ボロボロで見つかった世界に一台のマセラティが歩んだ悲しい運命│息を吹き返すか?

このマセラティを見たらただ一つ、”なんだこのボロボロな車は”とほとんどの人が思うだろう。ガラクタ同然に捉えられるかもしれないが、この1台は8月にオークションへ出展されることが決まっており、大きな注目を集めている。ボロボロだから、ではなく、特に貴重な世界に一台のマセラティのためである。どのような歴史を持っているのだろうか。そのストーリーは50年以上前に遡る。

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かつてのイラン皇帝であったモハンマド・レザー・シャー・パフラヴィーはマセラティ3500GTに興味をそそられていた。しかし、3500GT以上にエクスクルーシブな車を求めていたために、直接マセラティへアプローチをかけて5リッター V8エンジンを搭載した車を作ってもらうよう依頼した。そこでマセラティは3500GTをベースに、450Sのモーター系統を載せることを試みた。

そして誕生した車は5000GTと名付けられ、1959年のトリノ・モーターショーにて一般公開された。同じ性能を持つ2台がすぐに追加で製造されたが、その後はロードカー向けに改良されたV8エンジンを搭載した5000GTが31台製造された。つまり、計34台の5000GTが世に出たのだ。

価格は3500GTの2倍で、8のコーチビルダーによって手掛けられた。マラネロで製造されていたフェラーリ・スーパーアメリカにも劣らない人気を集めており、ジャンニ・アニエリやブリッグス・カニングハムなど数々の著名人が所有していた。

そして、シャシーナンバー AM103 018が刻まれボロボロになったこの5000GTは1961年に製造された9台のうちの1台。5000GTのボディワークは主にアレマノによって手掛けられていたのだが、この1台はギアによって手掛けられた唯一の5000GTなのだ。当時、カロッツェリア・ギアのスタイル部門トップを務めていたセルジオ・サルトレッリ(後にフィアット126などを生み出したことで知られる)がカッティングエッヂが特徴的なスタイルを作り出したのであった。



シルバーのエクステリアに、ブラックの内装を持つ1台に仕上げられ、ギアはこの018を1961年トリノ・モーターショーに展示。最初のオーナーであるイタリアの企業家フェルディナンド・イノチェンティが購入する前に、マセラティは『Sports Car Graphic』のバーナード・カイエに試乗を依頼していた。そして、カイエは”数々の速い車を運転してきたが、ここまでの速いパワーを感じたことはなかった。3速からトップギアに入れようとしたときには既に135mphに達していたのだ”と綴っている。



イノチェンティはしばらくして018を売りに出し、イタリアで数名のオーナーに所有された後にサウジアラビアのカーエンスージアストのもとへ渡った。しかし、彼はあまりこの車の重要性を知らずに、外へ停めて1970年代からずっとそのままで放置していた。そのため、ギアが手掛けたこの5000GTは行方不明だと世界では思われていた。しかし、数年前に彼が逝去したことを受け親族がこの車の存在を知り、この度オークションへ出展されることとなったのだ。誰にも走らせてもらえることもなく放置された後に、一度はスクラップに出される寸前までいったそうだ。

ボディはオリジナルのシルバーではなく、1960年代中頃に塗り替えられたというブルーだが、使われることのなかったオリジナルのスペアタイヤがトランクに残っている。ガラスもオリジナルのままで、運転席のドアパネルにはギアが鉛筆で描いたスケッチすら残っている。オドメーターは読み取るのが難しいが、見たところによると1万5561キロメーターを刻んでいる。



ほぼ50年間に渡り、外で孤独を味わっていた018にレストアを施してあげる価値は充分にあるだろう。完全にもとの姿を取り戻すまでは、多大なる時間と労力を要するに違いないが、再び息を吹き返す時を楽しみに待ち続けたい。