テレビ業界ジャーナリスト長谷川朋子さん(前編)〜自分の価値を求めたら海外展開にたどり着いた〜

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日本のテレビ局はここ数年、海外展開に力を入れはじめている。ネットメディアでも盛んにそのレポートが書かれているが、この分野の読み応えある記事にはいつも同じ名前が記されている。放送業界ジャーナリスト、長谷川朋子。テレビの海外展開についてもっともよく取材し、掘り下げて書いているライターだ。鋭い記事を書く長谷川氏だが、実際にお会いすると屈託なく笑う明るい女性である。今回の「テレビを書くやつら」は、やつらと呼ぶのは失礼なレディーへのインタビュー。そもそもなぜ長谷川氏はテレビの海外展開をテーマにしたのだろう。聞いてみると、自らの生き方も重なる「戦略」がわかってきた。

【聞き手/文:境 治】

商社の営業から放送専門誌に転職

聞き手・境治(以下、S):このシリーズではいつも聞くことにしてるんですが、長谷川さんは子どもの頃からテレビが好きでしたか?



長谷川朋子氏(以下、H): テレビは好きでした。子どもの頃はフジテレビのバラエティがいちばん華やかだった時代で、バラエティ世代ですね。「オレたちひょうきん族」はもちろん見てましたし、小学生の頃は『仮面ノリダー』、中高生になると深夜のバラエティに夢中になり『カノッサの屈辱』は大好きでした。ドラマもコメディ好きで小学生の頃は『うちの子にかぎって…』。でも映画もよく見ていました。映画館で初めて見たのが「E.T.」で、飼ってた犬にスタローンの映画に感化されて「ロッキー」と名付けたり。ハリウッド映画と日本のバラエティで、基礎がしっかりできました(笑)。



S:テレビ関係の仕事をしたかったのですか?



H:とくに考えてませんでした。海外は意識していて、語学は人並みには学びました。海外の情報にも敏感でした。卒業してからは、専門商社で営業の仕事をしていました。



S:商社で?それは知りませんでした!テレビとは全然関係なかったんですね!



H:ビジネスにもともと関心があって商社に行きました。予算を持たされてオリジナル商品を作って売ると利益が上がる。やりがいを感じて自分で考えて商品を企画していました。一方で書く仕事をしたい気持ちもありました。女性として仕事を続ける上で、書く仕事なら長くできるのかなと思って。転職しようと決めて30歳になる前に、業界誌に入りました。テレビが好きだったとは言え、仕事にする対象とは思ってなかったんですけどね。



S:それでも放送業界の専門誌に行ったのは?



H:もともとエンタメ好きではあり、いろんなジャンルに触れてきた自負はあったので、転職を考えた時にはじめて選択肢として浮上しました。それに、身内に放送局に所属する者がいたのも大きいですね。放送ジャーナルに入って今も在籍しています。
©ytv (3408)聞き手の境治氏と長谷川氏

得意分野を見つけようと海外展開に注目

S:入ったらまず何をやったんですか?



H:ローカル局の担当になって、テレビラジオの東京支社を訪ねて歩きました。東京支社がこんなに銀座にあるのか!本社に行くのは大変なので、支社を回ろうと決めてコンタクトしたら、お茶飲みにいらっしゃいと言ってくれるところもあって、定期的にうかがうようになりました。



S:海外展開に興味が湧いたのはなぜだったんですか?



H:中途入社なので、得意分野を見つけなきゃと思ったんです。先輩たちが取材できていないところを探してみたら、「放送外」はあまり手がついてないことに気づきました。タイムスポットと人事が話題の主流でしたから。就職難で生きてきた世代なので、常に危機感があるわけです。「放送外」はこれから伸ばしていかなきゃいけないのでは?と注目しました。放送外収入といえば映画やイベントはありましたけど、もしかしたらもっと広がるかもしれない。他の人が書かない分野を、私が開拓しよう!と考えました。



S:なるほど、先見の明がありましたね。



H:ちょうど「水曜どうでしょう」のDVDがヒットして番販もうまくいっていたので、北海道テレビの藤村忠寿さんに電話インタビューしました。一回作ったものでいかに収益あげるかを考えていたので、良い事例でした。放送外ってこういうことだと思いました。これから広がりそうなタネを取材しては記事を書くようになったのです。その中で出会ったのが、海外展開の分野でした。



S:それは2000年代後半あたりでしょうか?



H:そう、2008年ぐらいです。リーマンショックの直後ですね。実は産休で一年休んで復帰した時とも重なり、戻ってきたら厳しい状況で購読数がガタッと落ちていた。余計に得意分野を見つけなきゃとの思いもありました。でもこの状況は面白い、見て行く価値があるとも考えたのです。もっと深掘りしなきゃと探っていたら、海外見本市を知りました。
©ytv (3410)

海外展開にはいろんな夢がある

S:それで海外に取材に行くようになったのですね?



H:2009年4月にMIPTVに行ったのが最初です。キー局は揃って出展していましたし、「名探偵コナン」を持つ読売テレビさんは当時からブースを持っていましたが、ローカル局の多くはまだ海外展開に乗り出してはいませんでした。今につながる海外展開の黎明期。韓国が国家戦略として海外展開を始めていたので、政府のバックアップが欲しいという声はその頃から聞こえてきました。日本が始めたクールジャパン戦略も取材で追っていきました。



S:10年取材してきて海外取材の先はもっと増えました?



H:2013年までは年に一回、春のMIPTVだけを取材する時期が続きました。というのは、当時は例えばキー局の社長会見でも、海外展開は質問するような分野でもなかったんですね。それがクールジャパンと言われはじめてから興味を持つ人の幅が広がって、この5年くらいで経営の柱として挙がるようになりました。だから最初の頃は年に一回の取材で十分で、そこまで求められてなかった。いまは秋のMIPCOMにも、香港のフィルマートにも、その他中国や韓国、アメリカのマーケットにも機会があれば行っています。



S:取材の費用はどう捻出しているのですか?



H:取材費の出どころはケースバイケースです。自腹の時もありますが、いろいろな方の協力を得ながら、毎回交渉し、やりくりしています。放送ジャーナルという専門誌の媒体で特集を組み始めたことがきっかけになり、切り口を変えて寄稿させてもらう先も増えていることで、海外の現地取材も広がっているというわけです。



S:海外に関する取材は苦労も多いでしょうね?



H:権利ビジネスなので1社だけでは把握できないのが大変ですね。関係者が絡んでるから権利関係を把握しないと記事が書けません。ただ、今は海外に確認するのにもWeChatやWhatsApp、FBメッセンジャーを使ってすぐやりとりできるのが便利です。海外の業界誌もほとんどがWEB版を出しているので、日々情報を得るのにも助かっています。



S:海外展開を扱う醍醐味や意義はどんな点でしょう?



H:情報が日本に入っていないものが多いので、伝えたいという気持ちがあります。それに日本の放送局がやってることも記事化されているものが少ないですね。海外展開は業界の中でも小さい話です。でも大きな利益を生んでいることもある。それをもっと知ってもらいたいと思います。それから、テレビ番組は人の人生を左右することもあります。それがいろんな国で展開されるのは夢がある。そんな価値もあることを伝えたいです。
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長谷川氏が海外展開に詳しくなったのは、自分の得意分野を作らねばとの危機感からだった。長谷川氏とは個人的にも何度か飲んで話したつもりだったが、そんなに強い意志で選んだ道だとは知らなかった。自らの生き残りの武器として長谷川氏が海外展開を選んだ、そのことはテレビ局にとってもヒントになりそうだ。

さて後編では「日本の海外展開の課題」についてお聞きしている。これも面白いので楽しみにして欲しい。

(後編に続く)