カリフォルニアの自動車カスタマイザーの第一人者 ディーン・ジェフリーズ

ハリウッドの映画業界における"もうひとりの" カスタマイザー。生涯に渡るライバル、ジョージ・バリスとの確執をよそに、彼の車はずっと人気があった。

ハリウッドでは確執というものは特にめずらしいものではないようだ。外部の人たちは、出演者たちによる言葉での攻撃や、髪の引っ張り合いを想像するだろう。しかし実際には、スポットライトからだいぶ離れたカメラクルーの後ろ側、たまには小道具製作者達の間ですら争いが巻き起こっていたのだ。
 
カリフォルニアの自動車カスタマイザーの第一人者であり、映画やTV番組用の奇抜な車の製作者のリーダー的存在となっていたディーン・ジェフリーズとジョージ・バリスは、長年対立していた。どうやら、バリスの異常な自己宣伝をジェフリーズが不快に思ったのが始まりのようだ。

当時論争になったのは、1966 年のTV シリーズ『ザ・モンキーズ』の撮影用にジェフリーズがデザインし製作した、ポンティアックGTOベースのホットロッド、"モンキーモービル" だ。実は番組終了後、その車を1000ドルで買い戻さないかというオファーをジェフリーズが辞退した直後に、バリスがそれに飛びつき購入していた。
 
彼はレストアしてピカピカに仕上げたのだが、その上なんと自分がその車を製作したと吹聴するようになった。MPC社が発売した"モンキーモービル" のプラスチックモデルキットの箱にカーデザイナーとしてバリスの名前が記されているのを見た時、ジェフリーズは怒り狂った。
 
一方、バリスはその車は何年も前から自分のものだと言い張り続けた。ジェフリーズは、訴訟にするとバリスを破滅させてしまうと心配し、この件では裁判にはしなかった。しかし、彼の伝記作家であるトム・コッターには、その気持ちを率直に吐露している。

「彼にはポジティブなイメージがないどころか、まったくインパクトといったものが感じられなかったよ。それでいて、彼は猛烈な(自分の)プロモーターなんだよ。本当にそうだった」
 
二人の関係で皮肉なのは、ジェフリーズのポテンシャルを引き出すのに、当初はバリスがサポートしていたことだ。
 
1933年に生まれたジェフリーズは、パサデナのアート・センターを志望したが、残念ながら成績が充分ではなかった。その代わりに、メカニックであった父親と隣人でレーシングドライバーのトロイ・ラットマンに教わり、彼は車の修理に没頭していった。
 
その後、彼は合衆国陸軍の任務でドイツに派遣された。そこでは、家具、ピアノ、バイクなどにピンストライプの装飾を施すのが流行しており、彼の知識にも好影響を与えた。帰国後、ジェフリーズは自身の新しいスキルを、"Von Dutch" として知られたケニス・ハワードと融合させ、カリフォルニアにおける車とバイクのカスタマイズのトレンドセッターとなった。その後まもなく、ディーンはジョージ・バリスに雇われ、内勤のピンストライパーとなった。そしてローカルのセレブリティたちの車に素晴らしい作品を残した。
 
最も注目を浴びた彼の作品は、ジェームズ・ディーンの不運なポルシェ550スパイダー"リル・バスタード" への直線的なハイライトの追加だった。また、ビーチ・ボーイズのアルバム『リトル・デュース・クーペ』のカバーにもなった、カットダウンされた1932年型フォードのメタルワークも担当した。必然的に彼は自分のショップを運営するようになり、バリスとの対立が始まった。
 
インディのドライバーたちに作品を提供していた頃は、彼は車やヘルメットにペイントワークで協力していた。スポンサーはたったひとつ、モービル・オイルだけだった。さらに彼は、オリジナル塗料「ジェフリーズ・インディ・パール」も開発した。それは初めてメタルフレーク(金属粉)を使った情熱的な塗装だった。
 
ジェフリーズが生粋のエンスージアストだと知っていたキャロル・シェルビーは、1962年にシェルビー・コブラの最初の一台の塗装を彼に依頼した。それはシェルビーの好意によるものだったが、期間はたったの3日間だった。

「シェルビーに、何色がご希望か聞いたんだが、彼は『君が決めていいよ』と言ったんだ。だから、以前にTV画面では黄色が一番目立つと聞いていたので、正しいにせよ間違っているにせよ、とにかく全体をパールイエローに塗ったんだ。」
 
その見返りとしてシェルビーは、コブラのV8スモールブロック・エンジンとギアボックスをジェフリーズに贈り、ジェフリーズは所有していた"マンタレイ" に搭載した。それは1939年型マセラティ6CTFのシングルシーターGPカーのシャシーを使用した、ワンオフモデルだった。このマシン(1964年公開の映画『ビキニ・ビーチ』に登場)が影響し、ハリウッドのエンターテイメント業界では車の改造が大流行した。"モンキーモービル" 同様に、TV番組『グリーン・ホーネット』用にもクライスラー・インペリアルが粋なイメージで改造された。"ブラック・ビューティー" と名付けられたこの車に関しても、バリスは虚偽の主張をしている。 

しかしながら、世界終焉の後を描いた1977年公開の映画『世界が燃えつきる日』に登場した"ランドマスター" や、ジェームズ・ボンドの映画『007 ダイヤモンドは永遠に』の"ムーン・バギー" は、異論なくジェフリーズ自身の発想によるものだ。"ランドマスター" は、ハリウッドのカフェンガ通り沿いにある彼の作業場の外に何年間も放置されていたため、地元では奇妙なランドマークになっていた。ジェフリーズはまた、フォード向けにクーガーのショーカー製作や、自身のビーチバギーのシリーズなどで生計を立てていた。作業場にいない時はスタントドライバーとして、不定期に仕事をしていた。
 
2013年5月、ジェフリーズは就寝中に安らかに亡くなった。80歳だった。当時、彼はすでにガンを克服していたし、梯子から落ちて気を失っても元気に復活していた。たった5年間だけしか仕事を減らさず、21世紀の貪欲な子ども達を喜ばせるため、"マンタレイ" と共にツアーに出たりしていた。
 
彼は物腰柔らかで、謙虚で、いつもファンに会いたがっていた。トム・コッターは彼のことを「素晴らしい人物で、思想が複雑な人だった。彼は高校の学歴がなかったことをひどく気にしていたが、もしたったの9000 ドル(約95万円)で月にロケットを飛ばす必要があったなら、彼はそれを実現するアイディアをなんとか見出しただろう」との追悼の言葉を贈っている。