゃん騒ぎではない――彼の新しい心境を象徴している。彼がなぜスタジオワークをこれほど好きなのか、なんとなくわかる気がする。何年もワン・ダイレクションのアルバムをツアー先で作ってきた後、ようやく時間に余裕ができ、こうしたバカ騒ぎを満喫できるようになったのだ。「マリブには6週間いたけど、街に出たことは一度もなかったな」と彼は言う。「みんな犬や子供を連れてきていた。休憩がてらコーンホール大会(訳注:袋を投げて、穴の中に入れる玉入れのような競技)もやったよ。家族団らんさ!」。同時に、作品のために自ら進んで血を流した場所でもある。「『マッシュルームと血』。ほら、アルバム・タイトルができたよ」


Photograph by Ryan McGinley for Rolling Stone

エンジニアの何人かがやってきて、おしゃべりに加わった。ハリーは太平洋に面した窓を示した。時折ここで素っ裸になってバカ騒ぎがあったのかもしれない。パンツが見当たらない、なんてことも何度かあったのかもしれない。「ある晩みんなでちょっと騒いでたら、ビーチに行こうぜってことになってね。そこで私物を全部なくしたんだ。全部だよ。服も全部。財布もね。そしたら1カ月後ぐらいに、誰かが僕の財布を見つけて郵送してくれたんだ。しかも匿名で。きっと砂の中にでも埋もれてたんだろうな。でも何が悲しいって、気に入ってた辛子色のコーデュロイのフレアは見つからなかった」。しばし、コーデュロイのフレアのために黙祷が捧げられた。

この日スタジオでレコーディングしていたのは自称”世界最強のボーイズバンド”ことブロックハンプトン。ハリーはブロックハンプトンのメンバー全員に挨拶したが、何しろ大所帯なのでかなり時間がかかった。「俺たちいつも一緒なんだ」と、そのうちの一人が庭でハリーに言った。「1日中、毎日ずっと顔を合わせてるんだよ」。その後一瞬間をおいて、「どんな感じか分かるだろ」

ハリーは乾いた笑いを浮かべた。「ああ、よーくわかるよ」







ワン・ダイレクションは『ミッドナイト・メモリーズ』『Four/ フォー』『メイド・イン・ザ・A.M.』と、今世紀最大かつ最高のポップアルバムを3枚立て続けにリリースした。だがいずれもツアー中に制作したもので、1日休みが取れるときに近くのスタジオに駆け込んで作った。1Dは音楽的な性格がそれぞれ異なるユニークな5人組だった。ハリー、ナイル・ホーラン、ルイ・トムリンソン、ゼイン・マリク、リアム・ペイン。だが、そのような生活は長続きしなかった。ツアー半ば、香港の公演直後にマリクが脱退。バンドは2015年8月に活動中止を発表した。


「アイドル」だった過去について

ボーイズバンドのメンバーの常として、彼らはみなソロ活動を始めて成長し、アイドルだった過去を否定する。ジョージ・マイケルはレザージャケットを燃やし、スティングはポリスを辞めてジャズ・アルバムを作ったのは誰もが知るところだ。だが、ハリー・スタイルズの心理状態は違う。「そういうことがよくあるんだってことは知ってる。誰かが脱退すると、『あれは俺じゃない。俺は抑制されていたんだ』ってね。でも、あれは僕だった。抑制されていたなんてこれっぽっちも感じてないんだ。すごく楽しかった。もし楽しくなかったら最初からやってなかったよ。無理やりやらされてたわけじゃない」

ワン・ダイレクションのことを口にする時――名前では呼ばずに、「バンド」または「昔いたバンド」と言う――ハリーはつねに過去形で話す。聞きにくいことだが、聞かねばなるまい。彼にとって1Dはすでに過去の存在なのか? 「どうだろうね」と本人。「絶対復活しないとは言っていないし。そういう風には考えてないよ。もしやるとすれば、全員がやりたいと思ったときだろうね。『なあ、あのときはめちゃくちゃ楽しかったな。もう一度やろうぜ』っていうことの他に、理由なんて考えられないよ。だけどそのときが来るまでは、自分の音楽を作って、いろいろチャレンジしたい。今はこんな感じで曲作りを楽しんでるから、気持ちを切り替えて、再結成してもう一度やるか、って気分にはならないね。それに、仮に復活して同じことをやるとしても、どっちみち前と同じにはならないだろうしね」

バンドが休止したとき、メンバーとの友情に変わりはなかったか? 「ああ、そうだと思うよ」と本人。「間違いない。なにはともあれ、僕らは一緒に過ごした仲間だからね。これからもずっと友情は続く。大親友でないにしてもね。実際のところ、誰かとバンドを組んだからってずっと親友でいなきゃいけないわけじゃない。そんな風には上手くいかないよ。フリートウッド・マックが喧嘩したからって、彼らがダメなバンドってことにはならないだろ。たとえソリが合わなくても、互いに尊重しあうことはできると思う――僕らはその点すごく上手くやっていたし、これからもずっとそうだと思う。僕にとってはすごく大事だから、『もうこれっきりだ』とはならない。仮にもしそうなったとしたら、それなりの理由があってのことだと思うよ」


Photograph by Ryan McGinley for Rolling Stone

ハリーは性的に曖昧な雰囲気を漂わせるのを好む。それは彼のピンクのネイルからも明らかだ。有名人として数々の女性と交際してきたが、自らのセクシュアリティに関しては一貫して型にはめられるのを拒んでいる。最初のソロツアーで、彼はしばしばゲイプライドやバイセクシャル、トランスセクシャルの旗や、ブラック・ライヴズ・マターと書かれた旗を振った。フィラデルフィアでは、最前列のファンから拝借したレインボーフラッグを振った。旗には「アメリカをもう一度ゲイ(陽気)にしよう」と書かれていた。ライブで人気の「メディシン」は、『Europe 72/ ヨーロッパ 72』の頃のグレイトフル・デッドを彷彿とさせるギタージャムソングだが、パンセクシュアルな過激な歌詞がある。「男の子も女の子もご一緒に/僕はみんなとハメを外す/僕はそれでOKさ」

彼には1Dにいたときから、こうした派手なふるまいをする傾向があった。2014年11月、ハリーとリアムがイギリスのトーク番組に出演した時の有名な映像がある。司会者は、ボーイズバンドのファン向けの使い古されたお決まりの質問をした。恋人に求めるのはどんな点ですか? 「女性であること」とリアムは言い切った。「それが一番かな」。ハリーは肩をすくめて「それってそんなに重要じゃないよ」。リアムは驚き、司会者は狼狽した。その年の全米ツアーで、ハリーはNFLにドラフト指名された初のオープンゲイの選手、マイケル・サムのアメフトジャージを着て、彼への支持を表明した。そしてキング・プリンセスやMunaなど、それまで知られていなかったクイアのアーティストらを大々的に宣伝した。

ステージで旗を振ることは、彼にとってどんな意味があるのだろう? 「たとえそれが何であれ、自分がなりたい姿で、自分らしく感じてほしいんだ」と彼は言う。「もしかしたらコンサートで、独りじゃないんだと感じられる瞬間があるかもしれない。僕も白人男性として、自分がコンサートに来ている大勢の人々と同じ経験をしているわけじゃないってことは意識している。君たちの気持ちがわかるなんて言えないよ、だってわからないもの。だから『気持ちはわかる』と言うつもりはない。ただみんなに、自分も仲間として見てもらっているんだ、と感じてもらいたいんだ」

ソロコンサートを始めたばかりの頃、ストックホルムの公演で彼はこう発言した。「君が黒人だろうと、白人だろうと、ゲイでも、ストレートでも、トランスジェンダーでも――君が誰であっても、どういう人間になりたがっていようとも、僕は応援する。君たち一人ひとりを愛しているよ」


東京で村上春樹の本とともに迎えた誕生日

「人間はコーヒーだけじゃ生きられない」とハリー。「だけど、試してみるのは悪くないね」。彼は今日何杯目かの、そしておそらく最後ではないアイスアメリカーノをすすった。再びハンドルを握り、次のスタジオへと向かう――今度は実際に仕事をするためだ。今日はストリングスの多重録音の日。ハリーは頭のてっぺんからつま先までグッチできめていた。唯一の例外は、70年代の擦り切れたロックTシャツ。ヴィンテージショップで見つけたお宝で、”Commander Quaalude(クエイルード司令官)”と書いてある。

ドライブ中、彼はジャズピアニストのビル・エヴァンスの曲をかけた――1959年の楽曲「Peace Piece」。ちなみに、彼の携帯の起動サウンドもこれだ。彼がジャズにはまったのは、日本での長期滞在中のこと。彼はどこかへ身を隠し、誰にも知られずに過ごすのが好きだ。1stアルバムの時はジャマイカに逃避行した。この1年は日本を数カ月間放浪して回った。



2月、彼は25歳の誕生日を東京のカフェで、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を1人読みながら迎えた。「ムラカミが大好きなんだ」と本人。「彼は好きな作家の1人。前はあまり読書が好きじゃなかった。集中力が続かなくてさ。だけど、前に付き合ってた人が何冊か本をくれて、読まなきゃって気になった。読まないと、彼女からバカだと思われるからね」

友人から教えてもらったのが、村上春樹の『ノルウェイの森』だった。「たぶん人生で初めて、1日中ずっと読んでいたいと思った本だ」と彼は言う。「まさに村上流のバースデイを過ごしたんだよ。東京で一人きりだったからね。朝食に焼き魚とみそ汁を食べて、それからカフェに行った。そこでお茶を飲みながら、5時間ずっと読書した」


Photograph by Ryan McGinley for Rolling Stone

スタジオでは、彼が弦楽器隊をチェックしていた。自分が求めるヴァイブを説明するのに、エンジニアに頼んでT.レックスの「コズミック・ダンサー」を流してもらっていた。彼がガラスのこちら側で、Neveのミキサー卓に座ってミュージシャンに指示を出すのを楽しんでいるのがよくわかる。何度かリハーサルした後、インカムボタンを押してこう言った。「いいね、T.レックスっぽいよ。今まで聴いた中で最高のストリングスだ」。さらにもう一度ボタンを押して、付け加えた。「君たち最高だよ」



彼は仕事仲間として、プロデューサーのジェフ・バスカーやタイラー・ジョンソンなど、気心の知れた風変りな集団を選りすぐった。ギタリストのミッチ・ローランドは、ハリーと出会ったとき、LAのピザ屋で働いていた。2人はデビュー・アルバムのために曲を書き始めたが、ローランドがピザ屋の仕事を辞めたのはレコーディングの2週間前だった。中でもとくに親しい仕事仲間は、彼の親友でもあるトム・ハル、またの名をキッド・ハープーン。長年フローレンス・アンド・ザ・マシーンと仕事してきた人物だ。ハルは感情豊かなイギリス人で、気持ちを表に出すタイプ。ハリーは彼を「僕のエモロック」と呼び、ハルは彼を「ゲーリー」と呼ぶ。

デヴィッド・リンチ財団で超越瞑想のコースをハリーに勧めたのはハルだ――毎朝20分間の瞑想で1日を始めるのだが、これには2人とも四苦八苦している。「あいつの中には、現世を超えた英知とやらいう不変性があるんだ」とハル。「だからこそ、楽曲で感情の旅を続けてきたのさ」。ハルは12歳年上で、スコットランドに妻と子供がいる。ハリーについて語るときの彼は、荒っぽいが愛情あふれる兄貴のようだ。


「失恋を乗り越えるのにふさわしい唯一の手段が音楽なんだ」

ハリーは去年、フランス人のモデル、カミーユ・ロウとの交際をスクープされた。2人は1年付き合った後、昨年の夏に破局した。「あいつはあの破局でかなりダメージを受けた」とハル。「レコーディング初日にスタジオ入りした時、俺はすごく素敵なスリッパを履いてたんだ。あいつをボロボロにした元カノが俺にプレゼントしてくれたんだ――家族全員分のスリッパを買ってくれたてね。俺たち家族は今も彼女と仲がいいんだ。『このスリッパ気に入ってるんだよな。履いても構わないかな――変じゃねえかな?』って思ったよ。そしたら案の定、あいつがスタジオにやって来て30分も経たないうちに俺を見てこう言ったんだ。『そのスリッパどこで買ったんだい? 素敵じゃないか』。俺は仕方なく、『まあ、その、お前の元カノが買ってくれたんだよ』って白状した。そしたらあいつは『なんだって!?  よくものこのこ履けるな!』。でも俺はずっとこう言い続けた。『一番いい対処方法は、その思いを曲に込めることだ』って」

紳士的な態度を重んじるハリーは一切彼女の名前を口にしない。だが、個人的な失恋から曲を作ったことは認めた。「僕はインタビューで、『付き合ってた人がいて、こうなってしまった』と言ったことはない」と彼は言う。「僕にとっては、それを乗り越えるのが音楽だからね。変かもしれないけど、それを乗り越えるのにふさわしい唯一の手段が音楽なんだ」

確かに、新作の楽曲には痛みがにじみ出ている。「2人は永遠に結ばれる星回りじゃなかったってことさ」とハルは言う。「でも俺はあいつにイギー・ポップの名言を教えてやった。『俺は自分とファックしてくれる女性としか付き合わない。何故ならそこに曲があるからだ』。それからあいつにこう言った。『お前はまだ24~25だろ、まだまだ独身を謳歌できるぜ。女だろうと男だろうと、お前とファックしてくれる超イケてるやつと付き合え。そして思いっきり冒険して、影響を受けて、それを曲にしろ』ってね」

彼の仲間は、ハリーの魅力に虜になったインディーズ・ロッカーばかりだ。サラ・ジョーンズはドラムの女神として君臨する以前、ごく一握りの人間が懐かしく思い出すロンドンのバンド、ニュー・ヤング・ポニー・クラブで叩いていた。ローランドもジョーンズも、ハリーと出会うまではワン・ダイレクションについてはほとんど何も知らなかった――「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」も、ハリーに演奏してくれと頼まれて初めて聴いた。2人の会話はビッグ・スターやガイデッド・バイ・ヴォイシズ、はたまたニール・ヤングの「スピーキン・アウト」に出てくるニルス・ロフグレンのギターソロのことばかり。業界の色に染まっていない、ちょっと生意気なロックおたくの集団だ。


「ジョニ・ミッチェルとヴァン・モリスン、この2人が僕の憧れの存在だ」

スタジオでは、ハリーがアルバム制作の傍ら、スマホで昔のボウイの映像を見ていた――筆者も見たことのない90年代後半のTVインタビューだ。彼は映像を流しながら、それに合わせて引用した――一字一句暗記してしまっているのだ。「絶対に大衆にむかって演奏するな」と、ボウイが助言する。「絶対に同じ業界の人間のために仕事をするな」。ハリーにとっては胸にひびく激励の言葉――決して安全パイに走ってはいけない、と改めて教えてくれる言葉だ。ボウイも言うように、「自分が働いている業界で安心できるようなら、正しい方向に向かっていないということ。常に、ここまでは大丈夫、と思える領域のもう少し先へ行かないと。自分のテリトリーから少し外れるんだ。底に足がつかないように感じたら、正しい方向で、なにかエキサイティングなことをしようとしているってことさ」

彼はジョニ・ミッチェルと彼女の1971年の名盤『ブルー』に傾倒し、さらに探求していった。「大きなジョニの穴にはまっちゃったんだ」と本人。「『ブルー』を通しで流しながら、ダルシマー(打弦楽器)の音だけずっと聴いていた。それから、60年代にジョニのダルシマーを組み立てた女性を探し出した」。彼は、その女性がカルヴァーシティに住んでいることを突き止めた。「彼女は『どうぞいらっしゃい』って言ってくれた」とハルも言う。「それで彼女の家に行って、ハリーが『そもそも、ダルシマーってどう弾くんですか?』と訊いた。彼女は俺たちにレッスンしてくれたよ。それからボンゴを取り出して、3匹のでかいチェシャ猫よろしくニヤニヤしながらセッションした」 ハリーがニューアルバムの中で演奏しているダルシマーは、彼女が組み立てたものだ。「ジョニ・ミッチェルとヴァン・モリスン、この2人が僕の憧れの存在だ」と彼は言う。「作曲という点では、『ブルー』と『アストラル・ウィークス』は傑作だね。メロディの部分でも独自の世界を極めている」





子供のころ『パルプ・フィクション』に圧倒されてからずっと、ハリーはおたく少年的な熱意でのめりこむタイプだった。「最初にあの映画を見たとき、僕は相当幼かったんじゃないかな」と彼も認める。「でも13歳のとき、新聞配達で貯めたお金で”Big Motherfucker”って書かれた財布を買ったんだ。イギリスの田舎町であんな財布を持ってるなんて、アホな白人のガキンチョだよね」。日本に滞在中は、ポール・マッカートニー&ウィングスに、それも『ロンドン・タウン』と『バック・トゥ・ジ・エッグ』にのめりこんだ。「東京ではアナログバーに入り浸ってたんだけど、バーテンダーがウィングスのレコードを持ってなくてね。それで『バック・トゥ・ジ・エッグ』を持参して行った。『アロウ・スルー・ミー』、あの曲は東京にいたとき毎日欠かさず聴いていたよ」

肩の力が抜けたのは、瞑想のおかげだと彼は言う。「僕は相当疑り深いタイプなんだ」と本人。「だけど、瞑想のおかげで将来のことも、過去のことも前より悩まなくなったと思う。前よりもっとたくさんのことを取り入れている気がする――いつも忙しくしていたせいで見過ごしていたこととかね。友人に心を開いて打ち明ける、というのもその一つだ。『自分はヘマをした。そのせいでこんな気持ちになった。それでさんざん泣いた』と、かしこまって言うのはそうそう簡単なことじゃない。でも、自分を弱い立場に身を置くことで自分らしくなった瞬間、このうえない開放感を感じられる。そんなとき、『ああ、ちくしょう、生きてるぜ』って気持ちになるんだ」


母親のアンについて

カルテットと数時間レコーディングした後、Casamigos(テキーラの銘柄)の瓶が開いた。クエイルード司令官が自らドリンクを注ぎ、今この曲に必要なのは、素人集団によるコーラスだとの結論に達した。彼の言葉を借りれば”マペット・ヴォーカル”。彼は手あたり次第に人々をマイクの周りに集めた。テイクの合間に彼はピアノへふらりと向かい、ハリー・ニルソンの「ガッタ・ゲット・アップ」を弾き始めた。コーラスの中には、彼に村上春樹の小説を教えたクリエイティブ・ディレクターのモリー・ホーキンスもいた。「みんな『ノルウェイの森』を読むべきだわ」と彼女は言う。「私が本をあげた人の中で唯一、ちゃんと読んだのはハリーだけよ」

スタジオでひと仕事終えた後だったが、数時間後、全員でローランドのライブを観に街の反対側にある場末のバーへ向かった。彼は地元のバンドに、ベースとして参加していた。ハリーは会場を探しながら車を走らせ、LAのダウンタウンの風景をちらちら眺めた(「LAみたいな高慢ちきな街だけだよ、ロサンゼルス・ストリートなんて道を作るのは」)。店に入って、奥のバーにもたれかかる。客の年齢層は高めなので、誰も彼の素性を知る由もない。彼はすっかりご機嫌で、薄暗い酒場で誰にも知られずくつろいでいた。ステージが終わり、バンドはPBR(訳注:70年代に流行ったビール、パブスト・ブルー・リボンのこと)で乾杯していると、野球帽を被った年配の男性が近づいてきて誇らしげにローランドをしっかと抱きしめた。ローランドのピザ屋のボスだった。

夜も更けたころ、ハリーは人気のないサンセット大通りへ車を走らせた。街を散策するのに、彼が一番好きな時間帯だ。スティーリー・ダンのアルバムの中で最高傑作はどれかという話題になり、彼は『キャント・バイ・ア・スリル』は『エクスタシー』よりも優れていると言って譲らず、気を取り直して「ミッドナイト・クルーザー」を腹の底から熱唱し、この件にケリをつけた。今夜のハリウッドはきらめく光やまばゆいクラブ、レッドカーペットに満ちている。だが、この街で一番キュートなポップスターは、運転席で「ダーティ・ワーク」のサックスソロの音色に合わせて歌っていた。





Photograph by Ryan McGinley for Rolling Stone

数日後、地球の反対側、ロンドンにあるハリーの家。贅沢だが、いかにも若い独身男性のねぐららしく、こちらには壁一面を覆う巨大なセックス・ピストルズのアルバムジャケット、あちらにはスティーヴィー・ニックスの『The Other Side of the Mirror』のアナログが無造作に床に転がっている。彼は母親のアンとお茶の最中だった。品格といい物腰といい、息子と瓜二つだ。「パブに行ってくるよ」と母親に告げる。「ちょっとトークしてくる」 。アンは優しく笑って「どうせ野郎トークでしょ」と言った。

雨の中、彼の行きつけのパブへ向かう。彼は『スパイス・ワールド』のパーカーを来て、ロンドンの雨の1日を満喫していた。「ああ、ロンドンよ!」と、彼は大げさに言った。「この場所がどんなに恋しかったことか」。雨が降っていたが、彼は外のテーブルを希望した。そしてミントティーと巨大なフィッシュ&チップスを囲んで午後中ずっとしゃべりまくった。筆者がトーストを頼むと、ウェイトレスが一輪車ほどもある食パンをまるまる1本持ってきた。「イギリスへようこそ」とハリーが言った。


「フェミニズムが掲げる理想は、ずっと分かりやすいものだと思う」

彼にはつねに熱狂的な女性ファンがいる。そして彼は一度もそれを嫌がるふりをする必要性を感じなかった。「ファンは一番正直だよ――10代のコたちは特にそうだし、それより年上の人たちもね」とハリー。「みんな嘘発見装置みたいなのを持ってるんだ。誰だって、誠実な人にファンになってもらいたいだろ。『あの子たちは子供だから、自分でも何を言ってるのかわかってないんだろう』なんていう、くだらない戯言をいう時代はもう終わり。彼らは自分たちの意見をちゃんと持っていて、真剣に相手の話を聞く。ファンがこの世を支配している。ファンが全てを仕切っているんだ」

彼には性にまつわる政治観を持っていることやフェミニストを自称することに関し、一部の人々が抱えるような神経質なところがない。「結局のところ、フェミニズムっていうのは男性と女性が平等だと考えることだろう。違うかい? 『自分はフェミニストです』って言うと、男性は地獄で焼かれるべきだとか、女性は男どもの首を踏みにじるべきだとか考えているように思われる。そうじゃない。女性は平等であるべきだという考えなんだ。ちっともおかしなことじゃないと思う。僕は母や姉と一緒に育ってきた――女性に囲まれて育つと、女性的な一面がより大きくなる。もちろん、男性と女性は平等であるべきだよ。ただ僕は、フェミニストであるからといって大絶賛されたいわけじゃない。もっとシンプルなんだ。フェミニズムが掲げる理想は、ずっと分かりやすいものだと思う」

彼のオーディエンスは激しいことでも有名だ。そうなるのも無理はない。去年の夏マディソン・スクエア・ガーデンで行われたコンサートでは、「キウイ」の最中にフロアが大きく揺れた――1980年代以来あそこで何度もコンサートを見ているが、こんなことは初めてだった(もうひとつあった。彼の2日目の公演だ)。彼のバンドメンバーも身の危険を感じたと認めている。だがハリーは面白がった。「僕にとって、ツアーで一番すごかったことは、会場がコンサートと一体化したことだ」と彼は言う。「僕がすべてじゃなかったことだよ」と言って、お茶をすする。「僕はただの若造。会場の前に一人立って、みんなよろしく、と挨拶しただけさ」

その夜ロンドンではフリートウッド・マックのコンサートがあった。UKツアーの最後を飾る、ウェンブリー・スタジアムでの完売御礼凱旋コンサート。言うまでもなく、もっとも熱狂的な彼らのファンも会場にいた。この日ハリーが連れていた女性は、彼の母親。これが初めてのフリートウッド・マック体験だった。姉のジェマとバンドメンバーのローランド、ジョーンズ、その他2人の友人も同行していた。

彼は完全に世話焼きモードで、居心地のいいVIPボックス席を忙しく回りながら、みんなのシャンパングラスが常に満たされているかと気を配っていた。コンサートの幕が上がるや、ハリーが立ち上がる。一緒に歌い始め、ジョークを連発した。

コンサートの途中、ハリーの挙動が突然変わった。柄にもなく神妙な面持ちで黙り込み、一人座ってじっとステージを見つめた。この夜、彼が腰を下ろしたのはこれが初めてだ。数分前とは全く違う世界にいるようだった。だが、彼は数多くのフリートウッド・マックのコンサートを見てきたから、この後の曲順も熟知していたのだろう。そろそろ「ランドスライド」の出番。顎に手を置きながら、彼の視線はスティーヴィー・ニックスに向けられていた。いつも通り、彼女は自身最大のヒット曲の曲紹介で、27歳の小娘だった彼女がこの曲を書いたいきさつを披露した。

だがこの日、スティーヴィーは他にもメッセージを用意していた。スタジアムの観客に向かってこう言った。「この曲を私の小さなミューズ、ハリー・スタイルズに捧げたいと思います。彼は今日お母さんと一緒に来ているの。アンっていうのよ。お母さん、ハリーを立派に育てましたわね。彼は本当にジェントルマンですよ。優しくて、才能があって、ああ、本当に私はメロメロ。みんなもそうでしょ。この曲をあなたに捧げます」



スティーヴィーが「ランドスライド」を歌い始めると――「ずっと変化を恐れていた/だってあなた中心で生きてきたから」――アンがハリーのところへ歩み寄ってきた。彼女は彼の後ろにかがみこみ、腕をしっかりと回した。2人も一言も話さなかった。一緒に歌に耳を傾け、最後までぎゅっと身を寄せ合っていた。ウェンブリーの観客全員がスティーヴィーに合わせて歌う。だが、2人だけは自分たちの世界に浸っていた。