ボブ・ディラン、たった一度だけスプリングスティーンをカバーした映像を回想

コネチカット州で隠し録りされたボブ・ディランの1990年のブートレッグ音源は、ディランがブルース・スプリングスティーンの曲をカバーしたたった一度の機会を捉えている。

ブルース・スプリングスティーンは70年代初頭からボブ・ディランの楽曲をカバーしている。当時、まだ無名だったブルース・スプリングスティーン・バンドは、クラブでのライブで必ず「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」をプレイしていた。1982年にコロンビアとレコード契約を交わし、コロンビアが「ニュー・ディラン」と宣伝したことで予想外の重圧にさらされたときですら、スプリングスティーンはソングライターのヒーローとして崇めていたディランの「アイ・ウォント・ユー」、「自由の鐘」、「追憶のハイウェイ」など、数多くの曲をコンサートで披露した。

しかし、ボブ・ディランがその好意に報いて、スプリングスティーンの楽曲をカバーしたのはたった一度しかない。1990年1月12日、コネチカット州トーズ・プレイスで行われたライブの最中に飛び出したのである。客席700のこのクラブでのライブ開催が決まったのはライブ日の直前で、このあと行われた南米ツアーの前のウォーミングアップ的なライブだった。チケットを手に入れた数少ないラッキーなファンたちは、ディランの公演でもその奇妙さで群を抜くライブを見ることになるなど、まったく予期していなかっただろう。このライブでディランが奏でたのは全4セットで合計50曲。ジョー・サウスの「Walk a Mile in My Shoes(原題)」、クリス・クリストファーソンの「Help Me Make It Through the Night(原題)」、ハンク・ウィリアムスの「Lonesome Whistle Blues(原題)」などのカバー曲も箪笥の奥から引っ張り出してきた。さらに、このライブでは知られていない曲を取り上げたかったため、「マン・オブ・ピース」、「レニー・ブルース」、「アイ・ビリーヴ・イン・ユー」などの大ヒット曲は意図的に外していた。

3セット目の終盤になって、バンドがブルース・スプリングスティーンの「ダンシン・イン・ザ・ダーク」のイントロを演奏し始めた。活気の足りない観客の反応がこの音源から聞き取れるのだが、ディランはこのとき、この曲の歌詞を多く見積もっても2割ほどしか知らなかった。しかし、そんなことは関係ないとばかりにディランは演奏を続けている。ときどき「I aint nothing but tired」や「shake this world off my shoulder」と正しい歌詞をもごもご歌ってはいるが、ディランがコーラス部分を歌って初めて、観客はこの曲がなにか知ったようなものである。事実、ディランは歌いながら思いつくままに歌詞を作って歌っていた。

これは90年代最初のコンサートであり、その後の10年間の幕開けとしては非常に奇妙なものだった。このコンサートから5年後、ディランとスプリングスティーンはロックの殿堂コンサートで「いつまでも若く」を一緒に演奏している。このときの共演はディランの「ダンシン・イン・ザ・ダーク」の対極に位置するほど洗練されたパフォーマンスで、予想通り、スプリングスティーンは宿題をしっかり行って歌詞を正確に覚えてきていた。