川相昌弘、ドラフト4位の肖像#3――「おー荒木大輔かと思って見てましたね」

「当時はアイシングさえしたことがなかった」

 開会式で初めて甲子園の土を踏んだとき、憧れの場所に来たのだと感慨深かった。
 
「プロ野球選手になりたいという夢はありましたけれど、その手前の夢が甲子園。そこに立っているということで満足感はありましたね」
 
 出場校が並んでいる中で、思わず目を追ったのは東東京代表の早稲田実業だった。前年の夏、早稲田実業は一年生投手の荒木大輔を中心に準優勝していたのだ。
 
「一年生から試合に出ていましたから、当然知っていました。おー荒木大輔かと思って見てましたね」
 
 荒木さんとは同じ年ですね、やはり意識していましたかと聞くと「それはもう」と笑いながら頷いた。
 
「でもやっぱりぼくは田舎者だし、強そうだなぁなんて思って見てましたよ」
 
 自分の躯がいつもと違うと気がついたのは、開会式直後のことだった。
 
「練習する場所がなかったので、河川敷に行って軽くキャッチボールやろうかという話になったんです。そうしたら、肩がおかしい。なんかボールに力が入らない。バネが伸びきったような感じなんです」
 
 川相が「ちょっと投げられそうにないです」と異常を訴えると監督は顔色を変えた。監督、そして野球部の部長たちがあちこち当たって、肩を診てもらえる場所を探した。
 
「肩がおかしくなったのは初めてだったんです。当時はアイシングさえしたことがなかった。それで治療してもらうところに行ったんです。だから、試合はぶっつけ本番でしたね」




あっという間に終わった初めての甲子園

 一回戦の相手は栃木県代表の宇都宮学園だった。
 
 岡山県からバス六三台に約四○○○人の応援団が駆けつけている。中でも川相の地元、藤田からはバス一一台を仕立て、五五〇人を超える人間が集まっていた。観客席には、オレンジ色と青色のチューリップハットで〝南〞の頭文字、「M」が描かれた。
 
 マウンドで川相は甲子園独特の雰囲気を感じていた。
 
「ふわふわした感じはありましたね。緊張して何もできない、というほどではなかったです。でも自分のリズムでは投げられなかった。チーム全体が自分たちのペースでプレーできなかった」
 
 翌日の『山陽新聞』の戦評はこう始まっている。
 
〈初陣の悲しさとでも言うのだろう。立ち上がりの岡山南はまるで地に足がついてなかった。塁上はにぎやかすのだが、詰めがない。(中略)敵は宇都宮学園でなく、甲子園のふん囲気だった、と言っても過言ではないだろう〉
  
 三回裏、宇都宮学園は死球と川相のバント処理の失敗で一死一、二塁と先制の好機を作る。そして、次の打者、宮明浩への初球だった。
 
「ガツーンと三ラン(本塁打)を打たれた。確か、もう一点取られているんですよね。それはどんな風だったのかは忘れました。三ランを打たれたというのははっきり覚えていますね」
 
 前出の戦評では川相の投げ急ぎを指摘している。
 
〈死球から本塁打までに川相が要した球数はわずか3球。ミスを自らの右腕で補おうとする闘志は買えるが、宮への初球はあまりに無造作。県大会のように、こういう場面でこそじっくり〝間〞をとるべきだった〉(一九八一年八月一二日)
  
 〇対四の完封負けだった。
 
 最初の甲子園はあっという間に終わったと川相は振り返る。
 
「チーム自体が本当に強くなったのは、その年の秋から。新チームになってからなんです」




全ての公式戦で完投。招待試合では「だいたい一試合半は投げていた」

 一○月から県高校野球秋季大会兼中国大会予選が始まった。岡山南は作陽、そして準々決勝で倉敷工業を共に七回コールド勝ちしている。
 
 今では考えられないのだが、準々決勝の翌日に準決勝と決勝の試合が組まれていた。朝九時から準決勝、そして午後二時半から決勝戦だった。岡山南は準決勝の水島工業戦を四対二、決勝の津山戦は六対〇で勝利した。川相は全試合を投げきっている。
 
 県大会の後、またも肩の力が入らなくなったという。
 
「学校で投げようと思ったら、力が入らない。前と一緒。投げすぎですね」
 
 翌年の選抜出場権のかかった中国大会の一週間前から川相は肩を休めるため球を握っていない。
 
「投げるなって言われて、ノースロー。またもぶっつけ本番です」
 
 一一月三日、広島県二位の広陵を下し、翌四日に準決勝で島根県一位の浜田と対戦している。浜田戦は延長一○回までもつれ、三対二で勝利。決勝はまたもや同日行われている。相手は広島県一位の尾道商業だった。
 
〈右肩を痛め、鎮痛剤を服用して連投にいどんだ岡山南・川相と尾道商打線の対決が一つの焦点となった。この勝負、明らかに不利と思えた川相が七割方カーブを駆使し、巧みなコンビネーションで尾道商打線を切って取り、見事栄冠を手中に収めた。速球を武器に攻め一辺倒の本来の力強さこそなかったが、ピッチングをがらりと変えての栄冠は川相だけでなく、バッテリーの今後の大きな糧になったに違いない〉(『山陽新聞』一九八一年一一月五日)
  
 肩に変調をきたしている高校生投手が変化球中心の配球を余儀なくされたことを〈今後の大きな糧〉になると評することに、時代を感じる。当時は選手の体調管理という概念が薄かった。川相によると自分が主戦投手になってから、全ての公式戦で完投していたという。
 
「甲子園とか出ると他県から招待試合に呼ばれますよね。一試合目はぼくが完投。二試合目は最初、外野を守っているんですよ。それでピンチを迎えると、監督から〝おーい〞って呼ばれて投げる。だいたい一試合半は投げていたことになりますね」
 
 ともかく、中国大会の優勝により、岡山南は翌春の甲子園の出場権を手に入れた。
 
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田崎健太 たざき・けんた
1968年3月13日、京都市生まれ。ノンフィクション作家。
早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。スポーツを中心に人物ノンフィクションを手掛け、各メディアで幅広く活躍する。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』、『ドライチ』『ドラガイ』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)
『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。
 
 
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