あの6輪のF1が11月の鈴鹿を走る!|あらためて知るティレルP34の価値

60年代から70年代のF1を眺めていると、人間臭さを感じるのはなぜだろう。デザイナーの設計思想やチームのレースに対する考え方が形となってはっきりと表われているからではないだろうか。特に70年代のF1はその傾向が強い。いつの時代もそうだが、自前のエンジンを用意できるのはメーカー直結のワークス系チームだけ。それ以外のチームは汎用のフォードDFVを使うというのが当時のF1界であった。DFVユーザーのコンストラクターは、他より優れたシャシーを作ってライバルに差を付けるしか生きる術はなかったのである。チーム首脳は膝をつき合わせては網の目のように張り巡らされた車両レギュレーションの”ほつれ”をみつけ、そこから新しいアイデアの芽を育てた。その芽から成長したマシンはどれも個性豊か。なかでもロータスからは切れ味鋭いニューマシンが次々と花開いていった。だが、ロータスと同じくらい、いやそれ以上に周囲を驚かせた異端児がいた。1975年秋に発表されたティレルP34である。

果たしてモノになるのか
自動車といえば4輪が当たり前。先進的設計が注ぎ込まれるF1でもそれは同じ。だが、ティレルは破天荒なことをやってのけた。1975年秋、ロンドンの発表会場でニューマシンのベールが剥がされるとそこには6つの車輪が付いていたのだ。居合わせた報道陣は一斉に驚きの声を上げた。と同時に会場は懐疑的な雰囲気に包まれた。ちゃんと走るのか、単なる打ち上げ花火ではないのか。じつはティレルにしてもこのマシンで翌シーズンを戦える自信はその時まだなかった。ティレルがそれまで送り出してきたマシンはどれも001から始まる3桁の数字で呼ばれたのに対し、この日発表した6輪車には開発コードナンバーがそのまま付けられていた。P34──設計者デレック・ガードナーが手がけた34番目のプロジェクトを意味することからもわかるように、実験的な段階からまだ抜け出せていないマシンだったのである。

コペルニクス的発想から生まれた6輪のF1
P34の開発にあたって最も高い目標としたのが空気抵抗の低減。いや、空気抵抗を減らすというよりはフロント回りの気流をスムーズに後方に流すといったほうが正しいかもしれない。前述のように当時のF1はエンジンパワーがほぼ均一だったから空気による影響の大小は大きく結果を左右する。ティレルは003でカマボコ型ノーズの通称スポーツカーノーズをいち早く装着してよい結果を得てきた。車の挙動をマイルドにするとともにスポーツカーノーズにはウィングに比べてフロントタイヤの多くの部分を直接走行風に当たらせない効果を持っていた。つまり前輪の空気抵抗は少なめ、ということだ。だが、”少なめ”ではボスのケン・ティレルとエンジニアのデレック・ガードナーは満足しなかった。彼らはスポーツカーノーズでタイヤのほとんどを覆ってしまいたかった。

(Photo: Bernard Cahier/Hulton Archive/Getty Images)

そこで考案されたのが小径タイヤと狭いトレッドの採用だった。ハイトの低いタイヤをノーズ幅の中に収めることができればフロントタイヤによる空気の乱れは極力抑えられる。ナロートレッドと小径タイヤを採用することによるマイナス要素は、接地面積の低下によるグリップ不足だが、これを補うためにフロントタイヤを4輪にしてしまおうと思いついた。小径でも4輪あれば通常サイズの2輪並みのグリップ力が得られるし、ふんばりの利かないナロートレッドの弊害も抑えられるという読みである。制動力のアップも期待できた。なにせリアも含めた6輪すべてにブレーキが装着できるのだから期待も多かろうというものだ。残るはタイヤの問題。それまで存在しなかったF1用10インチ・タイヤをどこからみつけてくるか。それにはグッドイヤーが提供を名乗り出た。彼らの全面的協力がなかったら6輪車F1は実現しなかったといって過言ではない。


2年の間に味わった栄光と落胆
空気をスムーズに流す対策も徹底していた。P34には一見するとどこにラジエターがあるのかわからない。なんと前輪と後輪の間の空間を埋める左右のサイドポンツーンのそれぞれ後端に、進行方向に対してほぼ平行に置かれていたのだ。ラジエター自体はやや大型となるがこの配置だと風をまともに受けないので抵抗も少ない。P34に残されたひとつの不安は6輪による転がり抵抗の増大と重量増の問題だった。バネ下とはいえホイール/タイヤは通常より2本多く、フロント・サスペンションは1セット多いのだから重くなるのは目に見えている。ちなみに、P34の発表資料には575kgとあったが、これはレギュレーションの最低重量で現実を反映したものとはいえない。実際は600kg以上あったと思われる。

だが、そんな不安もテストを繰り返していくうちに大きな問題でないことがわかった。重量面でのデメリットを前4輪がもたらす操縦性の高さが帳消しにしてくれたのである。もちろん直線でのスピード・アドバンテージも予想を上回るものがあった。半年に及ぶ開発期間のあと、チームはさっそく1976年の実戦に投入した。ドライバーはジョディー・シェクターとパトリック・ドゥパイエのコンビ。P34にとって初戦となるスペインGPで予選3位(ドゥパイエ・決勝はリタイア)、ゾルダーで開催された次戦ベルギーGPには2台体制で参戦。ドゥパイエが予選4位、決勝はシェクターが4位に食い込んだ。重いマシンには不向きとされたモナコでは予選4位と5位、決勝でもシェクター、ドゥパイエの順で2位、3位を獲得、類い希な操縦性とブレーキ能力を実証して見せた。

1976年のモナコGPにて(Photo: Bob Harmeyer/Archive Photos/Getty Images)

そして迎える4戦めは名うての高速コース、アンデルストープで行われるスウェーデンGP。ここでシェクターはポールポジションを獲得、決勝ではなんとドゥパイエとともに1-2フィニッシュを飾ってしまったのだ。この年チャンピオンを争ったラウダやハントでさえ歯が立たなかったというのだから、P34がいかに速かったかがわかる。その後もフランスでドゥパイエが2位、イギリス、ドイツ、アメリカでシェクターが2位、カナダでドゥパイエ2位/シェクター4位と大活躍。この年の最終戦「F1世界選手権 in Japan」でもドゥパイエが2位に入り、年間最終成績でシェクター/ドゥパイエは、ハント、ラウダに継ぐ3位と4位を獲得して成功裏に初年度を終えた。

だが革命的マシンの快進撃もこの年だけだった。シェクターが抜けたあとの翌77年はロニー・ピーターソンを迎えて期待は高まったが、ピーターソンのドライビングスタイルがP34に合わず低迷、ドゥパイエも1勝もできずにポイントランキング8位に終わった。この落胆すべき成績はドライバーに非はなく、むしろグッドイヤーの小径タイヤに対する開発の意欲が失われたことのほうが大きい。この年からF1に参戦してきたミシュランを撃って迎える立場に立たされたグッドイヤーは、通常サイズのタイヤ開発に全精力を投入しなければならなかったからである。

10インチタイヤを使用するのが1チームだけということを考えれば、ティレルがないがしろにされるのも無理からぬことではある。リアタイヤだけ標準サイズを履くティレルP34にとってそれは好ましいはずがない。リアのグリップは格段に向上、フロントは前年のままという、まったく前後バランスのとれないタイヤ・コンビネーションになってしまったのだ。そんな環境のもとで戦った77年のP34は年間を通して過大なアンダーステアに悩まされることになる。ガードナーもそれまでリアに積んでいたオイルクーラーをフロントに移したり、空気抵抗増大を覚悟の上でフロントトレッドを拡大するなどのアンダーステア対策を講じたが大きく改善することはなかった。

イタリアのF1チーム「ミナルディ」のエースドライバーとして活躍したピエルルイジ・マルティニ。世界屈指のP34コレクターとして、今年はP34とともに鈴鹿へやってくる。(photo: JT & Pierluigi collection, Massimiliano Serra)

P34が鈴鹿を走る日
かくして当初のメリットを活かせなくなったP34は2年間戦っただけでF1フィールドから姿を消した。だからといって、登場時の強烈なインパクトは少しも色あせることはない。ケン・ティレルとデレックガードナーが作り出した独創的な6輪車というアイデアは、F1の車両規定が6輪を禁止している現状でますます光り輝く存在になっている。忘れてならないのは、アイデアだけに終わらず、実戦でライバルを打ちのめすまでにディベロップした点だ。だからこそ価値がある。すでに43年も前のマシンだが、少しも古さを感じさせないのは設計思想が優れていたこと、それを実戦で証明したこと。それに尽きる。

(Photo: Bob Harmeyer/Archive Photos/Getty Images)

今見てもツインのフロント・サスペンションには惚れ惚れする。6輪のF1はその後二番煎じを狙った別チームから2種類のマシンが登場したが、実戦を走ることはなかった。ティレルP34は2シーズン走って優勝まで成し遂げた。それは紛れもない事実なのだ。日本のサーキットも二度実戦で走行した。ご自身の目で見られた方もいらっしゃるだろう。いずれも舞台は富士スピードウェイだった。ストレートの速さを実体験できたとしてもテクニカルコースでの速さは誰も知らない。今回、鈴鹿をP34が走るという願ってもないチャンスが訪れた。世界に名だたるテクニカルサーキットを伝説の6輪車が走り抜ける姿はいかなるものだろうか。昔からのファンにはたまらないだろうし、先日の日本GPで最先端のF1を見たばかりの若い人にも、その姿はきっと新鮮に映ることだろう。


SUZUKA Sound of ENGINE 2019
開催日時:2019年11月16日(土)・17日(日)
開催場所:鈴鹿サーキット国際レーシングコース・パドック
主催:鈴鹿サーキット
公式サイト:https://www.suzukacircuit.jp/soundofengine/