誰もが手に入れたいと思うイタリアの華│ランチア・アウレリア スパイダー

ランチア アウレリアは、誰もが手に入れたいと思うイタリア車の1台だ。そしてB24スパイダーはその中でも格別の人気を誇る。アンドリュー・イングリッシュがその魅力を探る。

アウレリアが現れると、私はライオンの鼻を思い出す。大きなウィンドスクリーンの下からグリル先端へと突き出したボンネットのカーブが、雌ライオンの鼻口部のように見えるのだ。車全体からも、鬱蒼とした茂みから見え隠れする優美でありながら危険なその姿が思い起こされる。

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そのプロポーションは言葉にならないほど美しく、爪ではじいただけでも簡単に崩れてしまいそうだ。リアウィングがあと1インチ高かったり、あるいは角ばったりすれば、このランチアの美しさはヘンリー・ライダー・ハガードの『洞窟の女王』に登場する生命の精、アッシャのように消え去ってしまうだろう。パーツはまるでコミカルなレプリカのようだ。たとえばウィンドスクリーンは、リーヴァ製のボートを彷彿させる。そして午後の太陽に向かって走らせると、トランクやリアウィングの辺りを「バットマンカー」のような影が追いかけてくる。ルネサンス時代からイタリア人は、ひとつひとつ自体はさほど美しいとは言えないものから、醜さとそれに比例した美しさとの絶妙なバランスを生み出すことに非常に長けている。

「アウレリア」は、ローマからピサに至る古代ローマの街道から名付けられているが、この街道の名前はラテン語のアウレウス(ゴールド)に由来する名字、アウレリウスの女性形からとられたものだ。アウレリアと聞けば、数々の名車が思い起こされる。1950年に登場し、生産型自動車では世界初となるV型6気筒エンジンを搭載し、リアにトランスミッションを配置したトランスアクスル方式にインボード式リアブレーキを組み合わせた初代モデルは、その時代のトライアンフやオースチン・ヒーレー、ジャガーやACにまでもかなりのダメージを与えた。

アウレリアには、さまざまなボディタイプが用意された。大まかにいえば、ベルリーナ(B10)とその派生モデル、ショートホイールベースのB20クーペ、コーチビルダー向けのプラットフォーム(B50)に分類される。8年間にわたるアウレリアシリーズの合計生産台数はわずか1万8201台で、そのうちで現在残っているのは1050台程度と考えられている。

B24スパイダーは1954年のブリュッセル・ショーでデビューを果たした。B20よりホイールベースが短縮されたシャシーに、ピニン・ファリーナの手になるボディを架装したモデルだった。B24スパイダーの生産台数は約240台で、うち59台が右ハンドル、181台が左ハンドル仕様だった[編集翻訳註:左ハンドル仕様はB24S。Sは伊語で左(sinistra)を示す]。

1956年7月、貨物船「アンドレア・ドーリア」がニューヨークへ向かう途中、客船「ストックホルム」と衝突し、ナンタケット島沖に沈んだ際に、50台が失われたという噂がある。これに対し「ばかげている」と異論を唱えるのは、長年B24スパイダーを所有するアンソニー・ハッセイだ。ハッセイはこの車で、ありとあらゆる経験をしてきた。ル・ジョグ・ラリーでアウレリアを大破させてしまい、大規模なレストアを余儀なくされたこともある。半世紀以上にわたって彼が所有しているB24は、ミッレミリアに参戦したヒストリーを持つ2台のうちの1台という逸品だ。

ハッセイはアンドレア・ドーリアに関する噂が作り話であることを証明するまぎれもない証拠を挙げている。1950年代。エレガントな外観のオープンモデル。アメリカ市場。この3つの要素を組み合わせて思い浮かぶのは、ニューヨークを拠点とするオーストリア生まれのインポーターでありコレクターでもある、やり手のマックス・ホフマンだ。彼は、戦後の裕福な若者たちや、ハリウッドに住む上流階級の人々が、2座の高級スポーツカーに飛びつくに違いないと予想。メーカーも予想できなかった大量注文を出すと、前代未聞の販売実績を残した。

BMW507、アルファロメオ・ジュリエッタ、メルセデス・ベンツ300SL、ポルシェ356スピードスターなどは、彼の揺るぎない自信がきっかけとなって生まれた名車である。ハッセイのリサーチにより、ホフマンが代金を前払いしたこの50台のアウレリアB24は、アンドレア・ドーリアが沈没する1年前に船積みを終えていたことがわかった。



近年ランチアの経営状態は芳しくなく、自社ブランドはクライスラーによる数種類のバッジモデルと、イプシロンの一車種のみである。英国では、ランチアは1995年(デルタ・インテグラーレ)以来販売されていない。1980年代に、ベータに錆がひどく発生したことから、怒ったオーナーたちがランチアに対して買い戻しを要求するという前代未聞のスキャンダルによって、英国におけるランチアのイメージは大きく失墜してしまった。

ランチアは、独立して事業を行っているときでも、採算性が高かったわけではなく、フィアットなどの競合他社が大量生産を推進する中、なお手作業を多用して生産を行っていた。元フィアットのレーシングドライバー、ヴィンチェンツォ・ランチアとクラウディオ・フォゴリンの構想により1906年に設立されて以来、ランチアは世界で最も革新的かつ進歩的な車メーカーのひとつだった。電気式ヘッドランプ、モノコックシャシー、独立懸架をいち早く採用しただけでなく、第二次世界大戦前に、左右バンクで共通のシリンダーヘッドを用いる、挟角V型の4気筒と8気筒エンジンを開発した。

しかし高額な生産コスト、モーターレーシングに対する無謀とも思える欲求、そしてスケールメリットがまったくないに等しい経営状況を受け、1955年、ヴィンチェンツォの息子、ジャンニ・ランチアと彼の母親は、自分たちの株式をペゼンティ家に売却せざるを得なかった。だが、その後も経営が改善することはなく、1969年10月、採算の取れないトリノのランチアは二束三文でフィアットに売却された。

家族経営であった1950年代初期が、おそらくランチアにとって最もいい時期であると同時に最も悪い時期だったと言えるだろう。アルベルト・アスカリがステアリングを握ったD50フォーミュラ1マシンは、優れた設計ゆえに前途有望と思われていた。果たして1954年のデビューでポールポジションを獲得し、ファステストラップを記録した。しかし翌1955年、アルベルト・アスカリの事故死や会社の売却により、D50は誰もが認める才能を持ったエンジニア、ヴィットリオ・ヤーノとともにスクーデリア・フェラーリに引き継がれた。

こうした時期に登場したのが、1台当たりの利益は高くないものの、見た目もメカニズムも強烈な印象を与えるアウレリアだ。

1940年代後半、いくつかの実験を経て、エンジニア、フランチェスコ・デ・ヴィルジーリオに対し、Vバンク角60°の6気筒エンジンを開発する許可が与えられた。コンパクトなサイズゆえに、かつてイタリア当局から義務付けられていた、ジョイントのないステアリングコラムとともにボンネット内に収めることが可能だった。軽量ブロックV6ユニットには、アルミ合金製のプッシュロッドを備えたOHVヘミヘッドが組み合わされた。

トランスミッションだけでなく、クラッチまでもリアに配置していることで、エンジンと同じ速度で回転する分割型プロペラシャフトが高速走行で振動を起こすおそれがあるが、トランスアクスルゆえに優れた重量バランスを実現した。

最初のB10アウレリアに搭載されたエンジンは、排気量わずか1754ccで、セミトレーリングアーム式リアサスペンションと、ランチア伝統のスライディングピラー方式のフロントサスペンションを備えていた。フロントフェンダーに備わるグロメットは、ダンパーの減衰力を調整するためのものだ。スライディングピラーを用いているのは、ランチアを除けばモーガンぐらいなものだった。

サスペンションは羽のように軽いバネ下重量と、優れたホイールトラベルを実現しているが、車がロールするとフロントホイールのキャンバー角がボディのロール量に正比例して変わることになる。そのため、標準の"ナローゲージ"タイヤを装着するのが最適だ。ワイドタイヤを履くと、トレッドを地面に対しフラットに維持するために硬いスタビライザーとスプリングが必要になり、振動が増して、ステアリングに狂いが生じる。

最終的に、B10に代わって2266ccエンジンを搭載したB12、ロングホイールベースバージョンのB15、そして2リッターのB21とB22が生産された。1951年のB20GTクーペはドライバーズカーであり、2リッターから始まり、シリーズ3では排気量が2451ccに拡大された。また、シリーズ4では、フロントのスライディングピラー式サスペンションを完璧に補完すると考えられる、ド・ディオン・アクスルとパナールロッドの組み合わせがリアに採用された。



初期モデルが劣っていたわけではない。最初のアウレリアはそのままで充分に速く、その世代で最も優れたハンドリング性能を誇る車の1台だった。1951年、ジョヴァンニ・ブラッコは、土砂降りのミッレミリアにB20GTワークスカーで参戦し、総合2位、クラス優勝という衝撃的な結果を残した。ピエモンテ州生まれの彼は、運転に関しては無鉄砲ではあるものの生まれながらにして素晴らしい才能を持っており、ポマードで撫で付けた髪と、黄色い歯(酒とポール・モールが好きなチェーンスモーカーだった)を特徴とする当時の典型的なイタリア紳士だった。1938年にフィアット1500スパイダーでミッレミリアに初エントリーし、1950年にはフェラーリ166MMで4位に、1952年にはフェラーリ250Sで勝利を果たした。

1951年は、ウンベルト・マリオーリがコ・ドライバーとして乗り込んだ。マリオーリは、ブラッコが雨の中を13時間ぶっ通しで小さなランチアを巧みに走らせる中、火のついたタバコを渡すなど、なかなか楽しい一日を過ごしたに違いない。ルイジ・ヴィロレーシが扱いにくいフェラーリ340アメリカで2位との差をようやく広げることに成功したのは、北に戻る途中のフィレンツェを通り過ぎた後のことだった。ブラッコは、アウレリアをゴールに滑りこませるとワインボトルをつかみ、一気に飲み干したという。

B20GTが大物食いであったとすれば、アメリカとも呼ばれるシリーズ4のGTをベースとしたB24スパイダーは、映画スターだった。ピニン・ファリーナによってホイールベースが185mm短縮されたシャシーにピニン・ファリーナが美しいスパイダーボディを架装してみせた。それには、第4世代アウレリアに施された改良点のすべてが盛り込まれ、2.5リッターエンジンは、Vバンクの谷間に備えられた1基のウェバー製キャブレターによって118bhpを発揮した。車重は1054kg、最高速度は控えめで115mph(185km/h)、0-100km/h加速は11.5秒だった。

「数字では語れない、そのスタイルが魅力なのです。スライディングピラーのフロントサスペンションとV6エンジンによって、完璧なバランスが保たれています。カーブの多い道路で、ジャガーXK140を置き去りにできます」そうハッセイはいう。

トランスアクスルを採用したことによって、完璧な前・後軸の重量配分が実現している。大きなペダルと大径のステアリングホイールを備え、トランスミッショントンネルの右側から巨大なギアレバーが突き出し、B24は驚くほど男性的な車だ。

1923年、イタリアは正式に左側通行から右側通行へと移行しているが(ローマでは1925年に、ミラノでは1926年に移行)、第二次世界大戦後も右ハンドル車の人気は続いた。アウレリアのギアチェンジは、機構的に右ハンドル車の操作系により適している。ギアチェンジは、トランスアクスルへ戻る入り組んだルートを考えれば、実にスムーズだ。

その他のインテリアは、現代の車両デザインでは忘れ去られてしまった魅力とシンプルさを備えている。エンジンがカラカラと音を立てて始動し、美しいマフラーからは、唸るようなテノールパイプ・サウンド奏でられる。それほど軽量でもなく高回転型でもないが、V型6気筒ユニットはバイタリティーと、どっしりとした存在感を与えている。

ハッセイがヨーロッパ大陸を何千マイルも運転していたときは、平均8.8km/Lだったが、新しい改良ジム・ストークスエンジンを搭載している現在は、7.8km/Lほどだという。「2500マイル毎にフルサービスが必要です」と、走らせるには高額な費用がかかることを彼は認めている。

B24を探している人へのアドバイスを聞いてみた。「初めて購入するのであれば、購入前に英国なら、ウォータールーヴィルのジム・ストークスやノリッチのオミクロンエンジニアリングなどのエキスパートに見てもらった方がいいでしょう。ブレーキは忍耐強く、しっかりと慣らしてください。トランスミッションの振動は、プロペラシャフトのセンターベアリングの遊びに注意すれば治まります。必ずホイールバランスを取ってから調整してください。ちなみにヒーターは見栄えは最高ですが、役に立ちません」

B24は、近年、高額な価格で取引されるようになったが、果たしてその価値があるのだろうか。1955年の終わりにはジャガーXK140の2倍近い3173ポンド、現在の価値に換算すると約7万2700ポンドという価格がつけられた。この記事で紹介した赤いB24は、3番目に生産されたB24と見られており、ヘキサゴン・クラシックスで販売されている。

ハッセイは慎重に言葉を選びながらこう話してくれた。

「去年アメリカで売却されたものは、100万ポンドを優に超えていました。品質にもオリジナリティにも非常にこだわる人によってレストアされた特別な車だったため高値で売却されたのです。今では、誰もが同じような値段で売れると思っていますが、必ずしもそうしたことはありません」

ハッセイは状態が良好な車で75万ポンド前後だろうと考えており、これがほぼ妥当な線だと思われる。希少で、スピードも速く、リラックスしながら快適な走行ができるだけでなく、見た目も非常に美しい。これがクラシックカーに求める要素ではないだろうか。そう考えれば、このランチアは申し分がない。


1955年ランチア・アウレリア B24"アメリカ"
エンジン形式:2451cc、V型6気筒、OHV、ウェバー製40DCZ5キャブレター×1基
最高出力:118bhp/5000rpm 最大トルク:17.6kg-m/3500rpm
変速機:4段MT、トランスアクスル方式、後輪駆動
ステアリング:ウォーム&セクター
サスペンション(前):スライディングピラー、コイルスプリング、
テレスコピックダンパー
サスペンション(後):ド・ディオン式、パナールロッド、
半楕円リーフスプリング、テレスコピックダンパー
ブレーキ:ドラム、インボード(リア) 車重:1054kg
最高速度:115mph(185km/h)0-100km/h:11.5秒