林田理沙アナウンサー、タモリ

街歩きの達人・タモリが“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る『ブラタモリ』(NHK総合、毎週土曜19:30~)。4月20日の放送は、「熊野~なぜ熊野は日本の聖地になった?~」と題して、タモリと林田理沙アナウンサーが和歌山県熊野を訪れる。

熊野は、紀伊山地の最果てにあり、古くから神々が住まう場所として崇められてきた場所。平安時代から、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社を巡る「熊野詣で」が盛んに行われてきた。京都から300kmも離れたこの場所が、どうして日本の聖地となったのか、タモリが山を登り謎に迫っていく。

まずタモリが向かったのは、熊野の霊場に通じる参詣道・熊野古道にある人気スポット大門坂。その途中で唐突に姿を現すのが那智の滝で、落差133mのこの大滝こそ、熊野那智大社のご神体だ。そんな那智の滝はどうやってできたのかが、地質から明らかになる。

次に、サッカーファンにもなじみ深い、神武天皇の道案内をしたヤタガラスが休んでいる所とされる熊野那智大社へ。神社だが、寺でよく見かける護摩木があり、その謎を解くのがすぐ隣にある青岸渡寺だ。補修のあとをよく見ると、かつては神社と直接つながっていたことが判明。生きている間は神様、死んだあとは仏様に救ってもらえるという「神仏習合」の考え方で、これも熊野を聖地に押し上げた理由だという。

そして、もともと別々の霊場だった熊野三山も訪問。平安時代に「熊野詣で」として、トリプルで巡ることが盛んになったことには、実は「山伏」の存在があったという。山中で修行に励み、神と仏を密接に融合させていた彼らこそ、熊野を聖地にした陰のプロデューサー。彼らは熊野古道を切り開き、参詣者の道案内までしていたのだ。こうして熊野は都の上皇も来たがる、魅力ある聖地へと成長していったといい……。

さらに、神の存在を感じさせる険しい紀伊山地は、なぜできたのかという疑問にも注目。その理由は2つのプレートがあわさり、巨大な力で大地を押し上げたからだそう。その力はとてつもなく大きいので今でも盛り上がり続けており、多雨地帯にも関わらず侵食されて低くなることがなく、今でも険しい山容を保っている。

そんな熊野の信仰は、山々のすぐふもとに広がる海のエリアへも拡大。世界遺産・補陀落山寺の境内に展示してある不思議な船は、その特異な信仰を表している。本州最南端のこの場所は南の海に一番近い場所で、そのかなたには観音浄土があると信じられていて……。かつてこの寺の住職は民衆を浄土に導くため自らがこの船に乗り込み、外からくぎを打ち付け、決死の旅に出ていたことが明らかになる。命をかけた究極の信仰にタモリは感動する。