世界初 マクラーレンF1をファクトリーでレストア│心臓が止まるかと思うほど騒々しいノイズ

マクラーレンF1をレストアするなら誰に依頼すればいい?その答えは、もちろんマクラーレン自身だろう。ル・マンに参戦したヒストリーを持つ特別なレーシングスペシャルがいかにレストアされたかを、マーク・ディクソンがリポートする。

文字どおりの、耳をつんざくようなエグゾーストノートだ。淡いブルーにペイントされた"ミサイル"は、テストコースのバンクに差し掛かるとその最上段を疾走していった。鋭く突き出たノーズは、まるでガードレールの内側で固唾を呑んで見守る数名の関係者を目がけて突進していくかのようだ。ブーンと長く尾を引く暴力的な騒音はいかにも不気味で、第二次世界大戦で活躍した戦闘機の巨大なエンジンが発する排気音を彷彿とする。

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やがてマシンが目の前を駆け抜けると耳を聾するノイズの性質も一変し、ル・マン仕様の6リッターV12エンジンは疾風怒濤のエンジン音を4本のエグゾーストパイプからまき散らし始める。その直後、今度はストレートカット・ギアを用いたシーケンシャル・マニュアル・ギアボックス特有の高周波音が折り重なるようにしてあたりに響き渡った。

一時的に耳が聞こえづらくなった我々にできることといえば、互いに意味のない薄ら笑いを浮かべることしかなかった。これまでの2年間、F1 GTRロングテールを1997年のル・マン24時間に参戦したときとまったく同じ状態にレストアするという作業に取り組んできたマクラーレン・スペシャル・オペレーションズの面々にとって、今回の最終テストはひとつのクライマックスだった。シャシーナンバー25RをつけたこのF1はマクラーレン社内でレストアされた最初のマシンであると同時に、マクラーレンが新たに始めたサーティフィケーション・プログラムによって公式に認定された最初のF1となった。まさに、新時代を切り拓くまたとない瞬間であり、本当に特別な1台といえるだろう。



マクラーレンF1は1台残らずすべて特別だ。ただ、このシャシーナンバー25Rが他のF1よりも「さらに特別」というだけの話に過ぎない。『Octane』は2007年に3台のGTR"レースバージョン"を一堂に集めて特集を組んだが、そのときF1の生みの親であるゴードン・マーレイの語った言葉が残されている。

「1995年のル・マンで、シンクロメッシュ・ギアボックスを備えたロードカーが並みいるプロトタイプを打ち破って優勝したことは、私にとって最高の思い出です。初出場のマシンでル・マンを制することは、F1世界選手権で連覇を成し遂げることよりも難しいと私は思います」

このときゴードンは、レースに出場することを一切想定せずに開発されたロードカーでル・マンに勝つという、まるでおとぎ話のような出来事を振り返ったのである。繰り返しになるが、ゴードンがデザインしたのは純然たるロードカーで、そこにはなんの妥協もなければ、あいまいな部分さえまるでなかった。しかし、同じ特集のなかでゴードンはこうも語っている。

「それでも、私が当時気づいていなかったことがひとつあります。もともとレース畑を歩んできたせいで、私は無意識のうちにレーシングカーにも通用する考え方でF1をデザインしていたのです。私たちがF1をレースカーにモディファイしたのは、強い意志を持つふたりの顧客に依頼されたからですが、おかげでこれはごく簡単な作業だけで済みました」

こうして、最小限のモディファイが施されたF1は初参戦にしてル・マンで総合優勝するという快挙を成し遂げたのだが、これはいままでのところ空前にして絶後のことである。

あれから11年が過ぎた。ただし、今回取り上げるシャシーナンバー25R は"ロングテール"のF1 である。多くのGTRよりも25インチ(約63.5cm)長いロングテール・モデルは、1997年のレースシーズンに向けて開発された。この年始まったFIA GT選手権には、規則によってロードカーと認められる最小限の台数のみ揃えたプロトタイプと見紛うばかりのワークスマシンがエントリーしていたが、こうしたライバルと互角に戦うためにロングテールは生まれたのだ。

5台のGTRとともにこの年のル・マンに挑んだシャシーナンバー25Rは、オイルクーラーのパイプに小さな亀裂が入ったため、レース中に火災を起こし、リタイアに追い込まれてしまう。パイプの異状はレース後に見つかったものだが、これはソリッドマウントしたエンジンが生み出すバイブレーションが原因だった。同じ年のル・マンで総合2位に入ったシャシーナンバー20RのF1 GTRに使われたオイルパイプは、現在、マクラーレン・テクノロジー・センターに展示されているが、それを見ると、このパイプにも亀裂は発生していて、いつ破損してもおかしくない状態だったことがわかる。

ただル・マンを戦っただけでも十分に価値はあるが、シャシーナンバー25Rは印象的なオレンジとブルーをあしらったガルフ・カラーにペイントされていた。これは、同年、イギリスのチームであるGTCがエントリーした3台のうちの1台だった。前年の濃いブルーは、メタリックの効果を出す粒子があまりに重かったため、1997年は採用されなかったと噂される。その後、いくつものレースに参戦した25Rは様々なカラーにペイントされたが、レストアのためにワークショップに戻ってきたとき、どのカラーリングにすべきかで議論されることはなかった。それだけでなく、「誰がこの作業を行うか?」について異論を述べる者さえひとりもいなかった。



2016年以降、マクラーレンは自分たちのヘリテージをいかにビジネスに生かすべきかについて、スペシャル・オペレーション部門を中心に真剣な検討が行われた。事故でダメージを受けたF1ロードカーの修復であれば、これまでにも何度か手がけたことがある。なかでも、もっとも有名なのは、かつて『Octane』に寄稿していたローワン・アトキンソン(『ミスター・ビーン』で有名なイギリスの喜劇俳優)のケースだろう。しかし25RのGTRは、インハウスで完全なレストアを行う最初のサンプルとなった。キッドストンSAの代表取締役であるエマニュエーレ・コッロは、このときの経緯を次のように振り返る。

「過去10年ほどの間に、私たちはF1を12台ほど販売しました。創業者であるサイモン・キッドストンもシャシーナンバー007を所有しているほどで、このモデルに関してはとても経験豊富といって差し支えありませんが、先ごろ、極東に暮らすあるクライアントの依頼で25Rの査定を行うことになりました。このモデルが最後にレースを戦ったのが日本だったためですが、ここ数年は走らせた形跡がなく、新しいオーナーもどこまで本格的な作業を行うべきか、判断しあぐねている様子でした」

「そこで私たちはマクラーレン自身の手でマシンをチェックしてもらい、その見解を聞かせてもらうことにしました。私たちが"ファクトリー"を選んだのは、次に挙げるふたつの理由からです。ひとつは、この車が誕生した場所でレストアをするという、言ってみればある種のロマンスです。もうひとつは、彼らの優れた実力を私たちもよく承知していたことにあります。ところが、この作業を開始して間もなく、やはり私たち顧客でもある別の方がこの車を購入しました。ヨーロッパで暮らすこの方もまた、私たちとまったく同じ考えをお持ちでした。つまり、小さな識別用ライトから特徴的なガルフ・カラーにいたるまで、完全な1997年のル・マン仕様にレストアしたいと望まれたのです」

マシンの状態をチェックするため、2016年初頭に"里帰り"した25Rは、ル・マン後の1998年にマクラーレンでオーバーホールされた直後と同じように、真っ白にペイントされていた。一度は火災にあったマシンだが、このときエンジンはリビルドされ、トランスミッションも組み直されていた。日本のレーシングチームであるヒトツヤマに売却されたのは1999年のことで、2003年まで全日本GT選手権(後のスーパーGT)に参戦。2005年にもレースに復帰したが、このときはモーターサイクル用ウェアを手がけるイエローコーンによってイエローとオレンジのカラーリングが施された。25Rが出場した最後のレースは2005年に富士スピードウェイで開催されたものだが、これはF1が国際的なモータースポーツに挑んだ最後のケースだったとされる。



状態を確認するために車両を分解すると、25Rが使い込まれたレースカーに特有の特徴を備えていることが明らかになった。ハンドツールが繰り返し用いられた形跡や、何年にもわたって補修されてきた跡がそこかしこに見つかったのだ。モノコックの底面には、数え切れないほどのスクラッチや穴が開いていたほか、右側のラゲッジルームを覆うハッチは交換されていて、このマシンがどこかの時点で強いサイドインパクトを受けたことを物語っていた。ホイールアーチの周辺はサーキットに散らばった様々な破片によって散々痛めつけられたらしく、至るところに補修痕が残っている。ただし、モノコックそのものは構造的にも異状はなさそうだ。残る問題は、レストアにどのくらいの期間かかるか、という点だけだった。

2016年11月、われわれ取材班はイギリス南部のGTRコンポジットを訪れた。モノコックのリペアについてマクラーレンがもっとも信頼する同社は、カーボンコンポジットに関する能力にかけては1990年代から世界的に有名な存在で、技術者のスティーヴ・ラーダーほどF1のレストアに相応しい人物はほかにいなかった。なにしろ、スティーヴが1991年にマクラーレンに就職したのはまさにF1のモノコックを製作するためで、彼はF1の生産が終了する1998年まで在
籍していた。「ロングテールを造るのは、もっとも大変な作業でした」 スティーヴが当時を振り返る。「なにしろマシン後部に追加された作業がどっさりとありましたから。1997年に毎日12〜14時間、3カ月間にわたって無休で働き続けたのは、このロングテールを造るためでした」



シャシーナンバー25Rのフロアパンには数え切れないほど多くの打痕や擦り傷が残っていたが、もしも新しいパネルに置き換えてしまえば、車内から見ても交換した事実が明らかになってしまう。そこで、スティーヴと彼のチームは、見た目をよくするために薄いカーボンファイバーのシートを、ピンクのポリエステル接着剤(正確にいえば3M社の9323という製品)でフロアに貼り付けることにした。

「モノコックを組み立てるのにも同じ3MのDP490が使われましたが、この目的で使うにはやや重すぎます。ただし、色が黒ではなくピンクになることを含めて、9323とDP490は見た目がよく似ています」とスティーヴ。「この接着剤が硬化するまで室温で4時間ほどかかります。さらに事後処理として温熱ランプで数時間温めますが、この間は平面を保つために重りを載せておきます」

F1ロングテールのアウターパネルはフロントとリアのボディカウルがその大半を占めるが、激しいコンペティションの痕跡はここにも数多く残されていた。そこで、オリジナルのボディカウルはロードカーとして用いるときのために確保しておき、レース仕様で展示するときには、未使用もしくは古いストックのボディカウルを装着するという方針が固まった。ちなみに、同じボディカウルでもレース用とロードカー用では形状が異なっている。GTRを一般道で走らせる際には、ライドハイトを上げるためにサスペンションのピックアップポイントも別のものを用いるが、こうするとホイールとホイールアーチの間に見苦しい"ギャップ"が生まれてしまう。そこでロードカー用では、ホイールアーチのフレア部分を少し下げたボディカウルに付け替えるのである。

ロードユースの際に装着されるオリジナルのボディカウルは、そこかしこに残る傷が目立たないように補修されているが、それでもレース仕様で用いられる未使用品や古いストックからなるボディカウルに比べると、コンクールデレガンスなどでの評価に100%耐えうる状態とはいえない。25Rのレストアでプロジェクトリーダーを務めるラッセル・ハンコックスは、ボディカウルの多くは補修の際に内側からウェットカーボンを貼り合わせて補強されていたという。ラッセルが打ち明ける。「オリジナルのリアバンパーと倉庫に眠っていた未使用のリアバンパーを比べると、オリジナルの重量は未使用品の倍近くもありました!」

レストア中に置き換えられたアウターパネルの80%以上は、リプロダクション品ではなく、マクラーレンがストックしていたオリジナル・パーツが用いられた。そうしたパーツを見つけ出すには大変な苦労が伴うこともしばしばだったという。マクラーレン・オートモーティブは2000年代に入ると急速に規模を拡大していった。しかも在庫リストのソフトウェアが数年前に更新されたため、古い在庫に関してはごく大ざっぱな記録しか残っていなかった。「倉庫に出かけていって、そこに置いてある段ボールを開けたとき、なかに入っているものを見つけて大いに驚いたことが何度もありました」 ラッセルはそうも教えてくれた。

こうした状況のなかで、ラッセルは素晴らしい発見を何度もしたという。たとえば、25Rの6速シーケンシャル・ギアボックスは完全にリビルドされたが、内部のパーツはすべて新品を用いた。「今後、同じことができるかどうかはわかりません。なにしろ、特定のパーツに関してはたったひとつしか見つけることができなかったので⋯。ただし、オリジナルの設計図はすべて残されているため、必要とあらば新品を造り出すこともできます」



エンジンのリビルドはとりわけ難しい作業だった。日本から届いたとき、25RにはスペアのV12エンジンが搭載されていた。これも取り引きの条件に含まれていたのだ。いっぽう、1997年のル・マンで使われたオリジナル・エンジンは、そのほかのスペアパーツとともに木箱に収められていたものの、コンディションについては不明だった。幸いにも、エンジンのリビルドに関してはBMWモータースポーツの全面的な協力が得られ、不足していたパーツの供給を受けることができた。ご想像のとおり、レース用エンジンはシーズンを通じて休みなく開発が続けられたので、正しい仕様の部品を手に入れるのは極めて困難だったのである。

用意されたパーツはすべてGTR用だったが、ル・マンが開催された1997年6月時点での仕様を再現するには、たとえばその年の7月や8月に実施された技術的なアップデートをすべて排除しなければならず、このためラッセルは何度も見直しを行わなければならなかったという。このように細部に至るまで完璧なリストアを実現するため、ラッセルたちはいつ終わるとも知れない作業を続けていったのである。たとえば、ル・マンで用いられる屋根の上の識別灯はマクラーレンが造ったものではない。

それは航空機の翼に取り付けられたライトとよく似ているが、そうであることを彼らは証明する必要があった。最終的にラッセルは、ウィーランという会社が航空機用に造ったライトのハウジングであることを突き止めると、アメリカの航空機払い下げ品販売店でそのパーツを手に入れたのである。いっぽう、識別灯に使われた青いレンズはアメリカの別の払い下げ品販売店で見つけ出したもの。ゴルフボールに似たシフトノブはカメイ製で、車のレストアを行ううえでいまやなくてはならないeBayを通じて入手した。



インターネット上のオークションサイトは、ル・マンを戦ったGTCレーシングチームとレストアされた25Rを再会させるきっかけも生み出した。「ラス(ハンコックス)は1997年にACOが発行したその年のル・マンに関する本を探していました。そこに25Rの写真が掲載されていることを、私たちは知っていたからです」 そう語るのは、マクラーレン・ヘリテージでマネージャーを務めるトーマス・ラインホルトである。「彼はeBayでお目当ての本を見つけたのですが、その売り主は、なんと1997年にGTCのチームリーダーだったマイケル・ケインその人でした。私たちはマイケルと当時レースチームで働いていたふたりのメカニックをテクノロジーセンターに招くと、レストア中の25Rを見てもらいました。そして細部に関する彼らの記憶をレストアに役立てたのです。それはとてもエモーショナルな瞬間で、とりわけエンジンに火を入れたときは感動的でした」

11月にも関わらず好天に恵まれたある日、ミルブルックのテストコースで25Rは2度目の走行ならびにレストア作業後のファインチューニングを実施した。この日の出来事も実に印象的だったといっていい。その前夜、ラッセル・ハンコックスは細部に至るまで完璧に仕上げられたボディワーク(ペイントはスペシャル・オペレーションズのマイク・フラーがインハウスで実施した)を跳ね石から守るため、夜中までかけてブルーのテープでラッピングを施していた。ステアリングを握るパニ・ツァーリスは14年以上にわたってF1に携わってきたベテランの技術者である。



覚えておくべき言葉がある。「近くでマクラーレンF1GTRのエンジンが始動されるなら、あらかじめ指で耳の穴を塞いでおくべきだ」と。そのノイズは心臓が止まるかと思うほど騒々しい。チェーンソーに似た耳障りな音色は、音楽的な要素のひとかけらもないが、その意図するところは実に明瞭だった。写真撮影用にパニが大人しく走らせているときでさえ、ギアボックスががなりたてるガガガガガという音が耳につき、やがてエグゾーストノートがあたりを制圧した。

カメラカーと並んで走行したとき、パニはできるだけエンジン回転数を低く抑えていたが、エンジンに十分な冷却気を送り込むには、ある程度のスピードを保たなければならない。冷却ファンをつければメカニズムが複雑になり、重量も増す。安易な妥協など、この車にはどこにもなかった。テストが終わると、ル・マン仕様のエンジンマッピングを施した25Rを低速で走らせる難しさについて、パニが語り始めた。「なにしろ1997年のル・マン仕様を完璧に再現しているので、マシンのスペックもすべてそのときの状態に仕上げています。ギアリング、燃料噴射、ステアリング、車高⋯。しかも、97年モデルは、ロードカーに小変更を加えただけの95年/96年モデルとは大幅に異なっています。通常、GTRでも公道を走行する際は運転しやすいマッピングに変更しますが、この車はなにからなにまで1997年の6月にこだわって仕上げられているんです」



1990年代に造られた電子制御システムのマッピングをどうやって変更したのだろうか?答えは、同じ1990年代に造られたラップトップのコンパックLTE5400を使ったのだ。RAMはたったの32MBで、フロッピーディスク・ドライブを備えたビンテージものだ。マクラーレンはこのラップトップを6台保有しているほか、幸運にも、オリジナルのプログラムを作成した元TAGマクラーレンのエンジニアに作業を依頼することができた。継続的なサービスを行うにはこのように貴重なパソコンの存在が必要不可欠だが、同じ問題を抱えているのはマクラーレンだけでなく、1990年代にレースカーを造り上げたすべてのマニュファクチュアラーに共通しているので、なんらかの解決策が見いだされることを期待したい。

完璧な作業を終えた25RロングテールはキッドストンSAの手を経て、この日を忍耐強く待ち続けたオーナーのもとへと送り届けられた。この車は自動車産業界の宝石といっていいだろう。「完成度と仕上がりは、すべての期待を上回っています」と、トム・ラインホルトはサムアップしてみせた。

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「私たちはマクラーレンであり、スペシャル・オペレーションズです。そうあるのは、当然のことといえるでしょう」