マンチェスター・Cからの退団を発表した元ベルギー代表DFヴァンサン・コンパニが、2006年まで在籍していた古巣アンデルレヒトに“選手兼監督”として復帰することを明らかにした。

 コンディションさえ整えば、まだ第一線で活躍できるだけに、驚きの声もあがっているが、自身のSNSで「最も情熱的で、合理的な決定」とコメントしたように、同選手にとっては自然な選択だったのかもしれない。

 サッカー界では“選手”と“監督”を掛け持ちすることはそう珍しいことではない。オーストラリア・Aリーグのメルボルン・ビクトリーに所属するMF本田圭佑も現役選手でありながら、実質的監督兼GM(ゼネラルマネージャー)としてカンボシア代表を率いている。

 そこで今回は、選手兼監督としてのキャリアを積んだサッカー界のレジェンドたちを7名紹介しよう。

写真=ゲッティイメージズ

◆ケニー・ダルグリッシュ(元スコットランド代表FW)


1977年からリヴァプールに在籍し、欧州チャンピオンズカップ3回のほか、多くの国内タイトルを獲得。すると1985年、ヘイゼルの悲劇の直後に辞任したジョー・フェイガン監督に代わって選手兼監督に就任した。1年目でクラブ史上初となるリーグとFAカップの2冠を達成すると、1991年に退任するまで、リヴァプールはリーグの最終順位が2位以下になったことはなく、同クラブが最後にリーグ制覇を果たした1990年を含め、さらに2度のリーグタイトルとFAカップを手にした。

◆ルート・フリット(元オランダ代表MF)


80年代のミランでマルコ・ファン・バステン氏、フランク・ライカールト氏とともに“オランダトリオ”を形成。1987年にはバロンドールを受賞したフリット氏も“選手兼監督”という大役を務めた一人だ。1996年の夏、チェルシーの選手兼監督に就任。コンパニと同じ33歳でチームの“ボス”となった。すると、就任1年目でFAカップを制覇。プレミアリーグは6位に終わったが、クラブに26年ぶりのタイトルをもたらし、同大会を制した史上初の外国人監督となった。

◆ジャンルカ・ヴィアリ(元イタリア代表FW)


選手兼監督としてすぐに結果を出したフリット氏だが、チェルシーは1997-98シーズンの途中に突如、解任を告げる。後任に指名されたのは、それまで選手としてプレーしていたジャンルカ・ヴィアリ氏。連続して“選手兼監督”がチームを率いることとなった。すると、プレミアリーグは4位でシーズンを終えたが、リーグカップとカップ・ウィナーズカップで2冠を達成。33歳308日でのUEFA主催大会優勝は、監督として当時の最年少記録であった。その3カ月後には、チャンピオンズリーグ覇者のレアル・マドリードを1-0で下してUEFAスーパーカップ初優勝を果たした。

◆ライアン・ギグス(元ウェールズ代表FW)


サー・アレックス・ファーガソン氏の後任監督として、2013年夏にマンチェスター・Uに招へいされたデイヴィッド・モイーズ氏だが引き継ぎに失敗。就任わずか10カ月で退任を余儀なくされると、それまで“選手兼コーチ”を務めていたギグス氏が“選手兼監督”に昇格を果たした。しかし、チームの指揮をとったのはリーグ戦ラスト4試合のみ。同シーズン限りで現役を退くと、翌シーズンから同クラブでアシスタントコーチを務め、2018年1月に母国ウェールズの代表監督に就任した。

◆エドガー・ダーヴィッツ(元オランダ代表MF)


ピッチ上での激しいプレーから「闘犬」の異名をとったダーヴィッツ氏。2010年11月に現役を離れたが、2012年10月に当時イングランド4部で戦っていたバーネットに選手兼監督として加入し、約2年ぶりに復帰を果たした。しかし、チームは5部に降格。翌シーズンも選手兼監督として活動を続けたが、選手としてはリーグ開幕8試合で3度退場、監督としてもアウェイ遠征に帯同しないなど、規律の問題が解消されず、2014年1月にクラブ退団が決まった。

◆ニコラ・アネルカ(元フランス代表FW)


レアル・マドリード、アーセナル、チェルシー、ユヴェントスなど名門クラブを渡り歩いたあと、2014年にインドのムンバイ・シティに加入。すると翌年から同クラブの選手兼監督を務めた。2012年には中国スーパーリーグの上海申花で“選手兼コーチ”を務めた経験もあり、周囲の期待は大きかったが、リーグ戦14試合で4勝4分け6敗。8チーム中6位という成績に終わったことで退団が決まり、選手生活にもピリオドを打った。

◆ジョージ・ウェア(元リベリア代表FW)


本田と同じように、選手と代表監督の“二足のわらじ”を履きこなしていたのがウェア氏だ。1995年にアフリカ出身の選手として初めてバロンドールを受賞した同氏は、チームのスタープレーヤーでありながら、自らのポケットマネーでリベリア代表の活動をサポート。2000年からは実質的な監督として代表チームを指導していた。2018年1月には、リベリアの大統領に就任。すると、同年9月に開催された代表戦に大統領でありながら出場した。自身が現役時代に着用した“背番号14”を永久欠番とするための記念試合だったとはいえ、世界中を驚かせた。

(記事/Footmedia)