フランス人女性が主催するコンクール・デレガンス現地取材レポート

ドミニクは私の一番古いフランス人の友達だ。彼女に出会ったのは、ちょうどF3マシンのMARTINIを手に入れたころでもう20年も前の話だ。

シャンパンで有名なランスに生まれ育ったドミニク。このランスには1972年までグランプリレースも開かれた公道サーキットがあり、ほぼ毎週末父親に手を引かれレースを観戦していたそう。そのせいもあってか、女の子なのに人形やぬいぐるみには興味が無くおもちゃはミニカーなど車ばかり。

そして、グランプリレースで見たファンジオに一目惚れ。生前、ファンジオとは手紙のやりとりをするほどの中になった。また、ランスのサーキットの写真や資料を集め1990年代には本も出版している。

そんな彼女が主催するコンクールデレガンスが開かれた。2年毎に、このランスで行われるイベントは第3回目を迎えた。参加車両は少なく絞って、このイベント自体を楽しんでもらおうというモノで規模はまだ小さい。

ランスにあるMusée Automobile Reims Champagne(ランス自動車博物館)で集まったエントリーカーたちは”微笑みの天使”で有名なランス大聖堂までまず走って、展示。その後メインスポンサーでもあるシャンパンのランソン(Lanson)のワイナリーへ。参加者はこのワイナリーを見学した後、ランソンのシャンパンを片手に優雅な昼食。そしていよいよ、コンクールが始まる。


審査中のジャガーXK120 FHC。
コンクールの審査員長を務めるのは、フランスの旧車界で最も権威のある団体の一つFFVE(la Fédération Française des Véhicules dEpoque)のクロード会長(Mr Claude DELAGNEAU)。そして、ランスの博物館長など数名が担当する。各年代でカテゴリー分けされ、その愛車と共にドレスアップしたオーナーの出で立ちも審査の対象となる。単なるコンクールでは無くエレガンスをもと言うことでフランスのエスプリと言ったところだ。一番若い1987年メルセデス300SLに始まり1903年のRichard-Brasier type Hまで32台が参加した。
1台づつ審査員と観客の前に登場し、ほとんどの場合、オーナーであるドライバーが車から降り、助手席に廻ってパートナーをエスコートする。その間にクロード会長がそれぞれの車の諸元や、この参加者特有の仕様、そして時によりオーナーのプロフィールなどを解説する。


1903年のRICHARD BRASIER H Tonneau。

「必要ないわよ。私は一人で降りられるわ!」とエスコートを断り、自らドアを開けて出てくる女性がいるところなどはさすがおフランス。

50年代以降はジャガーがつづき、時々トライアンフなどが入る。英国車人気のようだ。クロード会長も「また英国車か…」とつぶやく一幕も。

カテゴリーの合間にファッションショーも行われた。ここランスにアトリエを持つデザイナーのモノでランスのコンクールデレガンスでは初回から行われているモノで毎回別のデザイナーが参加している。3人のモデルは参加車に乗って登場する。イベントに華を添えるのだ。

コンクールも終盤を迎えると登場する車は戦前のモノとなっていく。シトロエン100周年のこの年3台のシトロエンがブガティ Type57と共に参加。今回5台のシトロエンが参加しているがちょうど同じ日に以前お伝えしたシトロエン100周年イベントが開かれていたが、彼らはこのコンクールデレガンスを選んだのであった。


クラス別で優勝したドライエ135のオーナーと一緒のドミニク(右)

1910年のドライエType32、そしてゴードンベネットレースでもミシュランタイヤで駆け抜けたことでも知られるレーシングカーRICHARD Brasier H Tonneau。ブラジエール自身レーシングドライバーであり自動車黎明期に大きな影響を与えた一台である。1925年以降はシトロエンとこの2台のフランス車でコンクールを締めくくった。

今回のコンクールでグランプリに輝いたのは1910年ドライエ。採点にはややフランス車贔屓名ところがあったのは否めないが、それはそれでまたフランス的で許せてしまう緩いコンクール。


アルピーヌ大好きのダニエル。年々、お腹が邪魔して乗り降りが大変になってきている。
 
「余り規模を大きくしないで少数で参加者一人一人が十分に楽しめるイベントでありたい」とドミニクは言っていた。コンクールが終わってホッと一息したドミニク。ドミニクの車への情熱をかけた人生はとても興味深い。いつか近いうちにまたドミニクの話が出来ればと思っている。